第14話 花と墓標
毎年、命日は、必ず雨が降る。
今年も御多分に漏れず雨だ。厚い雨雲のせいで、陽光は限りなく淡い。
馬車に揺られること一時間。一行は、小丘に辿り着いた。種々の野花に囲まれた、一基の白い墓がある。
──イリス・シルト、愛すべき想い出と共に。
墓石に名が記されている。
イリス・シルト。彼女こそが、シルト侯爵の妻であり、シャルロッテとベルナールの母だ。
ミルクティー色の髪、ミルク色の肌、菫色の瞳をしたイリスは生前、見る者を魅了した。かく言うシルト侯爵も、心を奪われた一人である。
恋愛結婚が浸透していない王国で、恋愛結婚をした、ごく珍しい夫婦だった。
この丘は、二人の想い出の場所である。
愛の告白をしようと、茂みに薔薇の花束を隠し、ここへ連れて来た。
けれど、間抜けにも侯爵は、花束を見失って。ようやく見つけた彼は全身、土まみれだったという。
『──これからもずっと薔薇をくれる?』
抱腹絶倒のイリスは、そう言ったのだった。
墓に薔薇の花束を供え、侯爵はそっと語りかけた。
「今年の薔薇も美しいだろう? 今年はな、ものすごくビッグなお客さまが来てくださったぞ」
「すんごくビッグだから」眠る妻へ耳語する。
スワードは前へ進み出た。
「久しいな、侯爵夫人」
そう言って、スワードは跪く。湿土で膝が汚れた。すると、駆け寄ったシャルロッテが屈んで言う。
「殿下! お膝がっ……」
「いや、構わない。こうでもしなければ、示しがつかないだろう?」
「しめし?」
スワードはおもむろに、懐からある花を取り出した。青色とも紫色とも取れる、目もあやな花である。
「アイリスですね?」
花へ吸い寄せられるかのように、侯爵が歩み寄って来る。
「君に返礼出来ずにいて、夫人は、さぞ無念だろうと思ってな。律儀な女性だったろう?」
(薔薇のお返しに、アイリスを贈っていたの? 全く知らなかったわ)
シャルロッテはアイリスを、じっと眺める。
すると、頭を擡げたベルナールが言った。
「自分の名前と瞳の色を、父上に送っていたんですか?」
そういえば、そうだ。
ア《《イリス》》、そして紫色の瞳──。
意想外にロマンチックな女性だったらしい。
「おしどり夫婦として二人は有名だったからな。これは夫人の代理だ。受け取ってくれ」
「ふぐっ……ありがとうございます……うっ……」
アイリスを受け取り、侯爵は感泣した。
見かねたベルナールは、ハンカチを出そうとして、ジャケットの懐をまさぐる。
スワードは破顔し、晴れやかに言った。
「気にするな。これは賄賂でもあるからな」
「……へ?」
侯爵の滂沱の涙が、ぴたりと止まった。
「シャルロッテの家族と、顔合わせをしておきたかったんだ。付き合いが長くなるから」
「え?」「は?」侯爵とベルナールは揃って、言葉を失った。
──それはどういう意味? いや、あれしかないか。
錆びついたネジのようにぎこちなく、二人の首が回る。そして、花の鑑賞を楽しむシャルロッテを見やった。それに気がつくと、
「なっ、なによ。二人とも変な顔しちゃって」
と、シャルロッテは怪訝な顔になる。
侯爵とベルナールは、眉根を寄せた。徹夜明けのような、この先の疲労を、前借りしたかのような人相で。そして、大きなため息を吐いた。
膝を折るシャルロッテに、スワードは手を差し伸べる。
「『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』だ。まずは、外堀から埋めないと」
「外堀? 王宮を増築されるのですか?」
「いや? だが、前向きに検討しよう。家族が増える時に備えて」
話の見えないスワードの言葉に、シャルロッテは首を傾げる。そして、侯爵とベルナールの方を見た。けれど、二人とも苦笑を浮かべるだけだ。
墓前に立つシャルロッテは、静かに合唱する。そして、眠る母に心で語りかけた。
(シャルロッテは今、人生の転機の真っ只中にいます。わたしの怪力を理解くださった方がいて……)
怪力と向き合ってくれる人、家族を知ろうとしてくれる人。やさしく笑いかけてくれる人。
それから──
「シャルロッテ」
「はっ! はい!!」
真後ろから名前を呼ばれ、シャルロッテは、爆ぜるように振り向いた。
光を浴びるスワードが、神々しく見える。
「雨が止んだぞ」
「え?」
あり得ない。命日は必ず雨だ。
母を亡くした家族の涙のように、毎年必ず雨が降る。何かの呪いかのように。例外はない。
恐る恐る傘を下ろし、シャルロッテは驚愕した。
──雲一つない、抜けるような青空だ。
鮮麗な虹がかかっている。美しい晴れの間。
シルト一家の三人は、顔を見合わせた。
「……姉上、何かした?」
「わたしは怪力なだけよ! 祈祷師じゃないわ」
「こっ、こんなことは初めてだ。まさか……」
三人はスワードを凝視した。
いつも通り悠然とする彼は、肩に落ちた雨の雫を、手で払い落としている。そして三人の熱視線に気がつくと、花開くように微笑んだ。
「さあ、帰ろうか。わたし達の王宮へ」
柔らかな風がシャルロッテの頬を撫でた。
白い墓石の元で、アイリスが揺れる。若葉の青い薫りが、遠く遠く運ばれて行った。
◇◇◇
◇◇◇
帰りの馬車の中、シャルロッテはスワードのはす向かいに座った。
今回は微行のため王宮の馬車を使わず、シルト侯爵家の馬車を使う。大きくて立派な造りだが、王宮のものには敵わない。
車体が揺れると、互いの膝頭が触れた。
「実に有意義な一泊二日だった。怪力仕様なんて、他で学べるものじゃない。ベルナールは、堂々たる小侯爵だった。本当に侯爵の息子か?」
「ううっ……本当に、何から何まで、どうお詫びすれば良いのか……」
「ははっ! いや、そうじゃない。楽しかったんだ」
弾けんばかりの笑顔を見せるスワード。
シャルロッテは安堵する反面、密かに思った。
──この人、相当お疲れなのかもしれない。
あの小心者すぎる父と、尊大な弟を面白がれるなんて。そもそも、怪力令嬢の訓練を手伝ってくれる時点でおかしいのだ。
きっと公務に忙殺され、判断力が鈍っているのだろう。……お気の毒に。
不憫に思ったシャルロッテは、
「殿下、わたし解ってますから! たまには、ゆーっくりお休みくださいね!」
と、労りの笑みを浮かべた。
「何の事だ?」脈絡のない言葉に、スワードは首を傾げる。
すると、馬車が大きく揺れた。シャルロッテの視界も揺動し、スワードは、素早く彼女を抱き寄せる。そして、膝の上にそっと座らせた。
目と鼻の先に彼の顔がある。
「ひぇ!? でででで殿下、これは一体!?」
「ゆっくり休ませてくれるのだろう? 愛情深い恋人を持てて、わたしは果報者だな」
そう語るスワードは、喜色満面だ。そしてシャルロッテの額に、自分の頬を擦り寄せる。
──違う、こうじゃない!
いつにないスワードとの密着度に、シャルロッテは面映くなった。
スワードの顔が良すぎて、心臓が痛い。
筋肉に力が蓄積されるような感覚がした。
今、たぶん、怪力化をしているはず……。
現実逃避のために、シャルロッテはぎゅっと目を瞑る。すると、スワードは、
「集中しろ。それでは癒されない」
と言って、目蓋にそっと口付けた。
狼狽したシャルロッテは両手で、急いで面隠しする。
(そうよシャルロッテ、集中しなさいっ。殿下の模擬恋人を《《まっとう》》するのよ!)
これは、か弱くなる訓練の一環だ。
模擬恋人のスワードは、体を張って、訓練に付き合ってくれているのである。彼のためにも成長しなければ! ──と、思ったのだが。
「む、無理……眩しすぎて無理……」
指の間からスワードを見て、シャルロッテは嘆息した。
彼を相手に訓練する限り、自分は永久に、怪力化から抜け出せない気がする。だって、
──顔も声も香りも良すぎる!
《《これ》》に太刀打ち出来る乙女なんて、大陸中探してもいないはずだ。誰だって昂るだろう。
「シャルロッテ、手を」
スワードは、シャルロッテの顔から手を引き剥がした。そして顔を突き合わせ、花のかんばせを見せる。
「作ってみたんだ。わたしは存外、手先が器用らしい」
「何を……っひぇ!?」
左手に手を触れられたシャルロッテの顔から、猛火が吹き出た。
──薬指に指輪が付けられている。野花で作られた指輪である。
その上に、スワードはキスを落とした。
「これくらいは許されるだろう?」
「おおお恐れ多いです。こんなっ、恋人みたいな……」
と、動揺したがシャルロッテは思い直した。
これは模擬恋人から模擬恋人へ向けたプレゼントだ。つまり、これは模擬プレゼント、模擬指輪である。……いや模擬指輪って何?
高血圧だろうか、昂りすぎて頭が痛い。
「何を今さら、わたし達は恋人だ。その自覚を持ってほしい」
「そ、それは、その……模擬恋人ですよね?」
「はぁ。では模擬恋人殿、何をすれば私を好きになってくれるんだ? 教えてくれ」
手背を撫ぜられるシャルロッテ。
──何をされたら好きになるか、なんて分からない。
ただ、これだけは断言できる。
彼以上に自分を昂らせる人はいないのだと。




