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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怪奇短編群

最恐の豆腐

作者: 鬼々

 



「貴方とはもう絶好よ‼︎」

「待ってくれ、由利子‼︎」


 私は夫の声を無視して家を飛び出した。

 涙でぼやけた視界のまま一人走る。


「全部あの人が悪いんだ。あの人が……!」


 しばらくの間、泣きながら近所の道を歩いた。

 感情の波が段々と落ち着き、冷静になってくる。


「なんで、こうなっちゃったんだろう……」


 新婚当初はまだ良かった。

 目に映る物全てが薔薇色に見えた。

 それが今となっては喧嘩を繰り返す辛い毎日。


「これから一生あの人と暮らすと考えたら……私そんなの耐えられない!」


 世の中はなんて生きづらいんだろう。

 常識やルールが私の身体をギュウと締め付け、敷かれたレールの上から外れることを許してくれない。


 私が世の生きづらさを嘆いていた、その時。

 前方に何かが落ちているのが見えた。


「あら、こんなところに!」


 落ちていたのはワニ皮の長財布だった。

 素人目にも高級品と分かる物である。


「天のお恵みかしら。どれどれ……あ!凄い大金」


 中には大量の紙幣が入っていた。

 庶民の私には目が絡みそうになる程の額である。


 咄嗟にキョロキョロと周囲を見回してみる。

 すると、遥か前方に高級そうな服を着たお婆さんの後ろ姿が見えた。


「きっとあの人の財布だ……!」


 私は長財布とお婆さんを交互に見比べた。

 そして、葛藤の末一つの決断を下したのだ。

 

「お婆さーん!財布を落としましたよー!」


 人に親切をすればきっと報われる。

 神様は善行を見てくれているものだ。


「あらま!本当だ。どうもありがとうねえ……」

「いえいえ、当然の事をしただけですよ!」


 私は長財布をお婆さんに手渡す。

 お婆さんは嬉しそうにそれを受け取った。


「アタシは去年夫に先立たれたんだ。今はそれなりに楽しく暮らしてんだけど、最近はどうもボケが来ちゃってねぇ……」


 お礼をしなきゃ、そう言ってお婆さんは長財布から数枚の万札を取り出そうとする。


「いえいえ、いいんです!私は別にお礼を貰うために親切したわけじゃないですから!」

「いや、それじゃアタシの気がすまないよ!」


 お婆さんはゴソゴソと鞄の中をかき回すと、数枚の紙切れを取り出した。


「これはアタシが懇意にしてるレストランのお食事券なんだけど……特別に貴女にあげる!」


「そんな、悪いですよ!」


 そう言って断ろうとすると、お婆さんは数枚の券を無理やり握らせてきた。


「貴女、最近うまくいってないだろう⁉︎目を見りゃ分かるよ!でもね、ここに一度行けばきっと貴女も幸福になれる!」


 お婆さんの目は狂気的でなんだか少し怖く見えた。

 しかし、人の好意は素直に受けるべきかもしれない。


「うーん。まあ、そんなに言うなら……」


 私はしぶしぶお食事券を受け取った。









 かくして、レストランに向かうことになった。

 先の喧嘩が癪に触るので私一人で行くことにした。


「うーん。道が分かりにくいわね……」


 指定のレストランは小さい裏路地を真っ直ぐ行った先の、かなり奥まった位置にあった。

 こんな場所で経営していて、本当に客が寄り付くのだろうか?


「いや、お金持ちの行くお店って案外こういうものなのかもしれないわね……」


 所謂、穴場というやつだ。

 この店もお金持ちが密かに集まるタイプの店なのだろう。

 独り合点して、私はレストランへと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ! ようこそ、レストラン『ラ・プール』へ!」


 来店早々、イケメンのウエイターが私を出迎えてくれた。


「お食事券があるので来てみたんですが……」


 ウエイターと話しつつ、周囲を観察してみる。

 天井には煌びやかなシャンデリア。

 壁には大きな絵画。

 品のある白磁色のテーブルとイス。


 豪華絢爛な世界がそこにあった。

 私の貧困な語彙で例えるなら、西洋の城内のような感じだ。


「……す、凄いわ」


 思わず軽くよろめいてしまった。

 庶民には眩しすぎる場所である。


「さあ、お客様。こちらの席へどうぞ」


 私はお食事券に指定されていた席に腰を下ろした。

 さて、いよいよ高級料理が食べられる。


「まずは何を頂こうかしらっと……」


 メニュー表を探してみる。

 ところが、テーブル上にはそれらしき物の姿が無い。


「あのう……メニュー表ってどこにあるんですか?」


 私がそう尋ねると、ウエイターは品のある笑顔で答えた。


「お客様、当店でお出しする料理は一品限りと決まっているのでございます」

「え、そうなの⁉︎」


 思わず驚いてしまった。

 勿論、テレビなどでそういう店の存在自体は認識していたが、それがまさかこの場所だとは……。


 確かに他の客を一瞥すると、皆一様に白い謎の料理を食している様子が窺える。


「出される料理は一品限り……逆に興味が湧くわね」


 一品だけで勝負しているということは、それ程自分達の料理の味に自信があるということを意味する。


 きっと、厳選した素材を使用して職人達が丹精込めて作った至極の一品が出てくるに違いない……。


「お待たせいたしました」


 数分後、ウエイターが皿に乗った料理を持ってくる。

 緊張する中、私の目の前にそれが出された。


「……は?」

「お客様、いかがなさいましたか?」


「あの……これは?」

「はい。Toufuでございます」


 皿に乗っていたのは豆腐だった。

 半球形の弾力ある白色が皿の上で揺れている。


「……すいません。本っ当にこれだけなんですか⁉︎」

「はい。これだけでございます」


 私は心底呆れた。

 こんなもん私でも作れるぞ。

 スーパーで買ってきた豆腐を適当に切って皿に乗せて、はい完成!


 こんな品で客の目を誤魔化せると考えているとしたら、この店のオーナーは相当いい根性をしている。


「こんなの詐欺じゃないの!!」

「……失礼ですが、お客様。取り敢えずお召し上がりになってみてはいかがでしょうか?」


「フンッ。ま、いいわ……」


 どうせタダだ。

 二度とこの店にも来ることはあるまい。

 食えるものは、取り敢えず食っておくか。


 そう考え、私はナイフとフォークを使って皿に乗った豆腐を切り分けた。

 割ってみると白い豆腐から鮮やかな真紅色をしたソースが溢れ出てくる。


「……どうやらただの豆腐では無さそうね」


 一瞥の後、それを口に入れた。


「ん!」


 その瞬間。

 もう止まらなくなった。


 空気のように柔らかく優しい口当たりの白い外層。

 内層の真紅色のソースからは魚の肝に似た独特で濃厚な旨味が感じられる。


 その料理の味は、私の想像をゆうに超えていた。

 ただ、強い旨味の衝撃だけが舌の上にこびりつく。


 気づけば皿の上は空になっていた。

 一通り食べ終えた後、私はウエイターに言った。


「あの……美味しかったです」

「お客様、またのお越しをお待ちしております」


 ウエイターはニッコリと笑顔を浮かべた。








 その日以来、私は店に通い詰めるようになった。

 あのとき食べた料理の虜になってしまったのだ。


 当然出費も増え、夫に文句を言われることも多々あった。しかし、かまうもんか。


 なんたって、私はあの味を知ってしまったのだ。

 もう引き返せないし、引き返すつもりもない。


 店に通う頻度は、日を追うごとに増えていった。

 そして、遂には毎日のように通うようになった。



 そんなある日のこと。

 いつものように店に訪れた私にウエイターが言った。


「……お客様、大変申し訳ございません。実はたった今料理に使う材料が切れてしまいまして」

「なんですって!?」


 私は心の底から苛ついた。

 ここまで来て料理が食べられないなんて、あんまりだ。


「もうっ!お金ならいくらでも払うわよっ!だからあの料理を早く出して‼︎」


「いいえ、お金の問題では無いのです。なにせ、あの料理は貴重な材料を使用しておりますので」


 貴重な材料?

 豆腐だから大豆で作られているものと思い込んでいたが、そうでは無かったのか。


「その貴重な材料って一体何なのよ‼︎」

「お客様、それはですね……」


 ウエイターは静かに私の顔を指差した。

 不気味な笑みを浮かべている。


「……は?どういうことよ⁉︎」

「フフ。ですから、そういうことですよ」


 私は額から溢れる脂汗を拭き取りつつ、呟いた。


「まさか、人肉……」

「フフフッ。ご名答でございます」


 確かにあの豆腐は食べたことのない摩訶不思議な味だった。

 それを踏まえると、こいつの言っていることは恐らく本当の事なのだ。


 客に何も告げず、しかも人肉を提供するなんて、そんなの……狂ってる。


「これは違法よ!警察に突き出してやるっ!」

「フフフッ。アハハハッ!」


「さっきから何がおかしいのっ!」


「……警察に突き出したりすれば、当然この店も無くなります。

 そうなった場合、お客様がこの店の料理を味わう機会も永遠に失われるわけですっ!!」


 私はウエイターの顔を真っ直ぐに見つめた。

 その目からは正気を感じられない。


「そうなっても、本当によろしいのでしょうか?」

「……」


 少しの沈黙の後。

 ウエイターが不気味な声で再び笑いだした。


「……プッ。フフフ、アハハハッ!」

「こんなの絶対に間違ってる……わよ」


 私は複雑な心境を浮かべながら天井を見つめた。

 こんな時でもシャンデリアは煌びやかで美しい。


「失礼。笑ってしまいました」

「材料を――」


 凛とした表情で私は言った。

 ウエイターがこちらを見据える。


「料理の()()を持ってくれば良いんですよね?」

「……はい、そうでございます」


 ウエイターは不気味な笑顔を浮かべながら応える。

 私はなんだか、全てがどうでもよくなった。









 今、私はレストラン『ラ・プール』にある一つの席に腰を下ろしている。


 この店に足を運ぶのも、これで何度目になるか分からない。


「お待たせいたしました、お客様。Toufuでございます」


 ウエイターが持ってきたそれをナイフとフォークで一口大に切り分けていく。


 刃先の上に乗った豆腐の欠片を眺めていると、昔の想い出が色鮮やかに蘇ってくる。


「貴方」


 熱烈な告白をしてくれたけど、貴方の好意に若い頃の私は最初少し戸惑ったのよ。


 二回目のデートでは遊園地でクタクタになるまで遊んだ後、観覧車からの夜景を二人で眺めたっけ。


 旅行先で突然の結婚プロポーズをされた時は、人目も憚らずに二人で号泣しちゃったよね。


 そして、最後に。

 貴方が笑った時に出来る目尻の皺……。


 私、貴方の笑顔が世界で一番好きだったのよ。知ってた?


「うう、ごめんなさい貴方。本当にごめんなさい……」


 いつの間にか私は泣いていた。

 溢れた涙は皿の上に跡をつけた。


「でも、もう止められないの‼︎最低だって分かってるけど、でも止まらないのよお‼︎」


 皿の上に残った豆腐に夫の面影は無く、ただシャンデリアの明かりを反射して白く光るだけだった。



   

 




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