酔いどれ兎は霊を語らう
「うぐおえ」
「あーあーあーあー大丈夫ですか、ラビ」
「うごっ……あぼぼ」
「どっから声出てるんですかそれ」
「胃の中からせりあがりし物を吐き出すこの音を、果たして声と名付けてよいものだろうか……いや、よくない」
「だからいつも飲みすぎなんですって」
「そんな事は分かってる。でも酒が俺の中に入りてえって言うから」
「お酒に意思などありません」
「ほう? 果たして本当にそう言えるか? あれがただの瓶につまった液だとろろろろろろろ」
「哲学を述べるなら休んでからにしてください」
「だな」
「なぜドヤ顔?」
*
「死ぬかと思った」
「生きてましたね、残念ながら」
「んん?」
「しかしまた、暑い日々が始まりましたね」
「ああ、そうだな。しかしトビ、お前残念ってどういう――」
「全く人間のせいで気温はあがる一方ですね。このままでは比喩ではなく本当に溶けてしまいますよ」
「無視か。まあしかし、マジでいよいよ夏に殺されるかもしれねえな」
「そうなれば幽霊の大量生産ですね。この森は霊魂で溢れかえりますよ」
「急になんつう事を言いだすんだお前は。こえーよ」
「おや? まさか怯えているのですか。幽霊という存在に」
「だ、誰がびびってなんか!」
「おもしろいぐらいにびびってますね」
「性格悪りぃよお前……」
「恐縮です」
「絶対に使い所を間違えている」
「既成概念を破壊したいもので」
「物言いが物騒なんだよいちいち」
「てへっ」
「今更そんなんじゃ取り返せねえよ何一つ」
「存じてますよそれぐらい」
「至極無駄なやり取りだったな。ところでよ」
「おや? 哲学の続きですか?」
「ちげーよ。いつものなんて事のない暇つぶし話だ」
「あー、いつもの」
「夏だしよ、さっきちょうど幽霊なんて言葉も出たから思い出したんだけどよ」
「ええ」
「人間界での怖い話には良く、長い髪の女の幽霊が出て来るよな」
「どうやらそのようですね」
「この幽霊っていう不確かで恐ろしい存在自体も不思議だが、妙だと思わねえか?」
「あ、恐ろしいって言った」
「そこはいいだろ!」
「で、妙とは?」
「いや、だいたい幽霊と言やロングヘアーレイディーじゃねえか。おかしくねえか?」
「わざわざダサい言い方をした理由は後に問いただすとして、理由はあるんじゃないですか」
「理由? どんな?」
「確か古来の日本の絵画に幽霊を描いたものがあります。それの始祖的な作品がまさに長い髪の女の霊なんです。それを見て、『幽霊とはこういうもの』という刷り込みがなされたんですよ」
「じゃあそんなずっとずっと前の歴史の産物が今も受け継がれてるってのか?」
「実際に芸術としても受け継がれてるんですよ。だから人の歴史としても生きながらえている。そういう事なんじゃないですか?」
「足りねえ」
「え?」
「足りなすぎる。一理あるとは認めよう。仮にその刷り込みが生きてるとしても、何故。実際に。幽霊を見たという人間においても。その姿を成しているかだ。そこが気に食わねえ」
「意識は馬鹿には出来ませんよ。潜在的なものというのは自分でもどうにもならない領域です。幽霊とはそういうものだという認識は意外に根深い。であれば、心霊スポットや何やら幽霊が出そうな場所、雰囲気に触れた時、人は幽霊を想像します。その幽霊の姿は? 結果、意識の底に植え付けられた長い髪の女が出現する」
「もっともらしい感じで言いやがって」
「幽霊なんてものがいるかどうかはさておきですけどね」
「いや、俺はいると思っている」
「ほう」
「だから俺は、いるという前提でこの問題に挑む」
「そんな真剣に取り組む問題ですか?」
「どうせ暇だろ?」
「どうせ暇です」
「なら付き合え」
「えー」
「そこは素直にはいでいいだろ!」
「はーい」
「むかつく……」
「てへっ」
「抜群にムカつくタイミングで入れやがったな」
「ここしかないなと思いまして」
「そんな隙間に差し込んでくんじゃねえよ」
「早く話を進めてください」
「……」
「おや、どうしました?」
「……もういい。で、話を戻すが」
「戻しましょう」
「幽霊はこの世にいるとする。つまり、長い髪の女の霊は実在する。だが幽霊ってのは決して、長い髪の女の霊だけじゃねえ」
「そりゃそうでしょうよ。いろんな人が死んでるんですから」
「そう。であれば、もっと情報はまんべんなく広がるはずだ。いろんなタイプの幽霊がいるはずだ。だがまずそもそも。生きてる者達全員が全員、幽霊を見るわけじゃねえよな。何故だか限られた者にしかその存在は認識できない」
「私も見た事ありません」
「俺もだ。更に言えば、その霊が見えるという輩、こいつらも全ての霊が見えているわけではない」
「全ての霊?」
「幽霊ってのは、死んだら必ずそうなるのか。いや、違う。死んだ者達は大多数は幽霊にはならない。よって地上には残らない。いや、言い方が悪いな。死んだら全ての魂は幽霊になるかもしれねえが、その後そのまま昇華されるか、地上に戻されるかは何かの判断のもとに行われているんじゃねえかって事だ」
「判断? 誰が?」
「そこだ。そこで長い髪の女の霊問題に戻ってくる」
「ほう」
「確かにそれ以外の幽霊が地上でも認識はされている。だが数の隔たり、情報の隔たりを見ていると、どうも長い髪の女の数が多いのは気のせいじゃないと俺は思うんだ」
「つまり、それは――」
「何かの判断で、長い髪の女は天に昇れない理由がある」
「理由?」
「そうだ」
「どんな」
「俺は行った事ねえから分からねえが、おそらく死んだ後には何らかの審査が行われるんだろう。そしてそのまま天をくぐるか、地に戻されるかを決められる。それを判断するのが、一人なのか、複数なのか、そこまでは分からねえ。ただ長い髪の女はそこで入国拒否を受ける可能性が高いんじゃないかって事だ。じゃあ何故拒否されるのか」
「なぜですか?」
「それは」
「それは?」
「タイプじゃねえからだ」
「……は?」
「俺が思うに天の審査人は男だ。そしてその審査を行ってるこいつは、ロングヘアーの女が好みじゃねえんだよ。だから突き返しちまうんだよ地上に」
「え……え?」
「長い髪の女以外の幽霊が目撃されてるのも、おそらくこの男の審査を通れなかったんだろう。髪が長いからって理由だけで通さねえような奴だ。他の奴らも信じられねえ理由で落とされてるはずだ」
「そんな……ひどすぎます!」
「そう。ひどいんだ。そこで思い出してくれ」
「ん?」
「幽霊ってのは、怖いよな」
「ま、まあ」
「何故怖いと思う?」
「それは、見た目じゃないですか? よく言う恨めしそうな顔ってやつが、やはり恐怖を」
「それだ」
「ほ?」
「何故あいつらは恨めしそうな顔をする。その理由は地上に残した後悔や怨恨なんて言われたりする事が多いが、俺の説が正しいなら問題は地上じゃねえ。上だ」
「上……」
「奴らに不当な理由で叩き落され彷徨う宿命を課せられたとあっちゃあ、そんな顔もするだろうよ」
「それは、確かにそうかもしれません」
「タイプにはまってすらいれば、天に昇れたのに。髪が長いってだけで……」
「かわいそすぎますよ、この説」
「上の好みが変わるか、担当が変わるかしかねえな」
「まあ、どっちにしろ私達には関係ない話ですね」
「そうだ。動物の霊なんてほとんど見ねえだろ? どうやら今の担当はかなり動物好きらしい。これなら安心して死ねるってもんだ」
「ですね。じゃあとりあえず、早速先に死んでもらっていいですか。幽霊にならないかどうか念のため」
「お前が一番ひどいわ」