第三話
別人になろう!もうただの美少女になろうと考えたソフィアは、それはもうしつこくアネットを呼び出すベルを鳴らした。この行動からソフィアがただの美少女になるなど到底不可能だというのが伺えそうなものである。
あれだけうるさくベルを鳴らしたということもあってアネットはすぐにすっ飛んできた。
ソフィアはゆっくりと振り返りとっても不思議ですという顔をつくって
「わたくし、どうやら記憶喪失みたいだわ」
と言った。それを聞いたアネットは固まっていたが、少し顔を緩ませて
「お嬢様、それは無理があります」
と言ったので、ソフィアは深くため息を吐いてアネットには事情を話すことに決めた。流石に昔からソフィアの物理的にも精神的にも一番近くにいたであろう相手を騙すのは不可能に近いとこの短い対話で悟ったからだ。
さてここでアネットを味方につけることが重要であると思ったソフィアはゲーム云々のことには触れずただ前世を思い出したこと、そのせいかはわからないがこの15年のことを忘れてしまったと素直に話した。アネットは黙って聞いている。ソフィアは続けてこのようなメイクや服装はもう必要ないこと、今後の計画ただの美少女になろう作戦を話した。
アネットは考え込んでいたようだがゆっくりと口を開いて、
「わかりました。お嬢様のことを一番見てきたのは私です。嘘か嘘でないかぐらいわかりますし、それにお嬢様の可憐な容姿を隠しているのも勿体無いと常々思っていました」
というのでソフィアはああ助かったと思いながら、どうして前世のことを信じてくれたのか、聞こうと口を開きかけた時、アネットはすごくいい笑顔で、
「でもなぜ最初から話してくださらなかったのですか?後1週間でデビュタントというのはわかっていたのですよね?時間がないことは自覚なさっているみたいですし、ああ急がなければドレスはデビュタントなので変えなくていいですが、ダンスは最低でも一曲踊れるようにならなければ奥様になんと言われるか、忙しくなりそうですね。覚悟してくださいねお嬢様たった1週間の付け焼き刃でも私はお嬢様を立派な侯爵令嬢にして見ましょう」
ここまで息継ぎなしである。このメイド肺活量も一流らしい。
「聞いていますか、お嬢様」
随分と心強い味方を手に入れたみたいだ、やっぱりアネットに話したのは正解だったとソフィアは感じていた。
「お嬢様!」
「、はい!」
こうして1週間後の決戦に向け鬼のような特訓が始まった。
とにかく時間がないので、まずはダンスをすることになり、ダンスルームがあるというのでアネットはついてくるように言ってきた。ソフィアはそういえば、部屋から外に出たことなかったなと考えながら廊下を進んだ。廊下は広く長かったが、想像していたよりずっとシンプルだった。
確かに所々にある柱や、廊下が大理石なところを見るとお金が使われているなと言った感じなのだが、いかんせん装飾が少ない。そして一番おかしな点は、明らかにアネット以外のメイドから舐められているということである。どうして舐められていかわかったかというと掃除をしているところに通りかかっても私語をやめずにソフィアのことをないものとして扱っているからだ。いくら家族からの愛情を受けていないとはいえ、侯爵令嬢に対してこの態度はおかしい。ムッとなったが、時間がないため見逃してあげた。
ソフィアの自室は一番端にありそこから、少し廊下を進んだ先でアネットは止まった。
おそらくそこがダンスルームなのだろう。
扉を開けてもらい中に入ると、結構広めな片面鏡張りのピアノがある部屋だった。そこからはもう長かった。ハイヒールと重いドレスのせい踊りづらいことこの上ない。
そしてアネットは見た目どうりというかなんというかとても厳しいのだ。ソフィアはデビュタントで踊るのが基本のワルツだけで良かったと何度思ったことか。
まあこの体は元々ダンスを覚えていたこともあってかワルツはなんとか形になりそうである。
アネットとソフィアは時間を忘れてダンスに取り組んでいたが、窓の外が朱色に染まった頃ソフィアのお腹が鳴り、今日の練習は終わりにすることにし、アネットに夕食を部屋まで持ってきてもらうことにした。
夕食は温かい野菜ブイヨンのスープに丸パン、牛ヒレ肉のステーキで、マナーも一緒に教えてもらった。前世の家がテーブルマナーにうるさかったことが役に立ち、あまり怒られずに済んだ。ソフィアはふとこの邸宅は食堂とかないのだろうか、食事とは家族でするものではないのかと思い、アネットに聞くことにした。
「アネット少し聞いてもいいかしら?」
「どうぞ、私が知っていることなら何でもお伝えしましょう」
「この邸宅には食堂はないの?」
「ございますお嬢様」
「あるのならそこで食事を取らなくてもいいの?他の家族はどうしているのかしら?」
アネットはその形のいい眉をぴくりと動かし、申し訳なさそうな顔で、
「奥様や当主様などは食堂で食事を毎食とられております。しかしお嬢様はいつもあの人たちと一緒に食事をとるなんてといっていつも自室で食事をとられていました」
と言った。これは何か深い事情がありそうだ。今はこれ以上問題を増やしてはいけないと考えソフィアは質問をやめた。
時計を見るともう遅い時間になっていた、とりあえずこの分厚いメイクと重たいドレスを脱いで楽になりたいとアネットに伝えた。アネットは入浴の準備をしてきます言い出ていった。上下水道が完備されているというゲームの設定上あるのではと思ってはいたが、風呂まであるとはご都合主義恐るべし。
30分ぐらい待っただろうかアネットが戻ってきて浴室まで案内してくれた。内部はタイルが貼られており、大きめの姿見と籠、お湯の張られた猫足バスタブが中央にある。
アネットは手際良くこの複雑な構造のドレスを脱がしていきあっという間に着ているものはシュミューズだけとなった。そして次はメイクだ、目を瞑るように言われ、クレンジングだろうか丁寧に顔を洗われた。目を開けるとアネットの肩越しにスッピンの顔が姿見に映っている、派手な髪型とは裏腹にまるで聖女のような清純さを感じさせる顔立ちはアンバランスなはずなのに、大人と子供の間の何ともいえない色香を醸し出す要因になっていた。
思わず自分の顔に見惚れていると髪は解かれていて、湯に浸かるように言われた。
アネットに裸を見せるのは正直恥ずかしかったが、ソフィアのこの体には恥ずかしい部分などあるはずもなく、髪の先から足の爪先まできっちり洗われ、体もずいぶん温まった。やはり緊張していたのだろう、リラックスしたらすごく眠たくなってしまった。
うつらうつらしながら、体を拭かれ渡されたネグリジェに着替え自室に戻った。
寝る前に水分をとったほうがいいといわれて水をコップ一杯のみ、なぜかアネットが体を撫でてきたがまあいいかと流して今日一日長かったなと思いながら眠りについた。
その次の日からは予定がぎっしり詰め込まれ、言葉遣いや、この国の歴史、この家系と関わりが深い貴族などをみっちりと教えてもらった。
日記もより深く読み込みソフィアの性格をだいぶ理解できた気がする。
一つ不思議だったことは、ソフィアは攻略対象の二人ともに特別な感情は持っておらず、ただの顔見知りだったということだ。
ではなぜ悪役令嬢になったのだろうか、謎は深まるばかりである。