三学期二日目。三日目。
「よー!ゆうべはお楽しみで?」
このハキハキと空気を弾くような声と悪ふざけは顔を見なくてもわかる、幸人だ。
「何馬鹿なこと言ってんだよ、お楽しみどころか会話らしい会話すらほとんどしてねえよ」
「まあ隣があいつじゃそうか、それじゃあ折角課題をやってこなかった甲斐がなかったな!」
「いやいや、課題は黙々とやるもんなんだからそれでいいだろ。」
そんなことのためにわざわざ課題を未提出にしたわけではない。れっきとした理由がある、まあめんどくさいをれっきとしたに含めるならの話であるが。
それに、瑞稀が悪いというように言う言葉はなんとなく癪に触ったので少し擁護をしたくなったのだ。
「いやーでも放課後に二人きりで居残りだぜ?うふふな展開とか期待しちゃうじゃんかよ!」
「…。」
そんなことを一瞬でも思った自分がいたことを思い出し、幸人と同レベルの発想をしてしまったことを深く後悔した。
「起立、礼」
『さようなら』
「はい、さようなら」
「じゃーなー!海斗!」
「じゃっ頑張ってねーん」
「うるせえ早く帰れ」
昨日はなんとなくバタバタした日だったが、今日はいたって平凡な1日で、眠気という悪魔と夢うつつで闘っているうちにいつの間にか終わってしまったような気がする。
いや、これから始まったというべきか。これから瑞稀のための、もしかしたら、というかおそらくただのエゴである話題探し大会が始まるのである。
今日は早く着いたと思ったのだが、いつの間に教室を出たのか既に瑞稀が二つの席のうち奥の方、向かい合った状態で置かれている窓側の席に座っていた。
「お疲れ。今日も頑張ろうな」
「ん。」
一文字の返答に少し肩を落としながらリュックサックをするりと下ろす。まだこれからだ。不幸か幸いか補習の時間はまだまだあるのだから。
今日は少し球種を変えることにした。瑞稀は自分のことはあまり話してくれないと気づいたので今日は僕の話への返答を期待してみることにした。
だが、ここで大きな問題があった。僕は語るには平凡すぎる人間だったと気づいてしまったのである。探しても探しても僕に話題なんてない。
クラスでトップツーの明るい男子二人の腰巾着をやってること、ボツ。
趣味は寝ること、ボツ。
部活は入っていない、もちろんボツ。
むしろこんなに自分に話題がないことを話題にして話が盛り上がるのならどんなに楽だろう。
そんなこんなで二十分は経過したであろう時、僕は最近話題のアーティストの話を出すことにした。その人は多くのことに非凡な才能を持つ僕とは正反対の人だった。
「最近さ、葉山リクにハマってるんだよね、あの人いいよね。」
「寒空の破片、聴いたことある?」
「ごめんないや」
「そう。」
これはやってしまった。これまでの僕の人生史上最悪の失態だ。ぽっと思いついた話題をダメ元で出したら予想外に話が続いてしまった。これで僕は浅はかなミーハー野郎だと思われたことだろう。「今日聴いてみるよ!」と慌てて返答したが、それ以降彼女から僕の話への返答は一切なかった。
曇天の下で息を切らし、さながら蒸気機関車のように口から白い煙を出して全速力で家までの道を走った。そして家に着くと今にも転げ落ちそうな勢いで階段を登り、部屋に転がり込んで千切れんばかりの勢いでイヤホンを掴みスマホに突き刺す。まだかじかんでいる指で何度も打ち間違いながら「寒空の破片」を大急ぎで買って再生した。
「こぼれ落ちた寒空の破片、不器用なりに集めてみたよ、君に合うピースを見つけるために」
初めて聴いたからはっきりと聴き取れたのはこのワンフレーズだけだったが瑞稀が好きな曲だということを抜きにしても僕はこの歌が好きだと確信した。どこか切ないメロディに乗せられたこのワンフレーズは今の僕にピッタリな気がしたのだ。
それから僕は何度も何度も寒空の破片をリピートしていた。結局曲が止まったのはもう夜が更けた頃だった。
目覚めていると言えるのかどうか、半分ほどしか開いていない目をこすりながら通学路をふらふらと歩く。この調子では今日の対悪魔戦は全敗になりそうだ。それでも僕は昨日の夜の収穫に比べたら安い対価だと思っていた。今日は既に話題が決まっているのだ。それにほぼ夜通し同じ曲を聴いていたのだから、もうどんな質問をされても答えられる自信があった。
そんなウキウキ気分を抱えながら案の定僕はその日の授業の大半で悪魔に抱かれ幸せな眠りについた。
少し駆け足で教室を飛び出し、軽くスキップするほど幸せそうに進路指導室に入っていく僕は、はたから見るとかなり異様な奴だったかもしれない。
その甲斐あって今日は初めて瑞稀より先に教室につき、いつもは瑞樹が座っている窓側の奥の席に腰掛け、課題をやっているフリをして今か今かと瑞稀を待っていた。
それからどれくらいしただろうか、変に緊張したせいで妙な眠気に襲われていた。
その時突然、ガチャッ、とドアが開いた。
慌てて背筋を伸ばし、それも不自然だと慌てて少し背中を丸め、右手でシャーペンを反対に握って左手にボールペンを持つという奇行を前にしても瑞稀は顔色ひとつ変えなかった。
「今日は遅かったね」
「ちょっと。」
「そっか、まあ頑張ろうぜ」
「ん。」
よし、今日は掴みから調子がいい。瑞稀の口から四文字以上の言葉が出るのはかなり珍しいことだ。
それから僕はタイミングを伺った。こういうのはタイミングが大事なんだとたいしてモテそうもないおじさんが言っていたのを思い出しながら。
そして瑞稀が課題から少し目を離した時、「今だ!」と心の中で叫びながらその興奮を悟られないように気をつけながら渾身の話題を繰り出した。
「そういえば昨日、寒空の破片聞いたよ、ちょっと切ないメロディに綺麗な歌詞が乗せられていていい歌だね。」
「うん。」
いや、待ってくれ。僕のこの一言にかけた時間は昨日の帰宅時間の七時半から四時までの八時間半もの壮大なものである。たしかに感想は素人臭い薄っぺらなものだったかもしれないが、自分なりには練りに練った渾身の一発。それに返ってきた文字数は、二文字、所要時間、およそ一秒もないぐらいといったところだろうか。
これには流石の僕も落胆を隠せず頭を落とした。
その時だった、瑞稀の方からキラリと上品にきらめくルビーのような赤い光が見えた気がした。
そしてはっと瑞稀の方に顔を向けると瑞稀の机の上に乗せられた筆箱につけられた、筆箱には不釣り合いなほど美しく輝くまん丸で中心にビーズのように穴が空いたガラス細工が目に飛び込んできた。
なぜこんなにもキラキラと美しいものに気づかなかったのだろうかと考えてみると、今日は瑞稀が窓から降り注ぐ冬の日差しを前面に浴びていることに気がついた。
「そのガラス細工が君に合うピースってやつなのかな?」
そのガラス細工を見たときに瑞稀が寒空の破片を好んで聴く理由と関係があるとどこかで確信していたのだろう、だから、その言葉が不思議なくらいさらりと一言、口からこぼれ落ちたのだ。
「なにそれ。でもそうだねこれは私にぴったりはまってもう外すことはできない、とても大切なもの。」
「そっか」
瑞稀は少し微笑んで淡々と答えた。初めて見た瑞稀の笑顔はどこか切なく美しい、寒空の破片という言葉がぴったりな笑顔だった。
その日はそれ以上言葉を交わさなかった。というか言葉を交わす必要を感じなかったというべきだろうか。
そして気がつけば七時になり、それぞれ別の帰路についた。
「じゃあね」
「また。」
帰りの挨拶で「また。」と言われたのは今日が初めてだった。またというたった二文字の中に彼女が少しだけ開いた心が凝縮されているような気がして、それはたしかに僕の心を小さく揺らした。
その日の夜、僕の口から超人格的に飛び出したあのくさいセリフに顔を真っ赤にしながら地面に頭を擦り付けて感謝したのは言うまでもない。




