エピソード 3ー1
フォルンディア連邦。
大陸の北部を支配する強国が本格的な戦の準備をしている。その目標が祖国のノクシリア皇国であると聞かされ、私は冷静でいられない。
彼が温室にお茶の席を用意した理由がよく分かる。もしいまの話を立ったまま聞かされていたのなら、私は温室の地面にへたり込んでいただろう。
私は大きく深呼吸を一つ、自分を落ち着かせるために紅茶を口にした。
すっきりとした味が、私の理性を取り戻させてくれる。
大丈夫、落ち着こう。ノクシリア皇国が他国に攻め込まれるのは予想していたことだ。それが少し速まっただけで、これは決して予想外のことじゃない。
それに、私は事前に動きを察知することが出来た。運に見放された訳じゃない。
なにより、アルヴェルトが口にしたのは、ノクスを救うのが難しいという事実だ。手助けをしないと言った訳じゃない。
つまり、実現可能な策さえ捻り出せばいい。
そんな思いを抱きながら彼の表情をうかがえば、彼は無言で私を見つめていた。私の反応を確認しているようにも見える。大丈夫、私の予想は間違ってない。
いまここで、ノクスを救う方法を考えろ。
私はそのために生きてきた。
父親に嫌われる覚悟で苦言を呈し、裏切り者の誹りを受け入れて隣国に来た。前世で私を庇って死んだノクスを救うのが目的だ。
いま思いつかなきゃ、それらが全部無駄になっちゃう。
だから、しっかりしろ! そう自分を叱咤して、必死に考えを巡らせる。
たとえば、ノクスだけを救う方法ならある。どこかで死んだことにして、国外逃亡に手を貸せばいいだけだ。だけど、ノクスはきっと、自分だけが助かることをよしとしない。
それに――と思い出すのは、私がこれまでに関わってきた人達のこと。
ガイウス将軍は言った。ノクスと共に私の意志を引き継ぎ、ノクシリア皇国を護るために足掻くと。きっとロデリック宰相も同じ気持ちだろう。
それに、アウグスト陛下の近衛騎士であるはずのグレイは私の行動を見過ごしてくれた。そのおかげで、私はバートン辺境伯と話すことが出来た。
バートン辺境伯だってそうだ。
私にその意志があるのなら、手を貸すと言ってくれた。
ノクスを救うだけじゃすまされない。
ノクスを救い、ノクシリア皇国を支える人達を救う。
そんな方法は……あるのだろうか?
たとえば、アグナリア王国に同盟を結ぶように働きかけるとしよう。
いまの休戦協定から同盟に発展したのなら、フォルンディア連邦が侵略を諦めてくれる可能性は十分にある。だけど、あのアウグスト陛下が、そのような申し出に応じるはずがない。
逆に無理難題を突きつけ、それこそ休戦協定すら吹き飛ばしかねない。
敵の敵は味方という図式が成り立たない。フォルンディア連邦を退け、アウグスト陛下に勝利する。そんな奇跡みたいな一手が必要だ。
「そんな怖い顔をするな。フォルンディア連邦が物資を買い集めているのは事実だが、戦争を始めた訳ではない。恐らく、開戦は収穫期を終えてからだろう」
「……え? あ、そう、ですよね」
私は焦るあまり、視野が狭くなっていたようだ。
アルヴェルトの言うとおりだ。今日明日にノクシリア皇国が滅亡する訳じゃない。収穫期を終えてから戦争が本格化するのなら、猶予はいましばらくあることになる。
それを理解してほっと胸をなで下ろした直後、アルヴェルトが不意に口を開いた。
「ヴェリア、私はそなたが欲しい」
不意打ちを受けて顔が熱くなる。
だが、さすがに二回目ともなれば冷静になるのは速かった。
「そ、それは、影纏いの魔女としての私の力を、という意味でしょ?」
「ああ、もちろんだ」
「ええ、そうでしょうね。知ってたわよ……っ」
その笑顔を殴りたいと、胸に添えた手で拳を作る。
そんな私の内心を知ってか知らずか、アルヴェルトは真面目な態度を崩さない。温室のガラス張りの天井から降り注ぐ日差しがアルヴェルトの顔に影を落とした。
「私が人質の護送部隊に参加したのは、影纏いの魔女を一目見るためだった」
「まえにもそんなことを言ってたわね。いまさらだけど、よくその程度の理由で、王太子が敵国の王都に乗り込んだわよね」
いくら身分を隠していたとはいえ、それは少々無茶ではないだろうかと呆れる。
「それだけ、そなたに会いたかったのだ」
「ずいぶん私を高く買ってくれているのね」
「当然だ。戦場で我が軍を手玉に取る戦略は見事だったからな」
「だから、そんなに私の力を欲しているのね」
「最初はそうだった」
「最初は?」
いまは違うのかと、アルヴェルトの顔を見上げる。
日差しを受けた彼の青い瞳は、優しげに私を映しだしていた。
「滅び行く国から弟を救わんとする姿はとても気高く美しい。弟のためと言いながら、民や家臣をも救おうとする優しさには尊敬の念すら覚える。そして、我が国の問題を即座に解決した聡明さは、私が想像していた以上だった」
「……ほ、褒めすぎじゃない?」
私は気恥ずかしくなって身をよじる。そんなに私をおだててどうするつもりよと、疑問を視線に乗せれば、彼はふっと笑みを零した。
「私が、それだけそなたを評価している、ということだ」
「もう、からかわないで。さっさと結論をいいなさいよ!」
「結論か。そなたを手に入れられるなら、無茶な取引でも応じよう」
「~~~っ」
そこまで必要とされて悪い気はしない。
いや、正直に言えば嬉しい。
だけど――と、現実を思い出した私は下を向いた。そうして拳をギュッと握りしめる。
「そう言ってくれるのは本当に嬉しい。でも、いまの私は、貴方の協力を得てもなお、ノクスを救う方法を思いつかないの」
「……本当に、なにもないのか?」
「アウグスト陛下は猜疑心に駆られ、他人の手を取ろうとしない。その状況でフォルンディア連邦を撤退させ、ノクシリア皇国を救うのは無理よ」
「それは政治的な観点での話だな?」
「……ええ、そうよ」
力を貸してくれるのはアルヴェルト個人だ。
アグナリア王国が軍を動かしてくれるなら方法もあるが、まだそれだけの対価は用意できていない。
だから――
「そなたが協力してくれるのなら、軍を動かせる可能性はある」
――その言葉は想定の埒外だった。
「本気で言っているの?」
「言っただろう。私はそなたが欲しい、と。そなたを手に入れるためなら、どのようなことでもするつもりだ――と言えればよかったのだが、少し事情がある」
「事情? アグナリア王国の事情と言うこと?」
「ああ。聞けば後戻りできないが、それでもかまわないか?」
「ノクスを救えるのなら。もちろんイエスよ」
たとえそれが国家の機密で、それを知った私の自由が制限されるとしてもかまわない。私はそんな想いをアルヴェルトにぶつける。
アルヴェルトは紅茶を一口。その青い瞳で私を真正面から見据えた。
「知っての通り、我が国は食糧問題を抱えている。そなたのおかげで光明が見えたが、解決するのは何年か先だろう。なのに、ノクシリア皇国が滅びればどうなる?」
「……難民問題ね」
仮初めの関係ではあるが、両国は休戦を結んでいる。ノクシリア皇国が滅亡すれば、西側の民は助けを求めてアグナリア王国へと流れ込むだろう。
「難民が流れ込めば、食糧問題が一気に表面化することになる。それに、周辺国と交わした休戦協定は短期のものが大半だ。弱みを見せれば、たちまち牙を剥いてくるだろう」
「……なるほど」
傍目にはずいぶんと上手くやっているように見えたけれど、実のところはそうでもないらしい。アルヴェルトの言葉が事実なら、薄氷の上に立っているようなものだ。
ノクシリア皇国が滅びれば、連鎖的に戦火に巻き込まれる可能性がある。
「そこに来て、そなたがもたらした技術だ。早々に周辺国との関係を強化する必要が生じた」
「動きが速いと思ったけど、私の策が引き金を引いたのね。それで私に手を貸してくれるの?」
「そうだ。もともと、皇帝となったそなたと本格的な協定を結ぶ予定だったのだ。だが、そなたが人質として送られてきたことで大きく予定が狂った」
「それは……悪かったわ」
「いや、そなたが謝ることではない」
彼はそういって苦笑し、再び紅茶を口にした。
それから一息吐いて、「だが、問題が生じたのもまた事実だ」と口にする。
「たしかに、アウグスト陛下はその手の話に耳を貸さないでしょうね。ノクスも、いまはそれに応じるほどの権限がないし……あぁ、そういうこと」
アルヴェルトが目的を果たすには、ノクシリア皇国の皇帝と取引する必要がある。だが、いまの皇帝は、その手の話に耳を貸さない。
ならどうすればいいのか?
その答えは簡単だ。
「ノクスを救う手伝いをするから、アウグスト陛下を皇帝の座から引きずり下ろせと、貴方はそう言っているのね?」
「そうだ。皇帝がそなた――あるいはそなたの弟になれば交渉することが出来るからな」
「……なるほど、ね」
ギュッと目を閉じる。
私が反逆を成功させていれば、すべてが上手くいっていたと気付いたから。
……でも、ノクスが間違った訳じゃないわ。
お互いが最善を尽くそうとした結果だ。それに、こうなっていなければ、私は事情を知ることなく、不利な状態でアグナリア王国との交渉に臨まなければならなかった。
そう考えれば、悪いことばかりではないはずだ。
「アルヴェルト。アウグスト陛下をその地位から引きずり下ろす計画なら、軍を動かしてくれる、という認識でいいの?」
「そうだ。ただし、それには一つ解決しなければならない問題がある」
「……第二王子派による介入の阻止、かしら」
私の問い掛けに、アルヴェルトはふっと笑みを零した。目的を果たすためのハードルの高さに溜め息を吐きたくなるが、私に諦めるという選択はない。
私はアルヴェルトに続きを促した。
「軍を動かすことになれば、私が指揮を執ることになるだろう。だが、私が王都を離れれば、第二王子派の暗躍を許すことになる。軍に被害が出れば格好の攻撃材料にされるだろう」
「だけど、それはこの国にとっても必要な……いえ、そうね」
重要なのは正しいか否かではなく、攻撃材料になり得るかどうか。そういう意味で、アルヴェルトが弱みを見せられないのは至極当然だ。
「だから、いまは軍を動かせない。その問題を取り払うために私の力が必要、と。……やはり、あのときの襲撃はエドワルド殿下が?」
「そうじゃなければいい……とは思っているがな」
その言葉が、アルヴェルトがどう思っているかを如実に語っていた。
「……リリスは悲しむわね」
「そうだな。だから、可能なら、エドワルドとは和解したいと思っている」
「彼の所業を許すつもりなの?」
「エドワルドにも派閥の長としての立場がある。それに……弟だからな」
そう言って視線を落とした、彼は弟との確執を憂えているようだ。リリスへの対応を考えても、弟妹に対しては優しいお兄ちゃんのようだ。
それは、弟を可愛がる私の琴線に触れる。
「アルヴェルトのそういうとこ、素敵だと思うよ」
にへらっと笑えば、アルヴェルトは虚を突かれたような顔をした。けれどそれは一瞬で、彼は「それは光栄だな」と破顔した。さすが王太子様、余裕の対応である。
もう少し照れてもいいのにな、なんて思いながら私は考えを纏める。
「結局のところ、第二王子派があれこれ攻撃してこないように牽制すればいいのよね。あとは、それで兵を動かせたとしても、あまり被害を出す訳にはいかない、と」
「言葉にすると無茶な要求だが、その通りだ」
アルヴェルトは申し訳なさそうな顔をする。
それに対し、私はふっと笑みを零して見せた。
「大丈夫、アルヴェルトがそこまでしてくれるのなら、ノクスとノクシリア皇国の民を救うことは可能よ。それも、一兵も失うことなく、ね」
「……そなた、本気で言っているのか?」
「ええ、もちろん本気よ。だから問題は、リリスの件ね」
リリスの件を解決して、第二王子派の攻撃材料を奪う。そうして、アルヴェルトが軍を動かしても横やりを入れられないようにする必要がある。
期限はフォルンディア連邦が動くまでだ。
「リリスが心を開いてくれるか分からないけど、絶対に成し遂げてみせるわ」
私が胸を張れば、アルヴェルトは軽く目を見張る。
「……そなたは、本当に。……いいだろう。影纏いの魔女としての価値を私に示せ」
「仰せのままに」
温室のガラス越しに、午後の日差しが丸テーブルに降り注ぐ。私は大切なモノを守るため、エドワルド殿下との確執解決に向けて考えを巡らせた。
その後、私が離宮へ戻ると、部屋にリリスが飛び込んできた。
「ヴェリアお姉ちゃん、どうだった!?」
一瞬、なんのことか分からなかったけど、すぐに水不足問題の解決策を伝えにいったんだったと思いだす。私はリリスを安心させるために笑みを浮かべた。
「喜んでいただけましたよ。すぐにでも実用に向けて研究が始まると思います」
けれど、リリスは「なら、どうしてそんなにぎこちなく笑うの?」と小首を傾げた。私はその言葉にドキッとして、両手で頬を押さえる。
「……もしかして、お兄様から報酬をもらえなかったの?」
「いえ、そうではないのですが……」
私の事情に深く関わることだ。どこまで話したものかと言葉を濁す。そうして少し考えた私は、いまさら隠してもしょうがないと開き直ることにした。
「……私がアルヴェルトに求めた報酬は、弟を救う手助けなんです」
「弟ってことは……ノクシリア皇国の皇子?」
私はコクリと頷いて、ノクシリア皇国の情勢がよくないことを話した。そのうえで、ノクスを救おうとした結果、逆に自分が救われてしまったことを打ち明ける。
「……優しい、弟なんだね」
「ええ、本当に。私には過ぎた弟です」
「お姉ちゃんがそこまで言うなんて、本当にすごいんだね。いつか会ってみたいな」
「……実現すると、いいですね」
そのためにはノクスを救わなくちゃいけない。
そんな決意を新たにしていると、リリスが「ところで」と首を傾げる。
「もともと、人質として送られてくるのはノクス皇子のはずだった、ってこと?」
「ええ。なのに、私は失敗してしまい、自分だけが安全なこの国に来てしまいました」
「安全? でも、人質は有事の際に……あぁそっか」
私が皇帝になっていれば、ノクスが危険に晒されるような政策をとることはない。それに気付いたリリスが、小声でなるほどねと呟いている。
まだ十歳なのに、察しのいい子だ。
私は今後に向けての話をするため、リネットにお茶の用意をさせる。私はリリスとローテーブルを挟んでソファの席で向かい合った。
ピンク掛かったプラチナブロンドのツーサイドアップ。そのゆるふわの髪が、リリスが身をよじるにあわせてふわふわと揺れている。
その愛らしさに見蕩れていると、リリスがふっと顔を上げた。
「ヴェリアお姉ちゃん、どうかした?」
「すみません。リリスの可愛さに見惚れていました」
「……ええっと、可愛くてごめん?」
少し照れた顔でちょこんと小首を傾げたリリスが可愛すぎる。というか、最近自分の可愛さを自覚して、それを利用する小悪魔みたいになっている気がする。社交界に出たら、振り回される男の子が続出しそうだなぁと思いつつ、私は落ち着くために紅茶を口にした。
「……ふう。危うく、萌え死にするところでした」
「……萌え?」
「いえ、こっちの話です」
私がそう言ってお茶を濁すと、リリスは「まぁいいや」と口を開いた。
「会議のことを教えて? アイディアは採用されたんだよね?」
「ええ、そっちは問題ありません。さっきも言いましたが、喜ばれていましたよ」
「そっか……よかった」
リリスはそう言って胸の前できゅっと小さな手を握りしめた。安堵の表情を浮かべるリリスは可愛らしい。だが次の瞬間、彼女の愛らしい顔に影が落ちた。
「それなのに、お姉ちゃんは落ち込んでいるよね。アルヴェルトお兄様に、弟を救う手伝いは出来ないって言われたの?」
「アルヴェルトは私の願いを聞き届けようとしてくださっていますよ。ただ、現状では様々な情勢が悪い方に働いていて、弟を救うことは難しいんです」
「様々な情勢が悪い方にって……なにがあったの?」
ここから先は踏み込んだ会話になる。
私がティーカップを手に取って、窓の外に広がる青空を眺めた。そこには自由に空を飛ぶ鳥の姿があった。その鳥がどこまでも飛んでいくのを見送って息を吐く。
「……フォルンディア連邦が戦争の準備を始めています」
「たしか……大陸の北側を支配する連邦国だよね? お姉ちゃんの話しぶりからして、狙いはノクシリア皇国? ヴェリアお姉ちゃんはその戦争を止めようとしているの?」
「そうですね、それが出来れば理想ではありますが……」
「理想? 出来ないと思っていると言うこと?」
リリスが続けざまに質問を投げかけてくる。
私はティーカップに注がれた紅茶の水面を見つめて沈黙した。
戦争の阻止。
出来るか出来ないかは、第二王子派を抑えられるかどうかに掛かっている。そして、その問題の一端にはリリスが関わっている。
つまり、リリスに無理を強いることになる。
私はその葛藤を胸に、ティーカップの水面に映る自分の顔を見つめた。
「お姉ちゃん?」
「……それを可能とするには、解決しなければならない問題があります。それは、エドワルド殿下を要する第二王子派による介入を防ぐことです」
その言葉は予想外だったのか、リリスははっと身を震わせた。それからティーカップをギュッと握り、「第二王子派がなにかしているの?」と呟いた。
よく見れば、彼女の顔から血の気が引いている。王女とはいえ、リリスはまだ十歳だ。彼女にこのような話をするのは早かったかもしれない。
そう思った矢先、リリスはティーカップをテーブルの上に置いて私をまっすぐに見つめた。
「どういうことか教えて。二人のお兄様はいまも争っているの? 私が離宮に引っ込んだことで仲直りしたんじゃないの?」
「……いいえ、牽制は続いています」
リリスは離宮に引き籠もるようになってから、外の情報に疎くなったのだろう。そんなことを考えながら答えていた私は、あることに気付いてハッとなった。
だって、リリスはさっき、『私が離宮に引っ込んだことで仲直りしたんじゃないの?』と口にした。それはつまり、自分が離宮に引っ込んだのは、第一王子と第二王子の争いを止めるためだったと言っているも同然だったから。
私はまじまじと彼女の顔を見つめる。
彼女の薄紫の瞳が魔導具の灯りを受けて揺らめいていた。
「リリス……貴女は、自分がアルヴェルトとエドワルド殿下の派閥争いの原因になっていることを理解しているのですか?」
「……うん。アルヴェルトお兄様が私を毒殺しようとして失敗した、という噂を、エドワルドお兄様の派閥が流していたことなら知っているよ」
確執の根幹に関わる部分。それをリリスが理解していると知って少し驚いた。
「では、貴女が離宮に引き籠もっているのは、その噂を沈静化するためだったんですか?」
「それも理由の一つだよ。私は、二人に仲良くして欲しいから」
私は軽く目を見張った。
リリスが引き籠もりの理由を教えてくれると思っていなかったから。
「……なにをそんなに驚いた顔をしているの? ヴェリアお姉ちゃんが私の願いを叶えてくれたら、社交界に出たくない理由を話すって約束だったでしょ?」
「そう、でしたね」
リリスが約束を守ってくれたのだと知って嬉しくなる。それに、引き籠もった理由が争いを止めるためなら、リリスを社交界に連れ出せるかもしれない。
「実は、その噂はまだ沈静化していません。現在では、暗殺に失敗したアルヴェルトが、リリスを離宮に封じている、という噂に変わっているようです」
「……え?」
信じられないと目を見張った。リリスが目に見えて動揺する。
「……第二王子派が、そんな噂を流しているの?」
その問いに、私はそっと目を伏せて頷いた。
「じゃ、じゃあ、私のせいで、アルヴェルトお兄様が困ってるの?」
「――いいえ、リリスのせいではありません」
私はとっさに否定した。それから一息を吐いて、「それを攻撃材料にしたのは第二王子派ですから」と口にする。リリスは少し悲しげに顔を歪めた。
「でも、結果的に、アルヴェルトお兄様が困ってるんだよね?」
「それは……はい、その通りです」
ここで誤魔化すのは逆効果だろうと、素直に肯定する。
「ですから、リリス。争いを止めるためだというのなら、これ以上離宮に留まる理由はありません。アルヴェルトのために、社交界に出てはくれませんか?」
「それ、は……」
リリスは愛らしい顔を曇らせた。
その瞬間、私はさきほどのリリスが『理由の一つ』だと口にしたことを思い出した。噂の沈静化が理由の一つならば、少なくとももう一つ、離宮に留まる理由があるはずだ。
「……リリス、もしかして貴女は、エドワルド殿下を次期国王に推しているのですか?」
「まえにも言ったけど、それは違うよ。私は二人に仲良くして欲しいだけ。王になるべきはアルヴェルトお兄様だと思ってるよ。だから私は派閥争いなんてして欲しくないの」
「では、どうして社交界に出たがらないのですか?」
問い掛けると、リリスはギュッと目を瞑った。それから十秒か、二十秒か、おもむろに目を開いたリリスは、穏やかな瞳で私の姿を映し出した。
「……約束だから、ヴェリアお姉ちゃんが望むのなら教えるよ。でも、その秘密を知っちゃったら、お姉ちゃんは私の重荷を共有することになる。……それでも、聞きたい?」
そのセリフには、十歳の子供が紡いだとは思えないほどの深みがあった。私は知らず知らずのうちに気圧されて息を呑む。
けど、私の答えは決まっている。
「教えてください。貴女がどうして離宮に留まっているのか」
「それはね、アルヴェルトお兄様が私を暗殺した、という噂が広まらないようにするためだよ。そのために、私はアルヴェルトお兄様を避けているの」
リリスの薄紫の瞳が寂しげに揺れた。
「暗殺……した?」
未遂ではなく完了の形。
なぜそんな言い回しなのかと問えば、リリスは泣き笑いのような顔をした。
「私はね、ヴェリアお姉ちゃん。もうすぐ、死んじゃう運命なんだ」




