待ちわびた『明日』
病室の前まで来て、父は
「少し話があるからここで待っていてくれ。」
そう言って、ボケじいの病室に入っていった。数分が経って、父が病室の扉を開け、「いいぞ」と言ったので僕らは病室に入った。最初に目に入ったのは、父から聞いていたような呼吸器を付けず、びっくりした顔のボケじいだった。数日、見ない間に少しやせている。
でも、確実にボケじいはそこにいて、ボケじいは微笑んでいる。僕たちはやっとあの日約束した『明日』を迎えたのだ。
「これはある男の話じゃ。」
ボケじいが話はじめた。ボケじいは少し苦しそうに息が上がっているが、いつものように笑顔で話している。僕らのリクエストの応える形で始まった話を僕ら待ち望んでいたのだ。
「男は特に変わった才能があるわけでもなく、勉強ができたわけでもなく、スポーツができたわけでもない。そんなごくごく普通で平凡な男じゃった。
大学を出た後、就職した場所でも仕事に熱心なわけでもなく、目標もなく、一日のスケジュールをこなすだけの日々。
変わり映えしない景色と毎日見かける人達、彼の楽しみは、そんな毎日見る人がいつもより一分遅く来たことや、いつもよりきれいな格好をしているな等の小さな変化を見ることだけじゃった。
そんなある日、男はいつもは見かけない子どもがいることに気付いた。しかし何かの用事でたまたま来ているだけだろうと最初は特に気にすることもなかったが、時間が経つにつれ、子どもはその場から一切動かないでいることに気付いた。
男は、先輩に子どもの話をすると、その先輩はものすごい勢いで子供の下に駆け寄り、そして、戻ってきて警察を呼ぶように男に言った。男がどうしたんですかと聞くと先輩は、親に捨てられたようだと言った。」
僕達はこの話の『男』がボケじいのことだと気づいた。でも、誰もそれを話さず黙って聞いていた。
「その子どもは、親が見つからなかったことと持ち物に『この子を幸せにしてください』と書かれたメモがあったことから、子どもは近くの児童養護施設に連れていかれことを先輩から翌日の朝聞いた。
男は世の中にはひどい親もいたものだと思った。しかし、そんなことも男にとっては関係のないそんな出来事だと思っていた。
でも、違った。その子供との出会いが、後に彼に愛する人を与え、生涯で最高の友であり、息子を与えたのだ。」
ボケじいはそこまで言うと急にせき込み、苦しそうにする。父が
「古谷さん、今日はこの辺で・・・・・。」
止めようとした父を遮り、ボケじいが
「大丈夫じゃよ。少し話を急ぎすぎただけじゃから。」
父は何かを感じたのか、止めることをあきらめたように後ろに下がった。
そんな父に微笑み、ボケじいは続きを話し始めた。
「変わらない景色の中に、いつもと違うものを見つけ、男はそのいつもと違うものに話しかけた。
『坊や、何で今日もここにいるんだい?』男が話しかけたのはただの気まぐれ、いや、暇つぶしだったのかもしれない。
でも、その子どもは涙ながらに『パパとママを探してるの。』と言った。
男はその子の表情を見た途端に自分の愚かさに打ちのめされた。
本来なら、すぐにでもこの子の連れていかれた施設に連絡するべきだろうと思ったが、男はその子の瞳に溜まった涙を見て、そんなことできなかった。一生懸命に自分の親を探すその子のことを邪魔していい人間なのか自分はと思うと何もできなかった。
男は『見つかるといいね』と言ってその場を離れた。しかし、直ぐに他の職員がその子のことに気付いて、施設に連絡しようとした。男は先輩たちの前に立ちふさがり、『あと少しだけ、もう少しだけ見逃してあげてください。』と頼んだ、最初は何をばかなことをと言って連絡しようとした先輩も男の態度を見て、気が変わった。その男のこんなに熱意を感じたのが初めてだったからだ。先輩はため息をついてから、『じゃあ、終業後お前が責任をもって施設に連れていけ、わかったな?』と言った。男は自分にこんなに大きな声が出せたのかと思うほど大きな声で『はい』と言った。
先輩の言う通り、男は子どもを施設に連れていき、事情を説明する。男は施設の人にかなり怒られたが、
その中の一人の女性が頭を下げ続けていた男に近づき、
『あの子のことでみんな心配してましたから、怒るのも当然だと思いますけど、私はあなたがあの子のしていることを見守っていてくれたのだから絶対に悪いことだとは言いきれません。もし、あの子がまた同じことをしたら、施設に連絡だけは入れてくださいね。』と言い、男は『わかりました。』と答えて、顔を上げると、今までに見たことのないような優しい笑顔の女性が立っていた。
翌日も、その翌日も、その子どもは毎日駅に両親を探しに来ていた。男は施設に連絡を入れることをかかさず、いつしか子供を施設に送り届けることが自分の役割になり、全く気付かないうちにあの女性の笑顔を見るのが楽しみになっていた。
そんなある日、男は駅で両親を探す子どもに聞いた。
『お父さんやお母さんは見つかりそう?』
子どもは笑顔で『そんなことあるわけないよ』と答えた。
初めて見かけた日から一年以上が経っていたこともあるが、それでもまだまだ幼児と呼ばれるくらいの子どもなのに、彼の目には希望の灯は一切なかった。男は
『じゃあ、何で今日もここに来ているの?』と聞いた。子どもは言った、
『僕は見つけられないけど、ここにいればパパやママは僕を見つけられるかもしれないから』
そうか、彼は両親を探しているのではなく、両親に見つけてもらおうと思っているのか。男はそんな彼のことを応援するのとともに、手伝おうと思った。そして、子どもに関する情報を紙に書いて、職場を利用している人達に配っていた。それを見た先輩は最初は咎めようとしたが、それもやめることにして黙認していた。
そんなある日、子どもの両親を知ってるという人が男を訪ねてきた。その人は自分が隣り町に住んでいることや両親と仲良くしていたこと等を話ししていたが、現在の両親の居場所についてはわからないと言っていた。男はその人に感謝の言葉を伝えたが、両親の居場所の特定にはつながらないと思い、子どもに話すことはなかった。
でも、運悪くその話を聞かれていたことは後に判明した。彼はその次の日から職場に現れなくなり、病気になったのかと心配になって、施設を覗きに行ったこともあったが、元気そうで安心した。
男はもうあきらめたのだと思っていたが、彼はあきらめていなかった。
少し経った頃に職場で子どもを見かけ、男が声をかけると
『少しお出かけするんだ』と言って、彼は出かけていった。もう小学生になっていたので施設の人の許可が下りているのだろうと思った男は連絡をしなかった。
彼は一人で親を探しに行ったことを男は後になって知った。
男は、自分の浅はかな考えと、子どもの両親を見つけたいという強い思いに触れ、自分の仕事は何なのか、自分が必死になれることは何なのかと考えるようになり、男の人生は変わった。
『必死』や『一生懸命』という言葉が自分には関係のない言葉のように感じ、そういった言葉に値するような行動を今まで取って来た覚えもなかった男は子どもを見かけ、先輩に見逃すように頼んだあの時から、子どものために一生懸命になり、そして、必死になって彼の両親を探すことをはじめた。
男は子どもが隣町に両親を探しに行くという出来事が終わった後に、これが『必死になる』ということであり、『一生懸命にやる』ということなのだと気づいた。
自分よりも20歳以上若い彼から教わったことは、男の人生を変える一番大きな出来事だった。
ただ、ただ平凡な男の人生は明るく楽しく、辛いことや悲しいこともあったが幸せな人生になった。
そして、時は流れて、子どもが大人になり、その子の子どもが生まれ、その子どもが、大きな悲しみの中にいた男にもう一度人生を変えるような出来事を起こしてくれた。
その友人とともにね。男の人生はその親子二代のおかげで幸せな、幸せな人生となり、そして幸せな中で最後を迎えることができそうじゃ。」
ボケじいは一息ついて、
「さてと、このお話はここまでじゃな。今日は疲れたから、眠らせてくれるかな。」
ゆみちゃん達が「わかった。」と答えると、ボケじいが
「ゆみちゃん、ピアノの発表会頑張るんじゃよ。
祐太君、努力すれば結果はでるからね。辛くても野球を頑張るんじゃよ。
慎二くん、いつかきっと心の底から大好きだと思えることに出会えるから、焦らずに自分のペースで歩きなさい。
力君、その髪の色が黒になるのはきっと先の話じゃない、あともう少しじゃ。
太一君、人に大事に思われたいと思うなら、その人を大事に思いなさい。そうすればきっと返してくれるから。
慎君、絆というものは一度つながると薄くはなるがなくなりはしないからね。また四人が再会したように、君とお母さんの絆もなくなってなかったから、今があるんじゃよ。難しく考えずに、空白だった時間をこれから、お母さんと埋めればいいんじゃよ。
海君、これは今まで内緒じゃったが、お父さんから子どもが生まれると聞いて、名前を付けて欲しいと頼まれてね。どこまでも広い心とどこまでも深い優しさを持った子になって欲しくて『海』という名前を提案したんじゃ。君はわしや要次君が望んだように成長してくれている。
君は君の思うままに生きればいい、海は世界のどこにでも繋がっているのだから。」
そう言って、ボケじいは静かに目を閉じた。父はその様子を見て、
「美紀、悪いが子ども達を先に車に連れて行ってくれ。」
「わかりました。さあ、皆行きましょう。」
僕達は母に従い部屋を出た。僕・力・慎・太一はボケじいが「また明日おいで」というのを聞きたかった。でも、その言葉を聞くことがもうないこともどこかで分かっていた気がする。
「母さん・・・・・」
「何、海?」
「おじいちゃんやおばあちゃんは、僕の名前を付けたがらなかったの?」
「あの人は一度こうと決めると、文句を言わせない人だからね。それに、子どもができたら古谷さんに名前を付けてもらうって言ってたし、結婚の挨拶も最初に紹介されたのは古谷さんだったの。『この人がお父さんなんだ』と思ってたら、全く違ったから私の緊張を返せよって思ったのよね~。」
母の言葉は最後の方が涙声だった。母にとってもボケじいは特別な人だったのかもしれない。
「お、俺さ、決めたよ。いつかじゃなくて、一年以内に親父に認めさせてこの髪の色から卒業して見せる。」
力が言い、太一が
「僕も、お父さん達に大事にしてもらえるようにお父さん達を大事にするよ。」
「お、お母さんとしっかり話して仲直りする。まだこれから時間はあるんだもんね。」
慎が言い、僕が
「僕も、ボケじいがつけてくれた名前に恥じないような人間になる。」
母はその様子を見て、何も言わなかったが、優しく微笑んでいた。




