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036 まさかここに戻ってくるとは思わなかった。

★ ★ ★




「お兄様っ! ごめんなさい……っ!」


 その言い方ですべてを察したのだろう。

 目を閉じていたたグラシア王子はゆらりと立ち上がって、こちらへ歩いてきた。


「ははは。気にしなくていいよ、レフィナド。助けてくれると信じていたから」

「王子はばかです。どうして犯人じゃないのに、幽閉を受け入れたんですか」


 最小限にまとめた怒りをぶつける。

 だけど王子は意に介してくれない。そういうひとですよね、王子って。うん、知ってました。


「否定する材料が足りていなかったからね。イロハなら、きっと揃えてくれると信じていた」


 レフィナド王女が牢の鍵を開けると、慌てることなく王子は檻の外へ出てきた。


「って、知っていたんですか……?」

「薄々気づいてはいた」


 ふわっと微笑む王子の、瞳の奥は笑っていない。


「だから調べていたんだが、現時点では彼の方が上手だったということさ。さて、形勢逆転のために何をしようか」

「デセオのところへ向かいます」

「どうやって? 田舎に帰ったのではないかもしれないよ?」

「まずは引き払った屋敷に行きます。何か、手がかりが残っているかもしれません」




★ ★ ★




 まさかここに戻ってくるとは思わなかった。

 この世界で最初に眠った、騎士団長の屋敷。


 ちょうど次の主のために大掃除が行われているところだった。


「お久しぶりです、イロハさま」


 金髪ツインテールのメイドさんが深々とお辞儀をしてくれる。

 なんだか、あの日のことが遠い昔みたいだ……。


 というかこの屋敷のひとたちは、わたしが身代わり聖女だって知っているんだろうか。

 あまり追及すべきことでもないので、敢えて黒いヴェールを外すことにした。


「デセオの部屋は、もう掃除を終えてしまいましたか? 探しているものがあるんですが」

「えぇと……」


 困ったようにメイドさんが視線を逸らす。

 すると白いマントを被っていたグラシア王子が、フードを取り去った。

 朱色の髪がさらっとなびく。


「王子の名においても、だめかな」


 メイドさんの表情が驚きに変わる。


「グラシア王子?! ご病気がよくなられたんですね!」

「あたくしもいましてよ」


 同じくレフィナド王女も朱い髪を見せた。


「レフィナド王女まで!? 失礼しました、どうぞご覧ください」


 がちゃり。


 主不在の部屋は、物が詰まっているのに空っぽだった。

 本棚の本を一冊ずつめくりながら王子が呟く。


「用意周到な男だ。手がかりがあるとは思えないけれどね」

「だからこそ見つけられる何かがあるかもしれません」


 答えつつ、レフィナド王女に視線を向けた。

 時を刻み続ける時計に触れて、かたまっている。


 ……好きだった人を疑うって、辛いだろうな。


「……ん?」


 はらりと、王子の持っていた本から何かが落ちた。


「押し花の栞……?」

「赤と紫のアネモネだね」


 拾い上げた王子が即座に答えた。


「赤のアネモネの花言葉は『君を愛する』。紫は、『あなたを信じて待つ』。まるで私とイロハみたいだ」

「王子? 何を言っているんですか?」

「本気だよ」

「そこは、冗談だよ、では……?」


 くすくすと王子が笑って返す。えぇと……?

 いつもの調子で、よかったといえばよかったけれど。


「花自体はどこにでもあるものですが、この栞に結ばれた紐は、北部特産のものだね」

「……デセオ様は北部の山奥のご出身ですわ」


 レフィナド王女が補足してくれる。 


「ほんとうに田舎へ帰っている可能性もある……?」

「行ってみる価値はあるだろうね」

「それって、どれくらいの距離ですか?」


 土地勘がないので尋ねてみると、王子が肩を竦めてみせた。


「十日はかかる」

「なんと。もし違ったときのダメージが大きい距離……」

「イロハにはとっておきがあるのでは?」

「それって精霊王のことを言ってます?」


 いや、流石にそんな遠い距離を頼むのは気が引ける。


『呼んだか』

「わっ!?」


 突然部屋の中央に銀の狼が現れた。

 呟いただけで現れないでほしい。心臓に悪い。


 グラシア王子が薄く笑みを浮かべて挨拶する。


「ご無沙汰しております、精霊王」


「ベルダー。貴方は知っていたんですよね? だとしたらお願いです。デセオの元へ連れていってください。話がしたいんです」

『ようやくそこまで辿り着いたか。しかし全員は乗せていけぬぞ』

「わたしと、グラシア王子で。いいですよね?」


 朱い髪のふたりが頷く。


「当然」

「……勿論ですわ」


 ところがベルダーは残念そうに息を吐き出した。


『……男か』

「ベルダー?」

『冗談だ』


 微妙に笑えないのでやめてください、ベルダー。


 乗ってきた馬車でレフィナド王女が帰っていくのを見届けてから、わたしたちはベルダーの背に乗せてもらう。

 前が王子で後ろがわたし。

 まるでバイクの二人乗りみたいだ。やったことはないけれど。


 夕暮れの涼しい風が吹きはじめた。


『行くぞ』

「お願いします」


 ふわっ、と宙に浮く精霊王。

 そこから一気に上昇して、道のない空を銀の狼が駆ける。


 空はだんだん青を薄くしていき、オレンジ色に染まっていく。


 精霊王のふしぎな力で快適ではあるものの、ぎゅっ、とわたしはグラシア王子にしがみついた。

 男のひとにしがみつくなんて気が引けるけれど、王子だと自然とできてしまう。


「実に爽快だ。人間がこんな乗り物を開発できたら楽しそうだ」


 初めて乗った筈なのに王子はとても楽しそうだ。

 空を飛ぶ乗り物? 飛行機かな?


「金属の浮力を使って浮くっていう乗り物もありますよ」

「なるほど。その方面の研究も楽しそうだ」


 街はあんなに暑かったのに、眼下に広がる景色には白が混じるようになってきた。

 山と山の間にある小さな集落が見えてくると、ベルダーは迷うことなくふわりと降りた。


「さ、寒っ!?」


 くしゅんっ。


 ベルダーから離れた途端に寒い。寒すぎる。

 それもそのはずで、はらはらと雪が降っていた。気温差で風邪を引きそうだ。


 ふわっっと何かを被される。

 レフィナド王女が王子に預けていたレースモチーフブランケットだ。


「ありがとうございます、王子」

「イロハの編んだものだからね。私よりもイロハがかけておくべきだろう」


 確かに、ないよりは、温かい……。


『帰るときには呼ぶがいい』

「はい。行ってきます」

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