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第5話 チルシュの生活

 明け方の陽の光が差し込み、エスエスはベッドで目を覚ました。

 少しの間まどろんでから、完全に目を覚まし上体を起こす。

 グッと背伸びをしてからベッドから降りて立ち上がる。


 ベッドと言っても、木箱を並べて、その上に布を敷いただけの粗末なものだ。


 ちょっと心配になり、左足をチェックするが問題無さそうだ。

 体調も悪く無い。


 衝立ての向こうで、女性の話し声が聞こえる。

 ラナリアとシルコだ。


 エスエスは靴を履き


「おはようございます」


 挨拶をしながら彼女達の方へ移動する。


「あ、おはよう」


 とラナリア。

 朝、家の中だからか、魔女のような黒いローブは着ていない。

 ローブを着ていないと痩せた体が余計に目立ってしまう。

 そしていつも通り、赤い髪はバサバサだ。


「具合はどう?もう大丈夫なの?」


 とシルコが尋ねる。

 小首を傾げる姿は仔猫のような仕草で可愛らしいが、獣人の姿のシルコは大猫だ。

 日本なら化け猫と言われるだろう。


 エスエスは、彼女達が座っている椅子からちょっと離れた位置にある木箱に腰掛けながら答える。


「なんか不思議なほど体調が良いです」


 エスエスが魔物の幼生に寄生される事件が起きてから3日目の朝である。

 驚いたことにエスエスは、魔物を体外に取り出した次の朝には起き上がれるようになっていた。

 さすが森の一族、凄い回復力である。


 エスエスはそのまま出て行こうとした。

 女性2人で住む家に自分がいるのはマズいと思ったのだ。

 しかし、その女性2人に全力で引き止められた。


 ラナリアとシルコにとってはエスエスはもう仲間である。

 住む当てもない病み上がりの仲間を放り出すことは出来ない。


 男女が同じ屋根の下で……と気にするエスエスだったが、子供みたいな体格の男とそんな関係になるわけ無い、と2人に怒られてしまった。


 まあ、ラナリアはおばさんみたいだし、シルコは猫だし、エスエスにもそんな気は全くなかった。

 とても口には出せなかったが。


 行く当てのないエスエスは、そのままこの家に居ることになった。


 この家があるのは、チルシュという街だ。

 ドスタリア共和国の北部、エスエスの故郷の村がある深淵の森に最も近い位置にある街である。

 ドスタリア共和国は、5人の領主が治めるそれぞれの領地からなる共和国だ。

 チルシュの街は、この5人の領主うちの1人であるキャベチ公爵が治めるキャベチ領にある。


 チルシュはそれ程大きな街ではないが、人が生きていく上で必要なものは全て揃っている、と言ってもいい位の規模の街である。

 深淵の森がもたらす自然の恵みが、街の生活を支えている。

 街は活気に溢れ、人の数も多い。


 特徴的なのは、人間族よりも獣人や半獣人の数が多いことだ。

 やはり森に入って、獲物を獲ることが求められる土地柄だ。

 更に、深淵の森から強力な魔物が、街の方へ流れて来ることもある。

 自然と荒っぽい土地柄になってしまうのは仕方ない。


 それに、獣人に対する人間族による差別が当たり前に認められている国もある。

 また、それぞれの街でも、管理している貴族によっては、獣人差別を見逃している街もある。

 そういった意味では、獣人の戦闘力が期待されているチルシュは、彼らにとって暮らしやすい街なのだ。


 さて、小さい街の割には豊かなチルシュだが、光があれば影があるのは異世界でも同じである。

 賑やかな表通りの裏には、貧民街が広がっている。

 治安が悪く、管理が行き届いていない場所だ。

 その日暮らし、いや、その日の暮らしもままならない者達が多く暮らしている。


 貧民街は決して暮らしやすい場所ではない。

 しかし、身元の不確かな者や流れ者、隠れて暮らすことを余儀なくされている者にとっては、ここより他に住む場所がないのだ。


 ラナリアとシルコの家もこの貧民街にあった。

 貧民街の中では比較的安全な地域とされている場所である。

 それでも、チルシュの平均的な街並みとは随分違う。

 バラックのような小屋が雑然と並び、衛生状態も良いとは言えない。

 この小屋に、皆ひしめくように暮らしている。


 こうした貧民街の小屋の一つがラナリアとシルコの暮らす家である。

 貧乏で、決して羨まれるような暮らしではないが、2人は楽しく暮らしている。

 元孤児と元奴隷のコンビである。

 貧民街だろうと何だろうと、家があるだけ幸せだと思っているのだ。


 貧民街には無法者も多い。

 暴力を頼みに自分の利を得ようとする連中だ。

 暴力同士がぶつかり合い、怪我人や死人が出るのもしょっちゅうだ。


 ラナリアとシルコは、こういった輩とは関わらないのが一番だと思っている。

 戦うよりも、逃げ隠れするのが常だ。

 そっちの方が得意だというのもある。

 小さい時からそうやって生き延びてきたのだ。


 ラナリアは魔法で戦えないこともない。

 でも、体力を削り、時には命も削る魔法を、そう簡単に使う訳にはいかない。

 目立たず、安全に暮らせればそれでいいのだ。


「そろそろ働かない訳にはいきません」


 マッタリしたムードのラナリアとシルコにエスエスは切り出した。

 昨日までのエスエスは、まだ体調が優れずに寝たり起きたりしていた。

 でも、今朝になり完全に復調した。


「ボクのために大変な借金をさせてしまいました。少しでも働いて返さないと……」


「まだ無理することないわよ」


 ラナリアはこともなげに言う。

 シルコも横で頷いている。


 でもエスエスは気が気ではない。

 目の前にいる2人は命の恩人だ。

 そして、散々世話になっている上に、自分の為に借金までさせているのだ。


「いや、でもボクは……」


「大丈夫!大丈夫だから」


 エスエスが何か言おうとしたが、ラナリアが遮る。


「バギーさんにお金を返すのも大分ゆっくりにして貰ったし、それにアタシに考えがあるのよ」


 ラナリアはエスエスの方へ向き直り、座っている椅子から上半身をエスエスの方へグッと傾けて、顔を近づけるようにした。

 そして、声を潜めて、大事な話を告白するような雰囲気でエスエスに話す。


 ラナリアの考えというのは、エスエスの持っていた干し果実を作って売る計画と、エスエスに協力してもらって摘んだ薬草は高く売れることなどである。

 完全にエスエス頼りのアイディアなのだが、ラナリアは得意そうな顔をして話している。


 それを聞いたエスエスの顔がパァッと明るくなる。

 目をキラキラさせて、本当に喜んでいる子供のようだ。


「だったらボク頑張ります!早速今から行って、果物と薬草を採ってきますよ。良かった、ボクにも役に立つことがあって」


 エスエスはテンションが上がり、今にも駆け出して行きそうだ。


「だ、か、らー、そんなに慌てることないって。うーん、でもどうしようか」


 ラナリアはシルコの方を見る。

 エスエスの具合がこんなに良くなると思っていなかったので、ラナリアとシルコは図書館に行くつもりだったのだ。


 シルコは大きな目をクリッと見開いて言う。


「仕事をしようよ。本は逃げないよ。それに、あの薬草の場所は、いつ他の奴らに見つかるか分からないよ」


 シルコにとって本を読むのは生き甲斐である。

 だから、図書館に行くという約束はとても大切なのだ。

 それでもシルコは、今回は図書館よりも仕事を選んだ。

 借金のことも気になっている。

 それに、折角エスエスが行きたがっているのを無下にはできない、というシルコの優しさでもある。

 シルコとしては、エスエスに気兼ねなく一緒にいて欲しいのだ。


 このチルシュの街には図書館がある。

 この街の規模にしては珍しい。

 王族や領主が住むような大きな街には図書館があるが、普通の街に図書館など無くて当たり前だ。

 ましてや、獣人が多く住む辺境の街に図書館などあるのが不思議なのだ。


 10年位前に、本を集めるのを生き甲斐としていた貴族が亡くなり、その蔵書と建物がそのまま図書館になった。

 その亡き貴族の遺言だったらしい。


 当時、すぐ潰れるだろう、と言われていた図書館だったが、作ってみると意外と好評でそのまま続いている。


 この異世界の大陸ランドでは、本は貴重品だ。

 製紙や活版の技術が発達していないのだ。

 紙は動物や魔物の皮を薄く伸ばして切ったものがほとんどだ。

 その羊皮紙のような紙を糸で縛って本にしている。


 印刷も出来ないので、ほとんどの本が手書きである。

 文字を写す魔法もあるらしいが、出来る者は限られている。

 だから本の絶対数が少ないのだ。

 古くてボロボロの本でも高級品になる。


 だから、僅かの料金で本が読める図書館は貴重な存在なのだ。


 チルシュに住む獣人で、読み書きが出来る者は多くない。

 本が読めなければ図書館には行かない。


 獣人の多いこの街で図書館は無理だ、と思われたのも仕方がないだろう。

 でも、チルシュにいるのは獣人だけではない。

 半獣人の中には知力が高い者も多いし、他の種族も住んでいる。

 それに、近隣の街や村から図書館に来る人も珍しくないのだ。


 チルシュの図書館は中々に繁盛しているようだ。


 さて、シルコは本が大好きである。

 読書が生き甲斐と言ってもいいほどだ。


 図書館にこもって丸一日、本を読んでいても平気である。

 とにかく知識欲が旺盛なのだ。

 国の歴史から、小説、エッセイ、何でも読んでいる。


 茶色と白のマーブルカラーの猫の獣人が本を読んでいる。

 耳を後ろに倒し、目を見開いて集中している。

 まばたきをしているのかどうかも怪しいほどだ。


 ただでさえ、獣人が図書館にいるのは珍しいのだ。


 だからシルコは、図書館では有名人になってしまった。

 新しい本が入ると、係員に紹介してもらったりしている。


 ラナリアとシルコが一緒に図書館に来た時は、ラナリアは魔道書を読んでいる。

 難しい本なので、なかなか読み進められないが、シルコと図書館に来るおかげで大分身になっている。


 シルコに聞いてみると、ラナリアが苦労して読んでいる魔道書は、とっくに読み終わっているらしい。


「アンタ魔法が使えないのに、こんなの読んでどうするのよ。こんな難しい本なのに……」


 ラナリアは半ば呆れてシルコに言ったことがある。

 シルコは答える。


「私はホントは半獣人だから魔法が使える筈なのよ。獣人の姿のままでも使えるようになるかもしれないでしょ」


「ま、確かにシルコは、獣人にしては頭が良すぎるのよね。力も弱いし」


「でしょ。私は姿だけ獣人にされてるだけなんだって」


「それがどうも怪しいのよね。シルコだって、こんなに本を読んでも何も手がかりナシなんでしょ」


「そうだけど……そのうち絶対手がかりを見つけてみせるわよ。可愛い半獣人のシルコちゃんに戻ってみせるわ」


 さて、一行は図書館を諦め、森に行くことになった。

 前回の反省も踏まえて、随分と早い出発だ。


 ちなみに、エスエスは自分1人で森に行き、ラナリアとシルコは図書館に行く、という案を出したが、光の速度で却下された。


「また、アンタが倒れたらどうするのよ!」


 ラナリアは、今にも燃え上りそうな勢いで反対した。

 シルコは、優しく微笑んでいるように見えるが、全身の毛が逆立っている。

 怖い……


 もう、厳しい異世界とは思えない過保護な親の言い分だが、エスエスも病み上がりだし、今回は仕方がないのかもしれない。


 さて、出発までは色々あったものの、道中は順調で、秘密の薬草の群生地には、まだ朝のうちに着いた。

 今回は、ここからもう少し森の奥に入って、高い木の上にある果物も採る計画だ。


 エスエスの案内で、更に森の奥に進む。


 ラナリアとシルコは、いつも探索で入る場所よりも深い森の佇まいに緊張気味だ。

 それにひきかえエスエスは、近所に散歩にでも来たような雰囲気で、ドンドン進んで行く。

 やはり森の小人族は、森が深い方が調子が良いようだ。


 とは言うものの、この辺りはまだ、街道から2時間位の場所である。

 エスエスからすれば、まだまだ浅い森である。

 森よりも、他の探索者や冒険者、山賊などに注意が必要な地域である。

 軽い足取りで進むエスエスも、周りへの注意は怠っていない。


 もちろんラナリアとシルコも、エスエスに任せっきりではない。

 ラナリアは杖を構えて、周囲に意識を配っている。

 シルコは、耳をピクピクさせて警戒している。


 この3人は、戦闘力が弱いが故に、周りの気配を探る力は優秀なのである。

 そして、敵から身を隠すのも得意である。

 臆病だからこそ、生き残ってきたメンバーの集まりなのだ。


 戦闘力の高い者や、戦って獲物を捕って生活している冒険者から見れば、この3人の評価はもの凄く低いだろう。

 強い者から見れば、ヘタレの集まりである。

 実際にバカにされたことも、1度や2度ではない。

 でも、生き残っている。

 この厳しい異世界で立派に生き残っている。


 このヘタレのメンバーをバカにしていた者たちは、近い将来、本当に後悔することになるのだ。


「着きました。ここですよ」


 エスエスは大きな木の前で立ち止まり、ラナリアとシルコに告げる。


 本当に大きな木だ。

 木の幹は、大きな大人の男でもふた抱え以上あるだろう。

 地球でいうと、クリスマスツリーの様な形をしている。

 高さは相当に高い。

 下から見上げても、上の方は見えない。

 これが、何本、何十本と生えている。


「これは、ジャクの木だよね」


 シルコがちょっと考えながら言う。


「ジャクの実は、渋くてとても食べられない筈だけど」


「そうなんですか?この前食べてたのはこの木の実ですよ。へぇー、ジャクの木って名前なんですね。ボクは知りませんでしたよ。さすがシルコさんだ」


 エスエスはシルコの知識に感心している。


「でもね、この木の実、ジャクの実ですか、これ高い所になってるやつは甘いんですよ。街の人は知らないんですね。鳥たちは知ってるのにね」


 エスエスは両手をバタバタさせて、鳥のマネをしながら言う。


「街の人どころか、誰も知らないわよ。植物図鑑にも載ってなかったんだから」


 シルコは驚いた様子で、尻尾をフリフリしている。


 これは商売になる!

 ラナリアは内心ほくそ笑んでいる。

 悪そうな笑顔が浮かんでいて、魔女そのもののようだ。

 痩せた顔に目だけ光っていて、ちょっと怖い。

 これで17歳はない。


「でも、この木に登れるの?梯子とかがないと無理じゃないの?」


 ラナリアが心配そうにエスエスに告げる。

 このジャクの木の幹には、かなり高い所にしか枝がない。

 それに、木の表面もツルッとしていて、捕まるところが無さそうなのだ。


「えっ、大丈夫ですよ。楽勝です」


 エスエスはそう言うと、自分の服の腰に巻きつけている幅の広い革の紐をスルスルと外した。

 別に、このベルトが無くてもズボンは落ちないようだ。


 右手でその革のベルトの片側を持ち、木の幹にぐるりと回して、ベルトの反対側を左手で持つ。

 革のベルトの両側を、それぞれ両手で持つ形になった。


 これでエスエスは、自分の手の長さが足りずに抱えられない木の幹を、革のベルトの長さを利用して抱えたことになる。


 エスエスは、そのベルトをヒョイっと上にずらしてグッと引いて、その力を使って木の幹を2、3歩駆け登る。

 上に登る勢いがなくなる前に、またベルトをヒョイっと上にずらす。

 グッと引いて、2、3歩登る。


 これを繰り返して、アッと言う間に上の方の枝まで上がってしまった。


「さすがは森の一族ね」


 ラナリアはジャクの木の上のエスエスを見上げて感心する。


「ホントに凄いわ」


 シルコは、自分の知識の斜め上を行くエスエスに、素直に憧憬の念を持っていた。

 知恵が知識を超えている。

 鼻をヒクヒクさせながら、シルコは喜んでいるのだ。


 すると、エスエスがすぐに木から降りてきた。

 革のベルトを使ってスルスルと降りてくる。


「どうしたの?調子悪くなった?」


 シルコが慌てて尋ねる。


「いやぁ、袋を忘れちゃって……」


 エスエスは、果物を入れる為に持って来た、自分の体よりも大きな袋を肩に掛けると、またスルスルと登って行く。

 エスエスにとっては、森を歩くのも、木に登るのも、手間は変わらないようだ。


「これだからねぇ」


「ほっとけないのよねぇ」


 エスエスは、この女性2人にとって、著しく母性を刺激する存在になりつつあった。


 エスエスの身体の小ささが、2人の庇護欲を掻き立てるのかも知れないが、これはお互いの性格の噛み合わせによるものだろう。


 森の中ではエスエスは頼りになるし、実際の年齢もシルコよりは年上だ。

 それでもエスエスは敬語を崩さないし、シルコはエスエスを子供のように扱ったりする。

 ラナリアはスーパー老けているので仕方ない。


 これはこれで、上手くバランスのとれた3人組なのかも知れない。











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