1.タバコ、カレー、情事、そして小説
コンビニでくすねた二粒ばかりの握り飯を平らげた。いつもどおりの昼飯だ。
俺が働く食肉加工工場の片隅、隠れ家みてえな小さな空き地。
腐りかけの板塀を背にして胡坐をかいたまま、空を見上げる。
バカに青い。
休み時間の残りを潰そうと、格安料金のスマホをとりだして、ネットにつないだ。
フォローしてるWEB作家の新作更新の通知やらが、ずらずら入ってきた。
新しいコンテストの告知もある。
「へぇ、〝夏の文学甲子園〟ねぇ――あ……またかよ」
クソありがたい募集要項を眺めて、呪詛返しのようなお返事が、誰に返すでもなく、口から洩れた。
ツまらん文言を、眼でなぞり返す。
『募集開始時点で高等学校、特別支援学校高等部、専修学校等の各種学校の――』
「第三学年以下の生徒であること――か」
ため息しか出ねえ。
最近は、自分でも小説書いてネットに投稿するようになっていた。
別に、西村某氏のごとき芥川賞作家に憧れてるわけじゃあない。ただヨムうちに、俺もカクしてみっかとなっただけの、手慰みだ。
とはいえ、つまはじきにされるのはやはり、辛い。
いや……腹が立つ。
小説を書くのは、意外と楽しいと知った。ふしぎと心も落ち着く。
そう、俺にとっちゃ心が落ち着くってところが、なにより重要だ。
ところが。
そんな心の平穏を、運営様はアリを踏み潰すのと同じく何の気なしに踏みにじる。
中卒就労者の俺みたいなモンは、ここでも社会様の線引きにお断りされるらしい。
齢だけで言えば、俺だって十六だ。
なんでわざわざ、高校生って御身分が必要なんだか。
ここから先はキミらのような無頼気取りのはみ出し者が入れるところじゃあないよ――文系大卒のインテリどもが臭い息を吐きながらそう云う声が、スマホ越しに俺の耳穴を穿ってくるように感じた。
いや、臭い息は、俺のほうか。
胸ポケットからピースを取り出し、一本点ける。
「望まない受動喫煙が生じないよう――へぃへぃ」
箱に書かれたありがたい講釈に独り言ちて、周囲を見渡した。
誰もいない。
存分に吸えるね。残り一本しかないが。
平和なヤニが俺の肺を蹂躙していく様を思い描いた。
吐きだした紫煙が風に流れる。
煙が消えると、年上の女が立っていた。
どろん、とばかりに現れたのはくノ一ならぬ、事務で経理のキヨちゃんだ。
「ブライくん、いーけないんだあ。未成年がタバコなんて」
ニヤついて、いつものように前かがみで手を出してくる。
緩めたブラウスの胸元からのぞく、I字のGカップが刻む谷間を眼で拝む。
眼福。
最後の一本を手のひらに乗せてやった。
キヨちゃんが俺の隣りにくっつくみたいにして、うんこ座りする。
事務服のケツんとこが割けんじゃねえかと、いつもながらヒヤっとした。
「んーっ」と、キヨちゃんがポッキーゲームの真似事みたいに、咥えタバコを突き出してきた。
工場長の安さんからくすねた、スナックのマッチを擦ってやる。
ふたり並んで、タバコをフかす。
平和だねえ。
ヤニ臭い女の口が耳元に近づき、囁いた。
「ねえ……太い方も、欲しいんだけど」
和平が破られた。仕方ない。取引を持ち掛けた。
「飯、食わしてくれるなら」
「じゃ、今夜ウチでね」
契約成立。注文もつけとくか。
「カレーがいいな」
「またぁ?」
「じゃ、ハンバーグ」
「またー?」
またまたうるせぇ女だな。
いいじゃねえか、それしか〝うまいモン〟てやつを知らねんだ。なら――
「ハンバーグカレーで」
「もうっ」
言いながらクスッと笑って立ち上がる。
むっちりした肉が鼻先で揺れた。あいかわらず、いい尻してるよな。
「じゃ、仕事帰りに材料買うから。今晩、八時ぐらいでいい?」
「構わねえよ、どうせ明日休みだし」
「へへー、だから誘ったんだよー」
あー、承知の上なのね。ま、仕方ない。
カレーにゃいっぱいニンニク、入ってそうだねえ……。
仕事帰りにコンビニ寄って、土産にタバコでも貰っていくか。
事務所に戻るキヨちゃんの背中を見送って、短くなった最後のタバコを水溜まりに投げた。ついでにゴムも仕入れとくかと、頭にメモを追加する。
明日あたり、連載の続きを投稿したかったんだけどな――今夜、書けっかな。
気怠く腰を擦る自分を想像し、かったるく足を引きずりながら、俺も生臭い工場の中へと戻っていった。
§
〝浜野武頼〟と書かれたタイムカードに退勤を打刻して、事務所に向かった。
体は結構きつい職場だ。
けど、定時で上がれるってのがこの工場の良いところ。
……生臭いけどな。
「調子はどう? ブライ君」
キヨちゃんが上がったか確かめようと部屋を覗くと、プレハブ仕立ての事務所の奥から、工場長のお呼びがかかった。
キヨちゃんはいない。てことは、今日の《《残業》》は無しか――なるほど、俺を誘った理由は、それね。
「仕事も体も、とっくに慣れたよ」
いっコだけウソをつけといた。
ため口叩く十六のガキに、安さんは嫌な顔ひとつしない。布袋様みてえな風貌の五十がらみのおっちゃんは、見かけ通り神様よろしく気のいい御仁だ。
「ゴールデンウィークも仕事なの、悪いねえ」
あまり悪びれるでもなく、安さんはカレンダーに目をやった。
中学出てから一年余り。
縁あって安田光彦社長が経営する零細企業の世話になってる。
養護施設かホームレスか。どちらか一直線を約束されてた俺を拾ってくれた恩こそあれ、文句なんぞあるはずがない。
職場が生臭いのが玉にキズってだけだ。
おかげで、タバコが捗るのも玉にキズ。
「五月病と無縁そうで、いーんじゃねえの」と投げ返した。
「お、たくましいねえ」
逞しくもなるさ。
「んじゃ、お先上がりまーす」
「お疲れー。週明けよろしくねー」
うーす――と禿頭に生返事をして工場をあとにした。
§
切れかけの街灯がぱかぱか光る夜道を歩き、コンビニへと向かった。
不夜城みたいな店内では、刈り上げから上をグリーンとピンクに染め分けたファンキーな兄ちゃんがレジに立っていた。縦縞のユニフォームが妙に似合っている。
〝えらしゃいまへー〟との気の抜けたご挨拶を背に受けて、雑誌コーナーから適当に週刊なんちゃらを一冊拾い上げた。
ビキニ姿のお姉ちゃんが飾る表紙には「珠玉の濡れ場十二本」なんて書かれてる。
およそ十代青少年向きではない週刊誌だが、あいにくこちとら社会人。
堂々としたもんだ。
「五七〇円でえす。袋いりゃすかぁ」
「大きいやつひとつ」
五円玉を追加して、店を出た。
手提げがちょいと、《《重くなる》》。
通りすがりの草むらで、ビキニちゃんとは、おさらばした。
袋にあるのは、くすねたピースとマルメンのカートンがひとつづつ。
ついでにゴムも一箱、こんばんわだ。
「さて、土産も拝借したことだし――行きますかね」
築二十年ぐらいの安賃貸に辿り着く。工場までなら十分、最寄りの駅なら十五分のアパートに、キヨちゃんは独りで住んでいる。
二階にある目的地へ向かう途中、玄関扉のだいぶ手前から香辛料のいい匂いが漂ってきた。釣られて辿れば二〇三号、沢口清海先輩のねぐらに到着だ。
呼び鈴を鳴らすと、ぱたぱたとスリッパが床を叩く音が聞こえてきた。
ガチャリと開いて、開口一番。
「ブライくーん、いらっしゃーい。お風呂にする? ごはんにする? それともお」
先手を取られた。下半身にグっとくる。
裸エプロンてわけじゃあないが、ホットパンツにだぶっとしたTシャツと短めのエプロンの組み合わせは、青少年には刺激が過ぎる。
性欲の悪魔と食欲の天使が勝負を始めたが――
「腹減った。あ、これお土産ね」
悪魔はいったん、退散だ。
マールボロ・メンソールのカートンを手渡すと、ニッコリ笑ってキヨちゃんは「手洗って座ってて」と言い残し、若妻みたいに台所へと駆けた。
洗面台を借りる。見慣れない歯ブラシが一本増えてた。
キヨちゃんの新しい彼氏かな? めんどくせえことにならなきゃいいが……ま、そんときはそんときだ。
彼氏さんだって、キヨちゃんの素行は承知の上――と信じたい。
ついでに口をさっぱりさせて部屋に戻ると、テーブルはすっかりディナーの準備が整っていた。カレーにハンバーグ、青い菜っ葉も並んでる。
いそいそと席について、頂きますもそこそこに一口カレーを食んだ。
「うんまー」
キヨちゃんは返事のかわりに、プシュっと缶ビールのプルタブを鳴らした。
「呑まないの?」
「呑めないの」
「ちょっとお酒入った方が、キもちイイのにぃ」
そういう話を聞いたことはあるが、こればっかりは仕方ない。
まるっきりの下戸なのだ。酒、タバコ、女。セットの一角が俺には欠けていた。
それにしても――美味い。思った通り、ニンニク増しましだったけど、美味い。
キヨちゃん、料理の腕はマジすげえ。きっといい嫁さんになるに違いない。
男周りを除けば、ね。
カレーもハンバーグも、サラダもきっちり平らげた俺に、キヨちゃんが次の段取りを告げてきた。
「あたし片づけしとくから、ブライくん、先お風呂してて」
いよいよメインイベントの始まりだ。
酒のせいなのか、もうすっかりその気なのか。
ほんのり赤らむ上気したキヨちゃんの肌は、やけに色っぽかった。
ちょいと狭いが、綺麗な風呂を借りられるのはありがたい。
染みついた生臭さも、排水溝に落ちていく。
湯船につかり「極楽極楽――」なんて爺さんみたいに独り言ちてると、餅肌美人のキヨちゃんの裸身が、湯気の中から転び出た。
ほんのり色づいた、やや大き目の乳輪が俺好みで絶品。
「お・ま・たー」なんて湯船の縁をまたぎながら、俺の目の前を生足がよぎる。
ちらりと見えた土手の具合も、マジ最高。
二二歳の天女がお相手とくれば、どんな男も腹上死したって本望だろう。
ざばりと溢れる湯のこぼれる音が、ゴングになった。
――それから俺とキヨちゃんは、三回戦を戦った。
風呂場で一発、ベッドで二発だ。
前座のお口を含めれば、俺の発射は四発だった。若さ溢れるって、いいよな。
キヨちゃんも、しっかり満足したらしい。
腕枕にかかる脱力した頭の重さが、よく語っていた。
ご近所迷惑かもしれないが、もしかしたらいいお裾分けなのかもしれない。
キヨちゃんは安普請なぞまるで構わず、よく啼いた。
生乾きの栗色の髪が、俺の鼻をくすぐってる。
石鹸の甘い香りと柔肌の温みが、心地よい眠りを誘いかけていた。