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アイリーン


 クレーネ王国は比較的治安の良い穏やかな国である。特に王都は明るい色の煉瓦造りの様々なジャンルの店が並んでいるため、街並みの美しさと買い物目当てで外国からの観光客も多い。

 そして、なんと言ってもクレーネの魅力は美酒と美食。街の至る所に飲食店が立ち並び、夜になれば酒類を提供する店の呼び込みでより賑やかになる。


「レノさーん、起きて下さい」


 そんな飲食店の一つの前に置かれている、満員の時にお客を待たせておくための長椅子で二十歳そこそこの男が惰眠を貪っていた。


「んお…?おお、リリエルの姉さん」


 レノと呼ばれたは、顔に被せたキャスケットをずらして眠そうな顔で起き上がった。


「姉さんって呼び方やめて下さいよ」


 レノに声をかけたまだ10代であろう見た目の少女は明らかに自分より年上の男からの謎の姉さん呼びにむすっとして返す。


「なんかなあ、アンタ貫禄あるから」


 一応この店の呼び込みらしいレノは、年がら年中寝てるか酔い潰れてるかしか見たことがないのだが、鼻は効くらしい。


 リリエルは魔女なのである。レノよりずっと年上だし、人生経験も勿論豊富で、レノはそれを知りようがないはずなのに、リリエルに対してはいつも年上に接するような態度を取る。


「それで、約束の品は?」

「はいはい。東洋のハーブちゃんと用意してますよ」


 レノは顔が広く、魔女のリリエルですら入手の難しい珍しい品を手に入れるルートを持っている。

 半年前にこの国に移り住んだリリエルは、偶然レノが落とした物を拾ったことがあり、その縁でレノから薬の材料などを、買い付けているのだ。

 『勤勉』という言葉から最も遠いレノが、この辺りではかなり有名な飲食店で働けているのも、珍しい食材を手に入れられるからららしい。


「では、私はこれで」


 急に聞こえた声に店の入り口を見ると、中から一人の少女が出てきた。地味な茶色のワンピースに鳶色の髪を後ろで一本の三つ編みにしている、飾り気のない少女だ。


「お嬢、お帰りですか?」

「はい。皆さんよく働いて下さってるので視察と言ってもやることはあまりないですね」


 『お嬢』と呼ばれた彼女は澄んだ水色の瞳を細めて笑う。


「そちらの方は?」


 リリエルの方を見て首を傾げた少女にレノはリリエルを紹介する。


「常連のリリエルさんです。リリエルの姉さん、こちらはこの店のオーナーの娘さんで、アイリーンお嬢様です」

「オーナーって…」


 言わずと知れた話ではあるのだが、この店は国で一位二位を争う富豪、ウェインス伯爵の事業の一つである。


「伯爵家のご令嬢でしたか」


 リリエルは慌てて深々と頭を下げる。


「そんな、畏まらないでください。大事なお客様に気を遣わせたとあっては父に叱られてしまいます」


 大富豪の貴族令嬢なのに随分控えめだとリリエルは少し驚いた。


「あの、よろしけれはこちら召し上がりませんか?」


 アイリーンは手に持った紙袋を差し出して微笑んだ。


 アイリーンの思いがけない言葉により、リリエル達はレノが寝ていた長椅子に腰掛けて、即興のおやつタイムを始める。


「美味しい!このマフィン、どこのですか?」

「クレア・ベンのです」

「ええ?!超高級店じゃないですか…!私なんかが食べちゃって良かったんですか?」


 リリエルは驚きでマフィンを落としそうになった。


「いいんです。元は婚約者の頼みで購入したのですが、婚約者がお菓子を贈りたかった()()がマフィンはお嫌いだそうで…」


 そう語るアイリーンの目はどこか荒んでいる。


「相変わらず困ったお方ですね」


 レノの言い方からして、このような我儘はいつものことらしい。


「あの、こんな話してて不敬罪になりませんか?」


 アイリーンの婚約者はこの国の第一王子だったと思い出したリリエルは慌てて確認を取る。


「大丈夫ですよ。今の格好の私を見て何者かわかる人は殆どいませんから」


 たしかにアイリーンは『婚約者』の話をしているのであって、『王子』という言葉は出していない。


「今回のお相手はお菓子好きなんですかい?」


 レノの言葉にアイリーンはため息をついて頷いた。


「はい。まあ、宝石とかドレスより安いからありがたいんですけど、その分好き嫌いが激しくて」

「あの、()()()というのは…」

「婚約者が懸想している相手です」


 ストレートすぎるアイリーンの言葉にリリエルは目眩を覚えた。


「それは、許してしまっていいんですか…?」

「色々試してみたのですが、あれはもう不治の病なので」

「婚約を決めたのはあちらのご両親ですしねえ」


 つまり、王家が決めた婚約なのでアイリーンには覆せないという事である。


「せめて、贈り物はその婚約者さんに買わせるべきなのでは」

「彼は浪費家なんです。自分が自由にできるほとんど使い込んでて…その辺含めて我が家との縁談を進めたのでしょうね」

「浮気に浪費…」


 とんだ不良物件(ダメおとこ)である。


「仕方ないと諦めてはいても、ストレスは溜まるので時々ここで愚痴ってるんです」

「お嬢のお話ならいくらでも聞きますぜ」

「レノさんが食べ物目当てなのは分かってます」


 ふんとそっぽを向くアイリーンは地味な格好をしているとはいえ、とても可愛らしい。


「レノさん雇い主の娘さんに食べ物たかってるんですか?」


 理由は分からないがレノにはそこそこの額の借金があり、給料の殆どが返済に充てられ、残りの額は酒と賭博に使われるため、いつもお腹を空かせているのだ。

 リリエルもたまに差し入れを持って行っている。


「たかってはいませんて。たまたまお嬢と会う時腹ペコなだけで」

「私もタダで愚痴を聞いてもらうのは気がひけるので。いつもはその辺の露天に売ってるものを適当に買ってるんです」


 リリエルはアイリーンの謙虚さに感服した。


「お嬢ほどお優しいご令嬢はいないって、婚約者殿も気づくといいんですけどねえ」

「優しいんじゃなくて、都合がいいだけですよ」


 アイリーンのやややさぐれだ口調にレノはふはっと笑った。


「そんなこと自分で言っちゃあいけませんよ。旦那様もこの店の皆も、勿論俺もお嬢のことが大好きなんですから」


 レノの言葉にアイリーンは小さく頷く。


「うん…知ってる」


 アイリーンの子供のような反応にリリエルが意外に思っていると、ドスの効いた声がその場に響いた。


「レノ!いつまでサボってんだ!開店前に掃除しとけって言ってるだろ」


 店の中から料理長が顔を出す。レノはしっかりサボり中だったらしい。


「はいはい、ただいま」


 レノがのっそり立ち上がると料理長はアイリーンにお辞儀をして店内に戻って行く。


「お嬢、ご馳走様でした」

「レノさん、お仕事はちゃんとして下さいね」


 アイリーンの言葉にレノはお行儀よく返事をすると店内に戻っていった。


「あの、リリエルさん。よかったら残りのマフィンも持って帰りませんか?家の者がこの包みを見つけたらまた心配させてしまうので…」

「喜んで。私は甘いもの好きなんです」

「良かった」


 微笑むアイリーンからは本当にいい人なんだろうなという感じが伝わってくる。


「お嬢様も大変なんですね…」

「その分恵まれた環境で生きてきましたから」


 アイリーンは大きく伸びをして立ち上がる。


「ダメな人って分かってるのになんで好きになっちゃうんだろうなあ」


 アイリーンは呟く。


「リリエルさん、お話聞いて下さってありがとうございました」


 振り返ったアイリーンは、何の迷いもない澄んだ瞳をしていた。


***


「うーん、どうにかできないかな」

『また人間同士のちちくり合いに首を突っ込むの?やめときなよ』


 街から離れた森の中にリリエルの今の家はある。

 手土産のマフィンを片手にアイリーンの話をカラスにしたのだが、カラスからは素っ気ない返事が返ってくる。


「でも、こんな高いもの貰っちゃったし…ねえ?」

『いらないからくれたんだろ。そうやって何でも貰ったらお返ししなきゃって考えるのお節介おばさんっぽいよ』

「おばさんは余計よ」


 リリエルがヒョイと杖を振るとカラスが食べていたリンゴがフワリと宙に浮き上がる。


『あー!やめてよ!』


 カラスが空飛ぶリンゴと追いかけっこをしているのをぼんやり眺めながらリリエルは考え込む。


(浮気に効く薬とか作れないかな…)


***


「ありゃ、リリエルの姉さん…酷い隈ですねえ」


 一ヶ月後、久々にレノの所に顔を出したリリエルは一目で分かるほど疲れ切っていた。


「色々忙しくて…」


 浮気に効く薬を作ってみようと軽く考えたリリエルだが、待っていたのは想像以上の困難だった。

 惚れ薬や洗脳の類の薬はあるのだが、それでは一時的な効果に過ぎない。体質改善的な効能で浮気に効くものが作れないかと試行錯誤したのだが、今ある知識だけでは完全にお手上げである。


(浮気は男の本能ってあながち間違いじゃないのかも…)


「最近まともな食事を摂っていなかったので食べに来たんです」

「是非どうぞ。ご案内しますよ」


 レノは珍しく二階席へ案内してくれた。

 二階席へは基本的に予約席で、貴族がお忍びで使うことも多いらしい。


「えーっと、この季節のパスタとリブロースステーキの特大とビーフシチューとシーフードグラタンとパエリアときのこのリゾットとオレンジジュースとあとデザート全種類…以上で」

「デ、デザートは食後になさいますか…?」

「一緒で大丈夫です」


 ドン引きする店員を気にも留めず、早く来ないかなーとリリエルは足をパタパタさせていると、奥の席の会話が聞こえてきた。


「こんなの間違ってるわ!」

「ここでそのお話はやめましょう?フローラ様」

「なぜ?彼女のやり方が間違っているのは明白よ。身分が低いだけで私が遠慮しなければならないなんておかしい!」


 どうやら、どこかの令嬢たちが愚痴っているらしい。


「あんな風に権力を振り翳して社交界中の令嬢を脅迫するなんて、貴婦人のやり方ではないわ」

「ですが、彼女の言うことは最もですわ。婚約者のいる男性と親しくしすぎるのは…」

「私はお友達として親しくさせていただいているだけよ。それすらも許さないなんて、狭量にも程があるわ」

「まあ、厳しすぎるとは思いますけど」

「彼女が婚約者なのはご実家の財力のおかげで、彼女自身には何の魅力もないじゃない。あんな厚化粧の女に私が劣るなんて思えないわ」


 ()()として親しくしているだけという割には対抗心むき出しである。


「おまたせいたしました。季節のパスタときのこのリゾットです」

「ありがとうございます」


 リリエルのテーブルに料理を持ってきた店員は帰り際にちらりと件のやかましい令嬢たちのいる席を見て戻っていく。


「でも少し不思議ですわよね。アイリーン様、最近までは婚約者様がどれだけ他のご令嬢と親しくされていても何もしていなかったのに」

「しいっ!駄目よ名前出しちゃ」

「あっ、ごめんなさい…つい口が滑って」


 名前を出さずともここの従業員には誰の話をしているのか薄々ばれてた感はあるが、リリエルはこの会話を聞いてやはりアイリーンの話だったかと内心溜息をつく。

 フローラという令嬢が王子の今の交際相手らしいが、アイリーンは思いのほか厳しく牽制しているようだ。


(でも、話の内容とこの前会ったアイリーン様が一致しないなあ…)


 リリエルがたらふく食べている間に令嬢たちは帰っていった。


「ごちそうさまでした」


 リリエルが店を出るとレノとアイリーンがいつもの椅子で話をしていた。レノと話すアイリーンの朗らかな笑顔を見ていると、ますます先ほどの令嬢達の話が信じられないとリリエルは感じた。


「おっ、リリエルの姉さん。よく食ってたみたいですね」

「いつもありがとうございます」

「おいしかったです」

「あの、二階席騒がしかったですよね?すみません」


 なぜアイリーンがそのことを知っているのかと思ったが、もしかしたらリリエルが店に入る前からアイリーンも来ていて従業員から彼女たちの話を聞いてきたのかもしれない。


「いえ、盗み聞きしてるみたいで少し気まずかったですけど…その、アイリーンさんは話の内容とか知ってるんですか?」

「まあ、予想はついてます。彼女の件は私も心苦しいんですけど、もうこれ以上は金銭的に…」

「プレゼント代とかですか?」

「そうじゃなくて、お嬢の婚約者はコロコロお相手を変えてるもんだから、将来的に養わなきゃいけない女性がすごい人数なんですよ」


(おおう)


「今までは人数的にぎりぎり養えそうだったんですけど、これ以上増えられると…」


 頬に手を当てて溜息をつくアイリーン。


(あれ?)


 リリエルは少し違和感を感じて首をかしげる。


「なので、思い切って社交界の女性たちに圧をかけてみることにしたんですけど、ちょっと効果ありすぎたみたいで」


 アイリーンが妙に晴れ晴れした笑顔なのは、今までのストレスを多少発散できたからだろうか。


「でも、アイリーン様他のご令嬢から顰蹙買いませんか?」

「それはそうですけど、大した負担じゃありません。彼の婚約者になりたい女性は多いですから、今までも私を嫌ってる方は少なくなかったですし」


 大人しく謙虚な印象のアイリーンだが、中々図太い性格らしい。


「まあ、有象無象のご令嬢じゃお嬢の敵になりませんよ」

「物騒な言い回しですね」

「私を婚約者の座からおろせるのは、それこそ婚約者のご実家くらいでしょうね」


 アイリーンの冗談にレノは「わははは」と笑う。


(こういうこと言うとフラグになったりして…)


 異国で婚約破棄現場を目撃したことがあるリリエルの予想は残念ながら当たってしまうのだった。


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