第13話 薔薇の棘
──二度目の邂逅だ。
スワードは覚えていないだろう。
けれど、過去に一度だけ、二人は顔を合わせていた。
政務のために王宮へ赴く父が、ベルナールを同道した時の事である。
王宮の迷路庭園の薔薇を見て、幼いベルナールは、物思いに耽っていた。
(ははうえ……このお花、みせたかったなぁ)
ベルナールは、一輪の薔薇へ手を伸ばす。
すると、背後で若い男声がした。
「──怪我をするぞ」
声の主は颯爽と短剣を振い、薔薇を切り落とした。そして切り花の棘を、剣刃で器用に取り除く。
姉よりも年上らしき、大人のような少年だった。
「薔薇は、その美しさゆえに、人の目に留まりやすい。いつ摘み取られてもおかしくない、危険と隣り合わせで生きているんだ。だから簡単に手折られないよう、こうして棘がある。美しく気丈な花だ。……これで良し」
そう言って彼は、すべらかになった茎を、ベルナールに持たせた。棘で出来た痛々しい傷が、指のいたる所に出来ている。
「お、おにいさんケガがっ……」
罪悪感を抱くベルナールの眦に、涙が浮かんだ。けれど、「問題ない」と朗笑されて。
「わたしは棘も好きなんだ。大切なものを守ろうとするところがな。君も、そういう男になれ」
そう言って、彼は、ベルナールの頭を撫でた。
後で知った事だが、彼は当時の第一王子で。
そして、現王太子のスワードだった。
ベルナールはスワードを憶えていた。
騎士に扮していようが、彼を見違えるはずもなかった。
◇◇◇
「やったことあるよね? ビリヤード」
ベルナールとスワードは、ビリヤードルームにいた。
ガスランプが室内をおぼろに照らした。
灯りを弾く塵が、細氷のように光っている。
怪力仕様のキューを、ベルナールは粗雑に投げた。
スワードは片手で受け取った。まるで、細枝を手にするかのように、軽やかに。
不愉快そうにベルナールは顔を顰める。
「……今までもさ、いたんだよね。見た目が良い姉上にたかる虫どもがさ」
「男ですか?」
「そ。純朴男、優男、軟派男とか……色々。怪力令嬢って言われ始めてから、みーんな消息を断ったけど。あいつ死んだ? って思うくらい、急にいなくなるんだよ」
そう言って、ベルナールはボールを撞いた。九個のボールが多方に離散する。まるで、姉から逃げた男達のようだ。
(どうせ、殿下も姉上を捨てるんだ)
姉が後宮に住まわされると聞いた時、ベルナールの感情は交錯した。
十年前の薔薇をもらったあの日、ベルナールは、スワードの気高さに憧憬を抱いた。
けれど彼もまた、愚か者だったのだ。姉の美貌に釣られるだけの、愚かな男。心底幻滅した。
「──ファール。選手交代ですね、ベルナール殿」
そう言われ、ベルナールははたと我に帰る。
難易度の高いボールを、スワードはやすやすと撞いていった。そして、ふと顔を上げる。
「それで? わたしに話があるのだろう?」
スワードから鋭い視線を送られ、ベルナールは固まった。
──見透かされていた。
自分が、スワードを知らない振りをしていた事に。
そしてスワードは、それを見逃してくれていたのだ。
「これでも王太子をやっている身なのでな。まあ、変態ではあるが」
「いや、それは!! ……申し訳ございません」
自分が犯した不敬の数々が、走馬灯のように駆け巡る。
──けれど、これだけは言わなくては。
ベルナールはスワードに、決然と言った。
「王太子殿下、どうかお願いです。姉を解放してください」
そして、ベルナールは昔話をした。
8年前、母親のシルト夫人が逝去した。
元から病弱で流行り病に羅病した事が原因で。
この日の事を今でも夢に見る。
暮相時、部屋の中が朱に染まった部屋。
母を抱きしめる父の嗚咽や、そして、小さな小さな姉の背中。
葬儀は、雨の中で執り行われた。
それから、ひと月程経った頃だ。
夜の屋敷で悲鳴が響いた。声の元へ向かうと、腰が抜けたメイドと、泣きじゃくる姉がいた。
「……その人が、お母様の部屋に勝手に入って宝石を盗もうとしててっ……! そしたらわたし……すごく力が入って……それでっ……」
「姉うえ、怪我はない?」
どうしてそうなったかは、判然としない。
姉の拳は無傷で、壁に大穴が空いていただけだった。
──それが、初めての怪力だった。
その後、感情が昂るたびに姉は怪力化した。
狭い社交界で、怪力令嬢の存在は、またたく間に広がって。ほどなくして姉は社交界から抜けた。
その後は、弟のベルナールが虐められた。
そのほとんどが、ベルナール本人ではなく、怪力令嬢をダシにしたもので。
ある日、怒りが頂点に達して、姉を物笑いにする令息に掴みかかった。それから──、
その後の事は、よく覚えていない。
目を覚ますと自室にいた。
そして泣き腫らした姉に何度も「ごめん」と謝られて。
姉を侮辱する者は許さない。
これからは、もっと上手くやろうと思った。
◇◇◇
「姉上を弄ぶなら、僕は容赦しません」
「要するに、わたしがシャルロッテを捨てるのでは、と危惧しているのだな」
「モーヴ公爵だって、最初は良い顔をしてましたから。……今の貴方のように」
「心外だな。あれと同等に見られるとは」
スワードは手を止め、ベルナールの方へ体を向けた。眉根を寄せて感情を露わにする。
「どうして姉が良いんですか? どこが好きなんです?」
変声期中の掠れ声で、ベルナールは問うた。
これまでの男達は、姉の容貌に言及した。なめらかな肌、煌めく瞳、花びらのような唇……。
ガコンッ。ボールが落ちた。
ベルナールはスワードの背後で、固唾を飲む。
スワードは振り返らず、凛然と言った。
「言い尽くせないな」
スワードはテーブルの周りを、やおら周回する。
「言葉にすると薄っぺらい。なぜなら『愛』とは、あらゆる感情の産物であり生き物だから。言葉という箱に閉じ込める事は、決して出来ない」
スワードはベルナールに、シャルロッテへの想いを、噛んで含めるように言った。そしてテーブルを挟み、ベルナールと向かい合う。
深く青い瞳に射竦められ、ベルナールは身動き出来なくなった。
「いいか、ベルナール・シルト。人生とは感情の積み重ねだ。感情が豊かであればあるほど、人生は輝く」
けれどシャルロッテは、感情のせいで、理不尽を強いられてきたのだ。そんなに良いものではない。ベルナールはそう思っていた。けれど、
「どれだけ中傷されようと、シャルロッテは感情を捨てなかった。強くて鮮やかな感情と共に生きてきた。そんなシャルロッテが……わたしは、どうしようもなく眩しいんだ」
──そう、その通りだ。
姉の良さは見目形だけではない。彼女の温かで、真っ直ぐな心根にある。
それを、この王太子殿下は知っている。
最後のボールが穴に落ち、ゲームは終了した。
「わたしの勝ちだ」
そう言って、スワードは破顔一笑した。
悔いはない。ベルナールははじめから、ゲームが目的ではなかった。ただ、スワードの化けの皮を剥がしてやろうとしただけで、ゲーム自体の勝敗はどうでも良かった。
──良かった。本当に。
ベルナールは安堵した。
「僕……本当に申し訳ございませんでした」
「ははっ! 君は大切な姉を守ろうとする、立派な騎士だった。かなり尖っていたな」
ベルナールの足元がふらつく。一体どのような罰を下されるだろうか。見る見るうちに面色が失せていく少年に、スワードは朗笑する。
「言っただろう? わたしは棘も好きなんだ」
──ああ、十年前のあの言葉。
ずっと、憶えていてくれたのか、彼も。
頭を上げたベルナールの瞳に、光が差した。
母親譲りの菫色の瞳に。
◇◇◇
部屋を出た二人を、シャルロッテが迎えた。
「ちょっ、風邪引いたらどうするのよ!」
シャルロッテのショールが、ベルナールの肩にかけられる。パウダリーな甘い香りが、鼻腔をくすぐった。……やさしい香り、姉の香りだ。
眼前のスワードとシャルロッテを、ベルナールは打ち守った。
「濡れると濃い紅茶色になるのか」
「ちょっ! ちょちょちょっ!?」
湿り毛のある姉の髪を、スワードが指で梳かす。
堪らず顔を背ける、姉のシャルロッテ。
「綺麗だ」
少しも照れずに、スワードは言った。
その青い瞳は、熱と慈愛に満ちていて。
いつか父が母へ向けていた眼差しと、同じ目をしていると。
ベルナールは、そう思うのだった。




