エピソード 3ー6
アグナリアの王都にあるクラヴィス家の屋敷。その家の主であるクラヴィス侯爵はいま、応接間でリリス王女殿下と向き合っていた。ローテーブルの上には、リリス王女殿下を懐柔するために用意させたケーキや紅茶が並べられている。
「リリス王女殿下、このように強引なやり方でお招きしたことを謝罪します。お詫びと言ってはなんですが、まずはお菓子を好きなだけ召し上がりください」
「ありがとう。クラヴィス侯爵はいい人だねっ」
無邪気な笑顔を浮かべてケーキを頬張った。警戒心なんて欠片もない。その愛らしくも幼い王女の姿をまえに、クラヴィス侯爵は心の内で笑う。
彼の目的は、自分にとって都合のいい人間を次世代の王にすることだ。
クラヴィス侯爵家は代々、武器の生産で財を成してきた。そして戦争が続く限り、クラヴィス侯爵家の地位は盤石だった。
だが、現国王が突然に方針の転換し、戦争の終結を目指し始めた。そして王の政策は実を結び、アグナリア王国は周辺国と次々に休戦協定を結んでいった。
武器の需要はみるみる下がり、代わりに食料が天井知らずに高騰していく。食料の供給が他領頼りのクラヴィス侯爵領は、目に見えてその力を失っていった。
クラヴィス侯爵にとって、王の政策は迷惑極まりないものだったのだ。
ゆえに、クラヴィス侯爵は第二王子派を支持した。第二王子――なにかと血気盛んなエドワルド殿下を傀儡の王に仕立て上げ、戦争の再開を目指すために。
国王は健在で、王太子――つまり次の王はアルヴェルトと定められている。それでも、戦乱の世に想定外の出来事はつきものだ。アルヴェルト王太子殿下に不幸があれば、エドワルド殿下を次の王にすることは可能だと考えていた。
だが、計算外があった。
エドワルド殿下に野心がなかったことだ。彼はあろうことか、第二王子派の派閥を纏め、アルヴェルト王太子殿下の補佐をするなどと言い出したのだ。
だから、クラヴィス侯爵は一計を講じ、二人の王子を仲違いさせることにした。
手始めに、アルヴェルト王太子殿下がリリス王女殿下を幽閉しているとの噂を流した。それは世論を動かすだけでなく、エドワルド殿下にリリス王女殿下を護らせるためである。
リリス王女殿下を使い、二人の王子を仲違いさせたのだ。
そして、その策は上手くいっているはずだった。第一王子の暗殺こそ失敗続きだが、二人の王子は互いに疑心暗鬼に陥り、なにかと仲違いするようになった。
エドワルド殿下が王を目指すと言い出すのも時間の問題――のはずだった。
だが、リリス王女殿下が社交界に顔を出した。しかも、アルヴェルト王太子殿下との確執なんてないと言わんばかりの振る舞いだ。
それによって、エドワルド殿下が噂の内容に疑問を抱いてしまった。
このままでは、離間の計が振り出しに戻ってしまう。
しかも、リリス王女殿下はエドワルド殿下と同じく第二王妃の子供である。そんな彼女が第一王子の側についたとなれば、第二王妃に味方する貴族が旗色を変えてしまう。
クラヴィス侯爵にとって、それは絶対に受け入れられない未来だ。
ゆえに、クラヴィス侯爵はリリス王女殿下を甘言で誘い出して攫った。説得してエドワルド殿下の味方をさせるのが理想だが、最悪は存在を消してしまうべきだと考えていた。
だが――と、クラヴィス侯爵はあらためてケーキを頬張っているリリス王女殿下を眺める。
(拐かされたことに気付いてすらいない。王族とはいえ、所詮は十歳の小娘だな。こんなに籠絡が簡単ならば、もっと早くこうしておけばよかったか)
これならば騙すことなどたやすいだろうと嗤う。
「リリス王女殿下、今日ここに来ていただいたのは、ご内密でお耳に入れたいことがあったからでございます」
「……秘密のお話? 聞きたい!」
無邪気に目を輝かせた。
リリス王女殿下のあまりの脳天気さにクラヴィス侯爵は苦笑する。
「リリス王女殿下は、アルヴェルト王太子殿下が婚約者を決めるとおっしゃっていましたが、そのお相手はご存じですか?」
「婚約の相手? うぅん、知らないよ?」
クラヴィス侯爵はやはりと心の中で笑い、だけど演技で痛ましげな顔をした。
「……私の危惧していたとおりですな。リリス王女殿下、その婚約を受けてはなりません。もし受ければ、貴女はきっと不幸な日々を送ることになりますよ」
「嘘っ! アルヴェルトお兄様が、私を不幸にするはずないよ!」
リリス王女殿下が反発する。
それを見たクラヴィス侯爵は(兄を慕っているというのは本当のようだな。だが、問題はない)と説得の方向性に修正を入れる。
「――もちろん、アルヴェルト王太子殿下は貴女の幸せを願っておいでです。ただ、アルヴェルト王太子殿下の考える貴女の幸せと、貴女の望む幸せが違うのです」
「……どういう、こと?」
リリス王女殿下の薄紫の瞳が不安に揺れた。
クラヴィス侯爵は「そうですね……」と焦らして不安を煽り、リリス王女殿下がなにか言おうとした瞬間、それを遮って口を開いた。
「リリス王女殿下は、どのような方と結婚したいですか?」
「うぅん……そうだね。優しくて、格好よくて、すごく賢くて、私のことを理解してくれる人の……弟、かな? きっと素敵だと思うんだよね」
夢見る乙女のように理想を語る。
妙に具体的な人物像だが、物語かなにかに出てくる人物だろうかと考える。クラヴィス侯爵は「このままでは、そのような相手と結婚は出来ないでしょう」と言い切った。
「……どうして?」
「アルヴェルト王太子殿下は次の王になる方で、そのために地盤固めを必要としています。リリス王女殿下に結婚相手には、その力となる権力者が選ばれるでしょう」
「……権力者にも素敵な人はいるよ?」
「かもしれません。ですが、恐らく相手は貴女のお父上より年上でしょう」
実際にそういうケースがあるのは事実だが、これはまったくの出任せだ。普通に考えれば、年回りのよい相手と結婚させるのが普通である。
だが、幼い姫にそのようなことは分かるまいと、クラヴィス侯爵は笑う。そうして怯えるリリス王女殿下に対して、甘い言葉を賭けて味方に引き込む。
そのタイミングを計っていると、リリス王女殿下がぽてりとソファにもたれこんだ。それから、肘掛けに片肘を突き、手の甲で頬杖を突く。
それと同時、ゆっくりと足を組んだ。彼女の薄紫の瞳がクラヴィス侯爵を見つめる。その視線に晒されたとき、クラヴィス侯爵は言いようのない寒気を覚えた。
「……つまり、貴方は私にそういう相手を薦めるつもりだったの?」
「は? い、いえ、滅相もありません! いまのはアルヴェルト王太子殿下の話であり、私は決してそのようなことは考えておりません!」
「ふふっ、よく言うね。私を政略結婚の道具として、派閥を我が物のように扱おうとしているのは貴方の方でしょう? ねぇ、クラヴィス・グレヴァール」
「なに、を……」
(なぜ私の思惑がバレた? 見た目通りの小娘ではなかったのか? いや、それ以前に、この別人のような振る舞いはなんだ? まるで羽虫を見ているような目だ)
そこまで考えたクラヴィス侯爵は息を呑む。そうしてまさかという想いが膨れ上がった。そんなクラヴィス侯爵を嘲笑うかのようにリリス王女殿下が笑う。
「無知な王女なんて簡単に騙せると思ったでしょ? 人間って愚かだよね。普段は警戒心が強いクセに、弱い相手をまえにするとすぐに本性を現すんだから」
「……ま、まさか、最初から無知な振りをしていたのか!?」
その可能性を口にすると、リリス王女殿下は無邪気に微笑んだ。
「ようやく気が付いた? 貴方は同年代の令嬢にカフェの噂をさせて、上手く私を誘い出したと思ったでしょ? でも、事実はそうじゃないの」
「ま、まさか、こちらの思惑に気が付いていながら、あえてカフェに顔を出したというのですか? な、なぜそのような真似を?」
「エドワルドお兄様の名を利用して好き勝手する貴方を懲らしめるためだよ。私はね、今日、離宮を出るまえに手紙を残してきたの。貴方に呼び出されたから、カフェで落ち合うって」
「――っ!?」
証拠を偽造したと言われ、クラヴィス侯爵は息を呑んだ。それが事実であれば、いまごろ自分は王女誘拐の容疑者になっていると理解したから。
だが――と、冷静さを取り戻したクラヴィス侯爵は息を吐いた。
「ふっ、ふふっ、たしかに貴女の演技には騙されました。貴女を見た目通りの小娘と侮った私の失態です。ですが、それでもまだまだ未熟ですね」
「……へぇ、どの辺が?」
「分かりませんか? いくら私に容疑が掛かろうと、貴女が見つからなければ、言い逃れはいくらでも出来るからですよ!」
ようは、リリス王女殿下が見つからなければいいのだ。その上で、アルヴェルト王太子殿下が罪をなすりつけようとしていると訴える。
そうなれば水掛け論だ。
自身もダメージを受けることになるが、相手の名誉も貶めることが出来る。
「それは、私が見つからなければ、でしょう? 言ったよね、クラヴィス侯爵に呼ばれたと書き置きを残したって」
「分かっていませんね。ここは私の屋敷だ。いくら王太子殿下であろうとも、易々とこの屋敷に踏み込むことは出来ない。そして、この屋敷には隠し部屋や通路がいくらでもある」
最悪は、殺してから秘密裏に運び出してしまえばいい。失策はしたが、まだ取り返しは利く。そうして笑うクラヴィス侯爵をまえに、リリスは髪飾りに触れながらクスクスと笑う。
「上手く行けばいいね?」
「……なにを」
言っているのかと口にする途中、不意に扉がノックされた。
「――誰だ? この部屋には誰も近づけるなと言っておいたはずだ!」
「も、申し訳ございません。しかし、エドワルド殿下がお越しになっていまして」
執事の声。それを聞いたクラヴィス侯爵は舌打ちをした。
敵対するアルヴェルト王太子殿下と違い、エドワルド殿下は自分が支持している相手だ。それが建前の話とはいえ、自分が支持している相手を無碍に扱う訳にはいかない。
クラヴィス侯爵はすぐに算段を立てた。
「……分かった。奥の客間で待ってもらえ。私もすぐに行く」
「いえ、それが――っ」
執事の声が途切れ、わずかな沈黙が訪れる。
なにかおかしい。
そう思った瞬間、扉が蹴り開かれて、そこから騎士達が流れ込んできた。そしてクラヴィス侯爵が行動を起こすより早く、騎士の一人に絨毯の上に抑え込まれる。
「なっ、なんだこれは! 私を誰だと思っている!?」
「俺の妹を攫った誘拐犯だろう、よく分かっているぞ」
そう言って、騎士の後ろから姿を見せたのはエドワルド殿下だった。クラヴィス侯爵は即座に、エドワルド殿下がリリス王女殿下の手紙を読んで乗り込んできたのだと理解した。
「お、お待ちください、なにか誤解なさっております。これは……そう、アルヴェルト王太子殿下の策略です。私はリリス王女殿下を保護しただけなのです」
「はっ、この期に及んで、兄上の仕業だというのか?」
「え、ええ、その通りです!」
「……と言っていますが、兄上はどう思いますか?」
それを聞いたクラヴィス侯爵は、押さえ付けられながらも必死に顔を上げた。エドワルド殿下の向こう側に、アルヴェルト王太子殿下とヴェリア皇女殿下の姿があった。
「なるほど、私の自作自演か。ならば、リリスに聞いてみよう。リリス、そなたを攫ったのが誰か分かるか?」
「私を攫ったのはクラヴィス侯爵だよ。あと、お兄様達が探しに来るまえに、私を殺して死体を隠すとも言ってたよ、クラヴィス侯爵が」
「ほう、そんなことまで言ったのか?」
「――そ、そんなことは言っていない!」
事実である。
そうしようと思っていたのは事実だが、クラヴィス侯爵はそれを口に出していない。言質を取られることがどれだけ危険か理解していたからだ。
だが、この状況ではそんなことは関係がなかった。十歳の無邪気な王女の言葉と、誘拐犯である腹黒い侯爵の言葉。どちらの言葉が嘘なのかは明らかだ。
クラヴィス侯爵がどれだけ事実を訴えても、それを信じる者はいない。
二人の王子が静かな怒りを滲ませる。
「王族を弑いようとした大罪人だ、拘束しろ!」
アルヴェルト王太子殿下の命令で、クラヴィス侯爵は瞬く間に拘束されてしまう。そうして屈辱に打ち震える彼の視界にリリス王女殿下の姿が映った。
彼女はいつの間にかちょこんと、愛らしくソファに座り直していた。事情を知らなければ、無邪気で愛らしい十歳の娘にしか見えない。
そんな彼女が笑顔でクラヴィス侯爵を見下ろしながら、小さく口を動かした。
それは声にならなかったが、クラヴィス侯爵は口の動きでそれを読み取ることが出来た。彼女は無邪気に笑いながらこう言ったのだ。
ハメる相手を間違ったね――と。
ゾクリとクラヴィス侯爵の背筋を悪寒が駆け抜けた。
可愛い皮を被った悪魔。自分がなにを相手にしていたのか、いまさらながらに得体の知れない恐怖を抱く。だが、それもすべて後の祭りだ。
騎士に拘束されたクラヴィス侯爵は城の一室に幽閉され、破滅の運命をたどることとなる。




