エピソード 3ー5
リリスが姿を消した。
その事実を知ったアルヴェルトはすぐに護衛達に捜索を命じる。
最終的には離宮に対策本部を設置し、騎士団を動員しての捜索にあたったが、それでもリリスを見つけることは叶わなかった。
調べて分かったのは、リリスが何者かに連れられて裏口から姿を消したことと、直後に怪しい馬車が一台、裏の通りから走り去ったことだけである。
「なぜ見つからない。無理矢理連れ去ったのなら痕跡の一つくらいはあるはずだ」
離宮にある応接間。
対策本部となったその部屋で、アルヴェルトが報告に来た騎士団長のロランに問いただす。
「申し訳ありません。現在は馬車の行方を追っています」
「その馬車にリリスが乗っている保証も、最後まで乗っていた保証もないだろう」
「仰るとおりです。ですが、リリス王女殿下が無理に連れ去ったのなら、痕跡の一つくらいは残っていてもおかしくありません」
「ならば、痕跡を見つけられないのはなぜだ?」
アルヴェルトが厳しい面持ちで問うた。
その様子を横で見守っていた私は「もしかして」と口にした。とたん、向かいのソファに座っていたアルヴェルトが「なにか心当たりがあるのか!?」と身を乗り出した。
「心当たりじゃないけど、相手の手際がよすぎると思わない? それに、私は窓からリリスの姿を見ていたけど、彼女が抵抗するような素振りはなかったわ」
「まさか、リリスが自ら姿を消したというのか?」
「脅された可能性もあるけど……」
相手があの場所に罠を張っていたのは明らかだ。
ならば、周囲に兵を配し、私達を人質にした可能性はある。
少なくとも、相手がそう言ってリリスを脅した線は否定できない。だけど、それを加味しても痕跡が少なすぎる。リリスが自ら姿を消した可能性は高い。
そこに、リネットが「ヴェリア様、これを!」と部屋に飛び込んできた。そうして彼女が私に差し出したのは、リリスの直筆とおぼしき、私宛の手紙だった。
私はアルヴェルトの見ているまえでその手紙を開く。
その内容を要約すると、エドワルドお兄様のことで重大な話があるから、内密にお店に来て欲しいとクラヴィス侯爵に言われた、と言ったことが書いてあった。
「犯人はクラヴィス侯爵か! すぐに彼の屋敷に兵を――」
「待って、アルヴェルト!」
アルヴェルトの命令を遮る。
「なぜ止める、犯人は明らかだろう!」
「いえ、この手紙は不自然よ。リネット、この手紙はリリスの部屋にあったのね?」
「はい。引き出しの中に仕舞われていました」
「……そう、ならリリス本人が書いたことに間違いはなさそうね」
筆跡も、私が見る限りはリリスのものに思える。
「ヴェリア、なにを疑っているんだ?」
「手紙の内容があまりに不自然だからよ」
「不自然? クラヴィス侯爵がリリスをあのカフェに呼び出し、それに応じたリリスを攫ったというだけの話ではないのか?」
私はその問いに対し、静かに首を横に振った。
「貴方が同じことをするとして、呼び出しに自分の名前を使う?」
どこから名前が漏れるか分からない。げんに、リリスがこうして手紙を残している。そんなリスクを、あの曲者が見逃すとは思えない。
「リネット、ここ数日、誰かがリリスに接触した事実はあるかしら?」
「いいえ、外部の者とは誰も。むろん、使用人とは接触していますが、使用人達は先日の一件で信頼できる者達に入れ替えたばかりです」
「なら、パーティー会場ではどうだった?」
「甘言には気を配っていましたが、そのような事実はありません。……あ、でも、あのカフェのことについては聞き覚えがあります」
その話について詳しく聞く。
どうやら、第二王子派のご令嬢が、あのカフェが人気だとリリスに伝えたそうだ。
「……おそらく、リリスがあのカフェに興味を示したのはそれが理由ね。だとしたら……ああ、そういうこと。だから、リリスはあのとき……」
……悪い子なんだから。
心の中で独りごちて、それからリネットへと視線を向ける。
「私の部屋から持ってきて欲しいものがあるの」
「かしこまりました」
私の指示を受け、リネットが部屋へと走る。彼女が戻るのを待っていると、焦れたアルヴェルトが「なにが分かったんだ?」と問い掛けてくる。
「確証を得るのはこれからよ。でも、恐らく心配はないわ」
「リリスの居場所が分かったのか?」
「たぶん、ね」
私はそう言ってリネットの帰りを待つと、ものの数分と立たずして戻ってきた。彼女の両手には、私が製作した魔導具が抱えられている。
「台座に固定された球体の中に、球体が浮かんでいるな。文字が書かれているようだが……ヴェリア、これは一体なんの魔導具なんだ?」
「これはスフィアコンパスという、私が作った魔導具よ。起動すれば対となる魔導具の方向を指し示すの。こんな風に――」
魔導具を起動する。いわゆる球体コンパスのようなそれは、中の球体がクルリと回って、やがって一定の方向を指し示した。
「この方角に、対となる髪飾りがあるわ」
「髪飾り? ――っ、リリスがそなたからもらったと言っていたあれか! つまり、この方角にリリスがいると言うことだな!」
「髪飾りを道中で捨てていなければね」
そう言いながら、スフィアコンパスが指し示す方向を確認する。
指し示すのは水平よりも少し上。
角度から考えて、王都にある屋敷、それも二階か三階程度のどこかだと当たりを付ける。それを伝えると、同席していたロランが、その方向にはクラヴィス侯爵の屋敷があると言った。
「……やはり犯人はクラヴィス侯爵か。この魔導具を根拠に、屋敷の捜索は可能か?」
アルヴェルトが問うが、ロランは苦渋に満ちた顔で首を横に振った。
「魔導具の有効性を証明できれば可能でしょうが、すぐには難しいかと」
「そうか。だが、時間が惜しい。ヴェリア、なにか方法はないか?」
「二つあるわ」
「二つもある、だと?」
アルヴェルトとロランが目を見張るが、別に驚くようなことじゃない。なぜならその方法というのは、リリスが用意してくれたものだから。
「一つは、リリス王女殿下の用意した手紙を理由に突入することよ」
「リリスの? しかしあれは、証拠として怪しいと言っていなかったか?」
「ええ。でも、クラヴィス侯爵の屋敷にリリス王女殿下を確認できれば、その手紙の真偽など関係ないでしょう? 多少強引でも、リリスを確保してしまえばいいのよ」
最悪なのは手紙の内容が間違っていて、突入してもリリスを見つけられなかった場合だ。だけど、魔導具がリリスの位置を示してくれている以上、罠の心配をする必要はない。
「なるほど、出来なくはないな。ならもう一つは?」
「それは――」
私が口を開くと同時、扉がノックされた。そうして入ってきた使用人が「エドワルド殿下が面会を求めています」と口にする。
直後、ロランを始めとした騎士達が警戒心を露わにした。
「……まずいな。こちらの動きを第二王子派に掴まれると、クラヴィス侯爵に逃げられるかもしれない。理由を付けて追い返した方がいいか?」
アルヴェルトがそう問い掛けてくる。
それも一つの手ではある。だけど私は――と、これまでの考えを纏めた。
「私は、エドワルド殿下と会うべきだと思う」
「なぜだ?」
「恐らくだけど、この件にエドワルド殿下は関わっていないわ。リリス王女殿下の救出のため、彼の力を借りるの。……これが、二つ目の手段よ」
「……本気か?」
「ええ、私は本気よ」
「それでエドワルドがこの件に関わっていたらどうする?」
「その場合は拘束してしまえばいいじゃない。理由など、この手紙で十分でしょう?」
もしもの場合は、リリスの用意した証拠を使ってエドワルド殿下を追い詰めろと言い放てば、アルヴェルトとロランはものすごくなにか言いたそうな顔をした。
「さすが影纏いの魔女、手口が悪辣だな」
「……褒めている、のよね?」
半眼で睨むと、ふっと笑われた。
追求したい気持ちはあるけれど、いまはエドワルド殿下と会うのが先だ。許可を得た私は、エドワルド殿下だけど、この部屋にお連れするようにと使用人に命じた。
ほどなく、エドワルド殿下が駆け込んでくる。
「騎士団に街を捜索させているそうだが、一体なにが……兄上、これはなんの真似だ? 重要な話があるというから、護衛を下がらせたんだぞ?」
周囲にアルヴェルトの騎士が揃っているのを目にし、エドワルド殿下は顔を強張らせた。
「そうだ、大事な話だ。そしてその返答いかんでは、そなたをここから帰す訳にはいかない」
「――っ」
エドワルド殿下が、とっさに懐に手を入れた。おそらく、緊急用のなにかを持っているのだろう。彼がそれを使えば面倒なことになるが――
「おやめください、リリスを危険に晒すつもりですか?」
私の声に、エドワルド殿下は身を震わせた。
「おまえ、リリスを人質に取るつもりか!」
彼は烈火のごとくに怒り狂った。だが、懐に入れた手は動かさない。それを確認した私は、隣に座るアルヴェルトに「どう思う?」と問い掛ける。
「見事な手腕だ。たしかに、我が弟はリリスを心配しているようだな」
「ええ。明らかに被害者側の視点よ。演技である可能性は否定しないけど……」
と、エドワルド殿下に視線を向ける。
彼は親の敵とばかりに私を睨み付けている。
「まあ、演技には見えないな。いいだろう。そなたに任せるとしよう」
アルヴェルトも同じ結論に至ったようだ。そうしてアルヴェルトの同意を得た私は、エドワルド殿下に視線を戻した。それから深く頭を下げた。
「エドワルド殿下、誤解を招いたことを謝罪します」
「誤解、だと?」
「ええ。貴方が行動を起こせば、リリスを害すると脅しているのではありません。貴方が行動を起こすことで、リリスに危害が及ぶかもしれないと忠告しているのです」
「……俺には、どちらも脅されているようにしか聞こえないが」
なにが違うのかと睨み付けてくる。彼のアメシストのような瞳は怒りと、そして妹を気遣う不安に揺れていた。リリスを思う彼の気持ちは本物だ。
「単刀直入に言います。リリスが攫われました」
「なっ!?」
「犯人はクラヴィス侯爵です」
「巫山戯るな! クラヴィス侯爵は俺の支持者だぞ!」
声を荒らげる彼は、さきほどと同様に本気で怒っている。ここで、クラヴィス侯爵は、貴方を傀儡の王にするつもりでは? なんて言っても話がこじれるだけだ。
「エドワルド殿下にお聞きします。アルヴェルトが、私を迎えにノクシリア皇国を尋ねたことは知っていますか?」
「ああ、なんでもお忍びで行動していたらしいな」
やはり――と、私は頷いた。
「では次の質問です。貴方は私を殺そうとしましたか?」
「さっきからなんの話だ? そのようなことをして、俺になんの特がある?」
「では、最後の質問です。アルヴェルト王太子殿下を殺そうとしましたか?」
「くどい。そのようなことをしても、俺に得はないといっているではないか!」
その言葉は、私とって少しだけ意外だった。
「アルヴェルト王太子殿下が亡くなれば、貴方が王になれるではありませんか」
「王位に興味はない。俺を支持する者達が、俺を王にと押しているのは事実だがな」
「……では、答えが出ましたね」
私がそう結論づけると、エドワルド殿下は怪訝な顔をした。
「私がこの国に来る道の途中、何者かに襲撃されました。相手は賊に扮していましたが、正規の訓練を受けた者達でした。おそらく、第二王子派の仕業でしょう」
「巫山戯るな。そんな命令はしていない」
「そうなのでしょうね。ですが……」
私はアルヴェルトに視線を向ける。窓から差し込む日差しが、アルヴェルトの顔に影を落としていた。彼は少し哀れむような視線をエドワルド殿下に向ける。
「襲撃を受けたのは事実だ。黒幕を特定する確実な証拠はないが、そなたの派閥が関連しているとおぼしき痕跡は見つけてある」
「痕跡? 証拠ではないのだろう? それが答えではないか。それとも、兄上はそうやって証拠をでっち上げて、我らを陥れるつもりか?」
私は心の中で正解と呟いて、だけどそんな思いは決して表に出さない。私は「いいえ、そうではありません」と口にした。
「襲撃の件に証拠はありませんが、リリス王女殿下誘拐の件には証拠があります」
そう言って、ローテーブルの上にリリスが書いた手紙を広げる。
「リリスは今日、この手紙にあるカフェで攫われました」
私がそう口にすると、手紙を読んでいたエドワルド殿下がわなわなと震え始めた。
「まさか、本当にクラヴィス侯爵が……?」
「残念ながら、この手紙を見る限り、そう結論づけざるを得ません。おそらく、襲撃の件も、同じように、独断でアルヴェルト王太子殿下を殺そうとしたのでしょう」
私の言葉にはなに一つ証拠がない。
だけど、リリスの用意した手紙が説得力を与えてくれる。
エドワルド殿下は信じられないと呟いてその場にくずおれた。自分を支持していると思っていた者達が、影で自分の意志に反することをしていたのだから無理もない。
けれど、リリスを確実に救うためには彼の協力が必要だ。
「エドワルド殿下、私達はリリス王女殿下を救うためにクラヴィス侯爵の屋敷へ乗り込むつもりです。貴方は、どうなさいますか?」
「どうするだと? 支持者に踊らされていた道化になにをしろと?」
「力を貸してください。リリス王女殿下の手紙だけでも乗り込むことは可能ですが、それこそ、リリス王女殿下が人質に取られる可能性もあります。だから――」
「……分かった。俺がそなたらクラヴィス侯爵の屋敷に踏み込めるように協力しよう」
彼は静かな決意を瞳の奥に滲ませてそう言った。
それから、アルヴェルトにその瞳を向ける。
「……兄上、俺は色々と兄上のことを誤解していた。これが終わったら必ず責任を取る。だから、リリスを救うために協力させてくれ」
「……分かった。リリスを無事に救い出せたのなら、そなたとのわだかまりは水に流そう」
アルヴェルトの言葉に、エドワルド殿下は一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頭を下げた。
「……ありがとう兄上。必ず、リリスを取り戻そう」
静かな決意を秘めた声。私は二人のやりとりを見守りながら、静かに立ち上がる。
――リリスはきっと待っている。
初めて会ったあのときのように。
クラヴィス侯爵の屋敷へと向かう一手は、果たして解放の道か、それとも――




