第12話 怪力令嬢の弟
昔のシルト侯爵家の領地邸は、活気があった。たくさんの使用人や来客が出入りし、よく賑わっていたものだ。
シャルロッテが、怪力令嬢と化すまでは。
客人をもてなすのは、およそ十年ぶりである。
その客人が、まさか王太子だなんて。
一体、誰が予想出来ただろう。
シャルロッテと父親の侯爵の肝は、冷えるどころか、すでに凍っていた。
──賓客のもてなしなんて無理だ。
屋敷の規模に比べると、シルト侯爵家の使用人は極端に少ない。
怪力令嬢のせいで、就職希望者がいないのだ。
だから、使用人は常時欠員状態である。
そういう理由で使用人は全員、王都邸勤めで。墓参りの時だけ、領地邸へ出張する。
だから、普段ここは無人状態で、要するに空き家同然なのである。
最低限の設備しか、整えられていない……。
シャルロッテと侯爵は周章狼狽で、邸宅内を駆け回っていた。
客室の設備は問題なかった。いや、あらゆる場所に塵が積もっていたので、問題なくは無かったが。
ディナーの間に、掃除をすれば何とかなる。
少数精鋭のシルト侯爵家のメイドならば、きっと、やり遂げてくれるはずだ。やり遂げてくれ。
最後に点検したのはダイニングである。
もとより、家族で使用する部屋だ。一番はじめに点検しただろうし、問題はない。
シャルロッテは父と共に、シャンデリアを降ろした。蝋燭に火を灯そうとしたから。
……が、ほとんどの蝋燭は、すでに溶け切っていた。
──まずい!!
そうして、シャルロッテと侯爵は、邸宅中の蝋燭を手当たり次第集める事となった。
「これで足りるでしょうか……」
「足りる! と、思いたいっ……!!」
新品のもの、使い古しのもの。テーブルの上に並べた蝋燭に火を灯すと、父の顔が引き攣った。
……降霊術の儀式でもするの?
そう思うほど、不気味な雰囲気を醸している。
シャルロッテと侯爵は腹を決め、ディナーに挑むのだった。
◇◇◇
カチャカチャ……。
皿とカトラリーの音が静寂に溶ける。
メインの料理のレアステーキを見て、シャルロッテは息を詰めた。
──生贄かな?
陰惨な方法で捧げられた、生贄のように見える。
父は、ワインでステーキを流し込んだ。
「ソード卿、お味はいかがでしょうっ……じゃなくて! いかがかね?」
「どれも絶品です。やはりシルト領のトマトは格別ですね。主君も、さぞやお喜びでしょう」
「こっ……光栄に存じます……ソード卿!」
スワードから微笑みを向けられ、強張っていた父が綻んだ。ようやく肩の荷がおりたと言わんばかりに、深く息を吐く。
──こっちも助けて! 父親でしょう!?
緊張が頂点に達したシャルロッテは、手元を見やった。手付かずのステーキと、折れ曲がったシルバーのフォーク。
スワードはめざとく、シルバーの山を見つけた。
「シャルロッテ嬢、それ10本目ですよね?」
「へ? そ、そうでしょうか?」
視線を逸らし、シャルロッテはしらばくれた。
スワードは器用に片眉を上げ、一笑する。
「ははっ! 見てましたから。ほら、ここへ」
隣の席を、ぽんぽんと叩き、スワードはシャルロッテを呼び寄せた。そして手付かずのステーキを、細かく切り分ける。
「ちょっ、さすがに家族の前ではっ……んぐ!?」
「シャルロッテ嬢、訓練に恥も外聞もありませんよ。王太子殿下がおっしゃっていました」
そう言って、次から次へとステーキを運ぶ。
春風満面を向けられて、シャルロッテの心臓が早鐘を打った。
(家族の前なのに!)
羞恥心で昂り、スワードから顔を背ける。
すると、渋面のベルナールが口を開いた。
「姉上、いつもこんな事やってんの?」
「ううっ……訓練の一貫なの。カトラリーを壊しても良い上限を決めて、それ以降は殿下が……」
「ぶっ! 冗談でしょ? 変態王太子がイチャつきたいだけじゃん。キモすぎ」
──キモすぎは言いすぎ!
シャルロッテと侯爵は、蒼白な顔を見合わせた。
スワードの青の瞳に、ふっ……、と幽けき光りが差す。薄暗闇の中で、唇の端を上げた。
「ベルナール殿は、胆力がお強いのですね。間接的にとはいえ、王太子に物申すとは」
「別に? 変態男が嫌いなだけ」
「ここここらベルナール! あなた、なんてこと言うの!」
ベルナールの無礼千万な言動に、シャルロッテは声を荒げた。小言を言う姉に、ベルナールは睨みをきかせる。
「なに? 僕は、一介の騎士とお喋りしてるだけ。だよね? ソード卿」
「……ええ。ベルナール殿のお話は、とても興味深いですね。もっと、深く、お話をしたいものです」
風船が膨らむように、次第に、場の空気が張り詰めていく。
ステーキの味なんて、シャルロッテにはもう、少しも判らなかった。
◇◇◇
シャルロッテとスワードは、談話室にいた。
夜のティータイムの、訓練中である。
「ほら、カップを持つんだ。訓練にならないだろう」
シャルロッテに貼り付くようにして、スワードは、古いソファに腰掛けた。座面が沈んできしめく。
──近すぎる。
静かに昂るシャルロッテは、ティーカップを持てないでいた。壊す事が明白だったから。
ティーカップを手にするスワードは、お茶を吹き冷ます。そしてシャルロッテに、恭しく訊いた。
「私が飲ませて差し上げましょうか?」
「〜〜殿下っ! ベルナールが、大変申し訳ございません! 騎士様と思ってたにせよ、あんな……」
「ははっ! そんな事。たまには、ごっこ遊びも良いものだ。今度は、君が、王太子妃役をするのはどうだ?」
「ひゃいっ!? そんなのっ……心臓がいくつあっても足りません!!」
「ぷっ! まあ、要特訓だな」
忍び笑いするスワードを見て、シャルロッテは切り出す。
「ベルナールは、わたしのせいで、あんな風になったのかもしれません。社交場へ行かせないようにしたので、世間知らずなんです」
「なぜ行かせないんだ? 未来の侯爵だぞ」
ソファに浅く座るシャルロッテに合わせ、スワードも前傾姿勢をとる。
シャルロッテは、姉弟の記憶を呼び起こす。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「あれは、『怪力令嬢』の異名が、貴族の間で広がり始めた頃のことです──」
◇◇◇
あの頃、頻繁に、同年代のお茶会に参加していたベルナール。そして、あの日も、いつも通りお茶会へ行っていた。
彼が帰宅するのを見ると、シャルロッテは、普段通り矢のよう真っ直ぐ、玄関へ向かった。
それが、仲良しシルト姉弟のお決まりだった。
けれど、その日は、普段通りではなかった。
ベルナールが、いつにない怪我を負っていたから。
「ベル!? どうしたのその怪我は……!?」
「あ、これ? ちょっと転んじゃって」
泥みどろのズボン、シミだらけのシャツ、頬の腫れと、鮮血が滲む唇。
転倒による怪我でないことは、明らかだった。けれど、ベルナールは明るく笑って。
「ぶっ! 変な顔しないでよ。怪我は男の勲章だってよく言うじゃん。って事は、僕はすでに、出世街道を歩き始めたんだ。褒めてくれてもいいんじゃない?」
「でも──」
「平気だってば!」
そう、強い語気でベルナールは言った。
シャルロッテは、それ以上踏み込めなかった。
その後もベルナールはお茶会へ行った。
けれど、決まって怪我をして帰って来る。
またある日、怪我を負って帰ったベルナール。その日は、担架で運ばれ、帰宅したのである。セバスチャン曰く、お茶会で嫌がらせを受け、足首を骨折したのだ、と。……そういう事だった。
「これまで大怪我をなさらなかった事が、不思議なくらいです。お坊ちゃまは、ずっと……その……」
そう言い淀むセバスチャンの瞳を見て、シャルロッテは直感した。──自分のせいだ。
自分が、『怪力令嬢』だからなのだ。
◇◇◇
「後で知った事ですが、『怪力令嬢の弟』とレッテルを貼られて、ベルナールは虐められていたんです」
「つまり、彼を守るために社交を断たせた、と」
「わたしのエゴでした」
「エゴかどうか決めるのは君じゃない。彼自身だ。そもそも、守られるようなタマじゃないだろう、君の弟は」
「……え?」
スワードはティーカップに手を伸ばした。
冷たいお茶を飲み、部屋の扉を見やる。
そして、不敵に笑った。
「来るぞ」
誰かが扉をノックした。入室を許可される前に、扉を強く開ける。
──ベルナールだ。
入浴して間もないのだろうか。
髪の毛束から水滴が落ちている。随分と急いで来たようで、肩で息をしていた。
いとけない顔に険相を浮かべている。
「ソード卿、こんな時間に姉上と二人きりなんて、どういうつもり? 嫁入り前なんだけど」
「お茶会をしていました。ベルナール殿もいかがです?」
ベルナールから噛みつかれても、スワードが波立つ様子はない。
柔よく剛を制すとは、この事かもしれない。
ベルナールは、負けじと尊大に振る舞う。
「お茶よりもっと良い事しようよ。僕と二人、男水入らずで」
「……というと?」
ベルナールは親指を立て、暗い廊下を指した。
「ビリヤードしようよ。一度でいいから、本気でやりたかったんだよね」




