036 まさかここに戻ってくるとは思わなかった。
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「お兄様っ! ごめんなさい……っ!」
その言い方ですべてを察したのだろう。
目を閉じていたたグラシア王子はゆらりと立ち上がって、こちらへ歩いてきた。
「ははは。気にしなくていいよ、レフィナド。助けてくれると信じていたから」
「王子はばかです。どうして犯人じゃないのに、幽閉を受け入れたんですか」
最小限にまとめた怒りをぶつける。
だけど王子は意に介してくれない。そういうひとですよね、王子って。うん、知ってました。
「否定する材料が足りていなかったからね。イロハなら、きっと揃えてくれると信じていた」
レフィナド王女が牢の鍵を開けると、慌てることなく王子は檻の外へ出てきた。
「って、知っていたんですか……?」
「薄々気づいてはいた」
ふわっと微笑む王子の、瞳の奥は笑っていない。
「だから調べていたんだが、現時点では彼の方が上手だったということさ。さて、形勢逆転のために何をしようか」
「デセオのところへ向かいます」
「どうやって? 田舎に帰ったのではないかもしれないよ?」
「まずは引き払った屋敷に行きます。何か、手がかりが残っているかもしれません」
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まさかここに戻ってくるとは思わなかった。
この世界で最初に眠った、騎士団長の屋敷。
ちょうど次の主のために大掃除が行われているところだった。
「お久しぶりです、イロハさま」
金髪ツインテールのメイドさんが深々とお辞儀をしてくれる。
なんだか、あの日のことが遠い昔みたいだ……。
というかこの屋敷のひとたちは、わたしが身代わり聖女だって知っているんだろうか。
あまり追及すべきことでもないので、敢えて黒いヴェールを外すことにした。
「デセオの部屋は、もう掃除を終えてしまいましたか? 探しているものがあるんですが」
「えぇと……」
困ったようにメイドさんが視線を逸らす。
すると白いマントを被っていたグラシア王子が、フードを取り去った。
朱色の髪がさらっとなびく。
「王子の名においても、だめかな」
メイドさんの表情が驚きに変わる。
「グラシア王子?! ご病気がよくなられたんですね!」
「あたくしもいましてよ」
同じくレフィナド王女も朱い髪を見せた。
「レフィナド王女まで!? 失礼しました、どうぞご覧ください」
がちゃり。
主不在の部屋は、物が詰まっているのに空っぽだった。
本棚の本を一冊ずつめくりながら王子が呟く。
「用意周到な男だ。手がかりがあるとは思えないけれどね」
「だからこそ見つけられる何かがあるかもしれません」
答えつつ、レフィナド王女に視線を向けた。
時を刻み続ける時計に触れて、かたまっている。
……好きだった人を疑うって、辛いだろうな。
「……ん?」
はらりと、王子の持っていた本から何かが落ちた。
「押し花の栞……?」
「赤と紫のアネモネだね」
拾い上げた王子が即座に答えた。
「赤のアネモネの花言葉は『君を愛する』。紫は、『あなたを信じて待つ』。まるで私とイロハみたいだ」
「王子? 何を言っているんですか?」
「本気だよ」
「そこは、冗談だよ、では……?」
くすくすと王子が笑って返す。えぇと……?
いつもの調子で、よかったといえばよかったけれど。
「花自体はどこにでもあるものですが、この栞に結ばれた紐は、北部特産のものだね」
「……デセオ様は北部の山奥のご出身ですわ」
レフィナド王女が補足してくれる。
「ほんとうに田舎へ帰っている可能性もある……?」
「行ってみる価値はあるだろうね」
「それって、どれくらいの距離ですか?」
土地勘がないので尋ねてみると、王子が肩を竦めてみせた。
「十日はかかる」
「なんと。もし違ったときのダメージが大きい距離……」
「イロハにはとっておきがあるのでは?」
「それって精霊王のことを言ってます?」
いや、流石にそんな遠い距離を頼むのは気が引ける。
『呼んだか』
「わっ!?」
突然部屋の中央に銀の狼が現れた。
呟いただけで現れないでほしい。心臓に悪い。
グラシア王子が薄く笑みを浮かべて挨拶する。
「ご無沙汰しております、精霊王」
「ベルダー。貴方は知っていたんですよね? だとしたらお願いです。デセオの元へ連れていってください。話がしたいんです」
『ようやくそこまで辿り着いたか。しかし全員は乗せていけぬぞ』
「わたしと、グラシア王子で。いいですよね?」
朱い髪のふたりが頷く。
「当然」
「……勿論ですわ」
ところがベルダーは残念そうに息を吐き出した。
『……男か』
「ベルダー?」
『冗談だ』
微妙に笑えないのでやめてください、ベルダー。
乗ってきた馬車でレフィナド王女が帰っていくのを見届けてから、わたしたちはベルダーの背に乗せてもらう。
前が王子で後ろがわたし。
まるでバイクの二人乗りみたいだ。やったことはないけれど。
夕暮れの涼しい風が吹きはじめた。
『行くぞ』
「お願いします」
ふわっ、と宙に浮く精霊王。
そこから一気に上昇して、道のない空を銀の狼が駆ける。
空はだんだん青を薄くしていき、オレンジ色に染まっていく。
精霊王のふしぎな力で快適ではあるものの、ぎゅっ、とわたしはグラシア王子にしがみついた。
男のひとにしがみつくなんて気が引けるけれど、王子だと自然とできてしまう。
「実に爽快だ。人間がこんな乗り物を開発できたら楽しそうだ」
初めて乗った筈なのに王子はとても楽しそうだ。
空を飛ぶ乗り物? 飛行機かな?
「金属の浮力を使って浮くっていう乗り物もありますよ」
「なるほど。その方面の研究も楽しそうだ」
街はあんなに暑かったのに、眼下に広がる景色には白が混じるようになってきた。
山と山の間にある小さな集落が見えてくると、ベルダーは迷うことなくふわりと降りた。
「さ、寒っ!?」
くしゅんっ。
ベルダーから離れた途端に寒い。寒すぎる。
それもそのはずで、はらはらと雪が降っていた。気温差で風邪を引きそうだ。
ふわっっと何かを被される。
レフィナド王女が王子に預けていたレースモチーフブランケットだ。
「ありがとうございます、王子」
「イロハの編んだものだからね。私よりもイロハがかけておくべきだろう」
確かに、ないよりは、温かい……。
『帰るときには呼ぶがいい』
「はい。行ってきます」




