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婚約破棄レベル999 ~破棄されすぎて神話級魔力量になった令嬢、ついに最後の男に出会う~

作者: 月宮 かすみ

 華やかな宮廷の舞踏会場に、ピシィィンッ! と見事な音が響き渡った。


「公爵令嬢リュシア・エルメリア! 本日をもって、我が婚約を破棄する!」


 ――出たァァァァァ!!!


 わたくしは美しくも見事に、ワイングラスを片手に言い放った王太子に向かって、ニッコリと微笑みながら言った。


「……あら、今月三人目ですわね?」


 周囲にいた令嬢たちがざわつく。が、わたくしはそんなもの慣れっこなので無視する。


「理由をお聞きしてもよろしいかしら?」


 王太子は鼻で笑い、誇らしげに言う。


「リュシア、お前の魔力量は多すぎて怖い!」


「「なるほど!」」


 ……なるほどじゃないわよ!!!


 とはいえ、そんな理由はまだマシな方である。


 わたくしがこれまで婚約破棄された理由は、以下の通りである:


 ⸻


 ・「カラスがリュシアの肩に止まった。呪われているに違いない」

 ・「実は俺、男の子が好きなんだ」

 ・「家に帰ったら飼い猫がリュシアに似た声で鳴いた! 怖い!」

 ・「夢に出てきたリュシアが俺の財布を盗んだ。許せん」

 ・「転生者なんだけど、攻略対象が他にいるんだ」


 ⸻


「いやそれ、もはやわたくしのせいではございませんわよね!?」


 ついでに言うと、婚約破棄されるたびに、なぜかわたくしの魔力レベルが上昇しているのである。


 そう、それはまるで――婚約破棄が経験値になっているかのように。


 現在、婚約破棄回数:999回

 魔力レベル:カンスト(神話級)


「……というか王太子、あなたも五年前に一度、わたくしと婚約しておられましたわよね?」


「な、なにっ!? 覚えていないぞ!」


「それはそれは。ではこちらに――婚約契約書の控えを」


 わたくしは懐から、『婚約破棄された人リスト』を取り出して広げた。


「ちなみに、あなたは十三番目ですわ。あの頃のあなた、粗忽でかわいらしかったですわね」


「ぎゃああああああああ!!」


 逃げる王太子。追いかける侍女たち。そして、舞踏会場は大混乱である。


 ……また、婚約が破棄された。


 しかしこの国にはまだ、婚約可能な殿方が842人残っている。


「ふふっ……次ですわね」


 わたくし、リュシア・エルメリアは――

 真実の愛を求めて今日もまた、婚約破棄されにいくのです!



 ***



 ――ええ、わたくしが悪いのです。


 何が悪いって、どう考えても魔力量ですわ。そもそも、婚約破棄されるたびに魔力が上がるという謎システム自体が悪い。悪質です。もはや呪いですわよ。


 そして本日。わたくし、ついに通算1000回目の婚約破棄の儀を迎えようとしておりました。


「本日はこのような舞踏会にご招待いただき、誠に光栄に存じますわ~」


 いつものように、微笑を浮かべて舞踏会の会場に登場するわたくし。公爵令嬢リュシア・エルメリア、年齢二十と数ヶ月。見た目は完璧、魔力量は規格外、ただし婚約者運は地に落ちております。


(今日こそは破棄されませんように、破棄されませんように、破棄されませんように……!)


 心の中で百回唱えたところで、たいてい無駄なのがこの世界の理。


 案の定。


「リュシア嬢、すまない……! わ、我が婚約は……ここで破棄とさせていただきたい……ッ!」


 ぎゃあああああああああ!!!


「……あら、お久しぶりですわね。ユーゴ殿下」


「し、ししし知らなかったんだよ!? 君が“破棄され令嬢”のリュシア・エルメリアその人だなんてぇぇぇ!」


「“その人”ってなんですの。“伝説の剣”か何かと間違えていらっしゃる?」


「ごめんッ!!! 魔力高すぎて、俺の実家の家畜が騒ぐんだよ! 牛が怯えるんだよ!!」


「はあ……ではこの婚約破棄も、牛由来と記録しておきますわね?」


 ぱん、と手を叩くと、侍女がすっと現れ、巻物を差し出す。そこには《婚約破棄リスト(1000件)》の項目がきっちり記されていた。


「――ご確認を。ユーゴ・ラフィネ=第1000号。破棄理由:家畜との相性不一致」


「や、やめてくれぇぇぇぇ! 文字に残すなああああ!」


 そうして彼は、泣きながら会場を走り去って行った。


 会場の空気が凍る。誰も近寄ってこない。というか、わたくしの周囲だけ人だかりがきれいに空いている。


 ああ、知ってますわ。これ、“ラスボス令嬢”扱いされてるやつですわね。

 あの人、婚約破棄されるたびに強くなるらしいよ。魔王討伐できるんじゃね? とか噂されてるやつ。


(そんな風評被害でラスボスになるくらいなら、いっそ世界征服でもした方が建設的ではなくて?)


 ……などと考えていたそのとき。


 人混みの向こうから、誰かが近づいてくる気配がした。


 鈍色の髪。癖のある前髪。どこかで見たような、でも思い出せない地味な顔。派手な貴族たちとは違って、ただの文官か平民にしか見えない――けれど。


 彼はわたくしの目の前に立つと、すっと頭を下げ、そして言った。


「リュシア・エルメリア嬢――いや、リュシア。俺と、結婚してくれ」


「…………どちら様?」


「ノエル・カヴァリエ。君の元婚約者だ」


「…………何番目?」


「十五番目だ」


「細かく覚えておいでで何よりですわね」


 この場にいた全員が「えっ!?」と顔を見合わせている中、わたくしはただ一人、ひたすら頭を抱えていた。


 なぜなら――


「……あなた、“勝手に国外留学に行って帰ってこなかった男”ですわよね!?」


「うん……ごめん」


 ――いた。そういえばいたわ。婚約中に留学して、便りもなく音信不通になって、しかも三年後に「婚約って続いてたの?」と素で言い放った、あの天然男。


 しかし今、彼は真剣な顔で、わたくしの手を取った。


「君を守りたいんだ。婚約破棄されるたびに、君はどんどん強くなって、でも……本当は寂しかったんじゃないか?」


「…………は?」


「もう、婚約破棄される必要はない。俺が、最後の婚約者になる……って、これ、プロポーズなんだけど……あれ? 言い方間違えたかな……?」


「言い直す気はあるんですの?」


「う、うん……リュシア、好きだ。結婚を前提に、婚約してくれ」


「…………」


 ――その瞬間、なぜか周囲の空気が震えた。


「ま、魔力が……ッ!?」「令嬢の魔力が暴走しかけているぞ!」「避けろォォォ!」


 ええ、もうどうでもいいですわ。

 わたくしの中で何かがぷつんと切れたのを、はっきりと自覚いたしましたもの。


 だから言って差し上げました。


「では一度、破棄していただけますかしら?」


「えっ……」


「破棄されてからの婚約が、わたくしの流儀ですの♡」



 ***



 あれから三日が経った。


 今のところ、わたくしの婚約破棄回数は“1000”のまま止まっている。

 あの記念すべき三桁ゾロ目の男――ノエル・カヴァリエが、突然の逆プロポーズをしてきてからというもの、婚約話がぴたりと止んだのだ。


 ……理由?

 王宮内に「公爵令嬢リュシア・エルメリアに近づくとプロポーズされて結婚させられる」という謎の風評が広まったからに他ならない。


 婚約破棄されすぎて、ついにわたくし、婚活のラスボス扱いから、婚約強制バグの現象主へとジョブチェンジを果たしてしまったらしい。


(……わたくしの人生、どこで分岐を間違えたのでして?)


 そんな風に額を押さえていたその時。執務室にノックの音が響いた。


「失礼します、公爵令嬢殿。ノエル・カヴァリエ殿が……謁見を希望されております」


 来たわね。ついに、逃げられた三年前の件について説明する気になったのね。


 わたくしはすっと背筋を正し、優雅に頷いた。


「通して差し上げて……ちょっと、庭の真ん中あたりで」


「……えっ? あ、はい……あの、なぜ……?」


「広い方が、逃げるのを追いやすいでしょう?」


「えっ?」


 にっこり微笑んでおきました。貴族令嬢の嗜みですわ。



 ***



 場所を庭園に移して、ノエルはやってきた。相変わらず癖のある前髪に、地味な文官服。

 王都を離れていた間に少しだけ背が伸びたのかしら……いや、どうでもいいですわね、そんなことは。


 わたくしは腕を組み、じろりと睨み据えた。


「さて。ご自分の口で説明していただけますか?」


「……ああ。三年前のこと、ちゃんと話しに来た」


「当然ですわね。あのとき、あなたは“学術研究のため国外へ短期留学”と仰っていた。それが半年どころか三年。帰ってきたと思ったら、“まだ婚約してたの?”ですって」


「……ほんとうに、すまなかった」


「わたくし、あの瞬間、あなたの顔にワイングラスを投げようかと思いましたもの」


「いや、あのとき投げられてたら、正直死んでたと思う……」


 珍しくノエルが笑う。わたくしはそれを無表情で受け流しつつ、さらに追い打ちをかけた。


「で、なぜ三年も戻らなかったのですか?」


「――事故だったんだ」


 ノエルの声が低くなる。芝生の向こう、陽のあたるベンチへと視線を落とした。


「留学先の山岳都市で、盗賊に襲われた。運よく生き延びたけど、馬車も通信道具も全部やられて、町から出られなかった。しばらくは療養も必要だったし……そもそも、王国と連絡を取れる手段が、なかったんだ」


「…………」


「数ヶ月経ってやっと元気になって、伝書を出そうとしたけど……その頃にはすでに、王国では“婚約破棄済み”だって噂が流れていた」


 わたくしの眉がわずかに動く。


「……それで?」


「君の名前を出すと、どの機関も“ああ、あの破棄された子ね”って扱いだった。だから俺も……てっきり、君は他の誰かと婚約したんだって、思い込んで……」


「……“まだ婚約してたの?”と?」


「うん。俺はてっきり、君がもう別の人と幸せになってると思ってたんだ……でも、戻ってきて真っ先に知ったのは、君が婚約破棄を繰り返しすぎてレベルカンストしたってことだった」


「風評被害にもほどがありますわね……!」


「正直、頭を抱えた。いや、まず土下座したかったけど、君の魔力レベルが“聖獣クラス”だって聞いて……」


「……ええ、その通りですわよ。ちょっと怒ると、雷鳴が落ちますの」


「こわ……」


「ふふっ」


 少しだけ、肩の力が抜けた。わたくしも、どこかでずっと引っかかっていたのだ。

 あの時、なぜ彼が何も言わずにいなくなったのか――そのまま“音信不通”で切られたと思っていた。


 でも、違った。


 たしかに不器用で、気の利かない男だったけれど。


「……あの一言、“まだ婚約してたのか”は、少しだけ謝罪していただいても?」


「本当にごめん……慌てて言葉を出したら、ああなった。俺の脳が一番悪い。許してくれ」


「ふふっ……許すかどうかは、今後の態度次第ですわね」


 頬をふくらませて言うと、ノエルは照れたように後頭部を掻いた。


 わたくしは、その様子を少し遠巻きに眺めながら、気づいた。


 ――あの頃と変わらない、でも、少しだけ大人になったノエルがそこにいる。


「では改めて、ノエル・カヴァリエ。あなたの婚約申し出、保留としておきますわ」


「保留!? えっ、保留ってどういう――」


「わたくしの婚約条件はご存じでしょう? 一度破棄していただきませんと♡」


「……え、また!? 破棄前提!? えぇ……」


 ――そして今日もまた、平和な一日が、わたくしの婚約破棄伝説に刻まれていくのでした。



 ***



 ……四日が経った。


 何が四日かって?

 誰からも婚約破棄されていない日数ですわ。


 信じられます? このわたくしが! あの婚約破棄記録保持者として書籍化されそうだったわたくしが!

 四日も連続で、誰にもプロポーズもされず、破棄もされていないんですのよ!?


「な、何かがおかしいですわ……」


 書斎で湯気を立てる紅茶を見つめながら、わたくしは無意識に呟いていた。


 破棄もない。謎の求婚もない。書簡も静か。花の差出人もゼロ。今日なんて、朝から誰一人として「結婚してくれ」と叫んでいませんのよ!?

 ――これは事件です。陰謀です。静けさの裏に何かが潜んでいるタイプのアレですわ。


「まさか……とうとう、社会的に“婚約不可物件”として扱われ始めた……?」


「そこまで極端じゃないと思うけど」


「ひゃあッ!?」


 急に背後から声をかけられ、わたくしはティーカップをひっくり返しそうになった。


 振り返ると、やっぱりいたわ。

 この数日、なぜか毎日律儀に“通勤”してくる元・第15号こと、ノエル・カヴァリエ。地味でまじめで、さりげなくお茶菓子を持参してくるところが憎らしい男。


「……ノエル。勝手に屋敷に入るの、やめていただけます?」


「ちゃんと玄関から来たよ。君の執事さんが“どうぞどうぞ”って」


「もうあの人、クビにしようかしら……」


 それにしても。

 ノエルと過ごすこの数日間、驚くほど穏やかだった。


 婚約破棄もない。求婚者も来ない。ノエルが淹れる紅茶は妙に美味しいし、手土産のマドレーヌも、なぜかわたくし好みのオレンジ風味。


 毎朝、ノエルが「おはよう」と言いながら訪れ、書類を届け、時に庭の草むしりまでして帰る。まるで本物の婚約者みたいじゃありませんこと?


(……それが、逆に落ち着かないんですけど!?)


「ねえノエル。あなた、どうして毎日来るの?」


「え?」


「いえ、用があるのはわかりますけれど、それ以上に“距離が近い”と申しますか。“熱心すぎる”と申しますか……その、何と言いますか――」


「好きだからだよ」


「……えっ?」


「……えっ、って、言ったじゃない、前に」


「そ、それはその場の勢いというか、情勢の波というか、空気が舞踏会だったからというか!」


「いや、全部本気だったけど……」


 な、なんということ。


 この男、本当に恋心を持っているつもりですの!?


 わたくしは慌てて立ち上がり、カツカツと床を歩きながら、距離を取るように部屋の端へと逃げた。


「そ、そういうのはですね、順序が大事ですの! プロポーズの前にまず告白、デート、花束、そして婚約破棄ですわ!」


「最後だけ順番おかしいよ!?」


「いいえ、婚約破棄してからが本番ですの!」


「それ、どんなラブコメ理論……?」


 ノエルは頭を抱えたあと、小さく笑った。


「でもさ、俺は――本当に、君ともう一度向き合いたいって思ってる」


「…………」


「過去に失礼なことをしたのは自覚してる。でも、あの頃とは違うって、証明したいんだ」


「……だから、毎日通って?」


「うん。“婚約破棄しない婚約者”になるのが、俺の目標だから」


「…………」


 静かだった。

 この三年間、誰よりも婚約破棄の数を積み上げてきたわたくしにとって、“破棄しない”と言い切ってくれる人がいるというのは、なんとも……なんとも、こそばゆい気持ちだった。


(まるで……わたくしの魔力よりも、この人の根性の方がバグじゃありませんこと?)


「……ふふっ」


「え?」


「――いいでしょう。とりあえず、今日だけは破棄しないで差し上げますわ」


「おおっ、それはつまり……!」


「つまり“保留継続”ですの。今日の点数次第で、明日取り消しますわよ?」


「厳しいなあ!」


「当然ですわ! わたくしと婚約するというのは、そういうことですもの!」


 紅茶がぬるくなったけれど、今日はそれでも構わなかった。

 新しく淹れてもらえばいい。ゆっくりと、丁寧に、あたたかいやりとりを重ねながら。


 “破棄されない”というのが、どんなものなのか。


 もう少し、知ってみたい気がした。



 ***


 ――とりあえず今日も、婚約破棄されませんでした。


 つまり、“五日連続・破棄ゼロ”の快挙です。わたくしにとっては、もう金メダル級の記録ですわ。

 そろそろ世界遺産に登録されてもいいんじゃなくて?


 しかしながら。どうも王都全体が、最近ざわついているような気がいたしますの。


 いや、気のせいではありません。


 朝の紅茶を飲んでいたら、侍女が血相を変えて駆け込んできました。


「お嬢様! たいへんですの! 今朝の号外に……!」


「落ち着いてくださいまし。わたくし、もう“破棄された”くらいでは動じませんのよ?」


「そうじゃなくて、“婚約が続いている”と載っているんですの!」


「――は?」


 わたくしは、その新聞の見出しを見た瞬間、ひっくり返りそうになりました。



『“婚約破棄レベル999”の公爵令嬢、ついに破棄されない!? 

 相手は王宮書記官(地味)! 愛は本物か、気の迷いか!?』



「気の迷いって何!?!?!?!?」


 なぜ新聞にわたくしの顔写真が!?

 しかも、見出しの扱いがまるでゴシップ扱い!?!?


「な、なんでこんなことに……!?」


「王宮内の噂ですわ。ノエル様が“毎日通っている”と、書記課の同僚が漏らしたようで……」


「なぜわたくしの恋路は、いちいち新聞沙汰になりますの!!!」


 わたくしは頭を抱えて絶叫したい気分でした。

 破棄されても記事になる。されなくても記事になる。じゃあもうどうすればいいんですの……?


 その後、さらなる追い打ちが来ました。


 屋敷の執事が、王宮からの“召喚状”を持ってきたのです。



『公爵令嬢リュシア・エルメリア殿 および 王宮書記官ノエル・カヴァリエ殿に通達。

両名に対し、婚約関係の確認および、今後の対応について宮廷会議にて質疑を行う。』



「ちょ、ちょっと待って!? 質疑!? わたくし、国政監査でも受けるつもりはございませんわよ!?!?」


「つまりこれは――婚約破棄の予定がないことに対する、公式な“追及”ですの!?」


「世界がおかしい。婚約が続いてるだけで吊るし上げられる世界なんて、間違ってますわよ!!」


 いや、わたくしの人生のほうが間違っていたのかしら……?


 どちらにせよ、わたくしはついに“婚約が継続している”というだけで、王宮に呼び出される事態に至ってしまったのです。



 ***



 そして当日、王宮の大広間。


 貴族たちの視線が痛い。全員が「とうとう続いてるらしいぞ」とか「これはきっと破棄直前の前触れだな」みたいな目でこちらを見ております。


 わたくしの隣には、妙に落ち着いた表情のノエルが立っていた。


「緊張してる?」


「当然ですわよ。あなたのせいで“破棄されない令嬢”として時の人ですのよ?」


「なんかそれ、ちょっと格好いいよね」


「全然よくありませんわよ!!!」


 議長席には、国政に深く関わる老公爵たちや、王室顧問官たちが並んでいた。その中に、かつてわたくしに婚約破棄を突きつけた王子のひとりもいた。

 なぜか今、こっそり目を逸らしている。いや見えてますわよ? その挙動不審。


「それでは質疑に入ります。――公爵令嬢リュシア殿」


「……は、はい」


「そなたが現在、王宮書記官ノエル殿と正式な婚約関係にあるという話は事実か?」


「ええ。事実ですわ。“仮婚約・保留継続中”ですけれど」


「――仮婚約・保留継続中とは、どういう意味か?」


「彼からの申し出を、現在審議中ですの」


「審議とは……どのような審査を経て?」


「まず“破棄耐性”、次に“誠実度”、最後に“マドレーヌの焼き加減”ですわ」


「……もはや国家機密のように難解だな」


 どよめく会場。なぜかメモを取っている議員までいる。


 その横で、ノエルがそっと囁いた。


「……でも、ちゃんと答えてくれてありがとう」


「……は?」


「こうして並んで話すの、すごく……嬉しい」


 …………バカみたい。


 ――でも、胸が、少しだけ温かかった。


 もしかして。

 本当に、“破棄されない未来”っていうのが、あるのかもしれない――そんな気がしたのです。


 とはいえ。


「……でも次、紅茶の淹れ方がミスったら破棄するかもしれませんわね?」


「ええっ!? わかった! 気をつける!」


 ――まだまだ、審査は続きますわよ?



 ***



 宮廷での“公開婚約審議”から数日が経った。

 王都ではいまだにゴシップ紙が「破棄されない令嬢、真の婚約へ!?」などと勝手に騒いでいる。

 どうして世間というのは、わたくしの婚約にここまで過剰に興味を持つのでしょうね? 


 ……ああ、そうでしたわ。


 破棄数1000回の令嬢などという前代未聞の肩書きがついてしまえば、もはや人生そのものがショータイム扱いですのよね。ええ、知ってましたわ。

 どこで間違えたんでしょうね、ほんとに。


「それで、“外出”ですって?」


「うん。よかったら、散歩でもしないかと思って」


 今日も今日とて、地味でまじめな元・第15号のノエルが、まるで犬の散歩の誘いのように言ってきた。

 相変わらず癖っ毛の前髪は健在。服は地味。でもその手には、わたくしの好みに合わせた花束(白いアイリス)が握られていた。


「まさか、“初デート”のお誘いではなくて?」


「うん。俺としては真剣だけど……保留中だってのは分かってる」


「ふふ……よろしいですわ。“仮”でも、せいぜい誠意は見せていただきますのよ?」


「ああ!」


(……本当に、昔と変わらず素直なところが憎めませんわね)


 というわけで、急きょ“初デート”が決まった。

 ――ただし、わたくし的には「デート未満・審査中の評価日」という立ち位置ですわよ?



 ***



 向かったのは、王都南部の静かな商業区。

 下町の雰囲気が残るこの場所は、かつてノエルと婚約していた頃、一緒に“こっそり抜け出して散歩した”思い出の地でもあった。


「ほら、この店覚えてる? 君が昔、紅茶の葉をこぼして泣きかけた場所」


「ああ……ありましたわね、そんなことも」


「俺、あのとき気づかなくて。君が涙をこらえてるの、あとで後悔した」


「今さら言われても遅いですわよ?」


 言いながらも、心のどこかが不思議と、すうっと軽くなる。

 記憶の中で止まっていた時間が、静かに動き出すような――そんな気がして。


(破棄されなければ、こういう日常も、あるんですのね)


 ほんの少しだけ頬が緩んでしまったのは、きっと春の陽気のせいですわ。ええ、そうに決まってますわ。


「……ところでノエル、あなたの方こそ、なぜあんなに“婚約破棄”の研究をしていたのです?」


「えっ、なんでって……」


「婚約破棄の風評は確かに広がってましたけれど、それにしても妙に詳しいですわよね。

まるで、最初からわたくしのまわりに“破棄”が起きると知っていたような」


 ノエルの表情が、一瞬だけ固まった。


「…………それは――」


「まさか、わたくしに近づいたのも“研究目的”とか言いませんわよね?」


「ち、違う! 断じて違う! 君と再会したのは偶然で、でも……ずっと後悔してたのは本当で!」


「……ふふっ、焦っているところを見ると、少なくとも“やましいことはある”と見ましたわ」


「それ、誘導尋問みたいなものでは!?」


「はいはい、でも気になりますの。“破棄”の裏に何があるのか――あなたは何かを知っているんじゃありませんの?」


 そう。これは本当に、わたくしの勘。

 でも、これまで1000回も破棄された身としては、もう第六感が働くのです。


(何かがおかしい。婚約破棄が続いた理由――“ただの不運”で済むはずがありませんわ)


「……リュシア」


 ノエルが声を落とした。


「君に起きた婚約破棄の一部に、“意図的な妨害”があったのは確かだ。俺、昔から不思議だったんだ。

どうして、君と婚約した男たちが、ある日を境に次々と心変わりするのか――まるで何か、情報が操作されたように、噂が先回りするように」


「……まさか、誰かがわたくしを――“破棄させていた”と?」


「たぶん、そうだ。王都の一部に、君の力を警戒する派閥があった。特に――魔術省の高官の一部が、ね」


 魔術省。


 ……わたくしの魔力を測定した唯一の機関であり、その数値を国家機密扱いにした、あの役所。


 思い出す。わたくしが初めて“婚約破棄”された日も、あの場所で魔力量を測定した直後のことだった。


「つまり……最初の破棄から、全部仕組まれていた可能性が?」


「そうだとすれば、君が1000回も破棄されるようになった“起点”が見つかるかもしれない」


 それは、わたくしの人生を狂わせた“黒幕”が存在する、ということ。


 いつの間にか、手にしていた花束が少しだけ震えていた。


 ――そんなとき。


「……誰かがわたくし達を尾行しているようですわね」


 背後から妙な気配を感じた。


「やっぱり尾行者が出たか……実は今日、何となくそんな気がして、こっそり“尾行耐性審査”もしてたんだ」


「調査の基準に“スパイ戦能力”まで加えるの、やめてくださる!?」


 それでも。

 わたくしの中に、確かな何かが芽生えていた。


 破棄されない生活。信じてもいいかもしれない。

 そして、自分を巻き込んだ謎を、今度こそこの手で終わらせる覚悟。


「――では始めましょうか。“黒幕への婚約破棄返し”。このわたくしの手で」


「うん。まずは尾行してるヤツを、逆に尾行するところから始めようか」


 こうして、デート一回目にして、謎と陰謀の第一幕が――静かに開かれた。



 ***



 翌朝のわたくしの朝食は、いつものローズジャムのスコーンではなく、妙にしょっぱいベーコンで始まった。

 そう、これは戦の朝の味――気づけばわたくし、戦支度が板についてきましたわね。


「今日はいよいよ、“魔術省”へ参りますのね?」


「うん。あそこが、リュシアの“破棄初動”の鍵を握ってる気がする」


 地味書記官ノエルのくせに、最近ではもう“行動力の化身”みたいになっている。昨日の尾行男を逆に追い詰めたあたりから、どこか目つきが鋭くなってきた。


「……まさか、ほんとうにスパイ活動が本職だったりしませんわよね?」


「書記官だよ!? 書類書いてるだけだよ!?」


「信じるにはちょっと行動がアクティブすぎますのよね……」


 でもまあ、悪くありませんわ。

 これまでの人生、婚約破棄されては部屋にこもって涙を拭いていた日々に比べれば、いまの方がずっと――前に進んでいる気がいたします。



 ***



 そしてやってきました、王都最大の魔術機関「魔術省」。


 その外観はまるで要塞。正面ゲートは魔力探知の結界で覆われており、誰であろうと正体不明の者は通れない。

 つまり、婚約破棄された過去を持つ女と、地味な書記官には極めて厳しい関門ですわ。


「さて、どうやって中に入るのかしらね?」


「任せて。こういうときのために、“伝説のカスタードプリン”を用意しておいた」


「プリン!?」


 ノエルが懐から取り出したのは、王都でも数が限られる幻のスイーツ。まさか、あれを“賄賂”として使うつもり……?


「門番のエリックさん、甘いものに目がなくてさ。これで入口までは開くと思う」


「なんかもう、王宮ってどこまでザルなんですの?」


 だが案の定、門番はプリンを見た瞬間、目の色を変えた。


「ま、まさかそれは……“七層仕立ての天界のカスタード”!?」


「正規品だよ。魔導省の内部資料と交換できる?」


「できます」


「即答ですのね!?」


 かくしてわたくしたちは、合法(?)的に魔術省の内部へと踏み入った。



 ***



 内部は静かで、魔力探知装置があちこちに光っていた。


 ノエルはかつての記憶を辿りながら、古文書室へと案内してくれる。そこは、わたくしが“初めて破棄された日”に訪れた場所でもあった。


「ここだ。君の魔力量を測定した記録が、きっとこの中に」


「懐かしいですわね……この本棚の裏に隠し通路があって、そこに“予備の記録装置”があるって噂でしたわね」


「それって都市伝説じゃなかったの!?」


「いえ、ほら、ここをこう押して――」


 ガコッ


 鈍い音とともに、壁がわずかに開いた。


「マジであった……!」


「ええ、当時は“婚約破棄レベル5”くらいの頃でしたから、時間がありましたの」


 中には古びた装置と、封印された記録魔石の箱。

 その一つを手に取ると、淡い魔力の光が揺らめいた。


「これは……わたくしの“初回測定記録”?」


「見てみよう。――解析開始」


 ノエルが簡易解析魔法を詠唱すると、光が空中に数値を映し出した。



『魔力測定対象:リュシア・エルメリア

測定結果:封印級レベル。

※この数値は国益に影響する恐れがあるため、秘匿とすること。

※対象者への通知は不可。婚約破棄による魔力抑制処置を優先。』



「…………な、なにこれ」


 わたくしは、目の前の数行に、身体が凍るのを感じた。


 ――国益に影響する?

 ――通知は不可?

 ――婚約破棄で魔力抑制……?


「つまり……わたくしは、意図的に破棄されていた。しかも、“力を抑える”ために?」


「……リュシア。これは、間違いなく魔術省の一部が“君を恐れていた”証拠だ。君が強くなればなるほど、“体制”が揺らぐと考えた者たちが、婚約を次々に壊していったんだ」


「――最低ですわね。婚約を、恋愛を、わたくしの人生をなんだと思って……!」


 怒りで、魔力がほんのわずかに空気を震わせる。


 でもそのとき、ノエルがそっと手を取った。


「大丈夫。今は、俺が隣にいる」


「…………」


「1000回破棄されても、君は立ってる。

だから今度こそ、“破棄じゃなくて選択”を、自分の意志でしていいと思うんだ」


「……ふふ。あなた、たまにだけど、すごくいいこと言いますのね」


 ――でも、心は少しだけ救われていた。


 ようやく、自分の人生を揺るがした“闇”の輪郭が見えてきた。

 ここから、わたくしの反撃が始まる。


 もちろん――婚約の審査は、まだ終わっておりませんけれどね?



 ***



 魔術省の資料室を出たわたくしたちは、早々に“動いてはいけない事実”を持ち帰った。


 その古い魔力測定記録――そこに記されていたのは、「婚約破棄による魔力抑制」という、耳を疑うような国家ぐるみの処置だった。


「……わたくし、魔法使いというより、“婚約破棄で魔力が爆発する装置”みたいな扱いを受けていたようですわね」


「まぁ、実際爆発したことは数回あるけど……」


「黙りなさい」


「はい」


 そんな皮肉まじりの会話を交わしつつも、胸の内ではわたくし、静かに怒っておりましたの。


 あれほど理不尽で、情けなくて、毎度涙で枕を濡らした婚約破棄の数々が――全部、“誰かの都合”で決められていたとしたら?


「許しませんわよ、魔術省」


 怒りで空気がわずかに震える。窓辺のカーテンが、わたくしの魔力にひるがえる。


「お、おちついて。壁が焦げる」


「まだ我慢しておりますのよ? わたくし、今すごく“雷撃の構え”を抑えておりますのよ?」


「笑顔で言うセリフじゃないんだけど……」


 と、そこへ。


 屋敷の執事が、青い顔で駆け込んできた。


「お、お嬢様っ……! た、たいへんです! 王命です!」


「王命?」


「公爵令嬢リュシア・エルメリア殿に対し、婚約解消の勅命が下りました!!」


「…………え?」


「……え?」


 わたくしとノエル、同時に同じ顔で固まる。


「し、しかし……わたくし、現在“仮・保留中”の婚約状態ですのよ?

しかも相手はただの地味書記官ですし、王家の許可も関係ない立場では?」


「それが……“国家安寧のための措置”とのこと。“婚約の継続によって魔力が過剰に高まり、王都を危険に晒す恐れがある”と……!」


「…………」


「…………」


 思わず、わたくしとノエル、再び顔を見合わせる。


 そして、


「……ついに、国家権力が婚約破棄を仕掛けてきましたわね」


「まさかのラスボス登場だ……!」


 そう、これは明らかに、“最後の破棄”。

 1001回目の婚約破棄を、国家という名の魔術省が“正式に命じてきた”という事実。


(――でも、違いますわ)


 これまでの婚約破棄は、相手の都合。誤解、事故、猫、夢、その他不可抗力の塊。


 でも、今回は――わたくし自身が拒否する時ですわ。


「執事、回答を。王命には――“わたくしが断固として破棄を拒否する”とお伝えなさいませ」


「りょ、了解いたしました!」


 執事が駆けてゆくその背を見送り、ノエルがぽつりと呟く。


「……いいの? 反逆と捉えられるかもしれない」


「構いませんわ。1000回も破棄されて、いまだに立っている令嬢を、いまさら倒せると思って?」


「……こっわ」


「ふふふ、あなたも今夜あたり夢枕に立たれるかもしれませんわよ?」


「寝れなくなるからやめてくれ!!」



 ***



 その日の夜。王宮から正式な勅使が屋敷を訪れた。


 魔術省代表の長官(ふくよか・無表情・胡散臭い)が、重々しく命じる。


「公爵令嬢リュシア殿。王都の安寧のため、魔力の抑制が必要と判断し、現在の婚約を解消させていただきたく」


「ご丁寧にどうも。ですが――丁重に、丁寧に、お断り申し上げますわ」


「……これは、命令です」


「その命令、魔法の力できれいに塵にして差し上げますわよ?」


「……っ、魔力を行使されると、反逆罪に該当しますぞ……!」


「ええ、ですから使ってません。使ってませんが、ほんのりわたくしの髪が逆立っている程度の怒りだとお察しくださいまし?」


「し、失礼いたしましたァァ!!」


 勅使たちは逃げるように退散していった。


 屋敷の中に残されたわたくしとノエルは、やがてしん……とした静寂の中で、ほうと息を吐いた。


「……なんかもう、婚約って……」


「戦争ですわね」


「うん……」


 思えば、これが初めて。


 わたくしは“破棄される”のではなく、“自分の意思で、守ろうとした”婚約でした。


 そして、それを支えてくれたのが――


「ノエル」


「うん?」


「……明日も、わたくしの隣に立つつもり?」


「もちろん。毎朝、“まだ破棄してないよ”って言いに来る」


「……はあ、やっぱりあなた、妙に愛しいですわね」


「えっ、い、今、なに?」


「何でもありませんわ♡」


 ――これは、きっと恋の始まり。


 婚約破棄1000回目にして、ようやく始まった“初めての本気”に、わたくしは静かに微笑んだのです。



 ***



 ――朝だった。穏やかな陽射し。鳥のさえずり。静かな屋敷の空気。


 そして、執事の絶叫が響いた。


「お嬢様――! 庭に、庭に人がっ、何百人と……っ!!」


「……また求婚ですの? それとも新手の刺客?」


「ち、ちがいます! 元婚約者の方々がっ……! 一斉に来訪なさって……!」


「…………は?」


 わたくしは静かにティーカップを置いた。

 そのまま玄関ホールへ出て、扉を開け、庭を見下ろした――その瞬間。


「リュシア様ーー!! お久しぶりですッ!!」

「やはり俺たちにはあなたしかいない!」

「結婚してくれェェェ!!!」

「第263番のフィルナードです あの時は本当にすみませんでしたァァ!!」

「ぼ、僕は第478番のロスティンと申します! 覚えておいででしょうか!? 覚えてませんよね!? ですよね!? 結婚してください!!」


 ――大パニック。


 数百人の貴族・平民・果ては元神官や留学生までが、なぜか庭先に整列し、“復縁希望書類”を提出し始めるという狂気の事態が発生していた。


 その全員が、わたくしの“元婚約者”。

 1000回の婚約破棄の歴史のなかで、あまたの思い出と事件を残して去っていった人々である。


 わたくしは思わず口を押さえた。


「……き、気持ち悪ッ……」


「正直すぎる」


 隣に立つノエルが苦笑していたが、それどころではない。

 彼らのなかには、婚約破棄後に結婚したはずの男もいたし、記憶から消し去ったくせに「運命を感じました」と言い出す輩もいた。


「どうして今さら、あなた方が……!」


 すると、一人が代表して進み出る。見覚えのある顔――かつてわたくしを「魔法少女はちょっと…」という理由で振った、王家の遠縁貴族である。


「我々は、“魔術省による意図的な誘導”の存在を知ったのです。

婚約破棄に至ったのは、我らの意思ではなく、偽られた情報と脅迫の結果――それは国家の罪であります!」


「…………ふむ?」


 後ろのほうから、「私など、王都を追放されましたからね…」「家畜を人質にされて…」などと、地味にえげつない過去話が流れてくる。


(なんということ……1000件の破棄のうち、相当数が“仕組まれていた”……!?)


 わたくしの中で、怒りとも悲しみとも違う何かが込み上げた。

 でも――


「ですのでリュシア様! 今一度、婚約を――!」


「お断りですわ!!!」


 わたくしの声が、庭に響き渡った。


「たとえ事情があったとしても! わたくしは1000回、傷ついて、怒って、泣いてきましたのよ!?

“あの時は国に逆らえなかった”ですって? じゃあ今は? その時のこと、謝りましたの? 笑ってすませていいほど、軽かったですの!?」


 ピシャリと響く声。

 わたくしは、もう“破棄される側”ではない。今は、選ぶ側に立っている。


「わたくしが再婚約する相手は――“自分の意思で、最後まで隣に立ってくれる人”ですわ」


 そう言って、隣を見る。


 ノエルは、たった一人で立っていた。焦らず、騒がず、ただ黙ってわたくしの決断を見守っていた。


 そう、それがずっと――心地よかった。


「なので、残念ですけれど――“1001回目の婚約破棄”は、あなた方全員に差し上げますわ♡」


「「「ぎゃああああああああ!!!」」」


 庭が崩れ落ちるかと思うほど、絶叫と悲鳴が上がった。



 ***



 その後。


 元婚約者の大行進は、王都中の笑い話となり、

 わたくしとノエルの関係は――いよいよ正式な婚約へと移行する準備段階に入った。


「……本当に、全部破棄したね」


「当然ですわ。“わたくしを選ばなかった者”に、やり直す権利などありませんもの」


「それでも、少しは嬉しかったんじゃない?」


「嬉しいわけありませんでしょう、まったくもう……」


 でもそのとき、ノエルが真っ直ぐに言った。


「じゃあ、俺は――絶対に破棄しない。君の隣に、ずっといる」


 わたくしの頬が、かすかに熱を持つ。


 でも、もう照れている場合ではない。


「ではノエル。あなたに“1001回目のプロポーズ”を許可いたしますわ」


「え、ま、まじで!? ここで!? 今!? 正式に!?」


「あなたのプロポーズを受けてから、“婚約破棄せず”三日間保てば、正式認可を出しますわ♡」


「三日間……めっちゃ怖いなその条件!!」


「ふふっ、がんばってくださいませ?」


 こうして、婚約破棄1000回の女と、地味書記官の男は――ついに、同じ未来を見始めたのでした。



 ***



 ――その日、王都は朝から妙にざわついていた。


「今夜、例の“破棄令嬢”が正式に婚約するらしいぞ……」

「地味な書記官相手に!? まさか本命だったとは……」

「いや待て、破棄カウンターが1000で止まっただけでも奇跡だぞ……!」

「たぶん明日また破棄されるに一票……」

「それはそれで祭りじゃん」


 民衆は面白半分に、貴族たちは政治の匂いに警戒しながら、

 “公爵令嬢リュシア・エルメリアの正式婚約発表”に耳を傾けていた。


 わたくしはと言えば――


「髪型、どうかしら?」


「完璧です、お嬢様! いえ、もはや神々しいです!」


「ドレスの裾、右側が少し浮いていますわ」


「きゃあああ、すぐ直します!」


 屋敷は朝から修羅場だった。

 なにせ、これが正式な婚約発表である。

 すなわち、1001回目にして初の“破棄されない日”となる可能性を秘めた、極めて重要なイベントなのだ。


「ふぅ……」


 鏡の前で深呼吸する。長く波打つブロンド、白銀のドレス、首元の蒼い宝石。

 かつて“婚約のたびに捨てられた女”は、今日、初めて“自分で選んだ相手”と未来を結ぶ。


「……行きましょうか、ノエル」



 ***



 王宮の中庭。薔薇と月桂樹が香るその場所に、式典用の祭壇が設えられていた。


 招待状を送った貴族たちの大半は腰が引けていたが、

 代わりに――元婚約者たちが妙に“反省した顔”で最前列を陣取っていた。


「俺たちの屍を越えていけ……」

「もはや応援しかできねえ……」

「この恋だけは破棄させてなるものか……!!」


 その中にひときわ目立つ地味な男――ノエルが立っていた。


 ……ええ、わたくしの“地味で真面目な未来”ですわ。


「――では、始めます」


 王宮付き神官の宣誓が響く。


「リュシア・エルメリア公爵令嬢。汝はこの者を、婚約者として認めますか?」


「はい。破棄いたしませんわ」


「……あ、いえ、“認めますか”のほうを……」


「“破棄しない”は最上級の“認める”ですわよ?」


「なるほど……語彙が違う……」


 ざわつく貴族席のなか、ノエルがわたくしを見つめていた。まっすぐに、真剣に。


「リュシア。君が、婚約破棄されてきたことを、俺は決して軽く思っていない」


「…………」


「でも――君がそれでも、前を向いて、誰にも媚びずに、笑って生きてきたから。俺は、もう一度隣に立ちたいと思った」


「……ノエル。あなたのくせに、たまにいいこと言いますのね」


「たまにじゃない」


 そして、彼は言った。


「リュシア・エルメリア。俺と、結婚してください」


 ――正真正銘、1001回目のプロポーズ。


 これまで何百回も言われ、何百回も破棄されてきた言葉。

 でも、これだけは――違った。


「……はい」


 わたくしは、微笑んで言った。


「“一生、破棄いたしませんわ”」


 拍手が起きた。

 元婚約者の数名が泣いていた。

 貴族席では誰かが「奇跡を見た……」と呟いた。


 ノエルの手はあたたかく、わたくしの手は震えていなかった。


 もう誰の指図でも、命令でもない。

 これは、わたくし自身の“選んだ未来”。


 ――婚約破棄レベル999。

 全記録、ここにて終了。


 そして、次なる肩書きは――


『新婚生活レベル1、ただし爆裂魔力量付き』


 きっと、また波乱はあるでしょう。

 でも、それを“破棄”と呼ばない人生を、わたくしは今、歩き始めたのです。


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