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023 あなた自身がよからぬ企みをしているからでは?

 グラシア王子は笑っていたけれど、なんだか違和感がある。


 あ、そうか。

 瞳が笑っていないんだ。

 たまに、ごくたまーに、王子が纏う危うい雰囲気。


 グラシア王子は少し身を屈めると、両膝の上に両肘を置いて、己の顎を乗せた。

 わたしのことを見上げるようなかたちになる。

 もう少しも笑ってはいなかった。


「イロハは、デセオの傷の話を聞いたことがあるかい?」

「……いいえ」


 デセオの傷。

 右眉から左頬にかけて深く残る、一本の跡……。


「あれはデセオがまだ一般の騎士団員だった頃。当代聖女を守ったときのものだ」


 フロアの方で、ピアノの演奏が始まった。

 どこかメロウな音楽は、今から語られるデセオの物語にぴったりのように感じた。


「聖女というのはこの国では、神聖不可侵な存在。だからこそ、それを逆手に取ろうとする輩がいるのも悲しいことに事実なのさ。聖女が傷つけば、それはすなわち国家が傷ついたのと同じ。それを防ぐために騎士団が存在する」


〈聖女の力を利用しようとする輩は腐るほどいる。それから、現国王をよく思わない反体制派も存在する。反体制派は、聖女の立場が危うくなれば国王もまた足元が不安定になると考えている〉


 グラシア王子はデセオと同じことを言っている。

 あのとき、デセオはグラシア王子を疑っていると言外に仄めかした……。


 メロウな音楽は、わたしの心境にこそぴったりで、唇を噛む。


 表情がうまく作れない。

 王子に、気づかれていないだろうか。わたしの複雑な心境を。


「あれは、ここ数十年で最も聖女に対する忠誠心が高い。それは入団前から今日に至るまでずっとだ。今の騎士団では、デセオ以上に、騎士団長に適任だと思われる人物はいない。それでも最初は、デセオだって一般の騎士団員だった」


 グラシア王子の話をまとめると、こうだ。


 デセオが入団して三年目。

 初めて聖女を直接守る任務についた彼は、馬車に乗って移動する聖女を後方で護衛していた。

 ところが山道で賊の襲撃に遭い、先輩隊員は全滅。

 デセオは山賊を全員倒したものの、最後の一人との戦闘で額に傷を負った。

 ただ、聖女は傷ひとつなかった。

 誰もが聖女の無事を喜び、デセオの生還を歓迎した……。


 そのときの功績から、デセオは出世して騎士団長まで上り詰めたということ。


 王子は平然と語り終え、ジンジャーエールも飲み干した。

 ブラックペッパーとチーズのクッキーを齧る。


 わたしの指先はどんどん冷えていって、感覚があやふやになる。

 なんとか力を込めて拳を握った。

 黙っていると、王子が口を開いた。


「イロハ。どうか、あまり無茶をしないでおくれ。聖女も君そのものの力も、よからぬ企みに利用されては困る」

「それは」


 心臓の鼓動が早鐘を打っているのが分かったけれど、思い切って口にすることに、決める。


「……あなた自身がよからぬ企みをしているからでは?」

「なるほど、そうきたか」


 明らかな不敬発言だというのに、楽しそうにグラシア王子は笑った。


「誰に何を吹き込まれたかは知らないが、私は個人的に君のことを気に入っているんだよ」

「え?」


 個人的に、とは?

 目を丸くしたわたしに、王子はいつもの軽い調子でウインクを飛ばす。


「イロハ。右腕を出して」

「……はい?」


 テーブルの上に、右腕を出す。

 するとグラシア王子は、左手でわたしの右腕を下から持った。

 実に恭しい、そして手慣れた仕草。


「これを君にあげよう」


 わたしの右腕にはめられたのは、あかく透き通った腕輪だった。

 太めで、きらきらと輝いていて、少しひんやりとしている。

 

 顔を王子に向けると、今度は瞳の奥までしっかりと笑顔になっていた。

 まるで美術館にでも飾られていそうな、整った笑顔だ。


「大事にしてくれたら、嬉しいな」




★ ★ ★




「ということがあったんです」

「!?」


 表情を崩すイメージのないフエルテさんの瞳が大きく見開かれた。


 グラシア王子は腕輪を渡したら満足したのか、城へと戻って行った。

 慣れた様子だったから、ほんとうに頻繁に城下へ出かけているのだろう。


 もう少し街にいる、と告げたわたしはギルドにいる。

 ギルド長・フエルテさんにレースモチーフを納品したかったのだ。

 レフィナド王女へブランケットを作ったことにより、聖女のレースモチーフはさらに人気が出ているのだという。

 いつの世も高貴な御方の真似をしたいという心理は変わらないのだとフエルテさんは優雅に断言した。


 そして。


 お金を受けとったところで腕輪の話をしたら絶句された。

 う、受け取ったらいけないものだったんだろうか?


 フエルテさんはデスクに両肘をついて、手のひらで顔を覆った。


 たらり、冷や汗。


「フ、フエルテ、さん?」

「すまない。今、単純に驚いている。それは、赤い瑪瑙の腕輪だ」

「これ、瑪瑙なんですか」


 この世界の宝石も、元の世界と同じなんだろうな。

 食べ物だって同じだし。

 分かりやすくて、ひじょうにありがたい。


 明るい場所で見ると単純な赤色ではなく、複雑に混じり合って、光を反射してとてもきれいだ。


「……赤い瑪瑙を贈るのはこの国では愛情表現の証なんだよ」


 へぇー。愛情表現。

 グラシア王子が、ねぇ。

 って。


「えええええ!?」

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