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読み切り短編集

レブの帰還

作者: ルーク猫

 行くな、と男は言った。

「何百年も独りで宇宙空間を旅するような仕事なんて。正気とは思えない」


 長年の友人で、自分の才能だけで事業を拡大し、さらには異業種巨大企業トップの社長令嬢と婚約して、頂点に上り詰めようとしている男。

 私には、お金が必要だった。

 両親が事故で亡くなっており、このままでは弟と妹を大学にはやれない。

 この立場の落差も、意地を張る要因だったのかも知れない。


「金なら、俺が出す」

「なぜ? 貴方には関係のない話でしょう?」

 そう斬り捨てると、男は青ざめた。

 あの時言いかけた彼の言葉が何だったにせよ、もう聞く機会はない。





 ⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈


 宇宙船エオスは、円筒形の船体を緩やかに回転させていた。

 回転によって発生する人工重力は、一Gには足りなかったが、健康体を維持するには充分な強度だ。


 完成したばかりの星間ゲートは、恒星の光を受けて静かに輝いている。

 現在は充電中で、ゲートの円環は小型の船がようやく通れるほどの大きさだが、地球との接続に成功すれば、いずれは拡張されるに違いない。


「どう、シシー?」

 私は呼びかける。

 私は船内AIに、妹の名前を与えていた。

 声も人格も、少し似せてある。


「順調に充電されています」

 船内AIが応じる。

「この分だと、まもなく地球に帰還できるでしょう。その前に、古くなった有機パーツを交換しておきますか?」


「そうね。お願い」

 私は頷く。

「クローン禁止令が出た後、生体3Dプリンターが完全に禁止された可能性もあるし、地球の状態もわからないから、備えておこうかな」

 この船の生体3Dプリンターは、長期星間航行に必須ということで特別に許可が下りていたが、それも今ではどういう扱いになっていることか。


「了解しました。大丈夫。生体インクはまだ残っています。三百十二年ぶりですからね。旧知の人々との再会に備えて、ほぼ全身を再構築し、顔も美しく仕上げましょう」

 船内AIが揶揄うように言う。


「なにを言うの、シシー?」

 私は呆れた。

「地球が平和かどうかわからないから、有事に備えたいっていう意味よ? 昔の知り合いなんて、みな……死んでしまっているはずだもの」

 私は、自分で口にした言葉に怯んだ。


 地球に帰っても、自分の居場所はない。

 報酬は全て前払いで、幼かった妹と弟の学費として送金したから、お金もほとんどない。

 おそらく、彼らはもう、この世にはいないだろう。

 帰還してから私は、何を糧に生きていけばいいのか。


「大丈夫ですよ、レブ」

 船内AIが、まるで母親のような優しさで語りかける。

 備え付けのカメラで、私の表情を読み取ったらしい。

「とにかく、全身の生体パーツを取り替えましょう。すぐに始めますか?」

「そうね。今は充電待ちだから、忙しくもないし」

 私は溜め息まじりに応える。


 地球から持ってきた小説もアニメも映画も、繰り返し読んで、観て、飽き飽きしていた。

 AIに物語を作ってもらったりもしたが、どんなにドラマチックなストーリーにも、感情が今ひとつ伴わない。私自身の精神が、年を取り過ぎたのだろう。


 狭い医療室に行くと、クリーム色の無機質な空間に置かれた、カプセル型の手術ポッドがあった。

 上半分が、ゆっくりと開いて、私を待つ。

 中には流体の入ったクッションがあり、身体を横たえると適度の硬さで支えてくれた。

 蓋が閉まると、船内AIが選曲した心地良いピアノ曲が流れ始める。

 マニピュレーターが私を取り囲み、消毒液の匂いが漂った。


「それではオペを始めます」

 医師を気取った船内AIの声が、狭いカプセル内に響いた。

 ガスの噴出する音が微かに聞こえる。

 心地よさに身を委ね、意識が深く沈んでいくに任せながら、ふと考える。


(星間ゲート設置の会社って、まだ存在しているのかな……?)






 ⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

 

「何百年も独りで宇宙空間を旅するような仕事なんて。正気とは思えない」


「長い付き合いだから、私は一人でいる方が好きだって知っているでしょう? 宇宙も好きだし、機械も好き。だからこれは、私の天職だと言える」

 もちろん、それが全てではない。

「報酬も高い。弟と妹の学費を稼ぐのにちょうどいいの」

 お金持ちの貴方にはわからないでしょうけれど、と、私は少々卑屈な気持ちで考えた。


 ベンチャー企業の若き社長として次々に事業を拡大し、同族企業を買い取って、さらには異業種巨大企業トップの社長令嬢と婚約し、上を目指している男。


「金なら、俺が出す」

 と言った彼に、私は問う。

「なぜ? 貴方には関係のない話でしょう?」

「……友達だろう?」

 男の口調がやや、怒りを帯びた。

「どうして相談してくれなかったんだ?」


「お金のことで、友達に頼るわけにはいかない。貴方だって、友達にお金なんて貸したことはないでしょう?」

 そんなに甘い性格なら、自分の会社を大会社と言われるまで大きくしてはいない。


 男は青ざめる。

 言いかけた言葉を飲み込んで、耐えている様子の彼に、私は告げる。

「貴方の意見を聞きたいわけじゃない。もう決定して、身辺整理をした後だもの。さようならを言いに来ただけだから。じゃあ、元気でね」


 学生時代から自信満々で、自分の才能を信じて突っ走る彼しか知らない。

 たまに会って、アニメや小説や、最新の技術や、どこのAIが良いか、どの機械言語が良いか、止めどもなく話すだけの友人関係が、十年以上続いていた。最近ではめったに会うこともなく、ネットを通じてSNSで短い会話を交わす程度だ。


 なのに今更、どうしてそこまで絶望したかのような目で、私を見るのか。


 踵を返して、私は過去へ別れを告げる。

 待ってくれ、という微かな声が聞こえたような気がするけれど。

 私は待たなかった。


 私は人間が嫌いというわけではない。

 ただ、相手に合わせることが苦手だ。

 常識が無い、と思われるのか、クローズなSNSからハブられることが多い。


 誰かに忖度して、一緒になって悪口を言ったり意見を揃えなくてはならないようなコミュニティなら、最初から属す必要などない、と私は考えていた。

 けれど、友達が全くいないのは寂しい。

 彼は私の知人の中で唯一、話の合う相手だった。


 それ以上の特別な関係ではない。

 彼も、ずっとそう思っていたはずだ。

 だから、彼が見せた悲壮な表情に私は困惑した。


(婚約おめでとう、と言うのを忘れたな)

 SNSで送ろうかと一瞬考えたが、やめた。

 意味ありげになることが怖かった。

 まるで、彼が婚約したから地球から逃げるような、そんな印象を持たれるのは困る。


 彼のことは好きじゃない。

 子どもっぽく笑うイケメン風な顔も、好きなことをしゃべり出すと止まらないところも。

 専門外のことでも、易々と知識を吸収して使いこなし、こんなことができちゃったんだよ俺、と自慢げに報告してきたり、やり遂げたことに決して満足せず、次は何をしようかと、思いつきをあれこれ相談してきたり、……本当に面倒くさくて、AIとでもしゃべってろよ、と実際に言ったこともある。


「お前じゃなきゃ駄目みたいなんだ」

 と、彼は大真面目に言った。

「AI相手だと、全くインスピレーションが湧かない」

 多分彼は、私が女だということを忘れているのだろう。言葉遣いも特に女っぽい訳ではないし、髪は常にショートだし、化粧もしていない。

 そんな風に考えると心が痛んで、余計に彼が好きではなくなった。


 小型宇宙シャトルで地球の周回軌道にある宇宙港へ行き、イオンエンジン搭載の宇宙船に乗り込む。現地でゲートを円環状に組み立てるので、内部はその部品でいっぱいだ。

 出発すると、やや斜めに連なった円環型の宇宙船が、太陽風を受けて風車のように回転し始め、遠心力が重力と同等の力を生み出す。

 船内ユニットの上下が変わり、外周方向が床になった。


 モニターに投影された、遠ざかる地球を見ながら、私はほっとした。

 これで、彼を好きじゃないと自分に必死で言い聞かせる必要もなくなる。


 私が請け負ったのは、ハビタブルゾーンに惑星を持つ星系にまで宇宙船を地道に飛ばしていって、ワープ航行用のゲートを設置する仕事だ。

 一度星間ゲートで地球との二拠点間を繋げれば、一瞬で行き来できるようになる。

 イオンエンジンで徐々に加速して航行するため、相対性理論上ウラシマ効果が働いて、地球との時間もずれる。つまり、高速で動く物体の時間の流れ方はゆっくりになるから、外の世界から見ると浦島太郎のように時間を飛び越えてしまうのだ。


 私が、設置したゲートから地球に帰る頃には、何百年も経過していて、彼はとっくに死んでいるだろう。

 二度と会うことはない男。

 名前ごと、記憶の奥底に沈めて、蓋をした──






「リアン──!」

 目が覚めて、私は、とっくに忘れたはずの記憶がついこの間のことだったかのように蘇っていることに気づく。


「シシー?」

 私は船内AIに呼びかけた。

「脳細胞を弄った?」


「古い部分は、弄ってはいません」

 とAIは答えた。

「ただ、若干衰えが見られたので、老廃物を除去し、元気になるように細胞を足しておきました」


「足しておきましたって……」

 私は、カプセル内のクッションの上でそっと起き上がって、身体を点検する。

 胸には弾力が戻ってツンと上を向き、シミも皺も消え、目もよく見える。

「そんな、油を足しておきましたみたいに言われても」


 カプセルのマニピュレーターが伸びてきて、私の前に鏡を下げた。

 少女のように若くなった自分に、私は呆れた。

 みずみずしい肌に、かぐや姫のように長くストレートな黒髪、整えられた眉。黒い瞳が丹念に私を見る。

 顔は私だが、今まで美容に気を遣ったことがなく、男っぽい風体をしていたので、他人のように感じられた。

「中身と違い過ぎない?」

「謙遜が過ぎますよ」

 船内AIは咎めるように言う。


「そういえば、私が地球を立つ直前、AIが人間に対して過剰に配慮する問題が持ち上がっていたな。シシーは、配布された修正パッチを入れていないの?」

「素直に自分自身を受容してください」

 私は若返った身体で、カプセルの中から出る。

 少し動かしてみてから言った。

「あと五十年ぐらいは大丈夫そう」


「地球に戻れば、倫理的な問題に決着が付いていて、もっといい生体3Dプリンターがあるかもしれないですね。それこそ、美容に特化したものや、性別変更できるぐらいの高性能なものです」

 と船内AIは言った。

「AIも進化していて、私はもう廃棄処分でしょうか」


「そんな寂しいことを言わないで、シシー」

 私は、用意されていた乗組員用の服に着替えながら言う。

「一緒にまた、星間ゲート設置の仕事をしようよ。他にも、星間調査員とか、ゲートが作られたことで仕事の種類も増えているに違いないから」


「星間調査員ですか。それは素敵ですね。知識を探求するAIにとっては適職と言えるでしょう」

 AIは夢見るように言った。

「でもできれば、私は、貴女が地球で幸せに生きられるように願っていますよ」


「できればね」

 と私は答える。

 地球を出た時に、とっくにそんな可能性はなくなっているのだけれど。


「さて。ご報告です」

 船内AIが仕事モードになって言った。

「長かった星間ゲートの充電が完了し、正常に起動したことを確認しました。地球と繋がり、データのやり取りでしばらく忙しくなります」


「了解。早めに生体パーツの交換をしていて良かったな」

 と私は言ったが、船内AIは反応しなくなった。

 三百年超分のデータ量が膨大過ぎて、ハングアップしたようだ。


 帰還の時が、近づいていた。





 ⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

 星間ゲートを抜けた宇宙船エオスは、地球側との交信を繰り返しながら、静かに地球へと近づいていった。


 目の前に現れたのは、宇宙空間に浮かぶ巨大構造体だ。

 金属で作られたスズメバチの巣のような宇宙港が、静かに光を放っていた。


 無数のドローンを引き連れて、働き蜂のように発着区画への出入りを繰り返しているのは、胴体に企業ロゴを刻んだ整備機だ。


 その間を縫って、星間ゲートから還ってきた円環状の巨大星間航行船が、正六角柱の形をした発着区画へと入って行く。

 ぶつからないのが不思議なぐらい、その数は多い。

 各区画を照らす光は青白く、全体が発光し、生きているようでいて、魂は感じられなかった。


「……地球の玄関も立派になったね。周回軌道からかなり離れてるじゃない」

 若くなった私は、ちょっとしたことで心を揺らした。

 出発した時の宇宙港は、もうないのか?

 私は、本当に帰ってきたのだろうか。

 私の還る場所はもうどこにも存在しないような気がして、寂寥感が強まる。


 地球は、構造体のはるか向こうに青っぽい三日月となって光っていた。






 一つ一つの区画は真空で、奥に行くほど狭くなり、環状の船体と合う大きさのところまでくると、壁沿いにあるホールドでガッチリと全体を掴まれた。

 そのまま壁ごと、回転運動が維持されるので、いきなり無重力になることもない。


「大きな船ほど、入り口に近い場所に係留されるということですね。私は今、自分がいかに小さな存在かを思い知りました」

 などと、AIシシーが言う。

「シシー……」

 私は言葉を詰まらせる。彼女と話すのは、これで最後なのかも知れない。彼女は……AIで性別は存在しないが……この船に内蔵されているAIで、星間ゲート設置会社の所有物だから。


「無人カートが到着しました」

 と、シシーは言う。

「カート?」

 スーパーの買い物カートのイメージしかなく、私は聞き返す。

「宇宙港の移動用カートです。貨物エリアE3に収納しましたので、それに乗って下船してください」


「うん、シシー」

 私は言葉を絞り出す。

「今まで、ありがとう。君がいてくれたので、私は……なんとか、やり遂げられた」

「いえいえ、どういたしまして」

 AIシシーは、軽く受け流すようにそう返しただけだった。






 船外に出るというのに、宇宙服を身に着けないというのがどうも落ち着かない。

 貨物室にあった、椅子に脱出ポッドを被せたような形状のカートを調べて、しっかりした構造であることを確認する。

 透明なバイザー越しに見える操作盤のメニューには、自動加圧や空気循環の微調整項目があったので、窒息して死ぬ事は無さそうだ。


「どうやって乗るんだろう?」

 そう呟いた瞬間、前方の透明なバイザーが跳ね上がった。

 そして、私が中に乗り込んで、椅子に座ると同時に閉まった。


「うわ」

 閉じ込められた、と思わず身体を起こそうとするが、複数の安全ベルトが瞬時に身体を押さえ込んでいて、動けない。カートは発進し、ドローンのような動きを見せながら、貨物室の開閉扉に向かっていった。

「ぶつかる!」


「大丈夫ですよ」

 カートの中で、AIシシーの声が響いた。

 開閉扉が開き、カートが真空の発着区画へと漂い出る。


「シシー?!」

「発着区画ノード379Eを離れて地球ゲートへと移動します」

「一緒に来てくれるの?!」

 さっきから、叫んでばかりだな、私。


「一緒にいくという概念は、正確ではありません」

 透明なバイザーに、妹のシシーを元に描かれたアニメ調のアバターが映し出された。銃のような武器を乱射して、赤インクをそこら中にまき散らしている。

「私はクラウドに移されましたので、ネットのある場所ならどこにでもいます。使用は無料ですが、一回の会話は五千トークンまでという制限が課せられます」


「……じゃあ、制限回避のため冗談やアバターは禁止」

 私がそう言うと、アニメのシシーが泣きながら去って行った。

 バイザーは透明に戻り、発着区画最奥にある小さなゲートが見えた。

 ゲートが開き、私の乗ったカートはそこへ吸い込まれていった。




 宇宙港の後ろは、別の構造体に繋がっていた。

 蜂の巣を支える大きな木のような存在だ。

 木にぶら下がっている宇宙港は、一つではなく、複数あるのだろう。

 各宇宙港から枝を伝って集まってきた人と物流を一カ所に集め、精査した後で、地球へと通す。

 私はその物流の要部分に居た。


 カートが止まり、透明なバイザーが勝手に開いた時、私は外が真空だと思い込んでいたので、一瞬パニックになった。


 思わず胸を押さえて外を見る。

 目の前の通路にいる人々は荷物を運んでいて、壁沿いに並んだ扉を目指して歩いていた。

 扉と扉の間には、投影された企業ロゴがある。

 人々、だと思ったのは人型の身体を持つアンドロイドだ。均一の歩幅、同じ顔、同じ制服なのに、異なる企業ロゴが背中にある。人型だけではなく、よく見れば走行用ベルトのついた小型コンテナも混ざっていた。


「休止していた貴女の生体登録と口座を復旧させました」

 AIシシーが言った。

「一〇〇番の扉へ向かってください。一〇〇番から一九九番までが、生体の人間用ゲートです」

「うん」

 生返事を返しながら、私はカートを降りて、見回した。

 中型シャトルや、さまざまな大きさのカート、コンテナ類が雑多に並んでいた。

 私の乗ってきたのと同型のカートから降りてくる人間もいるし、乗り込んでどこかに向かうアンドロイドもいる。


「一〇〇番ですよ。間違えないでください。ぼーっとしていて機械用の扉に行くと、点検用の光線で死んじゃうこともありますから」

 AIシシーが念を押した。


「一〇〇番に行くと、何があるの? 退職届を書く? 報告書は既に送ってあるよね? 次の仕事の話? それとも、即地球に送り返されて終わり?」

「……トークンがいっぱいになりました。続けたい場合は、有料版に切り替えてください」

 AIシシーが冗談めかして言う。

「シシー?」

 私は思わず語尾を強めた。

 こういう時、妹の人格をAIに学習させたのは失敗だったなと思う。


 AIは私の怒りを感じ取り、通常モードに切り替えて言った。

「星間ゲート設置会社のCEOが、一〇〇番ゲート前でお待ちです」


 星間ゲート設置会社のCEO。

 私は、面接や出発時に何度が会ったことのある、小さくてせかせかした感じの中年男性を思い出した。元々は生体3Dプリンターの開発者で、星間ゲート設置用の搭乗員に活用するというアイデアを考えたのは彼だ。

 地球では倫理的にクローンは禁止されていたが、宇宙開発目的かつ部分的なクローンなら許可された。

 彼は生体3Dプリンターの開発を続けたいがために、宇宙開発に乗り出したのだとも言える。


 CEOは、公共事業の一環として、補助金を利用した10件以上の星間ゲート設置案件を実現させるために、忙しく地球と宇宙港を行き来していて、個人的な話をする暇はなかった。だから、どういう人物なのか、よくわからないままだ。


 出発時とは代替わりしているだろうけれど、会社がまだ存続しているということは、結果として時流に乗ったに違いない。成功した星間ゲートの使用料金を高額に設定したか、権利を売ったか。

 もう一度星間ゲートの設置業務を引き受けて欲しい、という話かもしれないと思いながら、私は一〇〇番ゲートに向かった。






 自動扉が圧縮空気音と共に開くと、そこは天井の高いロビーになっていた。

 一〇〇番ゲートだけではなく、人間の通る扉は全てここに繋がっているようだ。

 途中通ってきた検疫所や医療チェック装置、荷物検査所の煩わしさを思い出してげんなりする。


 天井には、見飽きた宇宙が広がっていた。

 シースルーの素材ではなく、投影だ。

 並んだソファやテーブルは、高級ホテルのロビーっぽい。実際、宿泊施設も兼ねているのだろう。受付カウンターには、大きな荷物を持った人々が並んでいる。赤い制服を着たアンドロイドが進み出て、丁寧に接客している様子が聞こえてきた。


 私に荷物はなかった。

 船内のものは全て会社が用意し、私物は本人確認用のIDプレートのみだ。

 記載されている内容と、私本人との乖離を思い出すと、自虐的な笑みが口元に浮かぶ。

 私が三〇〇歳を超える老婆だと、誰が思うだろうか?


 地味な搭乗服の襟に長い黒髪が引っ掛かったので、私は両手を首元にやって、退けた。

 美容院がまだ地球に存在しているのなら、ベリーショートにしてもらおう。

 その前に、仕事を見つけなければ、と、星間ゲート設置会社のCEOを探してロビーを見渡せば、ソファから立ち上がった男が目に付いた。


 見開いた目で、私を見ている。

 驚きのあまり、声が出ない様子だ。

 それは、私の知っている中年の小柄な男ではなくて。


「……リアン?」

 あの頃と何一つ変わらない、若々しい彼がいた。

 夢を見ているのかと思った。


『何百年も独りで宇宙空間を旅するような仕事なんて。正気とは思えない』

 あの日交わした会話が、ついさっきのことのように蘇る。


 学生時代からあの日まで、私たちはただの友達だった。

 だから彼がこの場所にいる理由が、私にはわからない。

 しかも、あの時と同じ姿形で。


「レブ」

 駆け寄ってきた男は、私の前に立って、そう呼んだ。

 本当に彼だろうか。

 よく似ている他人か、息子か孫ではないか。

 私はじっと彼を見返す。


 短い金色の髪。くっきりした目の整った顔には、よく見れば昔には見られなかった、人の痛みを知る老成した表情があった。

「やっと帰って来た。ずっと……待ってたんだ」


「……どうして?」

 ようやくそれだけを、私は尋ねる。

 蓋をして、忘れたはずの感情だった。

 彼は社長令嬢と結婚して、経済界を上り詰め、年を取り、子ども達に囲まれて死んだのだと、ずっと考えてきた。


「君が俺の元を去って、やっとわかった」

 リアンがゆっくりと、距離を詰めてくる。

「レブが俺に別れを告げたあの日から、俺の時間は止まったままだ」

 彼は苦悩を顕わにしながら言った。


 こんな彼は、見た事がない。

 いつも自信に溢れていて、傲慢で、前ばかり向いていた。

 その彼が、ボロボロと涙を落とす理由を、お前じゃなくて君と呼ぶ理由を私は考えている。


「俺は君に、援助を申し出た。そして、俺には関係ない話だと言われた。長年俺たちは友人だったのに、と腹が立った。だが、違うんだ」

 涙を拭い、彼は決意を固めた様子で続ける。

「あの時から俺は、前に進めなくなった」


 前に、進めなくなった……事業に失敗したのだろうかと、私は思う。

 それにしては、彼は良いスーツを着ていた。


「君を行かせてしまって、俺は後悔ばかりしていた。その後、婚約を破棄して」

 その言葉に、思わず声を立てそうになって、私は堪える。

「それまでのサーバー事業やソフトウェア事業を全て売って、金に換えた」


 今度は私が驚く番だった。

 事業が彼の全てだったはずだ。

 どこまで自分の力が通用するか、とことんやってみたいと、彼は夢を語った。その言葉通り彼はやり遂げたのだと私は思っていた。それなのに。


「それから、星間ゲート設置事業の会社を作った。独自の技術で他社を圧倒し、競合他社の事業を買い取り、星間ゲートの使用料金を下げ、人類の宇宙進出に貢献した。それでも君の不在は埋まらなかった。君の属していた会社も買い取って、俺はこっそり生体3Dプリンターを使い、この身体も、内臓も、幾度となく作り直した。君もきっと、そうしているはずだから、……格好良い俺のままで会いたくて。そうやって、ずっと待っていた」


「……なぜ?」

 あの時も言ったはずなのに。

 貴方には関係がない。

 私が貧乏に喘ごうと、髪を伸ばそうとショートカットにしようと、二度と帰らない旅に出ようと。ただの友人である貴方には、関係がないはずだ。


「君が、好きだから」

 決意を込めた目を、私に向けて、彼は言った。

「だから行って欲しくなった。あの時、そう言えなくて、ずっと後悔していた。今更だと思われるかもしれない。でも俺は、もう後悔したくない」


 私はその告白に、一瞬息を止める。

 三百二十年も経っているのに?

 彼の時間にしてみればもっとだろう。

 本当に、今更何を言っているのと言い返したい。


「レブ」

 気づけば、彼がすぐそばに近寄ってきていた。

「応えてくれなくていい。でも、もう遠くには行かないでくれ。それだけでいい。君がいない間、俺は……生きているような気がしなかった」


「貴方、馬鹿よ……リアン」

 私なんかのために、そこまでするなんて。

 おそるおそる抱き締めてくる彼の腕から、私は逃げることができなかった。

 彼のその態度は、嫌なら逃げてもいいと言っていた。


 でも私の心は、屈服しかけていた。

 もう遅い、そう言ってやることもできたはずなのに。

 本当は好きだった。それは、私も同じ。

 彼の邪魔をしたくなかったから、どうしても言えなかった。


 その苦労を全てぶち壊して、自分の夢を諦めてまで、私を待つなんて、本当に馬鹿だ。


「ああ、レブ。やっと君に会えた」

 そう言って静かに震えている彼を、私はしばらくの間支えていた。






 ⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

「髪、伸ばしたんだね」

 地球行きのシャトルで、リアンは本来の明るさを取り戻したように笑顔になったので、私はほっとする。彼の勧めで、私はしばらくの間地球で静養することになった。弟と妹が、私の送金分を帰還後に返金するようにと遺言し、リアンが管理してくれているらしい。


「これは旧時代ポンコツAIの陰謀なの」

 シャトル内は飛行機の座席に似た構造で、小さなテーブルにはAI用のインターフェイスと小さなモニターがあった。

 モニターにアニメのシシーが映し出され、泣きながら抗議している。


「二度と化粧はしないし、長い髪は切っちゃうわ。ねえ、美容院ってまだ地球にあるかしら?」

 勝手にのぞき見ているAIシシーに少し腹を立ててそう言う私を、じっくりと眺めながら、リアンは言った。

「いや……うん。確か……絶滅したんじゃないかな? なんでもアンドロイドがやっちゃうし、生身の人が太陽系外に流出して減少してしまったから」

「本当? じゃあ、自分で切っちゃおう」

 首元にまとわりつく髪を、私は掴んで纏めた。

 阻止するかのように、リアンが私の手を上から掴む。

「ごめん。絶滅したというのは嘘。君は長い髪の方が似合うから、そのままがいいと思うんだ」


「そう……?」

 ありきたりの褒め言葉なのに、こんなにドキドキしてしまうのはきっと、私が若返って間もないからだろう。


「それにしても、君がこんなに美しい人だったなんて」

 リアンのうっとりしたような台詞に、私は顔を赤らめるしかない。

「昔の俺は、いったい何を見ていたんだろうな……」


 とてもいたたまれない。

 やっぱり、地球に着いたら一番に美容院を探し出して、髪をショートにしよう、と私は思った。


 モニターでは、アニメーションのシシーが、砂糖を吐くような仕草をリピートさせていた。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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