エピソード 1ー7
三度目の人質皇女>回帰した悪役皇女
タイトル再変更申し訳ない。
私の言葉に、アルは沈黙で返した。しばし、たき火のはぜる音と、外から聞こえてくる雨音だけが洞穴を支配する。
「……なぜ、私が王太子だと?」
「アルヴェルト・アグナリア。アグナリア王国の王太子は今年で二十二歳だと聞いています。それに金色の髪や青い瞳、身長が一七〇半ばという情報とも一致します」
「その程度の一致なら、候補はいくらでもいるはずですが?」
「そうですね。ですが、これまでの行動に怪しい点がいくつかありました」
さっきの情報は、私の推測を補強するためのおまけだ。むしろ私は、さきほど口にした『怪しい行動』で、アルが王族か、それに近しい立場だと当たりを付けていた。
「……怪しまれるような行動を取った心当たりはないんですが、参考までになぜそう思ったのか聞かせていただけますか?」
「最初に疑問を抱いたのは、バートン辺境伯と接触したときです。あのとき、リネットは護衛であるはずの貴方を護ろうとしていましたから」
いくら護身術を嗜んでいたとしても、侍女が騎士を守る道理などない。私ではなく、アルが護衛対象だった証だ。
「そしてもう一つ。貴方はなかったことにして欲しいという私の要求に対し、事情を聞いた上で応じたではありませんか。だからおかしいと思ったのです」
「……それのなにがおかしいのですか? 私の役目を考えれば、休戦協定が揺らがないように、あの一件をなかったことにすると判断するのは自然な行為でしょう?」
「それは貴方が王太子だからです」
一介の騎士ならば、騎士隊長に報告して判断を仰ぐべきだ。あるいは、なにも聞かずになかったことにするのなら理解できる。実際、リネットはそのようにしていた。
だけど、アルは私から事情を聞いたうえで自分で判断を下した。自分が判断を下す地位にいるからこその行動だ。
「政治的な判断を下す。そんなことが出来る人物は限られているではありませんか?」
「……まいったな。さすがは影纏いの魔女と言ったところか」
そう言って嘆息する彼の口調はこれまでのものとは変わっていた。上品であることに変わりはないが、王族らしい威厳のようなものが滲んでいる。
「アル――いえ、アルヴェルト王太子殿下とお呼びするべきですね」
「いや、アルヴェルトでかまわない」
「ご冗談を。人質皇女が王太子殿下を呼び捨てにするなど、許されるはずがありません」
「そなたは私の恩人だ。公式ならともかく、普段はかしこまる必要はない」
私は一度口を閉じ、肩越しに振り返って彼を見つめる。背を向けているため、彼の表情を読み取ることは出来ない。けれど、彼が本気だと言うことは察することが出来た。
「……分かったわ。なら、私のこともヴェリアと」
アグナリア王国の王太子と仲良くして困ることはないと応じる。私はたき火に枯れ木を投入、炎が強まるのを見つめながら自分の考えを口にする。
「それで、貴方の目的は? 私を見定めることかしら?」
「そうだ。とはいえ、人質となるのは皇子だと聞いていたからな。王都で秘密裏にそなたと接触する予定だったのだ。そなたが来ると知っていたら私は来なかっただろう」
出迎えに来た騎士達の驚いた顔を思い出す。彼らは私が現れるとは思っていなかった。恐らく、ノクスがギリギリまで人質の正体を伏せていたのだろう。
「なら、無駄骨を折らせてしまったわね」
パチパチとはぜるたき火の炎を見つめながら独りごちる。たき火の向かい、私に背を向けて身体を乾かしている彼がかすかに笑うように息を零した。
「いいや、自ら確認しに来た甲斐はあった。理由は……少々予想外だったがな」
「あの件は、なかったことになったはずよね?」
ジト目で睨むと、アルヴェルトは「なら、そなたの口から聞かせてもらおう」と笑う。
「……やぶ蛇だったわ」
失敗したという思いと、ちょうどいい機会だという思いが交錯する。恥の上塗りになるが、私一人でノクスを救うことは叶わない。
これはアグナリア王国に協力を求める最大の機会だ。
「私はノクシリア皇国がもう長くはないとみているの」
「我が国と休戦協定を結んだのに、か?」
言外に休戦協定を破るつもりかと問われている。
実際、アウグスト陛下はそのつもりだが、ノクスがそれはさせないだろう。ここでその可能性を口にして彼の不興を買う必要はない。
「ノクシリア皇国は既に疲弊しているわ。アグナリア王国と休戦しても、周辺国が疲弊に気付けば放っておかない。ノクシリア皇国は資源国だもの」
ノクシリア皇国が弱体化しても、ただの貧乏な国なら見逃されたかもしれない。だが、資源がある弱小国を征服しない理由はない。
少なくとも、周囲にはそういう国がいくつもある。
「ふむ。たしかにな。それで、そなたはどうするつもりだったんだ?」
「ノクスをアグナリア王国へ人質として送った後、攻めてきた第三国に対して降伏、この身を賭して、民や配下の命を保証してもらうつもりだったの」
私の言葉に相槌は返ってこなかった。
肩越しに振り返った私は様子をうかがうが、たき火に背を向けている彼の表情は分からない。ただ、彼の背中に映った炎の灯りが静かに揺らめいている。
「ヴェリア、そなたは死ぬつもりだったのか?」
咎めるような声。いまの彼がどのように考え、どのような感情を抱いているのかはよく分かる。私も、ノクスに対して同じような感情を抱いたから。
だけど――
「いいえ、私は死ぬつもりなんかないわ」
私は彼の予想を否定した。その瞬間、彼は戸惑うようにその身を揺らした。
「……そう、なのか? しかし……」
「ええ。ノクスを逃がし、緩やかにノクシリア皇国を終わらせる。その場合、私はかなりの確率で処刑されることになるでしょうね」
「ならば――」
それは死ぬつもりだったのではと、彼がそう言い切るまえに私は口を開く。
「だからって、諦めることにはならないわよね?」
ノクスは絶対に救う。そして領民や家臣も生き延びられるように死力を尽くす。それらを叶えた後は、自分が生き延びるために足掻くつもりだった。なんの因果か手にした三度目の人生、簡単に手放したりなんてしてやらない。
その思いを口にすれば、アルヴェルトは目を見張った。
「……そうか、そなたは諦めないのだな」
「私は、ですか」
誰と比べているのだろうと小首を傾げると、アルヴェルトは少し寂しげに笑った。
「リリス、俺の妹だ」
「……妹?」
聞いたことがある。アルヴェルトの妹で今年十歳になる娘だが、表舞台にはまだ姿を見せていない。噂では、病気という噂もあるけれど、それ以上の情報は手に入れていない。
「ふむ。ヴェリア、そなたの目的はノクス皇子を救うことだったな。まだ方法のめどはついていないというのは本当か?」
「残念ながら事実よ。アグナリア王国に力を借りようと思ってはいるけど……」
「力を借りる代償と、弟を救う方法、悩んでいるのはどっちだ」
「……どちらかと言うと前者ね」
アグナリア王国が全面的に手を貸してくれるのなら、ノクスを救う方法はある。
だが、その協力を引き出す手段が思いつかない。
「ならば、私が協力すればノクス皇子を救うことは出来るか?」
「それは……協力の度合いにもよるわね」
「俺個人が有する騎士団の指揮権、それから陛下との橋渡しをする、とかならどうだ?」
「それなら、希望はあるわ」
暗闇の中に見た光明に期待を抱き、無意識に拳を胸のまえでギュッと握った。
そうして彼の背中を見つめれば、アルヴェルトは「さすがは影纏いの魔女だな」と呟いた。それから、私に背を向けたまま静かに言い放つ。
「ヴェリア、私のものになれ。応じれば、俺の力の及ぶ範囲で協力してやろう」
びくんと身体が震えた。
だけど、様々な感情は、ノクスを救う機会を失ってはならないという想いに塗り潰される。
「私が貴方のものになれば、力を貸してくれるのね?」
「二言はない」
それを聞いた私は肌着に覆われた胸に手のひらを乗せ、「いいわ」と立ち上がり、たき火を迂回してアルヴェルトの元へと歩み寄る。
「即断即決か。さすが私が見込んだ皇女だ」
「そんなお世辞はいらないわ」
そう答えながら、アルヴェルトの目の前で前屈みになった。声が近づいたことに気付いたのだろう。不審に思って振り返ったアルヴェルトと私の顔が急接近する。
その瞬間、私はアルヴェルトの肩を掴んでドンと押し倒した。そうして彼が起き上がる前に、その上に跨がる。
はしたないことをしている自覚はあるけれど、不思議と抵抗はなかった。
「ヴェリア、なにを――っ」
「手付金よ。貴方が約束を反故しないように」
アルヴェルトの胸板に手のひらを添え、もう片方の手で自らの肌着の肩紐をずらす。彼は目を見張って硬直し、それからはっとした顔をした。
「待て待て、勘違いだ! 影纏いの魔女として私に仕えろと言ったんだ!」
「……え?」
思わず硬直する。
それから、アルヴェルトの発した言葉を反芻し、私はようやく『私のものになれ』の意味が私の受け取った意味と違うことに気付いた。
それから、アルヴェルトと自分の姿を見比べる。
肌着姿の私が、上半身裸のアルヴェルトの上に跨がっている。もしこれを第三者が見れば、恋人同士の睦言、あるいは痴女が男を襲っているようにしか見えないだろう。
それを自覚した瞬間、私の全身が真っ赤に染まった。
「さ、最初にそう言いなさいよ!」
恥ずかしさに任せて彼の上から飛び退き、顔を覆ってうずくまる。
「……ヴェリア?」
「違うの! 私がふしだらな訳じゃなくて、可愛すぎる容姿が悪いの! 一目惚れされることが多かったから、貴方もそうなんだろうって、早とちりしちゃっただけなの!」
「おまえが愛らしい容姿をしているのは認めるが……言い訳はそれでいいのか?」
「い、いや、別にうぬぼれてる訳じゃないのよ? ただ、実体験に基づく反応というか、なんというか……あぁもう、ごめんなさい!」
「……応じたのか?」
低く不機嫌そうな声。最初はなにを言われたのか分からなかった。でも、一呼吸置いて意味を理解した私は、「そんな訳ないでしょ!」と口を尖らせる。
「……そうか。ならいい」
「それって……」
聞き返すけれどアルヴェルトは答えない。追及しようと口を開き駈けるけれど、そこに遠くから私達を探す声が聞こえてくる。
「……どうやら味方のようだな。聞き覚えのある声だ」
「そ、そう。どうやら一安心のようね」
どちらかというと、この空気が続かなくて良かったという安堵。だが、自分のあられもない姿を思い出した私は、慌てて半乾きのドレスを引き寄せて身を隠した。
そんな私の横でアルヴェルトが立ち上がってシャツを羽織った。
「無事を伝えてくる。そなたはそのあいだに身だしなみを整えておけ」
「……わ、分かったわ」
アルヴェルトが洞窟を出て行く。それを見届けた私は慌ててドレスを身に着ける。半乾きで着るのが難しかったが、旅用の略式のドレスだったのが幸いした。
四苦八苦しながらも袖を通すことに成功した。
「アルヴェルト、状況は?」
ドレスを纏って洞窟から顔を出すと、それに気付いたアルヴェルトが洞窟に戻ってきた。
「襲撃者は無力化済みで、味方に負傷者はいるが、全員軽症だったそうだ。いま、上と連絡を取り合って、引き上げるルートを探している」
「そう、よかった。じゃあリネットも無事なのね?」
「リネットは……」
アルヴェルトが言いよどむ。
「なにかあったの?」
「いや、私達が落ちたことに対して、ずいぶんと責任を感じているそうだ」
「あぁ……そういうこと。なら、早く戻って無事を知らせてあげなくちゃね」
私はそう言って、アルヴェルトが鎧を身に着けるのを手伝う。だが、彼の着替えを手伝っていると、嫌でもその鍛えられた身体が目に入る。そして連鎖的に、自分が彼を押し倒したことを思い出してしまう。
私は思わず彼の腕を掴んで、上目遣いで「アルヴェルト」と呟いた。
「……なんだ?」
「さ、さっきのことだけど、なかったことにしてくれない?」
「さっき?」
アルヴェルトはそう言って意地の悪い顔をした。
「わ、分かってるでしょ? 私が勘違いで貴方を押し倒したことよ」
「あぁ、それか。悪いが、それは出来ない」
「ど、どうしてよ!?」
目を見張って狼狽えると、アルヴェルトに腰を抱き寄せられた。それを私が理解するより早く、アルヴェルトが私の髪をすくい上げ、そこに唇を落とした。
わずか数秒、私が我に返るのとほぼ同時、彼はそっと身を離した。
「な、なんのつもり?」
「手付金だ。後で反故にされないようにな」
「~~~っ」
彼が求めたのは、影纏いの魔女である私の力だった。なのに、勘違いしてその身を差し出したのはおまえだと言われた気がして顔が真っ赤になる。
私は恥ずかしさのあまり、火照った頬を手の甲で冷ます。
「恥ずかしがる姿も可愛いな」
「……ばか。からかわないでよ」
「からかってなどいない。そなたが私の期待に応えれば必ず力を貸してやる」
「絶対、だからね……?」
上目遣いで睨み付ければ、彼は青く澄んだ瞳を細めて微笑んだ。
恥ずかしくてうつむきそうになる。だけど、顔を上げればそこに希望があった。
いままでは、ただノクスを救いたいという目的があるだけで、手段は暗闇の中だった。
でも、彼の協力があるならば、弟を救う手段がいくつも思い浮かぶ。
彼に力を貸して、その対価を得る。
そうすれば、ノクシリア皇国の命運も、そして自分が三度目の人生を生きる意味も、取り戻せるかもしれない。
やっと見えた希望の光。そのさきにある明日を、私はきっと、この手に掴んでみせる。
次からアグナリア王国編です。