エピソード 4ー4
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「姉上……」
ノクスが呟き、その情報がさざ波のように謁見の間に広がっていく。私は堂々と胸を張り、アウグスト陛下を見上げるが、彼は強張った顔で固まっていた。
彼は、この状況に理解が追いついていないようだった。
「ヴェリア、おまえがなぜここにいる? ……いや、そうか。おまえがバートン辺境伯を説得し、援軍を用意してくれたのだな」
「……貴方は相変わらずですね」
父上が自分の都合のいいようにしか物事を受け取れなくなったのはいつからだろう?
初めはそうじゃなかったように思う。
なら、母上が亡くなったとき? あるいは、その悲しみを誤魔化すように戦争に傾倒し始めたころだろうか? 考えてみるけれど、切っ掛けには思い至らなかった。
だけど、きっと明確な答えはない。時の流れと共に、少しずつ歪んでしまったのだろう。
父上が成し遂げた過去の栄光を信じる者。父上の権力にこびを売る者。そして自分本位な父上に関わるのが面倒と思う者。
そのすべてが父上の行動を肯定し続けた。
その積み重ねがこれ。
そうして父上が誤った道を進もうとしているのなら、娘の私が正すしかない。
だから――
「父上、私が舞い戻ったのは、あの日に取りこぼした勝利を手にするためです」
「……なにを、言っている?」
「分かりませんか? 反逆ですよ」
「――なんだと!?」
父が声を荒らげて玉座から立ち上がる。彼の深いグレーの瞳に怒りが滲んだ。
「ヴェリア、貴様! 娘だからと甘くしたら付け上がりおって。誰か、この狼藉者を取り押さえろ! こいつを連れてきたバートン辺境伯もだ!」
父上の命令に、端に控えていた近衛兵が駆け寄ってくる。
バートン辺境伯に付き従っていた二人の騎士。ノクシリアの騎士に扮したアルヴェルトとロランが私のまえに立ち、彼らを迎え撃とうとする。
だが、私はそれより早く、彼らの間から前に出て、高らかに叫んだ。
「私を捕らえれば、その先に待っているのはアウグスト陛下と共に滅びる未来よ!」
こちらに駆け寄る近衛兵の表情に迷いが生まれた。
「ノクシリア皇国は疲弊し、働き盛りの若者が減っているわ。農村ではここ数年の収穫量が半分以下に落ち込み、戦費を補う重税が民を追い詰め、犯罪や飢饉が増える一方よ」
私の演説を聴き、近衛兵がついに足を止める。
私はそんな彼らから視線を外し、ガイウス将軍に向き直った。
「ガイウス将軍、貴方は見ているはずよ。訓練の足りぬ若き騎士がろくな装備も持たされずに前線に送られ、散っていった様を!」
ガイウス将軍はその光景を思い出したのだろう。無言で拳を握りしめた。
私はさらにロデリック宰相へと視線を向ける。
「ロデリック宰相、貴方はこの国の経済がどれだけ酷いか知っているでしょう? 王都から有力な商会が逃げだし、様々な物資が不足した。飢えに苦しむ民をその目で見たはずよ!」
ロデリック宰相は答えず、無言で唇を噛んだ。
私は続けてノクスに視線を向ける。
きざはしの上、父上の隣に立つ彼は、不安と期待をない交ぜにしたような顔をしていた。
「……ノクスは言わずとも分かっているわね。だから、貴方には別の言葉を贈りましょう」
私は愛する弟に向かって手のひらを差し向けた。
「ノクス、よく頑張ったわね。でももう大丈夫。貴方も、この国も、この国を愛する家臣も、民も、全部、私が救ってあげる。だから、今度こそ――この手を取りなさい」
「姉上……本当に、この国を救えるのですか?」
ノクスの期待と不安の入り交じった深く青い瞳が私に向けられる。
「本当よ。誰一人犠牲にせず、この国を存続させてみせるわ」
「その中に、姉上は含まれるのですか?」
「ええ、もちろん私も、よ。この国のすべてを救ってあげる」
私の宣言に謁見の間がざわめいた。そのようなことが可能なのかと疑問視する声もあれば、彼女ならばあるいはと私に期待を掛けてくれる者達もいる。
ノクスは、熱に浮かされたように一歩まえに出る。
「姉様、僕は――」
「――巫山戯るな!」
ノクスの言葉を父上が掻き消した。彼はきざはしを駆け下りて私に掴みかかってくる。
「さっきから聞いておれば好き放題にいいおって! 民が疲弊している? 王都から商会が逃げている? そんなことは戦争に勝てば解決する話だ!」
胸ぐらを掴まれた。これほど近くで父上と向き合ったのはいつ以来だろう?
きっと、母上が亡くなって以来だ。
酷く懐かしい父の顔。
だけど、父上の瞳に私は映っていない。
「……父上、無理だと言っているのです」
分かって欲しいという願いを込めて訴える。だけど同時に、いまの父上の心には響かないであろうことも理解している。私はただ寂しげに微笑んだ。
それが気に障ったのだろう。父上は顔を怒りに赤く染めた。
「もうよい! 貴様がこれほど愚かだとは思わなかった! 近衛兵、いますぐにこの反逆者を捕らえろ!」
父上が声を抗えるが、近衛兵は動かなかった。
「なぜ動かぬ! 貴様らも反逆者として捕らえられたいのか⁉︎ ……ええい、ガイウス将軍! ロデリック宰相! 何故だ! なぜ誰も動かない! 誰のおかげでこの国が栄えてきたと思っている!」
父上が声を荒らげる中、近衛兵の一人が私へ向かって歩き出した。その近衛兵の顔には見覚えがあった。人質として隣国へ送られる私を護送したグレイという近衛兵。
彼は、私のまえで片膝を突いた。
「ヴェリア皇女殿下、どうかご命令ください」
その言葉に息を呑んだのは父上だった。
「なにを言っているのだ貴様は! その娘は反逆者! 皇帝はこの俺だ!!」
「……父上、これが現実です。貴方の時代は終わったんです」
私がそう言うと、父上はびくりと身を震わせた。それから助けを求めるように周囲を見回すが、誰も父上を助けようとはしない。それどころか、皆視線を逸らしてしまった。
父上はひどく頼りない、迷子の子供のような顔で私を見た。
「……俺が、間違っていたというのか?」
父上は実力で成り上がった英雄だ。彼の活躍がなければ、この国はもっとまえに侵略されていただろう。彼はきっと、誰よりもこの国のために働いてきた。
でも、それでも、誰かが伝えなければならないことがある。そしてそれは、きっと、私の仕事だ。
「そうです。貴方は間違えました」
「……そうか」
酷く寂しそうな顔。その姿が、母上を失ったときの父上と重なって胸が苦しくなる。
それでも、私は目をそらさずに父上を見続けた。
「父上、退位、していただけますね?」
「……おまえが、次の皇帝になるのか?」
「いいえ、皇帝になるのはノクスです」
私がそういうと、父上は意外そうな顔をしてノクスに視線を向けた。
ノクスも驚いた顔で、一歩後ずさるような素振りを見せる。だけど唇を噛み、ギリギリのところで踏みとどまった。
重圧に晒されながら、それでも踏みとどまる弟を、私は心から愛おしく思う。そして、父上もまた、私と同じ思いを抱いたのだろう。彼は「そうか……」と呟いた。
そして次の瞬間、彼は胸を張り、謁見の間に詰めかける貴族達を見回した。
「皆の者! 俺は退位し、我が息子ノクスに皇帝の地位を譲ることをここに宣言する!」
父上が宣言すると、謁見の間は水を打ったように静まり返った。そんな中、父上が憑き物が落ちたような顔をノクスに向ける。
「ノクスよ、この国の未来はそなたに託された。俺が歩んだ道を顧みる必要はない。そなたはそなたの道を進み、ノクシリアの再興を成し遂げろ。それがたとえどれだけ険しい道であろうとも」
「父上、僕は……」
ノクスがなにか言おうとするが、父上は「苦情はおまえの姉に言え」とすげない態度を取った。ノクスは困った顔をしながらもきざはしから下りてきて、私のまえに立つ。
「姉上、皇帝になるべきなのは――」
ノクスの唇に指先を押しつけ、その続きを口にさせないようにする。
まだ十二歳の弟にこんな重責を背負わせるのは可哀想だと思う。だけど、人質としてアグナリア王国に送られ、アルヴェルトの協力を得てここにいる私ではダメなのだ。
「ノクス、私は彼らに返さなきゃならない恩があるの」
私ではダメ。傀儡の王ではないと示せるのはノクスしかいない。これは貴方が選んだ未来だと暗に伝えれば、ノクスはその瞳にわずかな後悔を滲ませた。
「僕が、姉上をアグナリア王国へ送ったから、ですか?」
違うと言ってあげたかった。
だけど、父は家臣の優しい嘘を信じて道を違えた。ここで優しい嘘はつけない。
「……そうよ。だから、責任を取りなさい。貴方はそれだけの覚悟をすでにしているはずよ」
ノクスは不安に瞳を揺らし、だけど拳をギュッと握って私を見上げた。
「僕に、出来るでしょうか?」
「貴方にしか出来ないことよ」
「……姉上は、いえ、分かりました」
ノクスがなにかを言いかけて呑み込んだ。
「……いい子ね。大丈夫、私も協力するわ」
その言葉を渇望していたのだろう。ノクスの表情に安堵の色が滲んだ。
「ありがとうございます。僕だけではフォルンディア連邦にどうやって対抗すればいいか分からず、途方に暮れるところでした。姉上が力を貸してくれるなら安心です」
「ええ、任せておきなさい。心配はいらないわ」
そう言って笑えば、ノクスがわずかに安堵するそぶりを見せた。
「……姉上はやはり頼もしいですね。一体どうするつもりですか?」
「教えてあげてもいいけど、いまは先にすることがあるでしょう? ほら、皆が新たな皇帝の誕生を待っているわ。皆に名乗りを上げ、ノクシリア皇国の未来を示しなさい」
私が周囲を示せば、ノクスもまた周囲を見回す。
バートン辺境伯やアルヴェルト、それにガイウス将軍やロデリック宰相、その他の貴族や近衛兵に至るまで、私達のやり取りを固唾を呑んで見守っていた。
ノクスは迷子の子供のような顔をした。
いますぐ抱きしめて、後は私に任せなさいって言ってあげたくなる。
だけど、それは出来ない。
この国を導くのはノクス自身でなければならない。だから頑張れと見守っていると、彼はぎゅっと拳を握った。それから緊張した面持ちできざはしの上に立つ。
「僕、ノクスは、ノクシリア皇国の新たな皇帝となることをここに宣言する!」
ノクスが宣言を始めると、謁見の間にいるすべての者の視線がノクスに集中した。彼らは期待や不安、様々な思いを乗せてノクスを見上げている。
その重責を一身に受けながら、ノクスは拳を握りしめて宣誓を続ける。
「この国は未曾有の危機に陥っていて、未熟な僕が皇帝になることに不安を抱く者もいるだろう。だが、憂うことはない! 僕には賢き姉上がいる。優秀な将軍や宰相、この国を愛する貴族や民、兵達がいる。皆の力を合わせれば、この危機を必ず乗り越えられる! だから皆の者、どうか僕に力を貸してくれ!」
そう言って宣言を締めくくった。
謁見の間がシィンと静まり返る。その沈黙を破って私が拍手をすれば、それが呼び水となって幾つか拍手が響き、やがて謁見の間が割れんばかりの拍手に包まれた。
それを見守っていると、父上がなにか言いたげな顔で私の隣にたった。
「なんでしょう?」
「新たな時代に俺は不要だろう。処刑でも幽閉でも、好きにするがいい」
「……父上」
自然と以前の呼び方が口を突いた。父上はわずかに目を見張り、「どうして、こんなことになってしまったんだろうな……」と寂しげに呟いた。
私はそのとき浮かんだ言葉をギリギリのところで飲み込み、近衛兵に「父上を部屋にお連れして」と命じる。そうして近衛兵に連れられて離れていく父の背中を見送りながら私は独りごちた。
「……父上はそれを考えようとしなかったから、こんな風になってしまったのよ」
父上が一度でも他人の忠告に耳を傾けていたのなら、もっと違う未来があったはずだ。
私を頼ってくれたのなら、全力で支えることができた。母を失ったあと、あるいは前世で弟を失ったあと。変わる機会はいくらでもあった。
だけど、父上はそれを最後までしなかった。
だから、私は手の甲で涙を拭い、ままならない過去に別れを告げた。
今夜20:00にエピローグを投稿します。
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