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003 恭しく両手で差し出されたかぎ針は、確かにぴかぴかになっていた。

 入室してきた人間には見覚えがあった。

 昨晩、わたしを馬から下ろして地下牢へ放り込んでくれた、執事っぽい身なりの男性だ。

 深く皺の刻まれた顔と骨ばった手。

 若かった頃は輝いていただろう金髪の艶は落ち着いていて、前髪を整髪料で後ろへ流している。

 執事っぽいと判断したのはスーツのようでそうでない、黒と白のかっちりといした服を着ているからでもあり、物腰が柔らかく見えるからでもある。


「お、おはようございます……? おかげさまでぐっすり」

「間もなく女性の使用人が参りますので、身支度を整えてください」

「え、あ、はい?」


 急展開も急展開。

 推定執事さんと入れ替わるように、メイドっぽい女性が入ってきた。

 執事さんと同じく、黒と白を基調にしたワンピースを着ている。

 年齢は十代半ばだろうか。

 金髪のツインテールがよく似合っている。子どもの頃遊んだ人形みたいにかわいらしい。


「失礼いたします」

「し、失礼、されます?」


 まだベッドのなかにいる深々と頭を下げた後、推定メイドさんは愛想笑いを浮かべることもなくわたしを見てきた。


「お嬢様。勝手ながら着替えをさせていただきました」

「あ、ありがとうございます」


 着替えさせたのは彼女らしい。とりあえず同性だったことに安堵だけしておこう。あとでパジャマがどうなったか訊いてみよう。


「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


 ひゃっ! お嬢様だってー!

 人生で初めてそんな風に声をかけられたよー!


 という心中の悲鳴はさておき、名前。

 この世界での名前の定義が分からないから、苗字は省略でいいかな。


「イロハです」

「イロハさま。こちらは磨いておきましたので、大事にお持ちください」

「ありがとうございま……あ! かぎ針!!」


 パジャマじゃなくて、かぎ針ですか、そうですか。

 恭しく両手で差し出されたかぎ針は、確かにぴかぴかになっていた。


「あの、因みに、パジャマは……?」

「洗濯して干しているところです」

「ありがとうございます。いろいろと、えぇと」


 感謝を重ねても推定メイドさんは無表情のままだ。


「イロハさま。湯浴みへご案内いたします。お体を清められましたら、こちらにお着替えください。その後はお食事の時間でございます」

「え、あ、はい……?」


 湯浴みっていうのはお風呂ですか、とは訊けなかったし、やっぱりお風呂のことだった。

 まるでプールみたいな大浴場に浸かっているのは、わたしだけ。


「はぁー。ごくらくごくらくぅ……」


 やはり日本人たるもの、温泉っぽい場所では最大限に満喫せねばなるまい。


「イロハさま。湯加減はいかがですか」


 扉の向こうから推定メイドさんの声が響いてきた。


「最高です……」

「そうですか。では、失礼いたします」

「ぎゃっ!?」


 乱入してきた推定メイドさんにより体を洗われ、いかにもファンタジーっぽい黒いワンピースに着替えさせられ、髪の毛を丁寧に梳かれてしまった。

 ひぃい……。

 世の中のお嬢様ってこんなことまでしてもらえるの?

 わたしには無理だ……。かえってぐったりしてしまった……。


 しかし悲しいかな、ほかほかとわたしの肌からはいい香りが漂っている。

 黒髪は艶が出て、指通りもなめらかになった。


 黒いワンピースはハイネックで、長袖の先は花のように広がっている。丈も長くてくるぶしまで隠れるので、露出部分がほとんどない。よく見れば、スカートの裾には光沢のある黒い糸で花の模様がぐるりと刺繍されている。

 薄いベルベットみたいな素材で着心地はとてもいい。


 この世界はどうやら室内でも靴を履いたままの文化らしい。

 用意された靴はワンピースと同じく黒のブーツで、肌の見えていた足首もすっかり隠れてしまった。


「イロハさま、こちらへどうぞ」


 次に案内されたのは、テレビでしか観たことのないような広すぎるダイニングルームだった。

 壁の色は高級感のあるライトブルーで、天井には金色で縁取られたパステルカラーの幾何学模様が広がっている。

 そんな天井には、立派なシャンデリアが三つ。


「それなりに見られるようにはなったか」

「!」


 縦に長いダイニングテーブルの奥。つまり上座に、昨日、わたしを捕らえた男が座っていた。


「名をイロハというのだとか? おかしな名だ」


 むっ。

 おかしな名前とは、失礼な。

 確かに子どもの頃は古風っぽくて不満だったけれど、今は気に入ってるんだから。


「席に着け」


 目の前の男が促してくる。

 濃い目の金髪はきちんと整髪料で整えられておでこが出ている。

 奥二重の瞳は菫色。

 にこりとも笑わない男性の顔には、右眉から左頬にかけて大きな傷跡があった。


 夜には気づかなかった傷跡に、一瞬だけ怯む。


「まずは食事をとれ」


 低い声はまるで大きな弦楽器が奏でているみたいだ。


「あ、あの」


 わたしの戸惑いを察したのかどうかは分からないけれど、男性はわたしに視線を向けてくれた。


「俺の名はデセオという」

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