きゅう
悶々とした気持ちのまま寮に帰ると、クラリッサに心配されてしまった。
ありがとう。食当たりじゃないから。顔色が暗い理由が食当たりって、私のことなんだと思ってるんだ。
せめてなんかもっと、貧血とか女の子っぽいやつがよかった。貧血が女の子っぽいって、とんだ偏見だけれど。
「ねぇ、クラリッサ。ライラ・カーネイルさんって知ってるよね」
「ええ」
「彼女について何か噂とかって知ってる?」
「噂…」
だめもとで聞いてみたけれど、ちょっと露骨に聞きすぎたろうか。ベルンを取られたって一部の女子には言われてるらしいし。
まぁ、もともとあの兄妹と仲良くしている時点で遠巻きにされたり、あれこれ言われているみたいだから気にはしていないのだが。
「なんとなくライラさんってどんな人なのかな~って思っただけで、別に変な意味はないのよ」
なんだろう。これが墓穴を掘るということのような気がする。
一人で馬鹿みたいに焦っている私にクラリッサはちょっと笑って、静かに話し始めてくれた。
「…実はね、ライラさんがアロイス様やヨハン様と親しくなって彼女に嫌がらせをする人がいたの」
ごめんよ、クラリッサ。だめもととか思ってて。意外と情報通だったんだね。
嫌がらせの話は初耳ではあるが、やっぱりとも思う。
嫌がらせがある方が普通っていうと、ちょっと嫌な話だが綺麗ごとばかりで人は生きていけないのだ。
「嫌がらせって?」
「箱に動物の死骸を詰めて送ったりしたそうよ」
動物って…。それはまた過激な人のようだ。
どちらかというと動物愛護派なので、その人が嫌がらせのためだけに動物を殺していないことを願ってしまう。
それとも、その嫌がらせ自体がライラの自作自演という可能性もあるのか。
それだと話が少しは簡単になる気もするのだが。
「でも、一年くらいして突然ライラさんを応援するようになって、逆に他のご令嬢方がいじめないように注意したりするようになったのよ」
「ええ!?」
「本人は自分がつまらない勘違いをしていたっておっしゃっていたけど」
そんな馬鹿な。
クラリッサも同じ考えらしく釈然としない様子だった。
それから彼女は何かを迷うにように視線を漂わせ、何度か口を開いたり閉じたりした。じっと待っていると、意を決したように顔をあげた。
「でも私、ライラさんは何もしていないと思うの。本当に気を付けるべきなのは……アロイス様なのかもしれない」
窓から差し込む夕日に赤く照らされたクラリッサの顔は、なんだかとても悲痛そうに見えた。
恐れていたことがついにやってきた、とその時誰もが思った。
カテリーナの言葉に甘えて、今日も彼女たちと昼食をとっていたのだが、またもやカテリーナが爆弾を落としたのだ。
「リジーア。あなたライラさんと同じ学年よね」
カテリーナはステーキを睨みつけながら放ったその一言は、まるで魔法のように一緒にテーブルを囲むメンバーを静止させた。
「は、はい」
「放課後、話があるから彼女を引き留めてくださらない?」
フォークに引っかかっていた肉がぼとっと落ちた。しかし今はそれに眉をひそめる人もいない。差し迫った危機が目の前にあったからだ。
「話って、その、殿下とのことですか?」
「それもよ」
そろそろ来ると思ったよ…。ゲームではそろそろカテリーナとの衝突が始まっている頃だったからだ。
カテリーナの青い目が闘志に燃えているように見えるのは私だけじゃないはずだ。
昔のカテリーナには人の話を聞かないところとか、強引なところがあった。
しかし今のカテリーナはプライドこそ高いものの、ちゃんと人の話は聞くし、あの扇子で叩くのだって彼女にとって親しい人だけなのだ。昔みたいに見境なく叩いたりするほどカテリーナも、もう子供ではない。
彼女がそうなれたのは自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、たぶん私の存在があったからなのだと思う。
というのも私が出会うまでの彼女は、同年代の子供とまともに接したことがなかった。
唯一同年代で接することのできたはずのベルンとも公爵夫妻に禁止されていたらしい。私と仲良くなってからは、私の屋敷でこっそり三人で遊んだりしてカテリーナも人との接し方を学ぶことができたのだ。
それがなかったら彼女はゲームの悪役令嬢カテリーナそのものになってしまっていたのかもしれない。
少し誇らしい気もするけれど、彼女は接し方がわからないだけで根は素直で優しいのだから当たり前ではあった。
けれど、彼女の本質が直情的で腹の探りあいが苦手というのは変わっていない。
おそらくカテリーナは正々堂々とライラに、殿下に近づく理由を問いただして、自分という婚約者がいるのだと釘をさすつもりなのだろう。
だがライラが私の思っている通りの人物ならば、カテリーナでは勝てない。むしろ状況は一気に悪くなる可能性だってある。
私だって殿下やライラに言ってやりたいことはあるから、気持ちはよくわかるけれど、ライラにはなんというか、そう、底が知れない恐ろしさがあった。
それに、昨日寮でクラリッサに言われたことも気になる。
「だめです!」
以上のことを鑑みても、カテリーナを止める以外に選択肢はない。
私のいつになく強い調子に、カテリーナはむっとした表情をした。
「心配しなくても、わたくしは殿下の婚約者としてふさわしくないことはしないわ」
「そういうことではなくて」
カテリーナの手には負えないときっぱり言い切ってしまうわけにもいかず、口ごもった私に思わぬ助け舟がきた。
「俺もおすすめはしないな」
カテリーナの視線がイオニアスにそれて、無意識にほっとしてしまう。美人に真正面から見られると、どうしてこう緊張するのか。
「どうして?」
「カテリーナ、これは君が思っているより面倒な話なんだ。俺に免じて今回は我慢してくれないか」
しばらく二人はにらみ合っていたが、先に折れたのは意外にもカテリーナだった。
思っていたよりもイオニアスはカテリーナの信用を勝ち取っているらしい。こんな状況だけれど、少し寂しい気もする。
「…わかりました。殿下も学園でくらいご自由にいろんなことをなさりたいのでしょう。少し目に余るものはありますが…」
カテリーナとは思えない言葉に目を丸くする。てっきり彼女はいまだに殿下にぞっこんなのだと思っていたのだが。この様子を見る限り、ライラへの嫉妬に支配されているわけではないようだ。
ああ、でも本当にカテリーナがゲリラ攻撃じゃなくて、ちゃんと宣戦してくれてよかった。
まぁ、彼女も一人で注意しにいくほど迂闊ではないから、きっと私やイオニアスたちを連れていくとは思っていたけど。
「それに、お兄様は何をやっていると言うの?リジーアをほったらかしにして。リジーアもリジーアですわ。あなた悔しくはないの?わたくし、このことについても腹立たしく思ってますのよ!」
「それは…」
平気なわけではない。きっと何か理由があるのだと思いたい。だが、その理由を知るのが怖くないと言えば嘘になる。私はこんなに面倒くさい女だったろうか。
ベルンのことになると、いつも臆病になってしまう。
彼が私を好きでいてくれることは知っているし、ちゃんと言ったことこそないがもちろん私も彼が好きだ。私たちは婚約者という関係も持っているわけだし。だからこそ怖いと思う。ベルンを失ってしまうことが。
だって仕方ないじゃないか。彼はあんなに格好良くて、将来の公爵様なのに、私ときたら平の凡もいいところ。しかも、前世も含めてまともに恋をしたのは彼が初めてなのだ。
俯いた私に、ダリウスが苛ついた調子で言った。
「なぁ、リジーア。お前、ちゃんとブルンスマイヤーと仲良くしてるのか?」
一緒にご飯食べないだけで、毎日一緒に登下校してます~。最近ベルンが忙しいから朝しか一緒じゃないのと、私がチキンで文句言えないのと、あと学校と寮近すぎるのが問題なだけです~。
ああ、自分で言ってて虚しくなってきた…。
「それがダリウスとどう関係あるわけ?」
つっけんどんに言い返すと、ダリウスは大仰に肩をすくめて見せた。深夜の通販番組に出ている変な外国人みたいだった。言っても彼には通じないのだが。
「お前にはブルンスマイヤーを捕まえていてもらわないと困るんだよ」
「はあ?」
「いいから、とっとと仲直りしてくれ。ただでさえあいつに嫌われてるのに、このままだと更に嫌われちまう」
嫌われているというか、ダリウスとベルンが同じ空間にいるところを見たことがない。それとも私が知らないだけということか。
ああ、でも、仲直りしなくちゃいけないよね…。別に喧嘩してないけど。う~ん。
最近は裏生徒会で忙しそうにしていて、一緒に帰れていなかったベルンを捕まえに行こうとしたら、逆に捕まってしまった。ベルンって、超能力でも持っているんだろうか。
裏生徒会の部室?というのか、たまり場になっている美術準備室に連れていかれる。
無人の部屋には古い木の甘いような埃っぽい匂いが漂っている。
いつも小難しい話やチェスをするメンバーで賑やかな美術準備室は、今日は静まり返って誰もいなかった。
ということは、ベルンも私と話したくて、人払いをしたということか。
悪い話だったら聞きたくないなぁ。まさか、別れ話…。いやいやいや、それはさすがにない。ベルンはそんなクズじゃない。私は信じているよ!
よし、ここは先制攻撃だ!意を決して私は口を開く。
「あのね、最近ベルンがお昼ご飯を殿下とご一緒していることについてなんだけどね…」
「怒ってる?」
「…別に」
自分で思ったよりもきつい声が出てしまった。
いかんぞ、リジーア。素直になるんだ。そう、素直に。
…でもちょっとは意地悪しても罰は当たらない気も。
「…怒ってはない」
「ごめんね」
うう。正直な話、私はベルンの悲しそうというか、このしょんぼり顔にめっぽう弱い。いや、でも私はそんなチョロイ女ではない。断じてない。
私がかける言葉に迷っていると、ベルンは眉尻を下げた申し訳なさそうな顔のまま話し出した。
「一回様子見をするくらいでいいかと思っていたけど、予想以上に面倒なことになりそうだったから。とりあえず、彼女たちがどういう状況にあるのか見極めたかったんだ」
ライラたちのことに違いないだろうが、見極めるとはいったい。
「つまり、殿下たちと一緒にいたのは、その見極めのためだったってこと?」
「うん、まぁ…」
「どうして言ってくれなかったわけ?」
じっとベルンが私を見つめる。なんだなんだ。
「寂しかった?」
本当に反省してるのだろうか、この人は。久々にちょっとイラッと来たかもしれない。
「いや、だから…」
「寂しかった?」
出たよ、ベルンペース。もうこうなった以上会話の主導権は私にはない。
寂しかったかって?そりゃ、寂しかったよ。だって毎日顔を合わせるのが短い登校だけなんて、寂しいに決まっているじゃないか!しかも、私朝はめちゃくちゃ寝ぼけてるし!
正直に頷くのが癪なので肩パンしてやろうかと思ったけど、あまりに可愛げが無い気がして思いとどまった。
そうだ。素直になるんだ、リジーア。素直に。
「……さ、寂しかった、です」
顔がなんだか熱い。きっともう夏が来たに違いない。
俯いた頭の上から、愉快そうな笑い声がした。今日のベルンは珍しく意地悪な気分らしい。
なんで私が意地悪されているのやら。逆じゃないか?とか思っていたら、ベルンが両手を広げてうかがうように私を見てきた。
彼の抱きしめてもいいかというおうかがいに、許可すると鷹揚に頷くとゆっくり抱き寄せられた。
うーん。固い。
「僕も寂しかったよ。仕方なかったとはいえ、あまり楽しくなかったし、君はいつも通りだし、イオニアスにまで仲直りしろっていわれるし、何よりヴェーナーの奴がいっそう君の周りをうろちょろしてて気が気じゃなかった」
「え、でもダリウスだよ?」
「あれはあれで厄介なんだけど、まぁいいか」
耳の奥で心臓の音が鳴り響いて、顔を寄せている胸から聞こえる鼓動と複雑なリズムを刻む。追い抜いて追い抜かれて、次第に同じ速度に同調して、一つの機械の部品みたいに心地よいものに変わっていく。
触れ合ったところから体の境界がなくなっていくような、不思議な感覚だった。
「…リジィに聞いてほしいことがある」
「何?」
「これから僕は、僕と君のために誰かを不幸にする。それでも、僕のことを許してくれる?」
私が許さないと言えば、彼はやめてくれるのだろうか。ここで誰かを不幸にすることなんて出来ないと、そう言えば彼はどうなるのだろうか。
でもきっと昔の彼なら、誰かを不幸にすることに何のためらいもなかったはずだ。
ごちゃごちゃ考えても仕方あるまい。
私の答えなど、もう決まっているのだから。
「私も手伝う。だから、教えて。それで一緒に考えよう」
覚悟ならとうの昔にしてきた。
感想でベルンは何を考えているのか?といったものをもらったのですが、正直な話、私にもベルンの考えていることはよくわかりません。
彼は独特な世界で生きている人で、あまり自分のことを話したがらないので。ただリジーアのことが好きなのだけは本当のことです。
おかげで思いもよらない方向に話が転がってよく困らされています。