少年は戸惑う
花粉が・・・
ハッキリとした意識を取り戻した時、弾満尾だったものは、目を開けても何も見えずうろたえていた。
「おぎゃぁ!おぎゃぁ!おぎゃぁ!」
自分が生まれ変わったのだと認識できるまでに少しの時間がかかった。
(あの男は『俺にとって』ここは良い世界だと。)
赤ん坊は、元気に手足を動かしながら思案する。
(だが、大人のままで赤ん坊になってしまったが・・・。こう言うものなのだろうか?)
「マーサ!マーサ!」
非常に大きな声で男が走り込んできているようだ。赤ん坊には分からなかったが、非常にめでたい事のようだ。
「貴方・・・?ちょっと声を小さくしてくださるかしら・・・?この距離でそんなに大きな声は体に悪いわ・・・。」
確かに。と赤ん坊も思う。男の声はマイクを使わずに運動場で全員に声が聞こえる位は大きいのではないかと赤ん坊も思えた。
「そ・そんなに大きな声だっただろうか・・・?すまない・・・。」
その後夫婦で様々なやり取りがあったが、赤ん坊に理解できたのは、母の名前と、父の声の大きさだけであった。
「さぁさぁ。お仕事に戻りなさい。私たちはここから逃げませんよ?」
(この世界は一体どんな世界なのだろうか?アニメや漫画ならきっと、ファンタジー世界だな。)
そして父親が出ていき、母が赤ん坊を抱き上げ、優しい声で『魔法』を唱える。
「大いなる成長を促せ母なる風よ スリープ。」
その声と共に赤ん坊の意識は途切れる。
ーーーーーーーーーー
パチパチパチパチ・・・
赤ん坊は少年へと成長し、赤く染まる空を見上げていた。
(燃える・・・。)
少年が視線を降ろし、眼前に広がる光景をしっかりと脳裏に焼き付けた。
夜も更け皆が寝静まった頃、少年の住まう屋敷に火矢が放たれた。
その火は瞬く間に屋敷全体へと広がり、築数十年はあろうかと思われる大きな屋敷を丸呑みにしていく。
少年は小さな身体を必死に動かし、二回にあった自室から脇目も振らず逃げだし、外の庭に綺麗に整えられた小さな花園の真ん中で佇んでいる。
(とうさん、かあさん・・・。)
少年が外に出るまでの間、誰一人として出会わず、誰一人の声も聞こえなかった。
屋敷の中には十数人の侍女と執事がいて、父も母も居た。
しかし少年は誰にも出合うこと無く、庭まで辿り着いた。
ふと少年が人の気配を感じると、その方向には大きな門があり、門の外には麓の村の住民と思われる村人達が群がっている。
彼らは口々に「領主様領主様!」と門を開けようと必死にしがみついている。
そんなことをしなくても裏口は開いているのにと、少年はその場に相応しくない何気ない感想を言葉にせず思案している。
「動かないでください。」
何も感じなかった、そこには何も無く何も居ないと思い込んでいた少年の心臓は跳ね上がり、早鐘を打ち全身から汗が噴き出してくる。
「何故・・・出てきてしまったのです。」
少年には問いかけの意味が分からない。只背後から感じる悍ましい気配だけが少年の心を大きく揺さぶってくる。
「さあ、お父上様とお母上様の元へ参りましょう。」
少年の背中に鋭い痛みが走り、全身の力が抜けていく。
(この声は・・・。)
大きく切り裂かれた背からは背骨が露出し、もは致命傷を通り越して活け作りにされているかのような感覚すら覚える少年の意識はゆっくりと闇に落ちていく。
ーーーーーーーーーー
「おや?もう戻ってきてしまったのかい?今度は又酷い有様だねぇ。背中がぱっくりと開いてしまっているじゃないかい。」
少年が意識を取り戻したのは、いつか訪れた何も無い空間だった。
そこには聞き覚えのある声を発する男がいて、高価そうなテーブルセットにお茶とお茶菓子が綺麗に並べられている。
男は振り返り、少年の元へとやってきた。
「どれ、今治してあげよう。」
少年に向かって手をかざした男は白い光を掌から放ち、その光は少年を包み込んだ。
光が晴れた時には少年には傷一つ無く、破れたパジャマと血まみれのズボンを着た健康体と思える状態の少年が、不思議そうに立ち上がり全身を触り異常が無いかを確かめた。
「痛みは無いだろう?もう大丈夫。それにしても君も運が無いねぇ。・・・いや、運が無いで片付けてしまって良いものかなコレは・・・。」
少年はブツブツと独り言を言う男をジッと見つめながら、これから先どうすれば良いかと考えているが、ここに居ると言うことは死んでしまったのだろうと、その考えに行き着き少し肩を落とした。
「ん?どうしたんだい?何も気にすることなんか無いよ?これから元の場所に戻してあげるからね。」
男がそう言うと少年は珍しく口を開いた。
「元の場所に戻ると又殺されてしまうかもしれない。」
男は少し驚いたフリをすると、少年を自分の向かいの席へと座らせた。
「大丈夫、彼女はもう居ないから、もし又彼女に会ってもその時はちゃんと何とかなるようになるさ。」
この男は何を言っているのだろうか?と首を傾げる少年はふと茶菓子に目を落とす、様々な模様のクッキーが小さなバスケットの中にいっぱい詰め込まれている。
「おや?クッキー、食べるかい?」
少年は頷き男の了解を得ると、不思議な模様の入ったクッキーを一つ手に取り口へと運ぶ。程良い甘さとココアの風味が心地よく鼻腔をくすぐる。
「おいしい。」
「ふふふ。そうだろう、ウチの嫁さんの手作りなんだ。君に出してあげなさいって言うもんだから持ってきたんだよ。」
少年は又首を傾げ、自分の為に用意されていたというクッキーを見つめ、ふと疑問を覚えた。
「又ここに来ると?」
「そうだね。彼女は判っていたみたいだ。僕も抜けている所があるからね。彼女がフォローをしてくれてありがたいよ。」
男は申し訳なさそうに笑い、少年へとクッキーを勧める。
「お茶もどうぞ、今日はゆっくりしていくと良い、今すぐに戻っても良いことは無さそうだ。」
そう言うと男はカップを置いていたソーサーにうっすらとお茶を注ぎ、それを見てみるように少年に促した。
ソーサーの中に見えるのは焼け落ちた屋敷と、誰とも知れない焼死体の数々、そしてそれらを涙を拭いながら埋葬する村人達の姿が映し出されている。
「これは?」
「魔法だよ、便利だろ?」
少年には彼らが一体誰の死体を埋葬しているのだか判らず、首を傾げて誰にぶつけるでも無く疑問をその内に溜め込んでいく。
「彼らは村から居なくなった農民さ。君の屋敷で働いていた人達じゃ無いよ。」
「何故・・・。」
「まぁ、君の御両親も色々あるんだろうね。今は大変みたいだよ?」
男が教えてくれたのは、少年の両親は夜更けに入った所で、既に馬車で領地の外へ向けて走り去っていたと言うことと、少年の偽物がその両親の側に居ると言うこと。
「君は御両親を助けたいかい?多分このままじゃ遠からず彼らは殺されてしまうだろう。」
一つクッキーを口にしたことで小腹が空いたことに気が付いた少年は、ポリポリと堅焼きのクッキーをいくつか頬張りながら、慌ててお茶でクッキーを流し込む。
「助けたい。二人はとてもいい人だ。」
男はにこりと笑い、空になったカップに再びお茶を注ぐ。
「そうだね、彼らがあの土地に居る、それを良く思わない者達が沢山居るんだ、でも彼らはあの土地に愛されている。あの土地にとっても彼らは必要なんだ。」
「どういう事?」
「うーん今詳しく説明しても飲み込めるかどうか・・・ってそうだ、そうだったね満尾くん君は元々大人じゃ無いか。」
満尾として死んでから、十年の月日が流れている事もあり、その記憶も今は遠い昔のように感じられるが、理解力が低下したとは少年も思っては居ない。
寧ろ以前生きてきた時より遙かに吸収が良くなり、身体の成長も周りの子供よりも発育が良かった。
「じゃあ一応言っておくね。」
男は自分のカップへとお茶を注ぎ、一口軽く流し込む。
「あの土地はね、神木ユグドラシルの恩恵を得られる場所なんだ。植えた種は普通の何倍も早く成長し、育った木の実は栄養満点、水だって無限と思えるぐらいに沸いてくる。そんな奇跡みたいな土地なんだ・・・。周りから見ればね。」
「どういうこと・・・?」
「そう言う土地として存在するのは、代々君のご先祖様・・・ああこの世界の君のね?ご先祖様達がこの土地を守ってきたからなんだ。そう言う契約をしてあのユグドラシルを守っていたんだ。その代わりにユグドラシルは君の家系に加護を与えてきた。」
「じゃあ、逃げてしまった父さんと母さんはどうなる?もう加護は無いのか?」
男は大げさに驚いた振りをし、ニコニコと笑顔を絶やさないままで又一口お茶の飲んだ。
「そんな事は無いさ!そこまで薄情じゃ無いよ。先祖代々って言ったって、十代や二十代所の話じゃ無いんだよ?あのユグドラシルがまだ苗木だった頃からずっと一緒に居るんだよ、君の家系は。」
「そんなに長く?」
「そうさ。君は確か・・・五百十五代目だったはずだよ。」
ごふっ!
少年はその大層な話に思わずお茶を吹き出し、盛大に咽せた。
「ごひゃ・・。」
「言ったろう?ずっとって。君の家系もそうだしユグドラシルもそうだ、そんなに簡単に切って離せる関係じゃ無いよ。だから大丈夫。君の御両親はそうそう簡単には死なないよ。」
それは良かったと、改めてお茶を口に運び、んっと喉を整える。
「じゃあ俺はどうしようか。」
「そうだね。ユグドラシルに会いに行くべきだと思うよ。君はまだ生まれて間もない頃に会いに行ってから一度も顔を出していないそうじゃ無いか。ユグドラシルも会いに来るのを楽しみにしていると思うよ?」
「しかしそれでは・・・。」
「大丈夫、世の中上手く回るもんさ。君の手に負えない所のことはこっちで何とかしておくし、御両親だってそうそう死にはしない。偽物にだって今頃気づいているはずさ。泡喰って戻ってくるよ。」
ふふふといたずらを仕掛けた子供のように笑う男は、少年に一つの腕輪を手渡した。
「これは?」
「嫁さんがどうしても渡しておけって言うもんだから、君なら要らないと思うって僕は言ったんだけどね?うちの子と連絡が取れるマジックアイテムさ。」
少年は三度首を傾げる。
「うちの子?」
「そうそう、なんか君のことが気に入っちゃったみたいでね?もう母娘揃ってぞっこんさ。」
そんな事言われてもと、もそもそクッキーを頬張り、ふと少年が気づくと小さなバスケットのクッキーは結構沢山食べたはずなのに減っている様子が無い。
「ん?気が付いたかい?それもマジックアイテムさ、見た目よりもいっぱい其処に有るんだよ。そう言うものなんだ。」
空いていた小腹も落ち着いてきたと思ったら、結構な数のクッキーを腹の中に収めていたらしい。
「いっぱい食べすぎたかも知れない。」
「良いって良いって、君の為に用意してあったものなんだから。」
八分目を越えたくらいには腹の膨れた少年は、ふとソーサーに写る景色に目を奪われる。
「ほら、もう気づいた。あの血走った目!君のお父さんも最高だね!」
そこに写っていたのは、少年の偽物に化けていた小柄な魔法使いらしき男と対峙する両親、父は馬車から偽物を蹴り出し、その上に飛びかかるように剣を突き立てた。
「全力で走っている馬車から飛び降りるって無茶するなぁ!」
腹を抱えながらケラケラと笑う男は、空になった自分のカップにお茶を注ぎ、一口すするように飲む。このティーポットもそう言うものなのだろうと少年は不思議そうに男を見つめた。
「よし・・・じゃあユグドラシルのこともあるし、そろそろ地上へ戻ろうか。」
「ん・・・。」
少年は椅子からひょいっと飛び降り、さて何処へ向かうべきかと又首を傾げる。
「どうしたら良い?」
「その前に・・・。はいコレ。」
男は少年の胸に小さな袋をピタッと付けたかと思うと、その袋は少年の身体の中に溶けるように消えていった。
「何処に消えたの・・・。」
「悪いもんじゃないから大丈夫だよ。その袋は君が自由に物を持ち運べるアイテムだよ。これからきっと色々あるだろうから、私からもお土産さ。」
「色々ありがとう。」
「なに。私は君が気に入っているんだよ。だから勝手に色々やっているだけさ。」
「じゃぁ、行きます。」
「ああ行っておいで、あんまりこっちに来ちゃ駄目だよ。」
ひらひらと手を振る男の姿が霞み、少年の視界は一瞬闇に閉ざされた。
ーーーーーーーーーー
さわさわと木立の風に撫でられる音がその場を支配し、うっそうとした森の中で少年は意識を取り戻した。
「森の中に放り込まれるとちょっと困るな・・・。」
少年は頬を掻きながら森の奥へと歩みを進めることになる。
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