エピソード 3ー3
アルヴェルトとリリス、二人の間にあったわだかまりは消え去った。
けれど、それを周囲が認識するかどうかは別問題だ。第二王子派のちょっかいをなくすための足がかりとして、二人の間には確執などなかったと演出する必要がある。だから私は、近々開催されるアルヴェルトのパーティーに出席するよう、リリスにお願いした。
礼儀作法は私が魔術の授業の合間に見たので、及第点をあげられる。パーティー用のドレスも、念のためにと私が注文したモノがある。
そんな背景もあり、リリスはパーティーへの出席に応じてくれた。
そうして訪れたパーティーの当日。
彼女の部屋を訪ねると、使用人達にドレスを着せられているリリスの姿があった。
「リリス、体調はどう?」
「あ、お姉ちゃん。うん、とっても元気だよ。それと、このドレス、お姉ちゃんが用意してくれたんだよね?」
リリスがそう言ってクルリとターンする。ドレスの長いスカートがふわりと広がり、胸元に飾られたブローチの宝石がキラリと輝いた。
「ええ。思った通り、貴女によく似合っているわよ」
「……ありがとう。大切にするね」
「喜んでくれて嬉しいわ。でも、貴女はこれからどんどん大きくなって、すぐにそのドレスは着られなくなってしまうはずよ」
リリスは年の割に身体が小さい。
これは、魔力加給症で身体に負担が掛かっている子供の特徴でもある。だから、魔力加給症の問題が解決すれば、リリスはぐんぐんと綺麗な女性に成長するはずだ。
「そう、かな? そうだといいな」
「そうよ。だから、思い出の品をもう一つ」
私は小さな花を象ったレース編みの髪飾りを取り出した。
「……それは?」
「私からのプレゼントよ」
そう言ってリリスの元へと歩み寄り、光の加減によってピンク色にも見えるプラチナブロンドに飾る。私はその過程でそっとリリスの耳元に唇を寄せる。
「私が作った魔導具で、居場所が分かるようになっているの」
リリスがビクッと身を震わせ、なにかあるのかと不安そうな顔をする。私は彼女から身を離し「ただのついでよ」と安心させるように微笑んだ。
「ついでって、どういうこと?」
「せっかくのプレゼントだから、自分の手で加工した方がいいかな、って」
「……お姉ちゃんが作った魔導具なの?」
リリスは瞳をキラリと光らせると、蕾が花開くように笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ヴェリアお姉ちゃん!」
「どういたしまして」
私が頭を撫でると、リリスは私の手のひらに頭をすり寄せるように甘えてきた。
本当に愛らしい女の子だ。
「私はアルヴェルトのパートナーとして参加するから貴女の側にはいられないけれど、侍女としてリネットを付けておくわね。なにかあれば彼女に言うんだよ?」
「うん、大丈夫だよ!」
リリスのことをリネットに任せた私は、一足先に王城へと到着。馬車から降りると、アルヴェルトが私を出迎えてくれた。
彼の手を取ってタラップからふわりと降り立つ。
「ヴェリア、リリスの様子はどうだ?」
いまの私は、パーティー用のドレスを纏っている。
月光を思わせる淡い銀色のドレス。スカート部分には紫から銀への美しいグラデーションが施されており、所々に細かな宝石が縫い込まれている。
薄く柔らかい生地で、私が動けば生地に反射した淡い光がゆらゆらと揺れる。
夜空を彷彿とさせる、美しいデザイン。
ここに来るまでにも、多くの殿方の目を奪ってきた。それなのに、アルヴェルトが最初に口にしたのはリリスへの気遣い。私はそれがおかしくて苦笑する。
「問題はなさそうよ。というか、開口一番がそれだなんて、本当に妹が大切なのね」
「ああ。だが、それはそなたも同じだろう?」
「ええ、その通りよ」
だから、開口一番に私のドレスを褒めるよりも点数は高い。そんなことを考えていると、アルヴェルトの指が不意に私の頬に触れる。
「それで、このドレスは今日のために用意したのか?」
「ええ、私がこの国に持ち込んだ物は限られているから。リリスの服を注文したときに、私の服も購入したのよ。でも、それが……?」
「よく似合っている」
不意打ちだった。整った顔の王子様に言われると照れてしまう。それでも、私は冷静を装って「それは光栄ね」と微笑んだ。
「ほう? ヴェリアは褒められ慣れていると思ったが……照れるとは意外だな」
「うるさい。そういうあなたも、その礼服、よく似合っているわよ。とっても素敵」
「――っ。……なるほど、ヴェリアに言われると少し照れるな」
アルヴェルトがそう言ってはにかんだ。
私は彼から視線を逸らし、ぶっきらぼうに手を差し出す。
「冗談ばっかり言ってないで、パーティー会場にエスコートしなさいよ」
「仰せのままに、ヴェリア皇女殿下」
彼が私をエスコートして歩き始める。私は空いている方の手で火照った頬を冷やしながら、彼に導かれてパーティー会場へと足を運んだ。
「アルヴェルト王太子殿下、並びにノクシリア皇国のヴェリア皇女殿下のご入場です!」
二階にある専用の入り口を通れば、扉を開けた侍従が通達する。そうしてパーティー会場の視線が集まる中、私達はレッドカーペットの敷かれた階段を下りる。
ほどなく、この国の貴族達が挨拶をするために列を成した。
「アルヴェルト王太子殿下にご挨拶申し上げます」
最初に声を掛けてきたのは年若い貴族の男性だった。柔和な笑みを向けてくる彼に対し、アルヴェルトもまた朗らかに笑う。
「ああ。そなたも健やかでなによりだ」
「ありがたきお言葉。……ところで、そちらのお方は?」
「ヴェリア皇女殿下だ。彼女は才覚に溢れる女性でな。私に力を貸してくれている」
「おぉ、彼女が影纏いの魔女ですか」
感心した面持ち。そこに敵に対する悪意は感じられない。このパーティーは定期的に開催される派閥を超えた集まりだと聞いていたのだけれど、彼は第一王子派なのだろう。
私はそんな彼に微笑みかけた。
「初めてご挨拶申し上げます。ノクシリア皇国の第一皇女、ヴェリアと申します」
「これはご丁寧なご挨拶をいただき光栄に存じます」
彼はそう言った後、ところで――と眼を細めた。
「ヴェリア皇女殿下は、アルヴェルト王太子殿下に力を貸しているとのことですが、具体的にはどのようなことをなさっているのですか?」
「それは……」
私はとっさにどこまで答えるべきかと考える。さすがに、第二王子派と対抗するために暗躍していますなんて言えない。
「彼女は、我が国の食糧問題を解決する秘策を授けてくれたのだ」
「なんと! アルヴェルト殿下とリリス王女殿下の願いを聞き、水不足を解決したという噂は本当でしたか! 一体どのようにしてあのようなアイディアを思いつかれたのですか?」
話し相手の年若い貴族がはしゃいでいる。
だが、その瞳は冷静さを保っていた。おそらく私とのやり取りを周囲に聞かせることで、アルヴェルトとリリスの間には確執がないと、周囲に喧伝しているのだろう。
だから、私もそれに便乗する。
「ノクシリア皇国は資源国ですが、魔石だけは鉱山がなく、もし産出国ならば……と考えていたアイディアを使わせていただきました」
「おぉ、そのように貴重な知識を使ってくださるとはありがたい話ですな」
「実は私の教え子――リリス王女殿下に、アルヴェルト王太子殿下を助けて欲しいと可愛くお願いされまして。それで、どうにか知識を絞り出しました」
私がそう口にした瞬間、周りの反応は二種類だった。それは素晴らしいと歓迎的なムードの第一王子派と、自分たちにとって都合の悪い話に凍り付く第二王子派である。
そうして様々な反応が巻き起こる中、目の前の貴族は満面の笑みだ。
「そういえば、ヴェリア皇女殿下はリリス王女殿下の家庭教師をなさっているとか。いかがですか? 彼女は」
「とても可愛らしいですよ。それに、お兄ちゃん子のようです」
あえて、二人の兄を慕っているとは言わない。第一王子派の貴族達は「それはそれは」と好意的な反応を示す。対照的に、第二王子派とおぼしき貴族達は苦々しい顔だ。
恐らく、第一王子派の反応は、事前の仕込みなのだろう。
そして――
「リリス王女殿下のご入場です!」
侍従が階段の上に姿を見せたリリスの紹介をする。その瞬間、第一王子派は勝ち誇った顔をして、第二王子派は信じられないと目を見張った。
そんな中、私はアルヴェルトの腕に触れて彼の恩恵を制御した。それとほぼ同時、リネットにエスコートされたリリスが階段を下りてくる。
ゆるふわのツーサイドアップの髪を揺らしながら、一歩ずつ確実に。そうして階段の下、私達がいるところへとたどり着いたリリスは、洗練されたカーテシーをしてみせた。
「アルヴェルトお兄様、ご無沙汰しております」
「ああ、我が妹よ。息災そうでなによりだ」
「お兄様もお元気そうで安心しました」
「そうか。ところで、そのドレス、よく似合っているな」
「これは、ヴェリアお姉ちゃん――いえ、皇女殿下から贈っていただいたんです」
リリスが私をお姉ちゃんと呼んで訂正したのはわざとだ。
私はアルヴェルトのパートナーとしてここにいる。そして、そんな私はリリスの家庭教師で、お姉ちゃんと呼ばれるほどに慕われている。
つまり、兄妹のあいだに確執はないと、周囲の人間に見せつけたのだ。そしてその効果は周囲の反応を見れば明らかだ。
私はその効果が十分に浸透するのを待ってからリリスに声を掛ける。
「リリス王女殿下、さきほども言いましたが、とても似合っていますよ」
「ありがとうございます、ヴェリア皇女殿下。……お兄様、私の大切な先生なんだから、ちゃんとエスコートしてくださいね?」
「ああもちろんだ」
わだかまりが解消されたのはつい先日だけど、ほかの者から見ればそれは分からない。彼らには、二人が以前からずっと仲良しだったようにしか見えないだろう。
後は、それに焦った第二王子派が動くのを待つだけだ――と、そんな私の願いが届いたのかどうか、ほどなくしてエドワルド殿下が早足で歩み寄ってきた。
「リリス、おまえがどうしてここに!」
「エドワルドお兄様、お久しぶりですね。元気にしていましたか?」
「あ、ああ。おまえも……元気そうだな」
心からほっとするような顔。だがそれも一瞬で、彼は表情を険しくした。
「いや、それより、どうしてパーティーに参加しているんだ?」
「リリスがパーティーに参加しない方がよかったかのような口ぶりだな?」
アルヴェルトがすかさず割って入った。
それに対し、エドワルド殿下がぎょっとした顔をする。
「なにを言う。俺はリリスが離宮から出たことを喜んでいるに決まっているだろう。アルヴェルト兄上こそ、リリスがパーティーに出られないようにしてたんじゃないのか?」
「そのような戯言、おまえは信じているのか?」
「は? いや、戯れ言もなにも……」
エドワルド殿下は事実だろうと言いたげにリリスへと視線を向けた。けれど、リリスはニコニコとした顔で、アルヴェルトの服を掴んでいる。この状況を見て不仲だというのは無理があるだろう。周囲からも「噂は当てにならないな」なんて呟きが聞こえてくる。
第二王子派にとって非常に都合が悪い状況。けれど、エドワルド殿下は少し驚いた顔で「噂は間違っていたのか……?」と呟いている。
その様子は演技をしているようには見えない。
だけど、それはおかしい。
エドワルド殿下が、アルヴェルトとリリスの不仲説を意図的に流していたのなら、こんな反応になるはずがない。
つまり、噂の出所は第二王子派であって、エドワルド殿下ではない。あるいは、この状況を歯牙に掛けないほどの奥の手があるのか――と、考える私の視界に影が落ちた。
視線を上げると、そこには鋭い眼光の中年男性が立っていた。
中肉中背で、そこはかとなく鍛えられている。その男に気付いたエドワルド殿下が、「クラヴィス侯爵ではないか、息災か?」と口にした。
「これはもったいなきお言葉。エドワルド殿下もお元気なようでなによりです。ところで、王族同士でお話をしていらしたようですが、お邪魔ではありませんでしたか?」
丁寧な口調――だけど、なかなかの曲者だ。
王族同士、つまりは上位者の会話に割って入るのはマナー違反だ。だが、今回に限って言えば、クラヴィス侯爵に気付いたエドワルド殿下が声を掛けたただけ。
でも、気付かれる距離まで近付いてきたのは彼の方だ。明らかに、会話に割って入るために、エドワルド殿下の視界に入るように接近してきた。
そこまで考えた私はクラヴィス侯爵に付いて思い返す。
クラヴィス・グレヴァール。
グレヴァール侯爵家の当主で、第二王子派の筆頭でもある人物だ。
エドワルド殿下の不利を見て加勢に来たのだろう。
本来なら、なにか理由を付けてリリスと共に席を外すのが吉。だけど、私がここでアルヴェルトから離れると、リリスを増魔の蝕に晒すことになる。
離脱するためとはいえ、リリスの身体に負担を掛けたくはない。あるいは、その負担を許容するほどの危険があるだろうかと迷ううちに、クラヴィス侯爵がリリスに声を掛けた。
「リリス王女殿下、ご無沙汰しております。しばらくお目に掛からないうちに大きくなられましたね。たしか今年で十歳でしたか?」
「ええ。ヴェリア皇女殿下の教えのおかげです」
リリスは少しだけ誇らしそうに微笑んだ。その瞬間、クラヴィス侯爵の貼り付けていた笑みがわずかに深みを増した。
「そうですか。では、そろそろ結婚相手を考える時期ですね。私の息子の年回りがリリス王女殿下とちょうどよいのですが、ご興味はありますかな?」
リリスを第二王子派に取り込もうとする大胆な動き。とたん、周囲からざわめきが消えた。
ここでリリスがしどろもどろになれば、彼はその隙を突いて話を進めるだろう。あるいは、エドワルド殿下が、『それならば俺が面倒を見よう』と名乗りを上げるかもしれない。
口出しをするべきか否か迷っていると、リリスは懐から取り出した扇で口元を隠した。
「せっかくの申し出ですが、結婚相手はアルヴェルトお兄様に決めていただくので気遣いは無用ですわ」
リリスはツーサイドアップの髪を揺らし、余計なお世話だと皮肉った。愛らしい見た目からは想像できないような毒を吐くリリスに周囲がざわめく。
なによりその発言は、リリスの立ち位置を明確にするものだった。それに気付いた私はとっさにアルヴェルトの袖を引く。
彼はすぐにその意図を察してくれた。
「――その通りだ。まだ内々で進めているために公表することは出来ないが、話は既に進んでいる。いずれ、そなたらにも発表することが出来るだろう」
リリスは第一王子派だと言う強烈な意思表示。エドワルド殿下は驚いた顔をして、クラヴィス侯爵は苦虫を噛み潰したような顔をした。
だが、さすがに引き際は心得ているようで、クラヴィス侯爵は「そうでしたか。では、その発表を楽しみにしております」と口にした後、ほかの者に挨拶をすると去って行った。
前哨戦は辛勝と言ったところだろう。
けれど、エドワルド殿下はこの場に留まり、アルヴェルトへと視線を向ける。
「アルヴェルト兄上、リリスはその結婚を望んでいるのか?」
「私がリリスの嫌がることをするはずがないだろう。……しかし、エドワルドがそんなことを気にするとは意外だな」
「それは、どういう意味だ?」
エドワルド殿下が表情を硬くする。
「クラヴィス侯爵の話を黙って聞いていただろう?」
政略結婚を容認していたからではないかと、アルヴェルトの皮肉は正しくエドワルド殿下に伝わったようだ。彼は「いや、あれは……」と言葉を濁して黙り込んだ。
その直後、エドワルド殿下は使用人になにかを耳打ちされた。
「……そうか、分かった、すぐに行く。――済まないが、俺はこれでお暇しよう」
彼はそう言うやいなや、クルリと踵を返して去って行った。それを見送ると、「エドワルドお兄様、どうしたのかな?」とリリスが無邪気な声で言った。
私とアルヴェルトは顔を見合わせて苦笑する。
「……二人ともどうしたの?」
コテリと首を傾げるリリスに、「あれは十中八九、不利を悟って撤退するための口実ですよ」と教える。それを聞いたリリスはぱちくりと瞬いた。
「え? でも、使用人から話しかけてきたよね?」
「合図を決めていたか、クラヴィス侯爵の助け船かのどっちかでしょうね。アルヴェルト王太子殿下はどちらだと思いますか?」
「エドワルドはそう言う腹芸が得意ではない。恐らく後者ではないか?」
「……やはり、そうですか」
まだ確証はない。けど、少しずついままで見えなかったことが見えてきた。
第二王子派の神輿はエドワルド殿下。それは間違いない。けれど、第二王子派の主体となる人物は、エドワルド殿下ではないのかもしれない。




