サンドフォークー3
砂漠の旅は、強烈な日差しと暑さとの戦いだ。隊商の朝は早く、日が昇る前には活動を始める。日が陰ることは滅多にないので、気温が高くなる日中は岩陰などの休める場所で体を休め、朝と夕に進めるだけ進む。荷車隊は地形に合わせて引き手と押し手が力を合わせる。その間に絶えず斥候を出し、先の地形や危険を確認して、避けられるものは避ける。避けられないものがあるときはその場から進まず、通り過ぎるのを待つか、覚悟を決めて押し通る。隊商の歩みは、通常の旅と比べると非常にゆっくりとしたものだ。だが、その旅路が楽であることは、決してない。
「よし、今日はこの先の岩場で休む。荷車隊は車輪や車軸の整備を忘れるな。手が空いている者は火を起こして、夕餉の用意だ。それまでの間に斥候を四方に走らせて、安全を確認させろ」
ダリルの号令で、三騎一隊の斥候が馬に跨り駆け出す。その中の一隊は、シゲンが率いるサンドフォークだ。ダリルの隊商は数人のエルフの他はほぼすべてがヒュームで、サンドフォークはレドと共に加わった十数人だけだった。大陸の西側では目にすることもないサンドフォークだが、東域の旅に慣れた者達ばかりのためか、隊商の中でサンドフォークに奇異の目を向ける者はほとんどいなかった。
「今日はドルの連中の斥候が来ませんね、ダリル殿。俺たちが合流して以来、毎日のように来ていたのですが」
ダリルの傍らには、護衛を請け負った黒銀の狼団の冒険者、ムックルとワーパイクが残っていた。護衛の多くは荷車隊に混じって荷車の整備をしている者と、斥候として出た者に分けられるが、数名はダリルの護衛としてそばについている者がいる。護衛役が交代制であることは合流して数日のレドにも分かった。
「同族の蜥蜴の顔を見飽きたんじゃないか? 」
いかにも軽い冗談、という口ぶりで若い方の男、ムックルが言い放つ。薄い笑いを浮かべたムックルの表情には、いかにもレドを見下しているような色合いが見て取れた。サンドフォークの顔つきや身体的特徴は、蜥蜴に似ていると言われる。尻尾を持ち、鱗に覆われた体は、確かに蜥蜴を思わせた。故に、サンドフォークに対して蜥蜴、というのは、完全な侮辱であった。レドがそれを感じるより先に、ダリルが口を開いた。
「ムックル殿、レドは俺の友人の息子だ。いくらこちらが頼んで護衛をしてもらっているとはいえ、聞き流せないことはある」
「これは失礼。なにせ、俺たちの暮らす王国ではサンドフォークなどという未開の人種を見る機会など、あまりないもので。どう接するのが良いのか、よく分からんのですよ」
ムックルの言葉を遮るように、年かさのワーパイクがムックルの頭をつかみ、下げさせる。突然のことに驚くムックルだが、頭を押さえるワーパイクの腕はびくともしない。
「本当に失礼した、レド殿、ダリル殿。黒銀の狼団を代表して、団員の非礼を詫びさせてほしい」
「まったく、黒銀の狼団の冒険者は腕利き揃いだって話で有名だが、人間の質は低いのかね。次の依頼先は考えることになるかもしれんな、ワーパイク殿」
「俺は気にしていませんよ、ダリル殿。ワーパイク殿も、あまり気にしないでください。東域の中でもサンドフォークに奇異の目を向けて来る者はいるので、慣れています」
「レド、そういうことを言っているんじゃない。仕事仲間に無礼な仕打ちをするような奴とは、付き合い方を考えざるを得ない、と言っているんだ」
「誠に申し訳ない。団員の教育が行き届かなかったことは、こちらの落ち度だ。この失態は働きでもって返したい、と思うが」
ムックルは頭を下げた姿勢のまま大人しくなっている。どうやら、この二人は同じ冒険者と言っても、同格ではないらしいことを、レドは初めて察した。そのワーパイクには、ムックルの頭を上げさせるつもりはないらしい。寡黙であまり表情を変えないワーパイクの突然の行動を嬉しくは思ったが、レド自身には、そこまでのことをされたという自覚がなく、困惑もしてしまった。気まずい沈黙を破ったのは、帰ってきた斥候だった。
「偵察の報告に来たのだが、ムックルの奴が何かしでかしたのか、ワーパイク?」
「サンドフォークの友人に、無礼な口を利いた。今、私の方から謝罪をしているところだ、キャップ」
馬上の男は大柄なダリルと比べてもさらに大柄で、筋肉質な鍛えられた体をしていた。キャップは馬から降りると、きれいに剃られた頭を一度撫で上げ、間髪入れずにムックルの頭を引き起こし、そのまま殴り飛ばした。丸太のような腕でムックルを無理やり立ち上がらせると、もう一度頭を下げさせる。
「何を言ったのかは知らんが、まあ大体想像はつく。どうか、これでご容赦願いたい」
「キャップ殿、俺の方は気にしていません。そこまでのことを言われたとも、思いません」
「だ、そうだ。レド殿の寛大さに感謝するんだな、ムックル。もう行け」
頬を腫らしたムックルが、無言で一礼して去っていく。まったく、と嘆息を吐くワーパイクを横に、キャップは報告を始めたいのだが、とダリルの方に向き直る。
「儂らは東の方角を探ってきた。が、やはりゴルの氏族と思しきサンドフォークがいた。騎乗の上、向こうも三騎程度だったので、おそらく斥候だな。向こうにも見つかっていると思うが、特に動きがなかったことを見ると、こちらに動きを知られている前提で、襲撃の時期を計っているのだろうな」
「キャップも、襲撃はあると思うか」
「もちろんだ、ワーパイク。これ以上東に進むと、東域王府の正規軍が出てくることも考えられる。ドルの氏族は手配書きが回るほどには、悪名が轟いているのだろう。東域王府の軍とは事を構えたくないはずだ」
キャップの分析は正確だった。東域王府アルトゥーンまでは隊商の足ではあと六日ほどかかるが、東域正規軍の誇る軽騎兵隊ならば二日で到着できる距離になる。大規模な衝突が起これば、それこそ東域正規軍が出てくることになるだろう。
「だとすると、明日、明後日には襲撃に来るか」
「そう考えて、備えるべきだろう、ダリル殿。騎馬に対する備えはあると儂は聞いているが、それはどのようなものなのだ? 」
「俺の隊商の使っている荷車の車輪は、予備の車軸と組み合わせて馬防柵を組み上げることができる。荷車は十台あるので、全部で二十の馬防柵が組める。また、荷車隊の面々にも馬防柵を使う訓練は積ませている」
「成程、戦力としてはどの程度当てにできるのかな」
「荷運びにそこまでのことを期待されても困るがな。精々が矢を射かけることと、自分の身を守ること。それぐらいだと思ってくれ。そっちはどうなんだ?」
「戦闘可能な団員は、儂らを含めて四十名。こいつらはそこそこ動ける。が、軽装なんで、槍や弓は持ち込んでおらん。騎馬や騎竜が相手では、ちょっと心許ないな」
「なにせ、我々が想定していたのは通常の野盗なものでね。まさか、騎竜兵まで相手にするとは、考えていなかった」
つるつるの頭を掻きながら、ばつが悪そうに答えるキャップの言葉を、ワーパイクが補足する。確かに、ダリルでさえ騎竜に襲われることを想定して、護衛を依頼しているわけではなかった。その意味では、黒銀の狼団を準備不足と責める気にはなれない。
「騎竜は馬よりも縦横に、機敏に動くことができます。相手の勢いを利用する馬防柵だけでは、頼りないですね」
「ふむ、ワーパイク、何か策はあるか?」
「まずは近寄らせないことだが、どうだろうな。こちらに十分な弓があれば多少は違うのだろうが」
「弓ならば、俺と共に来た連中は、全員持ってきていますし、それなりの腕前もあります」
「では、それは当てにさせてもらおう、レド殿」
護衛として付いてきている以上、ここで役に立てねば意味がない。相手が騎竜兵を使ってくる以上、勝負は弓だった。駆けてくる勢いを利用する騎馬と違って、騎竜兵の攻撃力は俊敏さと強力な爪や牙だ。近づかれれば、勝負にはならない。
「あとは、せめてこちらに有利な地形で当たりたいな。岩場を背にできるとか、陣を組みやすい場所があるといいのだが。レド殿、心当たりはあるか?」
「この先は南からの風で、砂の起伏が大きくなります。岩場のような場所は少なくなりますが、砂丘のように囲まれにくい場所ならいくつか心当たりがあります」
「成程、では明日からの進路選びにはお前の意見も加えよう、頼むぞ、レド」
東域の砂漠の土地勘は、レドに一日の長がある。ダリルもそれに劣るとは思わないが、敢えて自分の意見を入れることにしたのだ、とレドは思った。
なんとはなく軍議のような格好になったが、出せる考えは出尽くしたようで、ワーパイクとキャップは明日からの動きを確認すると言って、他の団員たちの方に戻っていった。二人だけになったところで、レドは改めてダリルに尋ねた。
「俺がこの隊商の進路を決めてしまって、本当にいいのですか、ダリル殿? 」
「勿論、お前が一人で決めるわけではない。あくまで、お前にも意見を出してもらうだけだ」
それを聞いて、少し肩の荷が下りたような気がした。下手を打てば、この隊商と護衛の百人からの人間に被害を出してしまうという重圧は、レドにとっては重すぎた。
「それよりも、本当に襲撃があるとしたら、お前とバの氏族の若者たちは貴重な戦力だ。しっかりまとめてもらうぞ」
「それは、任せてください」
そこまでなら、普段の狩猟の指揮と変わらない。それに関しては多少の自信はある。
「あとは、お前の父上から預かったものが、役に立つ。まあ、あまり気負わなくていい。とりあえず、飯にしよう。食える時に食っておかねば、動けるものも動けんからな」
そう言うと、ダリルは豪快に笑い始めた。食事と言っても、炙った干し肉と、麦の粉を練って煮た物、それに塩を少量だけ加えた白湯が出るくらいだが、温かいものが腹に入るのはやはり違う。
「よく食って、よく眠る。それだけで、十分な備えになる。そうは思わんか、レド? 」
レドは、黙って頷いて見せる。不安をすべて振り払うには足りなかったが、それでも胸の中のもやもやしたものは影を潜めてくれた。