エピソード 2ー7
◆◆◆
アグナリアの王城にある会議室。
魔導具の灯りに照らされたその部屋で、アルヴェルトと、アルヴェルトを擁する第一王子派の文官達が、大理石の大きなテーブルを囲って話し合いをしている。
議題は、この国が抱える食糧難について、だ。
アグナリア王国の支配地は広く、その中には不毛の大地も含まれる。さりとて、国民は豊かな地域に密集している訳ではなく、方々の土地で暮らしている。
つまり、穀倉地帯で収穫された作物が、国中で消費されているのだ。
その穀倉地帯――ソリュナ地方は、数百年前に火山灰が降り注いだ土地で、一年を通して作物を収穫することが出来る肥沃な黒土が広がっている。
反面、周囲に張り巡らされた小さな川を水源としているので、乾季には水不足に陥りやすく、雨量の少ない年は目に見えて収穫量が落ちるという欠点がある。
だが、いままではそれでも問題がなかった。以前のアグナリアは、食糧難になれば他国から食料を奪うという選択をしていたからだ。
だが、近年になって周辺諸国とは休戦協定を結び、以前のように食糧難を戦争で解決することが出来なくなった。そして平和が訪れたことで子供が増え始めた。
結果、働き盛りの年代は少ないのに、食い扶持が増えるという状況に陥っている。
そしてもう一つ、ここに来て悩みの種が増えた。それは、ある国が最近、食料を買いあさっているということだ。それによって食料の値段が高騰、輸入に頼るのも難しくなった。
それら様々な事情により、この国は食糧難に陥りつつある。ゆえに、アルヴェルトはその問題をどうするべきか、頭を悩ませていた。
なによりの問題は、それが現国王から王太子に与えられた指示であり、解決できなければその地位が揺るぎかねない、ということだ。
実際、第二王子派の牽制も激しくなっている。
「むぅ……やはり、ソリュナ地方の水不足を解決するしかないのではないか?」
「解決すると言ってもどうする? 治水工事をするには莫大な時間と金が掛かるのだぞ」
「では、水の魔導具で補うのはどうだ?」
「我が国が魔石の産出国とはいえ、農業用水を魔石で補うのは採算が取れない。それならば、他国から輸入した方がマシだ。せめて、もう少しコストを下げることが出来れば別だが……」
文官達がああでもないこうでもないと話し合っている。そんなとき、文官の一人が「やはり、先代の王にならい、他国を侵略するしかないのではないか?」と口にした。
刹那、他の文官達が凍り付くなか、アルヴェルトが口を開く。
「そう言った手段があるのは事実だ。だが、父上はそのようなことを望んでおらぬ」
「はっ! 失礼いたしました!」
失言をした文官が青ざめて謝罪し、再び話し合いが再開される。けれど、結果として解決策は提示されないままだ。アルヴェルトは遅々として進まぬ会議に焦りを覚えていた。
そこに、ノックがあり、外で護衛をしていた騎士が入ってくる。
「アルヴェルト王太子殿下、リリス王女殿下の使いが参っています」
「……リリスの使い? いまは会議中だ。しばらく待つように伝えてくれ」
「それが、その……使いの方が、議題に対する解決策がある、と」
アルヴェルトは目を瞬き、それから少し考える素振りを見せた。
「使いというのは誰だ?」
「ヴェリア皇女殿下です」
「……入ってもらえ」
アルヴェルトはそう言い放ち、文官達にそのまま待機するように告げた。すると、分館の中でも古株の一人が、「アルヴェルト王太子殿下、リリス王女殿下はまだ十歳です。我らが揃って解決策を見いだせない問題を解決できるとは思いませんが……」と口にした。
「リリスだけならばそうだろう。だが、使いはヴェリア皇女殿下だという。ならば、話を聞いてみるだけの価値はある。なにか、ヒントくらいはもらえるかもしれない」
「影纏いの魔女、ですが……」
なにか言いたげな顔。祖国を裏切った卑怯者という認識があるのだろう。だが、彼は結局その内心を口にせず、「かしこまりました」と引き下がった。
ほどなく、ヴェリアが会議室に入ってきた。ドレスを纏った彼女の愛らしい姿に、周囲からほぅっと溜め息が漏れる。
そんな周囲の視線をものともせず、ヴェリアはアルヴェルトのまえに立った。
「会議中に失礼いたします。リリス王女殿下より指示を受けて参りました」
凜とした声。その心地よい声を聞き、アルヴェルトは鷹揚に頷いた。
「食糧難を解決する策があるというのは本当か?」
「はい。結果的にではありますが、試算では、この国ならば十分に元が取れると出ています」
深い紫色の瞳の奥に強い意志が浮かんでいる。
(策があるというのは本当のようだな。ならば、リリスの使者を名乗ったのはここに来るための方便か? あるいは……)
考えたのは一瞬。重要なのは、解決策の内容をたしかめることであり、その解決策が有効ならば、それを最大限に有効活用することだ。
「ならば、その策を文官達にも聞かせてくれ」
「かしこまりました」
彼女はカーテシーをして、アルヴェルトの向かいの席のまえに立った。
「結論から申しましょう。食糧難を解決する鍵となるのは水の魔導具です」
「……水の魔導具、だと?」
「どういうことだ……?」
想定外の言葉に文官達がざわめいた。
ただ、この段階で軽はずみな発言をするような文官はこの場にいない。ゆえに、アルヴェルトが「質問をしてもいいか?」と口火を切った。
「もちろん、お尋ねしたいのはコストの問題をどうするか、ということでしょうか?」
「ああ。水の魔導具で作り出した水を農業用水にするという案は我らも考えた。だが、コストが見合わない。なにか、コストを下げる方法を知っているのか?」
「そうとも言えますし、違うとも言えます。水を水車の動力として使い、使用済みの水を農業用水として使うのです。そうすれば、結果的にコストを下げることになるでしょう?」
「……複合的な利用法か。それならば、たしかにコストは抑えられるが……」
大量の水を流すことで水車を回す。そしてそのまま農業用水として使う。それならば、単純に考えれば、それぞれにかかるコストは半分になる。
だが、それはあくまで理論上の話だ。
「文官よ、水車を併用することで、採算を取ることは可能なのか?」
思案顔のアルヴェルトが文官の一人に問い掛けた。
「そうですね……効果的に各農地に水を撒くことを考えるとあまり多くの水車を回すことは叶いませんが、少しは下がるでしょう」
「なるほど。赤字を減らすことが出来る、という訳か。使えるな」
画期的ではないが、有効な手段ではある。
彼らが考えているのは画期的な金儲けの方法ではない。いまの食糧難をどうやって乗り越えるか、というものだ。ならば、試す価値はある――と、文官達が話し合いを始めた。
だがそのとき、ヴェリアが悠然と口を開いた。
「まだ話は終わっていませんよ」
「む? さらにもう一つ、水を使う仕組みを組み込むのか?」
「いいえ、さすがにそのように都合のいい方法はございません。ですが、水車を多く回す方法なら提案することが出来ます。それも、皆さんが思い浮かべるよりもずっと多くの水車を」
「それは、どういう……?」
困惑するアルヴェルトに対して、ヴェリアはここに物を持ち込んでもいいかと尋ねた。それに許可を出すと、ヴェリアが合図を送り、外から騎士が模型を運び込んできた。
ミニチュアの模型で、急勾配のスロープに、いくつも水車が並んでいる。
「――皆様は位置エネルギーという物をご存じですか?」
「……位置エネルギー? なんだそれは」
聞いたことのない単語に首を傾げる。文官達の反応も似たり寄ったりなので、アルヴェルトは、それがノクシリア皇国で使われる言い回しなのだろうと予想した。
実際は、この世界には認知されていない法則なのだが。
「流れがなければ、どれだけ水があっても水車を回すことは出来ません。水車が回るのは、水が動く――つまり、高いところから、低いところへと流れる力を使うからです」
「なるほど、言わんとしていることは理解した。高いところから水を流せば、この模型のように多くの水車を回すことが出来る、ということだな」
「おっしゃるとおりです」
ヴェリアが肯定するが、アルヴェルトの青い瞳はわずかに陰りを見せた。
「しかし、ソリュナ地方に起伏は少ない。水を高いところへと運ぶのには相応の力が必要になるはずだ。コストを削減することは出来ないだろう?」
「普通なら、そうなりますね。ですが、魔石を運ぶだけならばどうですか?」
ヴェリアがそう言って、模型に取り付けられた小さな魔導具を起動させた。スロープの上からコップを倒したように水が流れ、それがスロープの途中にある無数の水車を回転させる。そうして生まれる水の量は、数十グラムの魔石一つから数リットルだ。
つまり、位置エネルギーが数百倍に膨れ上がる。物理法則を知るものならば一笑に付すような現象。
だが、この世界において、それが規格外の動力発生装置である事実は揺るがない。
「そなた、なんてものを……」
アルヴェルトがぽつりと呟くが、それは文官達の興奮した声に掻き消されてしまった。
そこかしこで驚きの声が上がっている。
アルヴェルトは目を伏せて、そっと息を吐いた。
有用性が高まれば、魔石の価値は高騰。魔石の産出国であるアグナリア王国の重要度も上がる。
簡単に言ってしまえば、他国から狙われる危険が増す、ということである。
むろん、それを押してなおメリットの方が大きいが、デメリットも無視できるものではない。
出来れば、対策する時間が欲しかったというのがアルヴェルトの本音。すぐさま、周辺国との関係を安定させなければならない。そこまで考えたとき、アルヴェルとはヴェリアの思惑に気付いた。
さすがは影纏いの魔女と視線を向ければ、それに気付いたヴェリアが微笑んだ。
「これで問題は解決ですよね?」
無邪気な微笑み。
おそらくは計算尽くなのだろう。彼女の瞳にはそう思わせるだけの煌めきがあった。
「……ああ、十分だ」
アルヴェルトは相好を崩し、ヴェリアの頬に触れた。わずかな沈黙が流れ、二人の視線が交差する。だが次の瞬間、アルヴェルトは文官達へと視線を戻した。
「文官達よ。この技術があれば多くの水車を回すことが出来る。だが、水車を回すだけでは意味がない。有効に利用する方法を考えるのだ」
「「「かしこまりました!」」」
文官達が一斉に頷き、すぐさまああでもない、こうでもないと話し合いを始める。そこに、さきほどまでの行き詰まった様子はみじんも残っていなかった。
◆◆◆
文官達は思い思いに水車の使い道について話し始めた。私もいくつか案があったのだけれど、それは伝えるまでもなさそうだ。
という訳で、私はアルヴェルトに視線を向ける。それに気付いた彼は頷き、静かに席を立った。
「少し彼女と話してくる。おまえ達は話し合いを続けてくれ」
「かしこまりました」
生き生きとした文官達が頷くのを横目に、アルヴェルトの後を追って廊下へと出る。そうして歩き始めた彼の隣へと並んだ。
「アルヴェルト、どこへ行くつもり?」
「温室だ。そこなら人目を気にする必要はない」
「……え?」
手付金のことを思いだして自分の身を抱きしめる。
「待て、なにを考えている?」
「手付金の次は、利子を求められるのかしら、と」
「そんな訳あるか。……というか、分かっていて言っているだろう?」
半眼で睨まれた私は、「なんのことかしら?」と首を傾げてみせた。だが本当は分かっている。王城で働く使用人の中には、第二王子派の者もいるはずだと。
「そんなことを言っていると、本当に利子を取り立てるぞ?」
「あら、それで約束を守ってくれるのならかまわないわよ?」
「……まったく」
アルヴェルトが呆れた顔をしたので、私も口を閉じる。そうして少し歩くと、王城の中庭にあるガラス張りの温室が見えてきた。
透明で大きなガラスは貴重だ。
それを惜しみなく使った温室があることに少し驚いた。だが、なによりも驚いたのは、そこに植えられた美しい花々だ。私が見たこともないような品種の花が咲き誇っている。
温室に入ってそれらを目にした私は感嘆の溜め息を付いた。
「……手入れの行き届いた温室ね」
「母が様々な花を育てていてな。誕生日になると自慢の花を送り付けてくる」
「素敵なお母様なのね」
私の母は亡くなっているから少し羨ましいと目を細める。それから彼の提案にしたがって、真ん中にある丸テーブルを囲うように席に着いた。
ほどなく、メイドがテーブルの上にお茶とお菓子を置いて退出していった。アルヴェルトは続けて護衛を下がらせ、温室には私とアルヴェルトだけになる。
それから、アルヴェルトは紅茶を一口飲んで一息吐くと、おもむろに「さっきは助かった」と口にする。その輝きの強い青い瞳が私に優しく微笑みかけた。
「リリスに頼まれたのよ。お兄様を助ける方法を教えて欲しいって」
「……リリスがそんなことを?」
「ええ。妹に好かれているわね、お兄様?」
茶目っ気たっぷりに笑うと、アルヴェルトは少し照れくさそうに視線を落とした。だが、次の瞬間、アルヴェルトは顔を上げると、鋭い視線を私に向ける。
「しかし、リリスに頼まれたと、口にしてよかったのか?」
それではリリスに恩を売ったことになる。だから、私に恩を売らなくてよかったのか? という意味。私は紅茶を飲んで、それからにぃっと笑った。
「ええ。リリスにも報酬をもらうつもりだもの。問題はないわ。もっとも、貴方も私の働きを認めてくれるとは、思っているけどね?」
イタズラっぽい笑みを浮かべながら、内心に浮かんだ不安を抑え込んだ。
私の願いは無茶なものだ。それを叶えてもらうには、無茶を押し通すだけの価値を示さなくちゃいけない。その価値があると彼が認めてくれるか、現時点では未知数だ。
果たして――
「そう、だな。今回の問題が解決すれば、私の発言力は大きくなる。ノクシリア皇国についての対応について、意見することも可能になるだろう」
「……ホント? なら、ノクスを救う手助けをしてくれるのね?」
期待を込めてアルヴェルトを見つめる。
けれど、彼は険しい顔をした。
「手助けはする。出来れば安定化させたいと思う。だが、救うことは難しいかもしれない」
「――っ」
胸の内に浮かんだのは様々な感情だった。
約束が違うという落胆。聞き間違いではないかという淡い希望。そして、アルヴェルトがこんなふうに約束を違えるだろうかという疑念。
複雑な感情を抱えながら、私は「理由を聞かせて……?」と絞り出した。
「我が国の食糧問題が悪化している原因の一つに、食料が高騰しているという事情がある。そしてその原因を調べた結果、ある国が武器や食料を買いあさっているという事実が判明した」
「……戦争の準備をしている国がある、ということ?」
「そうだ」
私が思い浮かべたのは、ヴァルター商会から聞いた情報。あれから一ヶ月。状況が悪化していても不思議ではない。
私は覚悟を決め、絞り出すような声で「どこの国?」と尋ねた。
「動きがあったのはフォルンディア連邦。進軍目標は恐らく――ノクシリア皇国だ」
その言葉は氷の刃となって私の胸を貫いた。
血の気が引く感覚とともに耳の奥がざわついた。いつかはと予感していた“最悪”が、現実となって私の前に立ちはだかった。
でも、だからといって諦めるつもりはない。
私は唇が震えるのを感じながらも、両手をぎゅっと握りしめた。




