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婚約者が悪役で困ってます  作者: 散茶
エミーリアの日記
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エミーリアの日記17


湖畔のボートハウスでは、最後の夜会が始まろうとしていた。

今夜、ついにフリッツ殿下の新たな婚約者が決まるのだ。

淡い期待を抱く者。

勝手な予想をくり広げる者。

この馬鹿げた催しの終わりを楽しむ者。

私はルーカスに支えられながら、ゆっくりと広間へ踏み出した。

夜会にはふさわしくない黒のドレスに人々は驚き、次に私の擦り傷だらけの顔を見てギョッとする。

「エ、エミーリア様?そのお顔は……」

誰かが勇気を出してかけた問いを無視して、私は賑わいの中心へと進んでいった。

彼女はいつものように輪の中心にいた。

黄色いバラの花を髪にさして、何事もなかったみたいに談笑している。

まるで夢から醒めまいとするかのように。

私の異様な風貌と雰囲気に、会場は次第に静かになっていく。

そしてついに彼女を取り巻いていた人垣が割れた。

美しい翡翠の瞳が私を見つける。

完璧な微笑みを浮かべていた顔から、火が消えるように表情が消えた。

「ああ、もう夢の終わりなのね」

「ええ。終わりよ、アデリナ」

会場の方々から現れた警備兵たちが、アデリナを取り囲む。

彼女はそれを甘んじて受け入れているように見えた。

一体何が起きているのだと、周囲が困惑しているのがわかる。声を出すのもはばかられる緊張の中、みな顔を見合わせ、不安に顔を曇らせた。

そこへテアを伴ったフリッツ殿下が現れ、これは何かとんでもないことが起こっているぞと場が色めき立つ。

フリッツ殿下はまるで人形にでもなったかのような無表情だったが、彼にエスコートされるテアは勝ち誇った顔で、頬を上気させていた。


「アデリナ・フロイデンベルク」

殿下の冷え切った呼びかけに、アデリナは、はいとだけ答えた。

「貴女をテア・キルステン侯爵令嬢ならびエミーリア・イザベラ・レトガー公爵令嬢殺害を企てた罪で捕らえる」

アデリナのそばにいた令嬢が悲鳴に似た声をあげて、口を抑えた。

どうして、一体何がとにわかにざわめきが起こる。

「鎮まれ」

殿下のそう大きくはない一声に、再び場に静寂が訪れる。

殿下は傍らのテアを見つめた。

もしやこのまま婚約者の発表が行われるのか。

それはいささか非常識ではないか。

誰もが固唾を飲んで見守る中、殿下はテアの手を静かに離す。

「殿下……?」

どういうことだと見上げるテアに、彼は感情のない視線を落とした。

「そしてテア・キルステン。貴女をルシア・ヴェーナー伯爵令嬢を殺害しようとした罪で捕らえさせてもらう」

「なっ……!」

カッとグリーンの瞳が見開かれる。

「どういうことですの!?」

「お姉様!」

警備兵に囲まれ暴れるテアに、妹のレネが駆け寄ろうとした。しかしそれは他の令嬢によって止められてしまった。

「殿下。私から説明をしてもよろしいでしょうか?」

「……では、あなたに任せよう。エミーリア嬢」

「ありがとうございます」

ほんの一瞬、殿下の瞳が暗くかげった気がした。

「なんなの?どうして私まで……!」

私は苛立ちをあらわにするテアに向き直り、私は彼女を睨みつけた。

「いつまでとぼけるつもり?」

「何を言っているの?私は殺されかけた側なのよ!」

「ええ、その通りよ。アデリナはあなたを殺そうとして、あなたがいつも食べるラズベリーのケーキに毒を入れた。そしてそれに気が付いた私の口も封じようとした。殿下からあなたにお話になったことは紛れもない事実」

「ならば、これは一体どういうつもりなのかしら」

自身を取り押さえる兵士を忌々し気に見回し、テアはきっと目をつり上げる。

「あなた、知っていたんでしょう。自分のケーキに毒が入れられていることに。だからあの時、強引にルシア・ヴェーナーとケーキを入れ替えた」

そして何も知らないルーシェは毒に倒れ、いまも苦しんでいる。

「それは……!」

「フリッツ殿下がルシア・ヴェーナーを婚約者に指名することも知っていたんでしょう。だからレネに、彼女もお茶会に来るよう誘わせた。そしてアデリナの毒を利用して、彼女を殺そうとした」

知らなかったとしらを切ろうとしても許さない。

そう続けようとして、私は違和感を覚えた。

「ルシア・ヴェーナーを婚約者に……?」

呆然と呟くテアの顔が、本当に知らなかったように見えたからだ。

彼女は助けを求めるように妹のレネへ必死に視線を向ける。

「レネ!レネ!違うわよね?ねぇ、レネ!」

「お姉様……私、私……」

ううとレネが泣き崩れた。

その姿は姉の罪を認めたようなもので、テアの顔から血の気がすうっとひいていく。

もう言い逃れはできない。

テアが自らの罪を認めなくとも、彼女はもう殿下の婚約者にはなれないだろう。それどころか社交界から追放されるのは確実だ。

ルーシェをあんな目に合わせたのだ。

その代償は必ず払わせなければ……。

ふと、視界の端に妙に気になる銀色が映った。

戸惑い、恐れ、困惑、嫌悪。

その中で一人だけ、薄ら笑いを浮かべている男がいる。

「クレイグ……?」

なんだろう。

なにかが。

なにかが変だ。

「そうよ」

もう少しで違和感の正体がつかめそうだというところで、私の思考は現実に引き戻された。

これまでと打って変わってテアは、憎たらしい笑みを浮かべ、はっきりと自らの罪を告白した。

「身の程知らずに教えてあげたの。でも私はケーキを交換してもらっただけ。それの何が悪いのかしら?」

「貴様……!」

開き直った発言に、食いしばった歯の隙間から殿下が呻いた。

「毒を盛ったのはアデリナ。でも、それを知っていたという証拠は?私はケーキを交換してもらっただけ。ただの気まぐれ。そうでしょう?」

「よくもそのようなことを!……もういい。アデリナともども、連れていけ!」

「触らないでちょうだい!私は一人で歩けるわ!」

拘束しようとしてくる兵士を視線だけで跳ね除け、テアはつんと鼻先を上へ向けて歩き始める。彼女に続いて連れていかれるアデリナは、魂が抜けたようにうつむいていた。

「アデリナ様」

「なにかしら?」

「どうして逃げなかったのですか?私を始末したはずの男たちが戻ってきていないことにあなたは気づいていたはず」

アデリナは緩慢な動きで、自らの髪にさした黄色いバラに触れる。

黄色いバラ。

赤と黄色のバラ……。

「たとえ終わってしまうのだとしても、最後まで夢を見ていたかったの。殿下が私に微笑みかけてくださるかもしれないと少しでも長く信じていたかった」

儚く微笑むアデリナに、殿下は冷たく連れていけとだけ言った。

アデリナが私の横を通り過ぎた瞬間、私はようやく思い出した。


テアがアデリナにバラを返せと詰め寄ったこと。

テアには赤いバラを。アデリナには黄色いバラを。私たちは渡した。


そしてあのお茶会。

テアがケーキを交換する前に、誰かが妙なことを言っていた。


「あ、逆だわ」


あの時、私はカップの持ち手が逆だと言いたいのかと思った。そして、よくそんな細かいことに気が付くなと思ったのだ。同時にどうしてわざわざそんなことを言うのだろうとも。

逆だという言葉を聞いたテアは顔色を変えて、ケーキを入れ替えた。

赤いラズベリーのケーキと、黄色いバターのケーキを。

私とレネのレモンのケーキではなく。

どっちも赤と黄色だ。

バラとケーキ。


もしかして、テアは赤と黄色がわからなかったのではないか。

色の違いが上手く見分けられない人というのは実はけっこういるのだと聞いたことがある。多くは男性だが、まれに女性にもいるのだと。

もしもテアがそうなのだったとしたら?

だからバラの色が違うことに気がつかなかった。

逆だと言われた時、とっさにケーキのことだと思い、同じものを頼んだ私とレネを消去法で消してルーシェのと入れ替えた。

レネが「逆だ」とわざわざ言ったから。


私はその時、初めてレネという少女に気が付いたようだった。

私が信じられない思いで見つめていると、向こうもまたこちらに気が付く。

彼女はしばしの間、いつものおどおどとした影の薄い少女の顔で私を見ていたが、私の視線の意味に気が付いたのだろう。

ふっと微笑んだ。

私の勝ちね。

そう言われた気がした。



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