エピソード 4ー2
数日後、私はアルヴェルトの協力を得てベルトラン陛下に謁見を申し込んだ。そして、間接光が降り注ぐ真っ赤な絨毯の上、私は片膝を突いてかしこまっていた。
ほどなくして、玉座に身を委ねたベルトラン陛下が口を開いた。
「そなたの尽力により、我が娘が社交界への復帰が叶い、さらにはエドワルドを支持する者たちの暴走も食い止めることができた」
周囲から拍手が鳴り響く。熱心に拍手をしているのは主に第一王子派の者達で、そうでないのは第二王子派がほとんどだろう。
私は彼らの様々な思惑を抱いた視線を受けながら、「恐れながら」と口を開いた。
「リリス王女殿下が社交界に踏み出したのは彼女自身のご意志。また、クラヴィス侯爵の暴走を止めたのはアルヴェルト王太子殿下とエドワルド殿下の尽力があったからでございます」
「謙遜することはない。その功績は王家としても感謝に堪えぬ。引き続き、そなたの行動がノクシリア皇国との友好に繋がることを願っている」
ここだ――と、私は拳を握りしめた。
私はアルヴェルトを通じて、ベルトラン陛下に謁見を願い出た。その際に用件も伝えてある。その上で謁見が叶ったのは、ベルトラン陛下に耳を貸すつもりがあるから。
だけど、実際に力を貸してくれるかは私のプレゼン次第だ――と、口火を切る。
「ベルトラン陛下、その両国の友好を目指す未来に影が落ちてございます」
「……ふむ。フォルンディア連邦がノクシリア皇国の国境を越えた話なら耳にしておる」
「はい。残念ながら、ノクシリア皇国に戦う力は残っていません。このまま攻められれば、地図の上からノクシリア皇国の名は消えることになるでしょう」
ノクシリア皇国の皇女である私の弱気な発言に、謁見の間にいる者達がざわめいた。それがさざ波のように謁見の間に広がる中、ベルトラン陛下が手を上げてそれを鎮めた。
「……ヴェリア皇女殿下、ノクシリア皇国の情勢はそこまで悪いのか?」
「我が国は長らく続いた戦争で多くの労働力を失いました。たとえこのたびの戦争に打ち勝つことが出来たとしても、未来はないと言えるでしょう」
「……そうか。して、そのような内情をここで打ち明けた理由はなんだ?」
「アグナリア王国の騎士団を貸していただきたく存じます」
私がそう口にした直後、謁見の間はしぃんと静まり返った。
そして次の瞬間、「我が国に援軍を送れというのか?」とか、「なんと傲慢な」とか、「いや、ノクシリア皇国は資源国だ。貸しを作って損はない」なんて声が聞こえてくる。
だが、否定的な意見の方が大きく感じられた。そうした周囲の反応を確認していたのだろう。ベルトラン陛下は小さく息を吐いた。
「ヴェリア皇女殿下、我が国とノクシリア皇国は停戦協定を結んでいるが、同盟を結んでいる訳ではない。そこは理解しているか?」
「無論です。ゆえに、アグナリア王国のメリットをご用意いたしました」
「ほう? それはどのようなものだ?」
「一つは難民問題の回避です。ノクシリア皇国が滅亡したとき、その地に住む民がどこへ逃げるかは、語るまでもないでしょう」
多くの難民がアグナリア王国へ流れるであろうことはアルヴェルトも気にしていた。これはベルトラン陛下も周知のはずだと訴えれば、彼は渋い顔をした。
「たしかに、難民が流れ込んで来たならば、我が国は頭を悩まされることになるだろう。だが、それはデメリットの回避であり、メリットではない。なにより、援軍を送ってノクシリア皇国が態勢を立て直した結果、我が国に牙を剥く可能性も否定できまい?」
彼の懸念はもっともだ。
だが、ここで彼らを説得できなければすべてが終わる。私は幽閉され、ノクシリア皇国はその地に住まう民と共に滅びることになるだろう。
だからこそ――
「仰るとおりです。いえ、あえて申し上げましょう。アウグスト陛下は時期を見て、アグナリア王国との休戦協定を破るつもりだと」
内情をぶちまけると、謁見の間に衝撃が走った。
敵を見るような厳しい視線が私へと向けられ、いますぐ幽閉するべきだなんて声も聞こえてくる。私が望んだ展開とはいえ、その悪意の奔流に押し流されそうになった。
それでも、私はベルトラン陛下から視線を逸らさない。十秒か、二十秒か、あるいはそれ以上の間を開けて、ベルトラン陛下が「静まれ」と片手を上げた。
「……ヴェリア皇女殿下、それがなにを意味しているか理解しているのか? そなたは、休戦協定の象徴としてこの国にいるのだぞ?」
「はい。協定が破られれば、私はその責を負って処刑されることとなるでしょう」
「……では、そなたは死ぬつもりでこの国へ来たのか?」
「アウグスト陛下はそうお考えです」
人は、誰かに聞かされた答えよりも、自分で思い至った答えを信じる傾向にある。だからこそ、私はその続きを口にしなかった。
そして、その答えに至ったベルトラン陛下が口を開いた。
「つまり、そなたを始め、違う考えを持つ者がいるのだな?」
「私は弟を、そしてノクシリア皇国を救いたい。ゆえに、アウグスト陛下には退位していただき、ノクスを皇帝に押し上げようと思っています」
「なるほど。援軍の話はそこに繋がるという訳か」
「はい。弟のノクスが皇帝になれば、アグナリア王国との和平交渉はもちろん、よりよい関係を築くことも出来るでしょう。両国には年回りの近い者もおりますゆえ」
そうほのめかせば、周囲から「なるほど、政略結婚か」という声が零れる。それを受け、ベルトラン陛下は同席するアルヴェルトに視線を向けた。
「アルヴェルト、そなたはヴェリア皇女殿下の提案についてどう思う?」
「彼女はリリスやクラヴィス侯爵の件、それに食糧問題の解決にも尽力してくれました。少なくとも、彼女の人となりは信じるに値するかと」
「そうか。では、問題はクーデターが上手くいくかどうか、ということだな」
「――陛下、発言をお許しください」
謁見の間に集まっていた一人が声を上げた。三十代半ば程度の、精悍な顔つきの男。身なりからして上位貴族だろう。
彼の声に、ベルトラン陛下はゆっくりと頷いた。
「これは我が国にとって重要な分岐点となるであろう。なにかあれば遠慮なく申せ」
「では恐れながら申し上げます。まず申し上げたいのは、ヴェリア皇女殿下の貢献については疑う余地がないと言うことです」
その男はそう言って私に気遣うような視線を向けたあと、「しかしながら――」と続ける。
「叛乱が成功する保証もなく、またそれが成功したとしても、フォルンディア連邦との戦争でどれだけの被害が出るかも分かりません。それを考えれば、ノクシリア皇国が戦争をしている間に対策を練り、難民問題に当たる方が賢明ではありませんか?」
ベルトラン陛下は「その意見ももっともだ」と口にするが、すぐに「お待ちください」と別の場所から声があがる。
「たしかに戦争による被害は無視できません。しかし、ノクシリア皇国が滅んだとき、その地にある多くの資源がフォルンディア連邦のものとなりましょう」
「……ふむ。それもたしかに面白くない」
「であれば、ヴェリア皇女殿下に手を貸し、ノクシリア皇国に貸を作るのも悪くはないかもしれませんな」
それらの意見を皮切りに、様々な意見が述べられる。私に同情する声もあるけれど、基本はどちらが国益に繋がるか。それを論点として、重鎮達の話し合いは進められる。それがひとしきり出尽くした後、私は手を上げて発言の許可を得た。
「皆様が誤解なさっているようなので訂正をさせてください。私は騎士団を貸していただきたいと申しましたが、戦闘をするつもりはありません」
「……それは、どういう意味だ? 騎士団を用いて叛乱を起こし、フォルンディア連邦を国境の向こうへと追い返すのではないのか?」
「仰るとおりです」
私が肯定すると、その場にいる者達全員が困惑した。多くの貴族が集まる謁見の間。間接光が赤い絨毯の上でかしこまる私の姿を淡く照らし出している。
私はゆっくりと顔を上げ、ベルトラン陛下に宣言する。
「騎士団をお貸しいただけるのなら、ノクスを皇帝に押し上げて同盟を結び、フォルンディア連邦を撤退させた上で、ただ一人の犠牲も出さずに騎士をお返しいたしましょう」
しぃんと、謁見の間が静まり返った。
わずかな間を置いて、そのようなことが可能なのか? いや、あり得ない。だが、彼女は影纏いの魔女と呼ばれるほどの策略家だ。なんて声が聞こえてくる。
その声を掻き消し、ベルトラン陛下が口を開く。
「ヴェリア皇女殿下、本当にそのようなことが可能なのか?」
「もしも約束を違えたのなら、この命を持って償いましょう」
そう言ってベルトラン陛下をまっすぐに見上げる。長い沈黙のあと、ベルトラン陛下はアルヴェルトを一瞬だけ見た後、再び私に視線を戻した。
「よかろう。ヴェリア皇女殿下、そなたにはアルヴェルト率いる騎士団を貸し与える。その騎士団を率い、影纏いの魔女の名をこの大陸に轟かせるがいい」
「……必ずや、ご期待に応えて見せます」
こうして、私はアルヴェルトの率いる騎士団を借り受けることになった。
それから二週間ほどが過ぎたある日。私とアルヴェルトが王城にある広場に足を運ぶと、そこに騎士団が勢揃いしていた。
「騎士1000名と、従者を始めとした従軍者が2000名。併せて3000名。アルヴェルト王太子殿下の号令のもと、いつでもノクシリア皇国に向けて進軍することが可能です」
騎士団長のロランが高らかに宣言する。
それから、彼は私へと視線を向けた。
「ヴェリア皇女殿下、部下があなたに謝罪をしたいと申しております。お手数とは存じますが、謝罪の機会をお与えくださいますか?」
「謝罪、ですか? ……かまいませんが」
どういうことだろうと思っていると、ロランが数名の騎士を呼んだ。そんな彼らの顔には見覚えがあった。前回の移動でも従軍していた騎士達だ。
彼らは私のまえに立つと、深く頭を下げた。
「申し訳ありません!」
「……なにに対する謝罪でしょう?」
「俺は、貴女が国を捨てて逃げ出した卑怯者だと思っていました。ですが、そうじゃないとアルヴェルト王太子殿下から聞きました。いままでの無礼な態度をお許しください!」
「……アルヴェルト王太子殿下?」
隣にいるアルヴェルトに、一体なにを言ったのかと視線で問い掛けた。
「俺は事実を言ったまでだ」
「……そうですか?」
アルヴェルトが気遣ってくれるのは嬉しいけれど、もしも謝罪を強要したのなら溝が深くなる。だからと、私は騎士に視線を戻した。
「顔を上げてください。どのような理由があろうとも、私がこの国に来たことに変わりはありません。そのように謝罪する必要はありませんよ」
「いいえ、影纏いの魔女の噂は真実でした! にもかかわらず、うわべだけを判断した己を恥じるばかりです。どうか、その鬼才で我らをお導きください!」
「……アルヴェルト王太子殿下?」
本当になにを言ったのかと、私は再び彼に視線を向けた。
「俺は事実を言ったまでだ」
「いや、嘘ですよね?」
絶対話を盛っているでしょとジト目を向ける。
「そなた、宣言したではないか。ただ一人の騎士も失わずにすべてを解決する、と」
「それは言いましたけど……」
それがなにかと首を傾げると、騎士達が「おぉ……」とどよめいた。
「ヴェリア皇女殿下。我ら一同、影纏いの魔女の指揮下に入る機会を賜りましたこと、この上なく光栄でございます」
ロランが真面目にそう言い放てば「俺も楽しみにしていました!」とか、「俺達を苦しめたあの悪辣な策を、今度は俺達が仕掛ける側になるのか!」とか、なにやら盛り上がっている。
いや、貴方達、その興奮の仕方はどうなのよ?
というか――
「私の指揮下?」
この軍を率いるのはアルヴェルトではと視線を向けた。
「総司令は私になる。だが、私はヴェリアの判断に委ねるつもりだ。ゆえに、この騎士団の指揮官はヴェリア、そなたになる」
悪い話ではない。むしろ破格の条件と言えるだろう。
ただし、それは私が彼らを率いる予定なら、だ。
「せっかくの申し出ですが……アルヴェルト王太子殿下にはいいましたよね? 騎士団には領都ウルスラに待機してもらう、と」
なのに、私の指揮下に入るのを楽しみにしていたといわれても、期待外れになるのではと心配した。だけど、それを聞いた騎士が真面目な顔になった。
「ヴェリア皇女殿下、発言をお許しください」
「ええ、許します」
「我らは、その武力が時に抑止力として有効であることを理解しております。ならば、領都ウルスラに待機することで目的が果たせるというのなら、それを不満に思うなどあり得ません」
「……そうなの? まぁ、それなら……」
いいのだろうか?
……まあ、本人達がいいと言っているならいいかと、私は納得することにした。
そして、私はそれらしく振る舞うことにする。
「傾注!」
私が声を上げると、彼らは一斉に口を閉じ、気を付けの姿勢を取った。静まり返る広場に一陣の風が吹き抜けた。私の長い銀髪がサラサラと揺れる。
私はなびく風をそのままに、騎士団の者達を見回した。
「諸君! 私は……憂えている」
私は悲しげに宣告し、胸のまえで拳を握りしめた。
「このまま手をこまねいていればノクシリア皇国は滅亡し、難民がこの国にも流れ込むだろう。そうなれば、アグナリアの民も食糧難に陥ることになる」
これが対岸の火事ではないことを印象づける。
彼らはその未来を思い浮かべて表情を曇らせた。
「それを回避するために、私はベルトラン陛下に騎士団の力を貸して欲しいと願った。そして、陛下はアグナリア王国の未来のために快く応じてくださった。ゆえに諸君、この作戦はアグナリア王国の未来を勝ち取るものである!」
他人事ではなく、自分達の戦いである。
だから――
「私に従え! さすれば、私はノクシリア皇国とアグナリア王国の明るい未来を護り、諸君らを一人も欠かすことなく連れ帰ると約束しよう!」
朝陽が降り注ぐ空の下、広場が揺れるほどの歓声に包まれた。
「……さてはおまえ、こういうノリ、わりと好きだろう?」
アルヴェルトが小声で問い掛けてきたので、私は「嫌いじゃないわ」と笑みを返した。最初の目的地は私が手紙を送った先、バートン辺境伯の住まう領都ウルスラだ。




