008 ヴェールを被っていても、考えていたことが顔に出ていたらしい。
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それは、とある日のことだった。
聖女の部屋から三階へ降りていくと先客がいた。
「小さなモチーフでも随分な神力が宿るんだねぇ」
「グラシア王子?!」
王子は興味深そうにレースモチーフを手に取って眺めていた。
十センチ四方の、薔薇の透かしデザイン。
出来上がったレースモチーフを籠に詰めたものは、食堂に置いていた。
コースター代わりに使えればいいかなと安易に考えていたのだ。
「お越しになると言ってくだされば、お迎えに上がったのに」
「突然来て、驚かせたかったのさ」
えぇと、たぶんわたしよりシェフの方が驚いていると思いますー……。
ヴェール越しにもシェフの動揺が伝わってくるもん。
というか、グラシア王子。
なんなら先におやつを食べている。
今日はフルーツたっぷりミルクレープのようだ。
何故だかグラシア王子はちょくちょく聖女の塔へやってくる。
王子なのに暇なんだろうか?
「座ってくれたまえ。飲み物はコーヒーでいいかな?」
尋ねてくるけれど淹れるのは当然ながら王子ではない。
「は、はい」
「ミルクレープはフルーツたっぷりのものに限る。昔、クリームをとにかく味わってほしいと言われてシンプルなものを食べたことがあるが、物足りなくてたまらなかった」
「は、はぁ」
シェフがちょうどいい温かさのホットコーヒーと、大きなミルクレープをわたしの前に置いてくれた。
フォークでひと口サイズに切って口に運ぶと、もちもちながらあっさりとしたクレープ生地と、濃厚なクリームがいっぱいに広がる。
フルーツはいちごとキウイとラズベリーだろうか。
甘くて酸っぱくて、すばらしいバランスである。
ここに苦いコーヒーを流し込むと、永遠に食べ続けることができる。ひじょうに罪深い組み合わせである。
「どうだい? 勉強は捗っているかな」
「な、なんとか」
「定例である聖女のお言葉の日は。まぁ、堂々としてればあっという間さ。もしも言葉に詰まったら、神の御心のままにとでも答えておけばいい」
小声でアドバイスしてくれるのはいいけれど、デセオが耳にしたら目くじらを立てそうな発言だ。
忠誠心たっぷりのデセオとは対照的に、王子は当代聖女への執着心があまり感じられない。
これで王子でなければ気さくな友人関係が構築できそうなのに、残念ながら王子だという点で気を張って接しなければならないのが現実である。
王族は髪と瞳の色があかいのが、血族の証らしい。
かつては神の系譜に連なっていたのだとかそうでないとか。
それがよく似合っているのだから、つくづく、顔の造形がよければすべて許されるのだと感じてしまう。
「軟禁生活に飽きてきただろう。勉強も頑張っているようだし、散歩でもどうだい」
「いいんですか?」
「散歩と言っても城の外には出せないけどね。僕の植物園を案内してあげよう」
「植物園」
この王子、ふらふらしているところしか見ていない。
王子としての仕事はないんだろうか?
「心配しなくても大丈夫だよ。僕は優秀なんだ。働くときは働くし、休むときは思い切り休む。今だって現在進行形で重要な案件を進めているところだ。一方で植物園の管理は、僕の仕事の一環だ。植物の研究をしているのさ」
しまった。
ヴェールを被っていても、考えていたことが顔に出ていたらしい。
「植物の研究、ですか」
「青い薔薇を咲かせるための組み合わせを考えたり、食用にできる花の開発をしたり。毒や薬になりそうなものも実験したりしている」
青い薔薇かー。
たしか、元の世界でも花言葉は『不可能』だったけれど、実現したことで『夢が叶う』に変わったというニュースを見たような気がする。
この世界でも青い薔薇というのは咲かせるのが難しいようである。
「是非とも見てみたいです。というか、いい加減に外の空気を吸いたいです」
「ははは。そうだと思ったよ」
待ってましたと言わんばかりにグラシア王子が立ち上がった。
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「す、すごい……です!」
植物園と言うからには、そこそこの広さがあるとは思っていたのものの。
まず案内された薔薇園だけで想像を上回っていた。
道の両脇に、種類ごとにきちんと分けられて薔薇が咲いている。
一般的にイメージするような赤い薔薇から、丸い花びらがフリルのようになっているものまで、形も色もさまざま。
きちんと手入れされているのが伝わってくる咲きっぷりに感嘆が漏れてしまう。すごく、すごい。
ほのかな薔薇の香りも心地いい。
「そんなに喜んでもらえるなんて光栄だね」
グラシア王子が朱色の瞳を細めた。
そして道の途中で立ち止まる。
「ほら、ご覧。これが私の青い薔薇だよ」
薔薇に顔を近づける。
誰もいないしいいかな、と、ちょっとだけヴェールを上げてみる。
濃い青ではなく、少し紫の混じった、淡い淡い青色だ。
可憐だけどどこか力強い感じがする。
ヴェールを被り直して王子に向き合う。
「すてき、ですね。王子には植物を育てる才能がお有りなんですね」
「植物に対して才能が必要なのかい?」
「わたしにはこんな風に咲かせられないと思います」
何せ、スーパーマーケットで買ってきた豆苗を家でもう一度生やそうとして、腐らせた身である。
きょとん、としてから王子は答えた。
「ありがとう。しかしイロハの場合は、レース編みに才能があるからね。人間、うまい具合にできてるんじゃないかな」
優雅に笑みを零す王子。
薔薇と同じくらい、観賞用だと思ったりするのだった。
「そうですね。うまい具合にできているのかもしれませ、きゃあっ!」