三学期四日目、午後。
「ワンッ!」
「う、うわぁ!ダンボールが、が、が」
落ち着け、落ち着け海斗。ダンボールが吠えるはずがないだろう。自分に言い聞かせ平常心を取り戻す。
でも今確かにこのダンボールからワンッと聞こえて来たのだということは、
僕は恐る恐るダンボールを開ける。するとダンボールの中には小さな毛布があり、その下で一匹の子犬が身震いしていた。よくみると子犬と一緒に小皿が二つ入っていて片方のお皿にはドッグフードの食べかすが、もう片方には薄く氷の張った水が入っていた。
これじゃまずい、犬を飼ったことがない僕でもわかるくらいその犬は弱っているように見えた。
気づいた時には僕はもう走り出していた、廊下にいる人をかき分け階段を駆け上がって教室のドアを勢いよく開ける。
「瑞稀!きて!」
「え…ちょっと」
瑞稀の腕を掴んだまま来た道を走って戻る。
「ちょっと、なに!」
瑞稀が僕の手を振り払ったのはちょうど昇降口に着いた時だった。
「大変なんだ!犬が!物置の子犬が!」
「えっ」
僕の言葉を聞いた瞬間、瑞稀は大急ぎで靴を履き替えて外に飛び出した。僕も急いでその後を追いかける。
物置に着くとそこには子犬を抱き抱えて「ごめんね、ごめんね。」と涙を流す瑞稀がいた。
間に合わなかったか、と思い僕がガクッと膝をついた時、子犬が「クゥン」と力なく鳴いた。
「まだ間に合う!あったかいとこにすぐ移そう!」
「でも、学校であったかいとこなんて絶対人がいるじゃん!保護なんてされたらどうなっちゃうかわかんないんだよ!?」
僕も聞いたことがある。保護された犬は新しい飼い主が見つからないと、言いかたは悪いが間引かれると。
「じゃあ瑞稀の家は!?」
「私の家はダメ、理由は言えないけど絶対に許してもらえるはずがない!」
「わかった、じゃあ僕が引き取る!それならいい!?」
「いいけど、学校が終わるまで待ってたらこの子は…」
「だから今行く。ちょうどここのフェンスを越えれば誰にもばれずに学校から出られる。ほら、ドッグフードとその子貸して!」
フェンスを乗り越え、子犬とドッグフードを受け取った僕は全速力で、極力ダンボールを揺らさないようにして走った。
何度か雪で足を滑らせながらそれでも力一杯に地面を蹴り出した。
家に着いた瞬間インターホンを鳴らして叫んだ。
「母さん!早く開けて!」
ガチャッ
「どうしたの!海斗!」
玄関が開いた瞬間、家に飛び込んだ。母さんの声は聞こえていなかった。リビングに入るとすぐに子犬を置き、ドッグフードと水を用意した。
そして子犬に全ての体温を受け渡すように強く、かつ優しく抱いた。
十分ほどたち子犬の体が温まってきたとき、子犬の足がパクリと動いた。
「動いた!今確かに動いたぞ!」
それから少しすると子犬はピクピクと足を動かし始め、閉じていた瞼を少し開け、弱々しいがはっきり「クゥン、クゥン」と二度鳴いた。
「やった!間に合ったんだ!よかった…」
涙が頬を伝って子犬の額に落ちる、子犬がびっくりして顔をぶるっと振ったので僕は慌てて天井を仰ぐ。
その時、母親から「これはどういうこと?」と説明を求められた。
意地でも子犬をうちで飼ってやりたかった僕はことの始終から僕が瑞稀のことが好きなことまで恥を捨てて包み隠さず全て話した。
「わかったわ、事情が事情よ飼うのはもちろん許すわ。あなたは一匹の命と一人の心を救ったの。誇りを持ちなさい。」
いつもは小うるさいだけの母さんが今日はやけに力強い訴えかけるような瞳で僕にそう言ってくれた。
「でもね、学校を抜け出したことに変わりはないわ。わかったらさっさと走って六限だけでも受けてこい!」
「はい!」
僕はさっきまで子犬を助けたいと無我夢中で走ってきた道を今度は早く瑞稀を安心させてやりたいという思いと母さんへの感謝を抱えて無我夢中で戻った。
結局教室に着いたのは5限がちょうど終わった時だった。僕は礼が終わったのと同時に教室に飛び込んだ。
「瑞稀!」
この上ない満面の笑みで飛び込んできた僕の顔を見て助かったとわかったんだろう瑞稀は僕に抱きついてきて「よかった本当に良かった、ありがとう、ありがとう」と涙を流しながら地面にへたり込んだ。
瑞稀が平静を取り戻し、僕も席に着くと真後ろの席の直哉が茶々を入れてきた。
「なになに、用事済ませて帰ってきたと思ったら突然瑞稀の腕掴んで行っちゃうんだもん、しかも次帰ってきたら汗だくってどんだけ熱烈な告白してきたんだよ」
「ち、違う!僕はただ瑞稀が拾った子犬を」
「わーかってるよ告白なんかじゃないことぐらい。それにしても瑞稀が子犬をね、可愛いとこあんじゃん。ま、小さなヒーローさんと争奪戦しても勝てそうにないし、あいつは譲ってやるよ」
「ありがとう。」
「なんだよ、やけに素直じゃねえか。気持ち悪りぃ」
ふざけに付き合っている余裕がまだなかったのもあるが、僕を和ませ遠回しに賞賛してくれた直哉の心遣いが今は素直にありがたかった。
六限が終わりに近づくにつれてやっと平静を取り戻してきた僕は、自分のとった行動に満足するのとともに大変なことをしてしまったと恥ずかしい思いに呑まれていた。すると、後ろの直哉に「瑞稀のこと考えてんだろ、耳真っ赤だぞ」と小声で小突かれた。
「起立、礼」
『さようなら』
「はい、さようなら。あ、海斗くんはすぐに職員室に来てね」
「はい」
まあ、それはそうだよな。僕はおとなしく職員室に向かうことにした。
職員室に着くとりっちゃんと、モリゾーが待っていた…
「あ、りっ、辺見先生だけじゃなかったんですね」
「いいのよ海斗くんいつもどおーり、りっちゃん、って呼んでくれても」
「い、いやーそんな失礼な呼び方したことないっすよ…多分」
ちらっとモリゾーの様子を伺うとモリゾーの眼光がギラリと輝いている。
僕はおもわず目を泳がせた。
「では、なぜ昼休みに学校を抜け出したのか、説明をお願いしようじゃないか、佐藤海斗くん。」
「え、えっと、そ、そのことなんですけど、んーなんといいますか…」
「別に話してくれなくても構わないが、その時は私の一存で処分を決めさせていただくことになっているのだが、」
「話します!話しますから!」
僕は話している間ずっと後ろで笑いを堪えているりっちゃんを睨みながらことの始終を全て話した。
「ということです!申し訳ありませんでした!」
「…。」
やばい、返答がない。僕はモリゾーが相当怒っていると思って必死で謝る。
「やはり、学校でまず対応を聞くべきだったと思いますし、冷静さが欠けていたとも、」
「いや、待ってくれ。いいんだ、君はいい判断をした。すまん、勘違いをしていたようだ。俺も昔犬を飼っててな、」
笑顔でポロリと涙を流したモリゾーをみてりっちゃんがたまらず吹き出した。そこでモリゾーの行き場のなくなっていた怒りの矛先はりっちゃんへ向いた。
僕の昼休み脱走事件は無罪となった。
時計を見るとなんだかんだでもう六時になっていた。
今日は帰ってもいいとりっちゃんに言われていたが母さんから犬は大丈夫だから課題を終わらせてこいと連絡が入っていたし僕は瑞稀の様子が心配だったので進路指導室に向かうことにした。
進路指導室のドアを開けると課題をしていた瑞稀が手を止めてこちらを見上げてくる。
「お疲れ様」
「ごめんね。私のせいで。」
「いや、いいんだ。それにモリゾーが犬好きだったおかげで僕は無罪で釈放してもらえたし」
「そっか。あの人犬好きなんだ、意外。」
「瑞稀がいうか?それ。あと、さっき母さんから連絡があってもう犬は大丈夫だから安心して課題やってこいってさ」
瑞稀はクスッと笑って安心したように目を潤ませた。その瞳は作り込まれたガラス細工のようにキラキラと美しかった。
「あの子いつからあそこで飼っていたの?」
「昨日廊下掃除をしてたら窓を開けた時に下から鳴き声がしたの。見たら道路にダンボールがあったから。引かれてしまわないようにとりあえず学校の見つかりにくいところに移そうと思って。」
なるほど、昨日遅かったのはそれでか。そして運悪く次の日に雪が降るほどの悪天候になってしまったと。
「昨日のうちに相談してくれればよかったのに」
「昨日はまだあんまり君のこと信用してなかったから。」
僕は少し傷ついたがそれが今は信用しているという瑞稀なりの意思表示かもしれないと思い少し得意な気持ちになった。
そしてさえないおじさんのタイミングが大事という言葉を思い出し、僕は一大決心をしていった。
「あ、あのー、毎週土日、よければうちにあの子の様子見に来ない?君が来てくれればあの子(と僕も)喜ぶと思うんだ」
「え、いいの。午前中、大丈夫?午後はバイトがあるから。」
「もちろん、予定がないときだけでいいよ!僕はいつでも大丈夫だから!」
「ありがと。」
僕は嬉しさで足元から鳥肌が上がってくるのを感じながら心の中でガッツポーズをした。
晴れて毎週週末お家デートの約束を獲得したのである。
子犬をダシに使ったようで罪悪感もあったが僕は腐っても命の恩人なのだからそれぐらいの見返りは許してくれるだろうと勝手に納得をした。
七時になり、校門で僕たちは分かれた。
「今日は本当にありがとう。じゃあね。また。」
「いいんだよ。じゃあ。また」
初めて僕より先に口を開いた瑞稀は少し笑って小さく手を振った。そんな彼女は冬の妖精のように儚げで可憐だった。
家に帰って子犬を思いっきり撫でてやろうと思っていたがいざ家に着いてみると、疲れきったのか子犬はぐっすり眠っていた。なのでそっとしておいてやることにした。
そして疲れ切っていたのは僕も同じだったようで夜はいつもより早く、倒れるようにして眠りについた。




