第10話 初めての感情
馬車に揺られながら、シャルロッテは、窓外の景色を眺めていた。
王都から遠のくにつれ、緑深くなっていく。木漏れ日が地面に落ちて、キラキラと輝いていた。
すべてが美しい、情景絵画のようである。
うつけるシャルロッテの横顔に、スワードは語りかけた。
「──薔薇、気に入らないか?」
「えっ?」
出し抜けに問われ、シャルロッテは戸惑った。
膝の上の花束へ視線をやり、逡巡する。
──気に入らない、かもしれない。
花束を見るたび、あの店員が脳裏に浮かぶ。
気安くスワードに接し、露骨に秋波を送る、あの表情を……。
そうすると、あの時の謎の、鋭利な感情が生じるのだ。そして重い食事をしたかのように、胸焼けがする。
「気に入らないわけではないんです。とても綺麗ですし……ただ、この薔薇を見ると、どうしてもあの店員を思い出してしまって。それで……」
──鋭利で攻撃的な、悪感情を抱いてしまう。
シャルロッテは、歯切れの悪い返事をした。
心火を燃やす、あの未知の感情は、何と言う名前なのだろう。
居心地の悪いシャルロッテは、花びらに触れる。
スワードは、素早く花束を奪い取った。そして窓を開け、平然と投げ捨てる。
「ええーーーーっ!?!?」
スワードの突飛な行動に驚愕し、シャルロッテは叫んだ。
彼はお構いなしだ。座席や膝に残った花びらも、一つ残らず捨てていく。
花束は水溜りの中へ、ぽちゃりと落ちた。
シャルロッテは窓から顔を出した。
「わたしを見ろ。シャルロッテ」
スワードは、シャルロッテを隣に座らせ、顔を片手で挟んできた。
シャルロッテのぽってりとした唇が、嘴のように突き出る。
「でっ、殿下、あの花束は?」
「必要ない。もっと良い店を知っているから、そこで買おう」
「でも、どうして捨てて……」
シャルロッテは困惑の表情をする。
すると、長嘆息したのち、スワードは手の力を緩めた。そして、シャルロッテを正視する。
「あれのせいで、あの店員が君の頭の中に居座るのだろう? そんな図々しい輩を、わたしが許すと思うか? 答えはNOだ」
「……はぇ」
シャルロッテの肩の力が抜けた。
スワードは、互いの額を合わせる。
「わたしの事だけ考えろ。わたしが、君にそうしているように」
王太子が、怪力令嬢の事だけを考えている?
そんな都合の良い話があるわけ──
いや、そうか。きっと、か弱くなる訓練の事で、常に頭を悩ませているのだろう。
シャルロッテは、忸怩たる思いに駆られた。けれど同時に、ひそかな喜びも感じた。
どんな形であろうと、自分を思ってくれている事に、変わりはないのだから。
シャルロッテの鋭利な悪感情が、まろやかに溶けていく。滾る血潮も胸焼けも、気がつけば治っていた。
愁眉の眉が開くと、そこへ、スワードが柔らかに口付ける。
「ひえっ!? ででで殿下!? 今のはキ、キ、キっす……!!」
「ははっ! 顔を見てみろ」
スワードは、窓ガラスを指差す。
そこに映じる自分を、シャルロッテは見た。
赤々と上気する頬は、まるで薔薇のようで。
──こんな風に母も染まったのだろうか。
シャルロッテは、遠い母を想った。
「夫人似なんだな、君は」
スワードは、まろやかな声でそう言った。
◇◇◇
シルト侯爵領の境を越え、二人は屋敷に到着した。
新しく購入し直した、薔薇の花束を携えるシャルロッテ。そして、騎士に扮するスワード。
スワードを玄関の扉へ先導し、シャルロッテは見返って、
「でっ、殿下、先に申し上げておきます! その……うちは少し、趣向を凝らした造りになっているので、予めご了承くださいませ!」
と、含みを持たせて言った。
するとスワードがこくりと頷き、シャルロッテは腹を決める。
「シャルロッテ、ただいま戻りました!」
そう、シャルロッテは声高らかに言う。
すると不気味な音を立て、ゆっくりと扉が開かれた。




