68話 エルミッヒの旅立ち
「この街から出て、しばらく旅をする」
「え? 街からでて……。えっ?」
俺がピシャリと言い放つも、ベロニカはまだ吞み込めていないようだ。
え? え? と戸惑うばかりだ。
そんな難しいこと言ったか? 俺。
とてつもなく単純な話だと思うんだが。
「いいか、ベロニカ。旅に出るんだ。不思議を求めて世界をまわる」
ベロニカの肩にそっと手を回すと、諭すように語りかけた。
世界にはまだ見ぬ景色や不思議な現象がたくさんあるはずだ。
死ぬとき後悔せんようになるべく多く見ていきたい。
それに、だ。
ほかの街にも美女がたくさんいると思うんだよね。
ベロニカ、キャロ、マリーとはまた違うタイプの美女が。
そう思うと、いてもたってもいられないじゃん?
あ、もちろん、この街にも美女はいるよ? でも、もう手をだしまくってしまったんだよね。
そうなると、新規開拓したくなるのが男のサガってもんだろ。
それに一度行った場所はスカイフックで行き来できる。思いだしたらヤラシイことしにすぐ戻ってこられるし。
「納得できません!」
ところが、ベロニカは俺の手を払いのけると、声を張り上げた。
ありゃ?
納得してない?
不思議を求める旅ってダメな感じ?
う~ん、キャロは簡単にこれで食いついてきたんだけどなあ。
ベロニカは変なところで意固地なんだから、まったく。
そんなベロニカは俺に訴えてくる。
「エルミッヒさまは、自分の店を持つのが夢って言っていたではありませんか」
自分の店が夢? 俺そんなこと言ったっけ?
「自分だけの城を、好きな人と一緒に作り上げたいって」
へえ、そうなんだ。そんなこと言ってたんだ、俺。
たしかに、いかにも俺がその場しのぎで言いそうなことだなあ。
けどさ、自分の城ってそんなに魅力的かね?
掃除が大変そうじゃない?
まあ、城じゃなくて店なんだけどさ。
でも、どっちもたいして変わらんよな。
こんなもんは使いたい時だけ使えればいいのよ。
汚したら誰かに貸してさ。キレイになったら、また返してもらえばいいじゃない。
「苦労してやっと手にいれたんですよ! それを、それを……」
ベロニカはギュッと唇を噛んだ。
あらら、そんなに思いつめなくても。
「エルミッヒさまは、ここまで大きくしたものを、あっさりと捨てると言うんですか?」
ベロニカはなおも訴えてくる。
でも、そんなこと言われてもしょーがない。
飽きちゃったんだもん。
「なあ、ベロニカ。街をでるが、べつに店を捨てるわけじゃないぞ。商会の名前はエルミッヒのままだし、俺が経営者であることは変わらない」
とりあえず説得する。
さすがに飽きたとは言いずらい。
それに、店は他のヤツに任せるだけだしな。
なんなら別の街にも手を広げて、もっとドでかい商会にしてもいいし。
「分かってます。でも、二人で作り上げたものをそう簡単に人の手にゆだねるなんて……」
ベロニカはそう言うが、利益さえちゃんと回収できれば店なんぞ好きに経営してくれていいけどな。
まあ、気持ちは分らんでもない。
二人で作り上げたってところがベロニカにとって重要なのだろう。
エルミッヒ商会は、彼女の気持ちのよりどころみたいな存在なわけだ。
それに、ここまで大きくしたのはベロニカの手腕も大きいしな。
う~ん、どう説得すべきか……。
しばし考えてから、口を開いた。
「ベロニカ。自分で店を仕切るのが、そんなに重要なものか?」
この切り口で正解かどうかは分らんが、言うだけ言ってみよう。
「俺は商会をもっともっと大きくする。この街を飛びだしてさらに大きくな」
どうせべつの街に行ったとき、旅の資金を稼がにゃならんしな。
冒険者としてクエストをこなすのもいいが、そんなもん、しょせんその場限りの収入だ。
だったら新たな店をつくるのも手だ。エルミッヒ商会の支部として立ち上げれば、俺が働かずとも店が続く限り金が入ってくる。その方がずっといい。
「商会を大きくするためには、この店はいったん誰かに預ける必要がある。分かるな」
俺がそう言うとベロニカはコクリとうなずいた。
うん、ここまでは順調だ。
ならばダメ押しといくか。
「でもな。本当はそんなことはどうでもいいんだ」
「え?」
とつぜんの方向転換にベロニカは不思議そうな顔をする。
「べつに商会なんか手放したってかまわない」
「な!」
ベロニカの表情が、ここで一気に引きつった。
信じられないといった顔を俺に向ける。
「俺がこの世で絶対に手放したくないものは一つしかないんだ。お前だよ、ベロニカ」
これは正真正銘、本心だ。
店なんぞフックの能力があれば、いくらでも手に入れられるからな。
だが、ベロニカは別だ。
さまざまな偶然が重なって、たまたま手にすることが出来たのだ。
二度はない。絶対に手放すものか。
「だから、さっさと荷物をまとめろ。行かないという選択肢は認めない」
その瞬間、ベロニカの目から大粒の涙がこぼれた。
「エルミッヒさま~」
目を真っ赤にしたベロニカがギュッと抱き着いてきた。
ムホホ。
ムニャっとしたチチが当たって気持ちがいい。
相変わらずエエチチしとるな。
今晩は久々にこねくり倒してやるか……。
――ミシッ。
などと思っていると、なんか骨がきしむ音がした。
「いだだだだ!!!!」
俺の背を激痛が襲う。
ベロニカのバカ力だ。
折れる、折れる、俺の背骨が折れてしまう。
「エルミッヒさま、エルミッヒさま、エルミッヒさま」
ベロニカは、なおもものすごい力で俺を締めあげてくる。
これはマズイ。このままだと死ぬぞ。
「……ぉ、……ゥ」
クソ、離せ、このヤロウと言ったつもりが声にはならなかった。
これは本格的にヤバイかもしれん。
ならば、かくなるうえは。
――フン!
「いたいいたいいたい!!!!」
震える手でヒモを引いた。
ベロニカはぶい~んと吊り上がるのだった。
「あぶねえ。もうちょっとで絞め殺されるところだった」
街から旅立つつもりが、この世から旅立つところであった。
まったく、なんてことしてくれるんだ。ベロニカのやつ。
「鼻が~、鼻が~」
いたた。背中をさすりながら起き上がる。
なんとも言えない刺す痛みが、いまだ続いていた。
これは今日中に出発するのはムリかもしらん。
ふと空を見上げると、どんよりした雲が広がっていた。
Fin




