表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
常夜紫煙堂事件録  作者: 兎深みどり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/50

第四十六話 港に集まる箱

 今日もまた変わらない。

 朝の光が天窓から落ち、常夜紫煙堂のガラス戸の四角がゆっくり移動した。

 湿度計は五十六%。

 瓶の列は口を結び、秤は皿を閉じ、針は零。

 カウンターには今日の道具が並ぶ。ICレコーダー、指向性マイク、コンタクトマイク、非接触温度計、振動センサー、UVライト、封印シール、薄い磁石、綿棒、そしてNo.18“31”の小瓶。


「おはよう、天田」


「おはようございます、紫郎さん」


 天田芽衣子は制服。

 胸ポケットのペンは二本、向きがそろっている。

 手には今日の計画表と、港の見取り図。


「目的は港の仮設倉庫B。昨日の軽バン“・・31”が午前に搬入予定です」


「入退場ゲートはRFIDで秒まで記録。駐車券のバーコードも時刻が残ります」


「秒で動きをつなぐ。音が消えても、揺れと粉と温度は残る」


「役割です。北条さんはゲートのログ。島倉さんは喫煙所。杉谷さんは保管台帳の写し。私は鍵袋の封印と薄い目印」


「俺はコンタクトマイクと匂いを見る」


「ああ。No.18“31”はごく薄く。触れたら分かる程度でいい」


 鈴を鳴らし、ふたりはアーケードを抜けた。


ーーー


 港は朝から忙しい。

 フォークリフトのビープ音。

 潮と油の匂い。

 仮設のフェンスには立入禁止の札。

 その向こうに仮設倉庫Bと白い喫煙所ボックス。

 地面は金属の目地が多く、振動がよく伝わる。

 門にはRFIDゲートと駐車券発券機。

 壁時計の秒針は09:58:00。


 北条が走ってきた。


「ゲートPC、秒まで同期した。監視カメラのオーバーレイ時刻も合わせた」


「助かる」


 天田は鍵袋を一つずつ封印シールで閉じ、袋の内側にUVインクで短い線を引いた。

 No.18“31”を綿棒でごく薄く置く。

 袋は一本ずつ。

 触れれば匂いが、開ければ線の乱れが出る。


「準備室B-2に入る鍵は三本。戻りの薄い目印で、触った鍵が分かります」


 杉谷が台帳の写しを持ってくる。

 紙には『BVTブライト・ヴァージニアORオリエント/LO(葉落)』の記載。

 BVTは加熱乾燥の明るい葉、ORは天日乾燥の香味葉。

 混ぜ方が味の骨格になる。

 欄外に鉛筆で『K-12/31』。

 同じ手の記号がいくつも残る。


「“31”がまた出る」


「数字は目印にも合図にもなる。在った数字として記録だ」


 10:06:20。

 白い軽バンが現れた。

 ナンバーは“つくば 480 そ ・・31”。

 窓はやや濃いスモーク。

 停車位置は喫煙所の斜め向かい、準備室B-2の窓のすぐ下。

 左後輪が白線にかかる癖。

 ガードレールの肩の高さに古い擦り傷。


「位置も癖も同じだ」


 天田は準備室B-2の扉枠に振動センサー。

 窓の外のガードレールにコンタクトマイク。

 指向性マイクは喫煙所方向へ。

 非接触温度計をラッチ金具へ向け、前後の温度を読む。


「同期。手拍子三回」


 三回、短く。

 壁時計は10:07:00。


 軽バンの助手席側扉が少し開いた。

 黒いケースが見える。

 可搬キーマシンの箱の形。

 ドライバーはフードにマスク。

 腕時計は右手首。

 左手のテンションレンチが黒く光る。

 左利きの動き。


 同時に喫煙所。

 黒い作業着が入る。

 Zippoが一度だけ火花を散らす。

 フリントフェロセリウムが左手前に落ちる。

 Zippoは綿芯とチムニーの穴で風に強い構造で、常温でも揮発するナフサ燃料を使う。

 ブタンの使い捨てより寒さに強いが、燃料臭は薄く残りやすい。

 島倉がすぐに回収。

 磁石で粉がわずかに寄る。

 吸い殻のフィルターは活性炭入り。

 一部の揮発成分を吸着して刺激を和らげるが、匂いの並び自体は変わらない。

 紙には薄いリング。

 低出火性のバンド紙の跡だ。

 幾つもの国で義務化され、放置火災を減らすための帯が燃え移りを止める。

 天田は回収の順番をメモに残した。

 ――粉→吸い殻→写真→時刻。


 10:07:19。

 コンタクトマイクの波形に細い振動が立つ。

 一定のモーター。

 ときどき高周波の擦れ。


「キーマシンの切削。車内で回してる」


 10:07:48。

 波形が一瞬だけ太くなる。


「ブランクをクランプした瞬間だ。真鍮粉が出る」


 天田は非接触温度計をラッチへ向けた。

 入室前が23.1℃、今が23.7℃。

 上昇は0.6℃。

 扉は重く動いていない。

 金具だけが擦れた温度だ。


 10:08:11。

 北条が無線で告げる。


「RFIDゲート、軽バン入場10:06:21。準備室B-2の入室ログ10:07:10。カードIDは“設備主任”。退室10:08:02」


「秒がつながった。車内で作業、同時に入室ログでアリバイ」


 10:08:33。

 コンタクトマイクの波形が落ち、10:08:41に止まる。

 軽バンは助手席扉を閉め、静かに前進。

 そのままB倉庫の搬入口へ回り込んだ。


「追わない。在った事実を残す」


「はい」


 搬入口では、舞台用の連絡箱に似た堅木の箱が二つ下ろされた。

 脚の高さは四。

 内部は二重底。

 取手の裏に二センチの平面。

 ラベルは『資料』『廃棄』。

 鳳章インテリアのステッカーに、文化連絡協会の貼り紙が重なる。


 杉谷が低く言う。


「札の順、昨日と同じ。“廃棄”が怪しい」


 天田は人波が切れた十秒で近づき、取手裏のUVの線を視線だけで確認した。

 指でこすられた乱れ。

 No.18“31”の匂いもごく薄く乱れている。


「触られてます。入れ替えた」


「二重底は持ち上げない。滑らせて見るだけでいい」


 紫郎は箱の呼吸を乱さず、底板を数ミリだけ滑らせた。

 糊は薄い。

 封筒が一つ。

 封の見た目だけ元に戻した状態にするため、封は切らない。

 中身だけ抜く。

 代わりに同じ重さの空白紙を戻す。

 座らせる。

 音は短い。


「退く」


 天田は封筒を防水袋に入れる。

 目に入った記号は二つ。

 『K-12/31』と『北回り/N』。


「“K-12/31”。北回り。同じ手です」


「在った」


 軽バンが戻る。

 喫煙所前に再び寄る。

 今度は使い捨てライターを空押しした。

 フリント粉は落ちない。

 癖を隠しにきている。

 だが左後輪の寄せと肩の擦り傷は同じ。


「癖は直らない」


 北条が駆け寄る。


「駐車券10:06:21発券。ゲート退場10:19:04。準備室入退室10:07:10→10:08:02。波形停止10:08:41。秒が線になった」


「良いぞ」


ーーー


 午後、港の監視室。

 駐車帯カメラの静止画で、軽バンのナンバーが鮮明に出る。

 運転席の影はフードとマスク。

 喫煙所のカメラは左手のクセを捉えた。

 吸い殻は活性炭フィルター。

 紙のリングは低出火性の帯。

 島倉が回収済み。


 設備主任が来た。

 額に汗、手にタブレット。


「入退室ログのカードID、本物の私です。でもその時間、私は東棟で配電盤にいました」


「監視映像で秒が出ています。カードは胸ポケットでしたね」


「はい」


「スキミングの可能性が高い。人混みで密着された時に複製されたかもしれません」


「最近、エレベーターで肩がぶつかったことが」


「その時刻も情報担当に回します」


 紫郎は拾えたものを短く並べた。

 一つ。コンタクトマイクでキーマシンの振動。10:07:19→10:08:41。車内作業。

 二つ。ラッチ金具の0.6℃上昇。扉は重く動かず、内部で軽い摩擦。

 三つ。喫煙所のフリント粉は左手前。左利き。

 四つ。箱は二重底。“廃棄”は偽装。取手裏二センチの薄い目印に触跡。

 五つ。封筒に『K-12/31』『北回り』。

 六つ。ゲート、カメラ、駐車券の秒が一致。


「在った事実として記録します。名前は書きません。積むだけ」


 喫煙所からは小さな破裂音がかすかに届く。

 クレテックの紙巻が弾ける音だ。

 クローブが燃えると微かなパチパチが出る。

 その音が語源で、インドネシアでは“kretek”と呼ばれる。

 音は癖を隠せない。


 いつもの眠たげな声が落ちた。


「どうだ。港の空気は固いだろう」


「秒は取れています。車内作業です。鍵はカード複製の可能性が高い。箱は廃棄偽装。『K-12/31』『北回り』の記載も出ました」


「焦るな。港湾管理と情報担当で固めろ。現場は在った事実だけ積め」


 佐伯は短く言って去った。

 紫郎は背中を一度だけ見送り、資料に戻る。


ーーー


 夕方。

 常夜紫煙堂。

 湿度は五十六%のまま。

 瓶の唇は同じ高さで囁き、秤の針は零。

 カウンターに今日の回収物とログを広げる。

 真鍮粉、フリント粉、活性炭フィルターの吸い殻、封筒のコピー、コンタクトマイクの波形、RFIDと駐車券の時刻、監視カメラの静止画。


 天田が封筒のコピーを読み上げる。


「『BVT乾/OR微/LO混合/水分九→六』『ロット統合/港外/箱経由』『帳尻:鳳章』。右下に『K-12/31』」


「鳳章、協会、弦月サービス、K-12/31、・・31。港で箱が交わる」


「青柳さんの『焦らず丁寧に』のメール言い回しは課長の口癖に似ています。でも今日の時間、課長は広報席で別。時刻で切れます」


「言い回しだけで決めない。在った事実を積む」


 北条からメッセージが入る。

 軽バンの所有者は弦月サービスの協力会社。

 担当者“朝比奈”。

 登録住所は鳳章インテリアの旧倉庫と同じ地番。


「名前が重なりました」


「名札は表。手を見る」


 紫郎は吸い殻を指で崩した。

 活性炭フィルターの黒い帯。

 紙のリング。

 放置で燃え進みにくい紙。

 昨日の“遅い火”と相性がいい。

 習慣として一致する。


「在った」


 紫郎はボードに線を引く。

 協会分室(鍵)――鳳章(札/帳尻)――弦月+協力会社(車/運搬)――港(ロット統合)――“K-12/31”(記号/合図)。

 線の途中に“31”がいくつも刺さる。

 No.18の試作“31”。

 記号“12/31”。

 ナンバー“・・31”。


「結論はまだ置かない。線だけ描く。明日はブランクの仕入れを追う。ロットが取れれば、車内の真鍮粉と照合できる」


「島倉さんは喫煙所。粉と吸い殻の時刻を秒でそろえる」


「杉谷は目録の写しを先に回す運用に。原本はあと」


「北条は港湾管理とゲートの原データ。秒のズレがあれば補正。映像の時刻も上書きで確認」


「了解しました」


 天田はノートを閉じ、胸に軽く当てた。


「“北回り”のNは便利な記号。合図にも使える。でも匂いの順番はごまかせません。甘い→辛い→薄いオイル。今日も同じでした」


「並びは指紋に似てる。だから残る。煙は嘘を吐かない」


 看板の紫が夜に向かって深くなる。

 鈴が短く揺れた。

 在った事実は十分に集まった。

 線はほぼ描けた。

 残るのは、誰が線を引かせているかだ。


「明日、ブランクとロット。それから“K-12/31”の書き手の癖を拾う。鉛筆の圧と消し跡。手は隠せない」


「記録して残します」


 ふたりは道具を片付け、段取りをもう一度だけ交わした。

 秒、粉、温度、匂い、札、数字。

 消せないものだけを積む。

 港で動いた箱は、必ず同じところへ戻ってくる。

 その場所はもう見えている。

 あとは、合図が出る瞬間を押さえるだけだ。


「行こうか」


「行きましょう、紫郎さん」


 鈴が鳴り、扉が開く。

 明日に向けて、短い言葉がいつもの位置に落ちた。


「煙は、嘘を吐かない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ