サンドフォークー2
幕屋の外のざわめきが、ここまではっきり伝わってくる。息子であるレドの狩猟隊が戻ってきてから、いや、その前から今日は氏族全体がざわついている。
無理もないことだ、と族長、サグ・バ・ルッコリオは思った。今日は客が来る。それも、一人や二人ではない。西のアルトリオ王国から東域王府アルトゥーンまでを往復するブレイメン商会の隊商がやってくるのだ。彼らはいつも珍しい品や里の外の話を運んできてくれる。そのため、昨日あたりからちょっとした祭りのような雰囲気だ。
「失礼します、長。ブレイメン商会の者たちが到着しました」
そろそろか、と思っていると、若いサンドフォーク幕屋の中に入ってきた。日が落ちて間もないが、普段のブレイメン商会の行動を思うと、今日は少し遅い到着だ。
「そうか、シゲン、まずは彼らを休ませて、食事を出してやれ。用意はできているな?」
「はい、俺も参加しましたが、レド様が十分な獲物を狩ってきてくださいました。料理も既に準備が整っています」
このシゲンという若者は、レドの片腕のようで、細々とよく働く。戦士としてはあまり見るべきところはないが、この先、レドが自分の後を継ぐことになった時には、こういう者がレドを支えてくれるのだろう。満足げに頷いてみせると、シゲンは言葉を続けた。
「それと、隊商のダリル様がご挨拶をしたいと申しておりますが、すぐに来ていただいても大丈夫ですか?」
「何故それを先に言わんのだ。すぐに通しなさい」
ダリル・ブレイメン。彼は長年ブレイメン商会を率いて砂漠を渡る交易商だ。大商人と言って差し支えないが、本人は隊商と共に年中旅をしているため、とてもそうは見えない。大柄で、どこかの軍の兵隊長と言われてもしっくり来てしまう。
「よう、サグ、しばらくぶりだな」
「よく来てくれた、友よ。待たせたようで、失礼をした」
ダリルはそれを聞くと豪快に笑って、気にするな、と言った。こうした所はこの男が若い頃から全く変わらない。
「俺たちの方で勝手に押しかけて来ているのに、食事と寝床を分けてもらえるだけでもありがたい。その上文句まで付けたら、俺の方こそ礼儀知らずになっちまう。そんなことより、せっかく来たんだ。今夜は話せるんだろう?土産代わりにダーミアン産の蒸留酒を持ってきた、好きだろう」
「西の方の酒か、心遣いに感謝する。久方ぶりの友との時間を、誰が断るものか。すぐに食事をここに運ばせよう」
大陸を東西に横断する、東西交易路を旅するダリルは、大陸西側から中央にかけての物産を里に持ってきてくれる。もちろんそれは食料や飲料水の対価なのだが、この砂漠では入手の難しい物もあり氏族の者たちも喜んで物々交換持ちかける。彼らもここで購える竜の革や牙、爪などは大陸の西側では貴重な物であり、それを売ることで利は出ているらしい。
「ありがたいことだ、今日は何が食えるのかな」
「息子が竜を獲ってきた。その肉を血と香草で煮込んだものだ。爪や牙はすぐに渡せるが、革も一緒にとなると、しばらくかかるな」
「代金の用意もあるし、次で構わんさ。竜肉と血の煮込みか、嬉しいな、大好物だ」
声にも喜色がにじんでいる。大陸の西側に生息している竜と言えば飛竜が主流だが、個体数が地竜や砂竜に比べてはるかに少なく、捕獲や討伐ともなれば国家の一大事だと聞いている。東域でも竜肉は滅多に口に入るものではないが、他の地域と比べればまだ食卓で姿を見かけるだけましなのだという。
「飯の前だからな、味見程度にしておけ。旨いが、それなりに強いからな」
木椀に琥珀色の液体が注がれると、すぐに豊かな香りが漂ってくる。口に含むと、焼けるような刺激と共に、麦の味と香りがはっきりと広がる。酒など、東域の砂漠で育ったサグは家畜の乳から作った乳酒くらいしか知らないが、ダリルの持ってきてくれる酒はどれも素直に旨いと感じられるものばかりだ。
「旨いな」
「誰が持ってきたと思ってるんだ、俺が友人に贈るのに、外れを選んだりするものか」
椀の酒を楽しんでいると、レドとシゲンが料理を運んできた。
「お食事、お持ちしました、父上」
「お、レドか、わざわざすまんな。久しぶりだが、すっかり立派な男になった。これならサグも安心だな」
「図体だけはな。中身はまだまだ未熟だ。一族を任せるには、まだ遠い」
「何を言う、お前とてこの年頃から出来上がっていた訳ではあるまいに。この年で長の器量を十分持っていたとしたら、お前の立場がなかろう」
「これは、長が一本取られましたかな」
ダリルとシゲンが笑うのにつられて、レドも微笑む。ダリルの言い分ももっともだが、レドを次の長と見た場合、やはり物足りなさを感じてしまうサグは、苦々しく笑うのが精一杯だった。
「ところで父上、少し話したいことがあるのですが、よろしいですか。ダリル殿にも関係のあるお話なのですが」
レドとシゲンの眼が真剣なものになる。ダリルにも関係がある話、というとサグにも心当たりがあった。
「ふむ、もしや、ドルの氏族のことか」
「ドルの氏族というと、あまりいい話は聞かんな。牧を作って竜を飼い、騎竜兵を養っているというが、実際は周辺の村や隊商を襲う大規模な野盗のようだとか」
ダリルの感想に間違いはなかった。レドが昼間にあった、ゴル・ドル・ガルーバとのやり取りを語る間、サグとダリルは煮込みの汁をすすりながら、静かに聞いていた。
「それで、連中が大きくなろうとしている。それが、何かあるのか。我らバの氏族は、この黄金の砂漠で東域王府とも共存して生きる。それは分かっているはずだ」
「それが父上、ドルの奴らはダリル殿の隊商を狙っている様子なのです。奴らは近く、大きな仕事をすると言っていました。今この近辺で動いている大きな隊商は、ダリル殿のものだけです」
「ふむ、他の村や集落を襲うのではなくてか? 」
「この近くに大きな仕事、と言える程の集落はありませんよ、ダリル様。それゆえ、レド様はダリル様が狙われているのではないかと当たりをつけたのです」
「成程、このブレイメン商会のダリル様を狙うとは、ゴル・ドル・ガルーバという奴は中々見上げた度胸だな」
ダリルの隊商の規模は、とても大きい。ブレイメン商会に雇われている人員は東西交易路を旅する隊商としては皆熟練の者ばかりだし、護衛に雇われている者も一人や二人ではない。荷運びの人員まで数えれば、百に達する。それほどの規模の隊商を襲うというのは、並の野盗なら考えもしないことだ。
「ダリル殿、ドルの氏族はその辺りの野盗とは訳が違います。特に、奴らの騎竜兵は東域王府の軍でも手を焼くほどの力を持っています。ダリル殿の隊商も、少なからぬ護衛をつけておられるとは思いますが」
「訓練された騎馬であっても、地竜相手では怯えてしまいます。ダリル様の隊商が百戦錬磨と言えども、難しい相手でしょう」
「む、騎竜兵か。確かに、護衛にも騎馬に対する備えはあるが、そうか、騎竜兵か」
顎髭をなでながら思案するダリルだが、通常の隊商なら騎馬に対する備えがあるだけでも上等だ。騎馬より瞬発力に優れ、俊敏な動きをし、なおかつ凶暴な騎竜に対する備えをしている隊商など、いくらもないだろう。
「どうだろう、友よ。護衛と言うには心許ないが、息子たちを連れて行ってはもらえまいか」
「それはありがたいが、いいのか、サグ? 今は狩りの時期だろう。男手は里にも必要なんじゃないか」
「友に手を貸すのは当然のことだ。それに、息子は里の外の世界を知らぬ。いい機会だ、少し外の風に吹かれてくるのも悪くなかろう」
眼を閉じ、椀の汁をすする。辛味のある汁が、いつも以上に舌に刺さる気がする。
「レド、明日の出発までに連れていく者を選んで、支度をさせておくのだ。ダリルの出発を遅らせてはならん」
「俺がですか、父上? 」
「不服か、他に人はおらんぞ。お前がやるのだ」
一瞬、意外そうに間を開けて答えたレドに、強く命じる。レドは確かに、砂漠の狩人としては一流だった。だが、長として多くの物に目を配ることができていない。それは、他のサンドフォークの氏族との関係、交易商たちとの関係、そして東域王府との関係を調整せねばならない、長としては十分すぎるほどの傷だった。
「承知しました、父上」
しばしの沈黙ののち、レドは言い切った。サグは、黙ってうなずくと、ダリルの方に向き直る。
「東域王府アルトゥーンまでは往復で三十日もあれば十分かな、ダリル?」
「ブレイメン商会の足ならば、もう数日は早い。その分道行きはきついがな」
「シゲン、お前も着いていけ。レドのことをよろしく頼むぞ」
「はい、長、お任せください」
「それでは早速準備をさせます」
それだけ言うと、早足にレドとシゲンは幕屋を後にした。ダリルの眼が、これで良いのか、と問いかけてくる。サグは静かにうなずいて、それに答えた。
「ダリル、先刻の酒は、まだあるのだろう。今夜は飲もうではないか」
「そうだな、お前の息子が一人前の男になれるよう、願でもかけるか」
「明日には残らない程度にしておけよ」
「そんな事になるものか、酒に呑まれるほど、柔ではないぞ」
新しく木椀になみなみと注がれた酒の香りが、幕屋の中に広がる。香辛料の刺激に慣れた鼻に、麦の香りが心地よい。幕屋の外の喧騒も、レドの旅立ちを祝うかのように聞こえてくる。今夜は酔おう。椀の中身を干しながら、そう思った。