レディーの気持ち
「なあ、お前は?たい焼きは頭からか、しっぽか」
会社の昼休みにいつも通り他愛のない話をしていた。
「そんなの気分だろ。知らねえよ」
適当に返すと、どっちかといえば?としつこく同期の小林が聞いてくる。
黙ってろ、ときつめの口調で言う。
さっきから視線はずっと窓の外だ。
一度見つけてしまったら最後、最近彼女を目で追っている自分がいる。
「あーあ、冷たいな相変わらず」
口を尖らせて、唐揚げを二個同時に口に入れている。モグモグとさせながら近づいてきて、
「さっきから何見てんだ?」
その言葉に心臓が飛び出そうに、というか一瞬本当に外気に触れたような感覚になった。
僕の視線の先を追おうとした小林を何とかごまかす。
「べ、別に。でお前はどうなんだ?しっぽか頭かだっけ。」
慌てて話を戻すが、どうやら遅かったようだ。
「なるほど、経理の瀬川さんか。」
良い趣味してんじゃん、とにやきつながら肘でつついてくる。
こいつはボディタッチはどうにかならないのか、と思いつつも、意外に優れている勘や観察力に感心する。
「しょうがねえから、俺がアドバイスしてやるよ」といつの間にか書いたメモを渡してくる。
①質問
②リアクション
③肯定
②のリアクションに線が引かれている。
「なんだよ、このスリーステップは」
「そう、スリーステップだよ。第一印象をよくするステップ!」
「コミュニケーション力、自信あるんだけど?」
僕は初対面の人とも緊張せずに、円滑なコミュニケーションを取れることが長所だ。
実際にこの会社の面接でもそこを強くアピールした。
だけど小林は、分かってないなあと両手をあげている。
だから、さっきからむかつくなあその動きは。
「お前のコミュニケーションは、何か、固いんだよ」
「名刺交換、趣味の話、今日の天気、とか。そんで夜になったら忘れてんだろ、それ。」
どきっとした。確かに僕の初対面の人との会話は、当たり障りのなさがすごい。
本題に入る前の通過儀礼、とでもいうのだろうか。
とにかく自分でも何を話したか分からないくらいの薄っぺらさだった。
少し、怖くなってきた。いつもチャラけているくせに、今日はどこか先輩のような、頼りになる感じがする。
「このスリーステップ、ちゃんと聞かせろよ」
納得のいかない、不満そうな顔が出ていたのか、小林は手と耳をくっつけなんだって?と言ってくる。
悔しいが背に腹は変えられない。「これ、教えてほしい、です」
すると気持ち悪いくらいの笑顔を向け、そこから流ちょうに話しだした。
「まず、人っていうのはみんな自分の事が好きなんだ。自分が話すこと、自分のことについて聞かれることが何よりも嬉しい。逆に自分の話ばかりする人や持論の押し付けをする人なんかは、あんまり人望ないだろ。」
あの人だって、と耳打ちしてくる。確かにうちの部長はよく話すし、何よりそれが長い。
「だから、質問か。」
「質問することによって、自分はあなたに興味を持ってますよっていうアピールになるんだ。そして質問された側は、自分も質問しなきゃっていうお返しの意識が芽生える。
ま、返報性の心理ってやつなんだけど」
待て、何かがおかしい。こいつは絶対小林じゃない。第六感がそう叫んだがそんなのは重要じゃないと、僕の理性が遮る。確かに、俺の目的はスリーステップの概念を学ぶことだ。しっかりするんだ僕。
脳内で壮大な会話が繰り広げられていたがふと現実に引き戻される。
「なるほど、、」
はい不正解!と顔の前で大きなバツを繰り出される。
「二つ目、リアクションだよ。今の正解はな」
深呼吸をし顔の前に両手を丸め、内股になる。何をするのか、ただ黙って見ているしかなかった。
「なるほど!返報性の心理ですか!」これはオウム返しってやつな、と挟み
「さすが小林さん、何でも知ってるんですね!私も今度やってみようかな、ふふっ」
最後のふふっで完全にやられた。
僕は目を丸くて固まった。その後真剣に吐き気を催した。
そんな僕を見ていなかったかのように「じゃあ、やってみて」と言い出した。
「嫌だよ、分かったからさっさと最後の」
また両手をあげられた。今度はため息と首振り付きだ。
くそっ。心の中で叫び集中する。
「あの、好きなお酒とかって何ですか?」
「私、あんまりお酒飲まないんです。」急にぶっきらぼうな女子を演じてきた。
「飲まないんですか、じゃあ甘いものは?ケーキとかは食べますか?」
するといきなり嬉しそうな顔をして「私甘い物大好きなんです!特にショートケーキとか、あとフルーツタルトも!」
なんだかこっちまで嬉しくなってしまったのが不思議だ。
「甘い物好きなんですね!僕、おすすめのお店知ってるんですけど、今度一緒にどうですか?」
どうだ、という気分だった。返報性だけでなく実践的なアプローチも入れてこれには小林も納得するだろうと。
「ま、70点かな」
いつまでも上からの小林にいい加減腹が立ちそうだったが、とりあえずは最後まで聞こうと僕の理性がなだめてくれた。
「どうしたら?」
「これが最後なんだけど、肯定するんだ。今のお前は相手の話は聞いてたけどそれに対する共感がなかった。まあ直すとすれば、」
「甘い物好きなんですね!分かります、特に疲れてる時なんてすごく食べたくなりますよね!そうだ、僕おすすめのお店知ってるんですけど、今度一緒にどうですか?とか」
「とにかく肯定や共感で相手に安心感を与えるんだ」
すごく良いことを聞いた。だがずっと引っかかってたことを解消したい。
「で、誰の受け売りだ?人か、いやテレビとか本の可能性もあるよな」
組んでいた腕はいつの間にかほどけ、右手で頭を書いている。
「別に、そんなんじゃ、、」
「どうせ真由ちゃんもそれで落としたんだろ。いいのかな、全部知られても」
最近受付の女性と付き合い始めた小林は調子に乗っていた。さっきのことも含めて今度は形勢逆転といこうじゃないか。
「真由には言わないでくれ!ちょっと待ってろ」
そういうと犬のように自分のデスクに向かい、鞄から一冊の本を取り出す。
それをフリスビーのようにこちらに持ってきた。
「レディーの気持ち、著者ムーンフラワー」
なんだ、この某有名書籍の人間版みたいなものは。そして占い師みたいな、宗教みたいな名前。
「真由をデートに誘うときに、スマホで色々調べてたんだ。そしたらこれがおすすめに出てきて。普段本とか買わなえけど、なんか読みやすそうだったしさ、」
ページをめくるとデートの誘い方から場所、プランの立て方など、女性の声とやらと共に書いてあり、確かに男性にも分かりやすい内容だった。
「その作者も普段は会社員で、女性の声も全部職場で統計してたらしいぜ。ようするに会社員のための本だな、」
「ふーん、何か大学のレポートを壮大にした感じだな。」学生の頃、統計学の講義でアンケート集計をテーマにレポートを書いたことがあった。もしかして同年代だったりして。なんて頭の片隅の中の最も端で考えたが、そんなこと気にも留めなかった。
「確かに。でも、本当に良い本だぜ。それ貸すからさ、、」
顔の前で両手を合わせ、「真由にだけは!」と懇願してくる。
結婚式まで温めてやるか、そんなことを考えつつも「はいはい、分かったよ」
と本を読むためデスクに戻った。
話したことがない場合は偶然を装って2、3回ばったり会って自己紹介から始めましょう。レディーは運命的な展開を好むので、1ヶ月以内がおすすめです。
これだ、本を閉じて自分の行動を整理した。と同時に一時の音楽が鳴り、忙しないランチタイムが終わった。
「また会いましたね、すごい偶然」
「本当ですね。あの、僕は営業の杉本絢斗っていいます」
「経理の月本花織です。」
「いつもスイーツ買ってるんですか?」
「ばれちゃいましたね。甘い物好きなんです。いつもつい買っちゃって」
「分かります!今日みたいな残業の日は、糖分が必要ですよね」
「あの、よかったら今度お茶でもどうですか?美味しいお店があるんです。すぐ近くに」
「ええ、是非。もっとお話ししたいですし、」色々、と彼女が呟いた声が聞こえるはずがない。僕は舞い上がって、エレベーターが自分の階についても気づかなかったのだから。
「7階、ですよね。」
言われて慌てて降りる。
「では、また。」
「ええ、残業頑張りましょう」
エレベーターが閉じても、しばらくその場に立っていた。
この時の僕は知る由もない。
「これは、言った方がいいのかな、、」
彼女が呟いた言葉が、エレベーターに静かに広がったこと。
彼女が、ムーンフラワーであることを。