白熱の『婚約破棄』会場はこちらですか?
「アステリア、君との関係も今日で終わりだ。婚約を、破棄させてもらう!」
多くの招待客が見守る中、それは始まった。
火蓋を切って落としたのは金髪の男、男爵家嫡男のヴィズ・クラウニーである。
彼は唇を震わせ、黒髪の女を抱き寄せながら力強く人差し指を突き出した。
婚約破棄られたのは、栗色の髪の女。
子爵家の令嬢であるアステリア・フィスタリス。
彼女は意味が分からないと言った様子で、膝をがくがくと震わせて引き下がる。
「な、何を言っているのですかヴィズ。そ、それにその方は──!」
「リリス。よく知っているだろ。貴様が虐めていたのだからな」
「いじっ、いったい何の話ですか!?」
アステリアは激しく狼狽える。
確かにリリスは同じ学園に通う仲間であったが殆ど接点がない。イジメなど出来ようものか。
そう、そのはずだと言うのに──観衆を前に弾糾されている。
当のリリスは不安そうな目をしてヴィズの腕に絡みついて、それから流し目でアステリアを睨んだ。
一連の所作に違和感を覚えながら気丈にも睨み返すとリリスが花柄の首飾りをしていることに気づいて愕然とした。
「あれはっ、私の」
視界が揺れる。
あれは、あれはヴィズからプロポーズと共に受け取った思い出の品。特注品であり、たまたま被るなどあり得ない。
そんなものをリリスが持っている。
頭に血が上ったのかアステリアはリリスの胸元に向かって手を伸ばしていた。
衝動的かつ直情的に。
この手が。
誰の手に阻まれることもなく──届く。
届いてしまう。
「きゃあっ」
なんと脆いものか。
首飾りはアステリアの手によってブチブチと引き裂かれてしまい、床に散らばってしまう。
「ちが──っ」
想像以上に容易く行われた凶行。
あわあわと散らばった破片を拾い集めるリリス。
その奥で僅かに口角を上げたヴィズをアステリアは見落とした。
平静でいられる状況では無くなってしまったからだ。
「最低だな」「ええ、アステリア嬢には幻滅したわ」「所詮は成金子爵の娘よ、品がない」「みんな落ち着け、これこれで面白くなってきただろう?」
風向きが大きく変わった。
最初はむしろヴィズの方が乱心を疑われていたのだ。
婚約破棄とは基本的に一方的であるため攻撃性が伴い、評判を落とす原因にもなり得るので仕掛け側は周到に準備する必要がある。
今回であればイジメを行なっていたというアステリアの凶悪性を実例として見せることによって、説得力を生み出した。実際に成功しているので、有効な一手だったと言えようか。
さて、崖っぷちに立たされたアステリアはどうか。
その目に光はあるか。
黒いものが宿ってはいるか。
どちらでも無かったらしい。
本当に、本当に残念そうに哀しそうに涙した。
「ヴィズ……ごめんなさい。わたしが、わたしが魅力的では無かったせいです。だからこのような事を……」
あくまでも自分のせいである。
リリスに劣ってしまった自分が悪いのだと責めたのだ。
予想と反応が違ったのだろう。
これにはヴィズも驚いてリリスを前に置いたまま言葉の刃を叩き込む。
「っ、被害者面をするな! 卑怯な女め、涙でこの場を乗り切ろうなど笑止。そも、泣くには少し早いぞ? リリスを虐めた罪を償ってもらわねばならないからな!!」
刃が突き刺さる。
被害者面などと……そんな意志はなく、真にヴィズを愛しているからこそ彼を憎む事なく自らを責めたというのに手痛い仕打ちだ。
アステリアは辛そうな表情でぎこちなく微笑んで背を向けた。
「待て! 何処へ行くつもりだ!? まだ話は──!!」
「終わりました……。悪女である私は大人しく身を引きます」
「いやいやいや、違うだろ。むしろここからが本題だ!」
「はて……そんなものは後日でよろしいのでは?」
対照的な二人である。
何か言うことがあるのならと場に留まったアステリアに胸を撫で下ろしたヴィズは、ようやっと歩み寄るためリリスの前に出る。
「そう、待つんだアステリア。言ったろう? 君には償ってもらわねばならん、今ここで」
「……私に出来ることなら」
「聞き分けがよくて助かるよ。ならばまずは──」
「ちょっと待てい! わしの作った首飾りが壊されるなんて聞いてないぞ!! まずはその謝罪からだろうが!!」
「む!?」
ここで入場してきたのは、首飾りの製作者らしき中年の職人だ。
彼はのっしのっしとヴィズに歩み寄ると、顎に人差し指を突き付け唾を撒き散らしながら吠える。
「そもそも何でアステリア嬢に作ったはずの首飾りをリリス嬢が持ってるんだ! おかしいだろ!!」
「失礼な男め、これは貴様以外の職人に作らせたものだ。第一、そもそもというのなら首飾りなんぞ同じ物がいくつあってもおかしくはないだろ」
「貴様っ、職人を愚弄したな!? 特注品ともなれば他の職人とは被らないよう作るものだ。ゆえに、この世に同じ物は一つとして存在しない!! まぁ、レシピが知られているのなら別だがな。俺たちはレシピを売ったりは…………よほど高額での取引でない限りはしない!」
少し歯切れが悪い。
ならばここで一つ、野次を飛ばしてみよう。
「誰かに売ったことがあるんですかぁ?」
「ああっ!? やっちまった。あぁ……ちょいと目が眩んじまったんだ」
「誰に売ったんです?」
「ばっか野郎。流石にそれは言えねえよ」
「金貨10枚でどうです?」
「ファっ!? ぱ、パリステン伯爵家の連中だよ」
「なるほどなるほど、よく分かりました〜」
金に目が眩んだらしい職人の白状で会場がどよめいた。
それは何故か、パリステンとはリリスの家名だからである。
当のリリス嬢もハッとして涙で濡れた顔をヴィズに向け、「どういうことです?」と問う。
「──っ、鵜呑みにするんじゃない。金に釣られて嘘を吐いただけだ」
「ばっ、こほん。職人がレシピまで売り渡したんだぞ。これ以上、恥ぃ晒そうもんなら余裕で死ねるぜ」
「ほう? ならばここで死んでみるか。いずれにせよ十分に貴様は不敬に値する。首が飛んでも文句は言えまい」
「ひっ!? 流石にそりゃぁ──」
ヴィズが剣を抜き、有無を言わず振りかぶる。
力み具合からして殺る気十分。
「アズス」
「おう」
あぁ……どうやらこの辺りが限界らしい。
「死ねい!!!」
放たれた凶刃は肉を断つ音とは程遠い硬質な音をかき鳴らす。
誰もが想起した赤い血液は──何処にも無い。
「は?」
「お嬢は血が苦手ですので」
剣と剣が交わっている。
渋い声の主は執事服を身に纏った白髪の偉丈夫。
一足先に舞台に降り立った彼の横に私は立つ。
「ありがとうアズス。もう十分よ、退きなさい」
「御意」
アズスは剣を打ち払いヴィズを後退させると、舞台袖に控えるようにしてこの場から大きく退いた。
残った私は注目を浴びているのを実感しながら誰かがその名を呼ぶのを待つ。
「リーグリード侯爵家の軍服に夜を体現したような美しい黒髪と冬の極寒を思わせる瞳に付き従う剣士……一人しかいまい。どんな蛮族かと思ったが……アメリア嬢ですな?」
ご丁寧に解説してくれたのはヴィズ。
流石、予想通り詳しい。
「うん、間違いないよ」
私が認めると観衆の騒めきが増して、途端にヴィズが青褪める。
「っ、実に大胆な登場でしたが……何用で? 私の立場で申し上げるのも気が引けるのですが、戯れであれば今は退いていただきたい」
仮面のような笑顔を顔面に貼り付けて彼は跪く。
媚び諂うような表情から考えられぬ野心に満ちた目をしている。
なるほど、伯爵位に飽き足らず我が地位をも狙うか。
「無駄な血を見たくなかっただけかな」
「であれば──」
「ただ、」
一つ、指を立てる。
件の首飾りを引っ掛けた人差し指を。
「今日のために、ひと月前から着用を禁止するなんて感心しないね」
「な──!?」
目を剥いて立ち上がるヴィズを尻目にアステリアへ首飾りを掛けてやる。
この子はキョトンとしながらも、愛おしそうに受け入れた。
「ふふ、愛らしい」
「へ?」
「でも、貴族としては世間知らず過ぎる。悪い虫の潰し方を教えてあげるから見てなさい」
アステリアの頭を撫で、今度は職人のもとへ近づくと、私は会場に響く声で一つ質問する。
「レシピを教えたのはいつ?」
「あ? ひと月前だが? てかアンタ、俺を招待したのは」「不思議、ピッタリ被ってる。じゃあもう一つ、首飾りの花言葉は何だったっけ?」
「永遠にして不変の愛……小っ恥ずかしいこと言わせんなよ嬢ちゃん」
「恥ずかしくなんてない。素敵なことだよ。まあでも、ちょっとおかしいと思わない? 二つ目を想定していない作りなのに……ヴィズは何のつもりでリリス嬢にプレゼントしたのかな。不誠実というか何というか……ねぇ」
ピシリと空気が張り詰める。
ああ、この感覚。
この感覚が心地良い。
「はっ、はは……何を言っているのですかアメリア嬢。花言葉にいったいどれ程の強制力が」
「見て」
「はい?」
「彼女の顔を見なさい」
「はぁ」
言われるがままにヴィズはアステリアを見る。
「はっ、違うでしょ」
やっぱり何も分かっていない。
私は親指を下に向けてリリス嬢を指す。
これに従い視線を下に移したヴィズはギョッとして急いで屈み込む。
「どうして!? リリスっ、何故!!!」
リリスが泣いているからだ。
ヴィズの慌て様からして、彼女が何故泣いているのかすら分かっていない。
分かっていないから、あろう事か彼は更なる悪手を打つ。
「アメリア嬢! 貴方だな!?」
「うん?」
「とぼけるな!! この変質者め。何処まで用意していたのか知らんが、いくら貴方でもこれ以上好きにはさせんぞ!!!」
変質者……か。
まあ確かに。
レシピの情報も首飾りも盗み出すためにどれだけの大金を飛ばしたか分からないし……異常な行動には違いない。でも、仕方ないじゃない。
理不尽な婚約破棄の匂いを嗅ぎ付けたんだから。
だから、何と罵られようとも構わない。
というか、私の事はどうでもいいでしょう?
ほら、怒れるリリスを何とかしないと。
「ヴィズさん……」
「おっ、おお。立ち直ってくれたか。流石はパリステン家の──」
バシ──ッ
問答無用でリリスは平手でヴィズの頬を打つ。
「パリステンは関係ありません。わたしをちゃんと見てください……っ」
「は、はぁ。ちゃんと見ているさ。君は今日も美しい」
バシ──ンンンッ
強烈である。
「あの、ヴィズさん。何でわたしが泣いたのか本当に分かっていますか?」
「そんなの、他人と同じは嫌だからで」
ズン──ッ
怒りの拳が飛ぶ。
「ヴィズさん……それも一つの正解ですけれど、ふふっ……最低ですね。でもよく分かりました。貴方がわたしを見ていないことが」
「いったた……そんな事はないさ。ああ、愛のある拳だ。ははは」
「良い顔して笑っても無駄です。もう騙されませんし、婚約も破棄します。良い社会勉強をさせていただいた事にだけ感謝ですね」
「は──? そんなっ、早まるな!」
思いのほか強かな女である。
彼女は例の首飾りを踏み付けてヴィズの元を離れるとアステリアの前に立ち、深く頭を下げた。
「ごめんなさいねアステリアさん。彼の謀略に付き合わせてしまって。まさかここまで貴方を追い詰めるようなやり方をするとは思いませんでした」
「え、謀略……? 二人の女性を好きになってしまっただけなのでは?」
「あ、あ〜……そういう受け取り方になりましたか。ええ、うん。ともかく、わたしはもう去りますので。後日、たっぷりと賠償はさせていただきます」
最後にリリスはこう締める。
「彼をまだ愛しているのなら、ここで留まって行く末を見届けなさいな。きっと、ちゃんと冷めるから」
こうして残されたのはアステリアとヴィズ、それと私と観衆。
リリスの言う通りだ。
ここから先は大詰め。
愚者がひたすらに踊るのみ。
でも手を下すのは私──ではなく、
「おいおい、どうなってるんだ」「ヴィズのやつ、まさか権力欲しさに彼女らを騙したのか?」「アステリア嬢はかなり純粋そうな女性だ。イケると思ったんだろう」「まあ、アメリア様の登場は予想外だったが……天に見放されたな」
当初はアステリアに投げ付けられていた手痛い言葉がヴィズに降り注ぐ。
彼はワナワナと震えながら、一縷の望みを掛けたのか覚悟を決めた目でアステリアに近づいていく。
それから何処ぞの王子のような所作で彼女の前に跪いた。
「私の瞳には、もはやアステリアしか写っていない。どう罵ってくれても構わない。だから……っ、婚約破棄は無かった──そういうことにしてくれないか?」
ある種、天晴れな男である。
「ど、本当に……?」
「ほっ、本当さ! 何だって買ってあげるし、いつでも側にいてやる」
「う、うーん……」
アステリアはというと忙しく視線を動かして、散らばった首飾りのところで一度止めると一歩下がって頭を下げた。
「ごめんなさい……どうしてもヴィズが私だけを見てくれているようには思えなくなって……」
彼女は憂いげに栗色の髪を弄ぶ。
「お家の事とかよく分かりません。でも……私たち、もう無理だと思います」
アステリアの正直な心の内。
それなりに長く一緒の時間をヴィズは流石にこれが本心であると認識できたのか、がっくりと項垂れて大人しく引き下がった。
「くそ……っ、ここまでか。俺と家の運命も」
彼は下の者らに撤収を命じると早急にパーティーを終わらせて去ってゆく。
アステリアへ掛ける言葉など無かった。
少しでも未練があるならば、食い下がるはずだがそれも無し。
結局のところアステリアやリリスを本当に踏み台程度としか想っていなかったのだろう。
何にせよ、決着はついた。
見届けて満足したので外様の私はさっさと外に出て、近場にある噴水広場のベンチに腰掛けた。
夜空に浮かぶ満月をぼんやりと眺めていると遠くから少し抜けたような声が聞こえてくる。
「アメリア様ぁあああ!!!」
あれは……アステリアか。
「アメリア様っ、はぁっ、はぁっ。帰るの早いですよ……ご挨拶すらちゃんと出来ていないのに」
「……」
栗色の髪と呼吸を乱し、顔を紅潮させながら、
「はぁっ、あり、はあり」
「落ち着いてね……」
しっかり呼吸を落ち着かせてから切り出す。
「ありがとうございましたッ。アメリア様が助けに来てくれなければきっと……とても悲しい事になっていました」
今でも十分悲しいですけれど……と彼女はボソッと続ける。
「どういたしまして。でも、これ以上の礼はいらない」
「それは……だめですよ。後日伺わせていただきます」
「いいのいいの。好きで勝手にやってるだけだし」
「と、言いますと?」
あー、そこは聞き返すよね。
「大好きなの、理不尽で身勝手な婚約破棄が。だから壊したい」
「はえ〜」
「おかしい?」
「いえ、ただ……不思議な方だな、と。すみません……っ」
「ふふっ、いいよ。貴方は間違ってない」
何だか長く話していると余計な事を口走ってしまいそうだ。
私はアズスを呼びつけて、名刺を渡させると腰を上げる。
「よっし、アズスおぶって〜」
「自分で歩けるだろう?」
「無理無理、昨日から国中走り回ってるから限界だよ」
「……乗り心地が悪いとか言ったら振り落とすからな」
ブツブツと文句垂れる騎士の背中に飛び乗る。
「じゃ、帰るから。ま、何かあったら私を頼りなよ」
アズスの上からアステリアに別れの言葉を投げかけると彼女は今一度深く頭を下げた。
綺麗な栗色の髪を眺めているとぐわんと視界が揺れる。
「あぶなっ、腫れ物を扱うように歩いてよ」
「壊れ物を扱うように、だろ? アメリ、疲れてるなら寝ていいぞ」
「だめだよ〜。余韻に浸るんだから」
「ああ、夢の中で浸れ」
宝石のような夜空の下、私は全体重をアズスに預けて目を閉じる。
本来は眠りたくない。
眠ってしまうとかつて私に降りかかった婚約破棄が悪夢として蘇ってくる。
だけど、アズスの背中でなら。
それと、祭りの後でなら。
きっと私は自らのため、身勝手に他人の色恋を掻き乱していくのだろう。
これから先もずっと。
過去に婚約破棄された令嬢の復讐話
お付き合いありがとうございました!
よかったら☆☆☆☆☆やブックマークなどなどで反応して頂けると嬉しいです!