代筆屋の失恋
事務所の窓から、山のような大きさの巨大竜が冬眠で眠る上に雪が積もる風景が、見える季節。
代筆屋の仕事を亡くなった母親から継いだ四年目の冬に、サラは初めて自分のしている仕事を投げ出したいと思った。
サラの先祖は大変裕福な貴族だったが、祖父の代には没落し資産も地位も売り払い、母親は子供の頃に無一文で唯一残っていたお屋敷から放り出された。貴族の教育を受けていた母親が始めたのが代筆屋だった。
その母親の仕事と小さな事務所を受け継ぎ、サラは代筆屋の仕事をしている。
それほど繁盛しているわけではないが、慎ましく生活するには十分な稼ぎがあり、サラは今の生活に満足していた。
赤杉の花粉の影響でときおり赤色になる雪を眺めながら、アスミティーのホットで温まりながら、客を待つ。
代筆屋の仕事は、事務所を訪れた客の喋る言葉を文字にして書く。
大抵の客は地元の人間で、普段は文字を書く必要のない労働者。突発的な仕事の報告書制作や、遠方の家族への手紙書き。目的はさまざまだが単発の仕事が多い。
そんな中で、ウォルターからの週に一回の定期的に続く仕事は大変珍しく、ウォルター自身が文字を書けることも客としては唯一の存在だった。
腕に包帯を巻いたウォルターが客として初めてやってきたのは、まだ巨大竜が飛び回っている季節。それから、怪我が治ってからも、ウォルターは仕事の報告書の手紙制作の依頼を続けていた。
ウォルターの実家は大きな商家で、取り扱う商品のひとつである渡り集団猫の宝石の調査がウォルターの仕事だった。
ウォルターの腕の怪我は、その調査のさいに猫に見つかりピストルで撃たれたそうだ。
この地域の猫はピストルを撃つんだなと、ウォルターは驚くが、サラはピストルを撃たない猫がいる地域もあるのかと驚く。
一緒に温かいアスミティーを飲みながら、ウォルターの喋る言葉を文字にしていく。
サラにとって心地良いこの時間がウォルターへの恋心からだと自覚したのは今日のことだが、同時に失恋の痛みも味わった。
サラは今、ウォルターがアンナと言う名前の女性に結婚を申し込む手紙を書いていた。
「今日もお仕事の手紙から書きますか?」
「いや、アンナに。そうアンナにだ」
ウォルターは興奮が抑えられず、やや高くなった声でプロポーズの言葉を口に出す。
「アンナ。君を一目みた瞬間、僕は君に恋をした。初対面の時に君と何を話したか、緊張のあまり忘れてしまったよ。僕は君と結婚したい」
胸に痛みを感じながら、サラは自分の仕事を投げ出さず続ける。
「返事はこんど会った時に聞かせてほしい。ああ、ちゃんと仕事の報告をしなくちゃな。猫との取引交渉は難航しているが、ピストルで撃たれないぐらいに前進した」
数日たって、事務所に年配の男が訪ねてくる。
自己紹介を待つまでもなく、そのそっくりな風貌はウォルターの父親であることが、サラにはわかった。
「代筆屋のお嬢さん。気を悪くしないでもらいたいのだが、あなたのことをいろいろ調べさせてもらったよ」
「私のことをですか?」
「息子からの手紙に、おかしな文章が紛れていたからな。それで、確認なんだが、この事務所の入り口にでかでかと書かれている事務所の名前は、お嬢さんの名前ではないよね」
「あれは亡くなった母の名です。元々は母が作った事務所ですので」
ウォルターの父親は、おそらくなんだがと前置きして言った。
「息子は君のことをアンナだと勘違いしているんじゃないかな」
おわり