エピソード 2ー5
リリスの住まう離宮には大きな中庭がある。
それを知った私は、さぞ手入れの行き届いた美しい庭なのだろうと思った。だけど冷静に考えれば、使用人がろくに仕事をしていない離宮の庭が綺麗なはずはない。
だからこそ、アルヴェルトの来訪を聞いた私は、彼を中庭で出迎えることにした。そうしてほどなく、私の待つ中庭の小道に、従者を連れたアルヴェルトが姿を見せる。
「アルヴェルト王太子殿下、ご無沙汰しております」
よそ行きの声で出迎えれば、アルヴェルトはその整った顔に小さな笑みを浮かべた。
「これはヴェリア皇女殿下。不慣れな他国で不便をしていないか心配していたのですが、その後の様子はいかがですか?」
「そうですわね……」
言葉を濁しつつ、手入れのされていない庭に視線を向ける。その視線の意図に気付いたアルヴェルトが「せっかくなので中庭を歩きませんか?」と口にした。
「ええ、よろこんで」
私が答えれば、アルヴェルトは従者達を下がらせる。私もそれにならい、エスコートの姿勢を取ったアルヴェルトの肘に手を添えてみせた。
「それで、ずいぶんと早く来たわね?」
「なんだ、もうよそ行きの顔は品切れか?」
「お互い様でしょう?」
私は笑って、アルヴェルトへと視線を向けた。彼は私よりも結構背が高い。その整った横顔を見上げていると、視線を感じたのか、彼がふっと視線を向けてきた。
「さっきも言ったが、なにか不便はないか?」
「この庭を見ても不便がないように見える?」
そう言いながら、小道に落ちた枯れ葉や、手入れの行き届いていない周囲の草花に視線を向ける。その視線をたどったであろうアルヴェルトが顔をしかめた。
「この中庭はどうしてこんな有様なんだ?」
「使用人が仕事をしていなかった結果よ。リリスを離宮に追いやられた廃王女と思い込み、ずいぶんと我が物顔で好き勝手していたようね」
アルヴェルトが舌打ちをする。
彼の前髪がさらりと風に揺れ、その下に見え隠れする青い瞳には怒りと自責の念が滲んでいた。どうやら、リリスの状況を知らなかったようだ。
「……いままで確認しなかったの?」
「なんどか顔を出したが、今日のように逃げられてしまってな。使用人に案内された部屋も、定例は行き届いていた。おそらく、その部屋だけが手入れされていたんだろ」
「それは……仕方ないわね」
なぜリリスがアルヴェルトを避けるのかは分からないけれど、そのような状況が続いていたのなら、様々な行き違いが起きるのも無理はないだろう。そう思っていたら、アルヴェルトがずいぶんと自責の念に囚われた顔をしていることに気が付いた。
「心配せずとも、問題のあった使用人はリスト化しておいたわよ。……と、そうだ。ちょうどいいから、使用人の処分は貴方に任せてもいいかしら?」
「もうそこまで終わらせたのか。影纏いの魔女の名は伊達ではないな」
「お世辞は必要ないわ。それより、返答は?」
「お世辞ではないんだが……処分は問題ない」
「そう。ならリリスも安心ね」
「そうだな……と言うか、リリス?」
なぜ呼び捨てにしていると言いたげな目線。
私はそれを真っ向から受け止め、自慢げに胸を張った。
「お姉ちゃんと呼んでもらっているわ」
「――っ。それがどうした? 俺はお兄様と呼ばれているぞ」
まさか対抗されるとは思わなくて、私は思わず目を見張った。それから「貴方もシスコンなのね」とクスクスと笑う。
「私は兄として妹を気に掛けているだけだ。……貴方、も? もしや、エドワルドからなにか言われたのか?」
「謁見の後にね。妹に危害を加えたら許さないと言っていたわ。貴方と接点のある存在として、私をずいぶんと警戒していたわ」
「あいつが? そうか……」
アルヴェルトの顔には複雑な心境が滲む。だが、不思議と敵愾心のようなものは感じられなかった。アルヴェルトは……エドワルド殿下を嫌っていないのかしら?
「貴方達はずいぶんと複雑な関係にあるようね」
「まあ、王族だからな」
「……そっか、そうよね」
私のノクスの関係を思い出して頷く。
仲がいい姉弟でも、自分たちを擁する派閥が敵対していることもある。アルヴェルト達にも似たようなしがらみがあるのだろう。
「ところで、リリスはどうだった?」
「可愛かったわ」
「……他には?」
「とっても可愛かったわ」
「……それは知っている。他にもあるだろう?」
ジト目を向けられる。これは……真面目に答えろと言われているのか、可愛いだけだと思っているのかと責められているのか、どっちかしら?
なんとなく後者の気がするわね――と考えながら口を開く。
「賢い子よ。私の前で、メイドに突き飛ばされる振りをしたわ。あの感じ、ずっと自分をないがしろにする使用人達を排除する機会をうかがっていたんでしょうね」
「……そうか、さすがは私の妹だ」
目を細めて柔らかく笑う。
お兄ちゃんだなぁと、私も温かい気持ちになった。
「それと生活環境はすぐに改善するから心配しないで。それより問題は、あの子が社交界に出ることを望んでいないことね。理由までは聞けなかったけど……」
そう言ってアルヴェルトの出方をうかがう。
最悪は、彼がここで『なら、無理矢理にでも連れ出せ』といった趣旨の発言をすること。だけど、アルヴェルトは「そうか……」と思考の海に沈んだ。
私は考え込む彼から視線を外し、小道の周囲にある花壇に視線を向ける。合間に雑草が生えてしまっているけれど、それでも薔薇は咲き誇っていた。
それを眺めながら歩いていると、アルヴェルトが不意に口を開いた。
「ヴェリア、離宮に閉じこもって暮らすのは幸せだと思うか?」
「分からないわ。幸せは人の数ほどあるものだもの」
「それがリリスの望みだとは言わないのだな?」
「まだ、彼女の本当の望みが分からないもの」
社交界に出たくない理由が、離宮に引き籠もりたいから――とは限らない。もし原因が別にあるのなら、その原因を取り除いて連れ出すのがリリスのためになる。
そんなふうにほのめかせば、アルヴェルトは小さく笑った。
「やはり、ヴェリアに頼んで正解だったな」
「……まだ結果も出てないのに気が早いわよ。と言うかあの子、貴方が来たと聞いて、急用が出来たと逃げていったんだけど?」
「そうか、リリスはやはり俺を避けているのか……」
諦めの混じった寂しげな横顔。エドワルド殿下が、兄の言葉を鵜呑みにするなと言っていたが、アルヴェルトの落ち込んでいる姿が演技のようには見えない。
「リリスは貴方の来訪を聞いて逃げた。それは事実よ。だけど、あの子は貴方やエドワルド殿下のことを大好きと言っていたわ。その言葉に嘘はなかったように思う」
「……そう、なのか? だが、私の来訪を聞いて逃げたのだろう?」
「ええ。だから、そこに理由があるんじゃないかしら?」
嫌っていないけれど避ける理由がある。それがなにか分かれば、リリスが離宮から外に出る切っ掛けになるかもしれない。
「アルヴェルト、少し状況を整理しましょう。リリスは貴方が主催したパーティーで倒れ、それから離宮に引き籠もっているのよね? それまではどうだったの?」
「少し病弱なところはあったが、明るく、引き籠もるような性格ではなかったな」
私をお姉ちゃんと呼ぶ、リリスの可愛らし姿を思い出す。きっと、あれがリリスの素の姿だったのだろう。それが色々あって、身を守るために演技までするようになった。
「……リリスが毒を盛られた可能性は?」
「調べたがその痕跡はなかった。なにより、本人が否定している」
「まぁ……そうよね」
たとえば、第三者がリリスに毒を飲ませ、リリスはそれをアルヴェルトの仕業だと思って恐れている可能性。それなら、アルヴェルトを避ける理由には説明が付く。
だけど、リリスは『お兄様のことが大好き』と言った。
毒を盛られたと思いながら、それでも兄を慕う可能性は……あるかしら? 弟に反乱を阻止され、それでも弟を守りたいと思っている私とは、少し状況が違うわよね。
なにより、私から『襲う』という冗談を聞いても、彼女は警戒心を見せなかった。少なくとも、普段から襲撃を警戒している人間の反応ではない。
「うぅん……なにか見落としてそうね」
「ああ、俺もそう思う。あの日なにがあったかリリスの口から聞ければいいんだが……」
「すぐには無理そうね。まずは、心を開いてもらえるように頑張るわ」
「ああ、そうしてくれ。俺はしばらくはやることがある」
「あら、妹よりも大事なこと?」
軽く茶化すと、アルヴェルトは「俺も王太子だからな」と笑った。
「なにか手伝えることはあるかしら?」
「そうだな……いや、こちらは大丈夫だ。まずはリリスのことを頼む」
「ええ、任されたわ」
互いに微笑み合うと、中庭の小道に優しい風が吹き抜けた。
――と、そんなことがあったのが数日前。
それから家具の入れ替えや使用人の補充を終えて一息吐いたある日、私はリリスに魔術の授業を始めると伝えた。
そして当日、私はリリスの部屋を訪ねた。
つい数日前までのその部屋は古びた調度品に包まれ、どこか寂しげな雰囲気を醸し出していた。けれどいまは違う。華やかな色調の愛らしい部屋へと様変わりしていた。
春色のカーテンを通し、窓から柔らかな陽の光が差し込んでいる。天蓋付きのベッドの上には、愛らしいワンコの姿をした大きなぬいぐるみが……ぬいぐるみ?
「リリス、そのぬいぐるみはどうなさったんですか?」
「あぁ、これ? ……アルヴェルトお兄様からの贈り物なんだ」
ぬいぐるみを抱えたリリスが、その頭に顔を埋めてはにかんだ。
か、可愛い。
この世界にカメラがあればこの映像を残すのに! いや、むしろ前世の記憶を駆使して、カメラを発明するべきだろうか? ……さすがに、そんな知識はないけれど。
「ヴェリアお姉ちゃん、どうしたの?」
「はっ。すみません。リリスの可愛さに見惚れていました」
「……ヴェリアお姉ちゃんも可愛いよ?」
ぬいぐるみと一緒に首を傾げるリリスが可愛すぎて死ぬかと思った。
とまあそんなことがありつつも、私はローテーブルのまえにあるソファに座った。リリスはその向かいのソファにちょこんと座り、ワンコのぬいぐるみをその横に座らせた。
……うん。リリスは私を萌え死にさせるつもりかな? って、思考がループしている。私は表情をほころばせながら「リリスは魔術を習ったことがありますか?」と問い掛ける。
「うぅん。自分で調べたことはあるけど、誰かに習ったことはないよ」
「分かりました。では――」
私は持参した水晶の魔導具を取り出し、ローテーブルの上に置いた。そうして手のひらを乗せると、水晶がまばゆい光を放つ。
「え、これって……」
リリスがビクンと身を震わせ、右腕を左手で掴んで胸の前に引き寄せた。もっと好奇心旺盛な反応を見せると思っていたから少し意外だった。
私はすぐに水晶から手を離す。
「驚かせてすみません。これは使用者の魔力量を測定する魔導具です。現在の魔力量を量るだけなので不安に思う必要はありませんよ」
「そう、なんだ……」
そう口にするけれど、リリスの表情は曇ったままだ。見かねた私が「体調が優れないのなら、お勉強はまた次回にしますか?」と尋ねると、リリスは視線を彷徨わせた。
だが、しばらくして首を横に振る。
「大丈夫。この水晶に手を乗せればいいんだよね?」
「ええ。それで魔力量に応じて光ります。最大値ではなく現在値ですので、たとえ光が弱くても心配する必要はありませんよ」
たとえば、魔力を使い果たした直後だと光らない。
それに、個々が体内に宿すことの可能な魔力の最大値も流動的だ。食事量で胃が大きくなったり小さくなったりするように、魔力を体内に取り込める量も日々変化する。
そういえば――と、私はノクスが初めて魔力量を量ったときのことを思い出した。
ノクスは吸魔の蝕という恩恵を持つ特性上、平時は体内に宿す魔力量が少ない。それを知らなかったノクスは、水晶を光らせられなかったことでずいぶんと落ち込んでいた。
だから、私はリリスがそうならないように気を遣った――つもりだった。だけど、それは不要な気遣いだったとすぐに思い知る。
水晶が、小さな太陽のように輝いたからだ。
「こ、れは……っ」
想像の埒外。リリス自身も驚いたのか、すぐに手を離したことで光ったのは一瞬だった。だけど、そのあまりに強い光に私とリリスは揃って目を覆った。
「び、びっくりしたよぅ……」
「す、すみません。まさか、リリスの魔力がここまで多いとは思わず、もう少し気を付けるべきでした。でも、すごい才能ですよ」
「そ、う、かな……?」
「ええ。私は、自分より魔力が多い人をそうは知りません」
少なくとも、宮廷魔術師に匹敵するような魔力量だ。これを知れば、王侯貴族はこぞって目の色を変えるだろう。それに、使用人がリリスを侮ることもなかったはずだ。
「リリスは、自分がどうしてそんなに魔力が多いか、心当たりはありますか?」
「それは――」
リリスが口を開いた直後、扉がノックされた。
「なにかしら?」
声を掛けると、リネットが扉を開けて姿を見せた。
「見回りの騎士から、この部屋で強い発光があったとの報告がありましたが、なにか問題はありませんか?」
そう言って周囲を見回す。
私達は顔を見合わせて笑い、声を揃えて問題はないと答えた。
「そうですか。では失礼します。外に控えているので、なにかあれば――それはもしや、噂に聞く魔力量を調べる魔導具ではありませんか?」
彼女の目がキラキラと輝いている。
そういえば、彼女は魔導具に興味があるんだったわねと、そんなことを考えていると、リネットがそのライトブラウンの瞳で私を捕らえた。
「ヴェリア皇女殿下、思ったのですが、外で控えているよりも、部屋の中で控えている方が、お茶の用意とかもスムーズにできると思いませんか?」
真面目な顔で言っているが、その魂胆は明らかだ。
「授業内容を見たいなら見たいといいなさい」
「見たいです!」
真正面から切り込まれた。
私は苦笑しつつ、リリスに「どうなさいますか? 迷惑なら追い出しますが、彼女は魔導具が好きだそうなので、リリスと気が合うと思いますよ?」と提案する。
リリスは少し考える素振りを見せた後、私とリネットを見比べた。
「ヴェリアお姉ちゃんは、彼女のこと、信用しているの?」
「ええ。アルヴェルトのお墨付きですから」
私がそう言うと、リリスは蕾が花開くように微笑んだ。




