エピソード 1ー6
私とアルは重力に引かれて谷底へ落下する。時間にすれば一瞬で、私達は頭から川に突っ込んだ。とたん、水を飲みそうになって慌てて息を止める。次の瞬間、身体が水底へとぶつかった。だが、幸いにも大きな衝撃はなく、私の身体は水面へと浮き上がる。
雨模様の空を仰いで大きく息を吸い込んだ。
そのまま一息つこうとするが、私を抱いていたはずのアルがいない。焦って水に潜れば雨でよどんだ濁った水の中に、ぐったりとしたアルの姿があった。
いけない、気を失ってる!
私は潜ってアルを追いかけ、なんとか捕まえることに成功した。だが、雨で増水した水が私達を押し流そうとする。私はそれにあらがい、なんとかアルを川岸に引き上げた。
「アル、しっかりなさい、アル!」
川の水で濡れたアルの身体を川辺に横たえぺちぺちと頬を叩く。――刹那、ドクンと心臓が脈打った。直後、かぁっと身体が熱くなる。
……なにこれ? 魔力が……増大している?
原因は不明。だけど、もしかして……と、私はアルを見下ろす。そして同時に、彼の意識がないことを思い出した。私は慌てて顔を近づけ、彼の息があることを確認する。
「……水を飲んではいないようね」
ひとまず差し迫った命の危険はない。
私は続けて周囲に視線を巡らせた。少し流されたのか、崖の上にいるはずの一行を確認することが出来ず、崖の上に戻れそうな場所も見当たらなかった。
助けを待つにしても、下りてくるのが味方とは限らない。アルが意識を失っている状態で敵に襲われるのは絶対に避けなくちゃいけない。まずは安全を確保するべきだろう。
そう考えた私は周囲を見回し、崖に洞穴があるのを見つけ、そこにアルを運び込んだ。
それから蔦などを使って入り口を隠し、たき火をするために枯れ木を集めた。出来るだけ濡れていないものを探したが、それでも雨による影響は避けられない。
私は魔術を使い、たき火に火を付ける。魔術の炎が湿った木々を強引に燃やし、煙が洞窟に立ち込めるが、私はそれを風の魔術で吹き散らした。パチパチとたき火が燃え始める。
立ち上る炎が、濡れた身体をわずかに温めてくれた。
「これでひとまずは……くしゅん」
熱源は確保したが、濡れた服が身体の熱を奪う。
アルの意識が戻らないのを確認した私は、逡巡した後に身に着けているドレスを脱ぎ捨てた。体温を考えれば肌着も脱ぐべきだが、さすがにそこまでするのは乙女心が許さなかった。
続けて、私は意識を失っているアルに視線を向ける。
殿方を脱がすことに抵抗はあるが、意識を失っている彼をこのままにする訳にはいかないと判断し、意を決して彼の身に着けている鎧を脱がせに掛かる。
水に濡れてシャツが肌に張り付いているせいで、彼の想像以上に引き締まった肉体が透けて見えた。私は思わず顔を赤らめつつ、シャツのボタンを外していく。
「……細身なのに、以外と筋肉があるのね」
思わず腹筋を撫でると「……なにをしているのですか?」とアルが訝しむような声を上げた。いつの間にか意識が戻っていたらしい。
私はピクッと身を震わせつつも、アルの顔に視線を向けた。
「お、おはようございます。痛いところとかは、ありませんか?」
「なにをしていると聞いたのですが?」
「な、なにって……っ。服が濡れて体温が下がっていたので、シャツを脱がそうとしたところで、その引き締まった身体に見惚れていましたがなにか?」
開き直って捲し立てると、アルはキョトンとした顔をした後に苦笑した。
「そうですか。なら私も、貴女のあられもない姿に見惚れてもかまわないのでしょうか?」
「え? ~~~っ。こ、こっちを見ないで!」
肌着姿を晒していると気付いた私は自分の身体を掻き抱いて背を向けた。
「貴女は私の身体を弄んでおきながら、理不尽なことをおっしゃいますね」
「変な言い方をしないでください!」
恥ずかしさを隠すように捲し立てる。それから一呼吸を置いて冷静になった私が肩越しに振り返ると、彼は言われたとおりに明後日の方を向いていた。
「……意外と紳士なのね」
「貴女に嫌われたくありませんから」
「あら、嫌われなければ見るっていってるように聞こえるけど」
余裕を取り戻した私は、少しからかうように問い掛ける。だが、返ってきたのは「試してみますか?」という艶っぽい声だった。
思わず恥ずかしくなった私は「試さないわよっ」と言い放つ。
「では、嫌われないように気を付けましょう」
「そうしてくれると助かるわ。あと、目覚めたのなら服は自分で脱いでね。そのままだと風邪を引いてしまうわよ」
「そうですね。では失礼して――」
と、彼は沈黙。
私の背後から、たき火のはぜる音と、わずかな衣擦れの音だけが聞こえてくる。だが、わずかな沈黙のあと、彼の呻き声が聞こえた。
「……アル? どこか怪我をしているの?」
「肩が脱臼していたのではめました」
「――えっ!?」
思わず振り返ると、上半身は裸でスラックスを穿くアルの姿が目に入った。さきほど目にしたたくましい腹筋を思い出して慌てて目をそらす。
「だ、大丈夫なの?」
「ええ、もうはめましたから」
「そう、なんだ。……と、お礼が遅くなったわね。さっきは助けてくれてありがとう。貴方が一緒に飛び込んでくれなければ、私は溺れていたかもしれないわ」
「いいえ、それが護衛の仕事ですから」
「そう……」
思うところはあったけれど追及せず、私は別のことを尋ねる。
「リネットや騎士団は大丈夫かしら?」
「騎士団は精強ですし、リネットも不意打ちを凌いだのですから」
「……そうね」
賊の大半は、食うに困った村人や逃亡兵だ。その程度の集団であれば、正規の訓練を受けた騎士が負けることはないだろう。
だけど、そういった集団がわざわざ騎士団を襲撃するはずがない。つまり、襲撃者は普通の賊じゃない可能性が高い。たとえば、賊に扮したどこかの騎士、とか。
「もしかして、アグナリア王国は休戦協定を潰すつもりなの?」
「そんなことはない!」
アルが声を荒らげた。互いに背を向けた状況で、その声が洞穴の周囲に響いて私の耳に届く。私はきゅっと拳を握り、だけど――と反論する。
「騎士が護衛している一行を襲撃するなんて、普通の賊のはずがないじゃない。あれは、私の命を狙っていたんじゃないの?」
「それは……いえ、その可能性も零ではありませんが、恐らく彼らの目的は……」
アルはそこで口をつぐんだ。
私が肩越しに振り返ると、俯いて黙り込む彼の背中が目に入った。それを見た私は、いままでのやり取りから予測が当たっていることを確信する。
「……やはり、貴方が狙いなんですね。アル――いいえ、アルヴェルト王太子殿下」