エミーリアの日記15
(2021/8/28)長らく筆が止まっておりましたが、なんとか一念発起して最後まで書き上げました。お楽しみいただければ幸いです。
一通り当時の状況を語って聞かせると、クレイグは顎に指を添えて、なるほどねとさも名探偵のように頷いた。
「私が話せることはこれくらい」
何かわかったかと視線で問いかければ、大仰に肩を竦めてみせる。仕草だけは一丁前なのが腹立たしい。
「とりあえずケーキに毒が入っていたことは確定なんだろう?」
「でも少しわからないことがあるの。あの時、テアは不自然にルーシェのケーキと自分のを取り換えた。彼女がキイチゴのケーキに毒が入っていることを知っていてそうしたのだとして、どうしてそんな私たちの注意をひくような方法をとったのかしら。ルーシェの食べるケーキに毒を入れればすむ話じゃない?」
「毒が入っていたことを知らなかったとしても、不自然ではあるな」
必死に理由を考えてみたが、いかんせん情報が少なすぎる。
「とにかく情報収集ね」
「どこから行く?テアは面会謝絶状態らしいけど」
「テアに話を聞いたって本当のことを言うわけないでしょ。まずは足元を固めるわ」
「というと?」
「あの時、あそこにいた侍女に話を聞く。キッチンの次に毒を混入するチャンスがあるとすればそこだから」
歩き出すと、クレイグが付いてくる気配があった。
現在、犯人である可能性が最も高いのはテアだ。少なくともあの女は毒の入ったケーキをわざわざルーシェのものと交換した。
しかしそのやり方がどうにも引っかかる。
テアが犯人だと決めつけてかかるのは簡単だ。だが、それだけではないような気がする。
必ずや真実を見つけ出し、犯人にはルーシェをあんな目に合わせた償いをさせなければならない。
絶対に。
すぐに見つかるかと思われた侍女探しは、難航した。
事件のごたごたで持ち場もぐちゃぐちゃになってしまっているらしく、メイド長に聞いてもわからないというなんとも腹立たしい答えしか返ってこない。仮にも王族が所有している屋敷だろうにとは思うが、このお見合いパーティのためだけに寄せ集められた使用人たちに何事にも動じない結束を求めるのも無理な話なのかもしれない。
「どこに行ったのかしら……」
苛立ちに呼応するように、心臓がどくどくして、少し息苦しい。まったくもって我が身体は忌々しいほどに軟弱だ。
「ここから一番近い街へ行くにしても、馬は必須。厩から消えた馬もいないし、絶対まだこの屋敷にいるはずなのに」
「どこかに身を隠しているのかもしれない」
「身を隠す……」
「一か所心当たりがある」
クレイグは美しいラインを描く顎の先をトントンと人差し指で叩きながら、思案顔で言った。
「どこ?」
「ボートのオールや縄を管理している小屋がある。あそこの二階なら人が潜むのに向いている」
「決まりね。いきましょう」
使用人通路を先導させながら、ふと疑問が持ち上がる。
「情報提供はありがたいのだけど、どうしてそんなことを知っているの?」
やはり殿下の友人として、いざという時のためにボートハウスのことはすべて把握しているのだろうか。
クレイグは一つ瞬きをして、至って当たり前のことを言うような調子でこう返した。
「女の子を連れ込むのによさそうなところを探してて見つけたんだよね」
真面目な理由を想像するだけ無駄だったようだ。
こんな男を頼ってしまって大丈夫だったんだろうか。
急激に不安になってくるが、殿下とルーシェをくっつける手伝いをしていた時もなんだかんだでまともに手伝いをしてくれていたので、ひとまず信じてみることにする。
クレイグの言っていた小屋はボートハウスと森の中間に位置していた。
簡素な造りで、湖畔からは見えないように木々で隠されているために、おそらくクレイグに言われなければ存在にすら気が付かなかったかもしれない。
二階建ての建物はこじんまりとして、背後の森に飲み込まれてしまいそうだった。
小屋の扉には鍵がかかっているのか、押しても引いてもびくともしない。
「外れだったみたいだな」
残念そうに息をつくクレイグを無視して、私は念入りに小屋の周りを歩き始めた。
すると、建物の裏側にある窓が半分開いていることに気が付いた。窓は胸の高さほどのところにあり、小柄な女性なら通り抜けられるくらいの広さがある。
「ここから入ったのかも」
隙間から中をのぞいてみるが、薄暗くてよく見えない。
こうなったら中に入ってみるしかないだろう。
窓枠に手をかけ体を持ち上げようとした私を慌ててクレイグが止めた。
「まさか乗り込む気か?」
正気を疑うとでも言いたげに、彼は片方の眉毛を吊り上げてみせる。
「怖いなら、ここで待っててもいいのよ」
「そういうわけじゃない」
「ちょっと高いな……。悪いけど手伝ってくれる?」
「はいはい。仰せのままに」
クレイグに体を持ち上げてもらって、なんとか窓枠によじ登る。その際に腹を蹴ってしまった気がするが、相手はクレイグなので気にしないことにした。
中は外から見たとおり薄暗く、埃っぽい。
一階の壁にはオールがずらっと立てかけられており、人が隠れられるようなスペースはないように見受けられる。
「二階を見てくる。あなたはそこで待ってて」
「おいおい、一人で大丈夫なのか?」
「私のパンチの威力ならよく知ってるでしょ」
初対面の時、みぞおちを殴られたことを思い出したのか、クレイグは苦笑する。
それでもやはり少し不安だったので、私は一番小ぶりなオールを抱きしめて二階へ上がることにした。
できるだけ音を立てないよう、慎重に階段を上っていく。
半分ほど上ったころだっただろうか、抑えられた人の声のようなものが聞こえてきた。
緊張でじっとりと汗が噴き出す。
オールを握りしめなおして、私は体勢を低くしながら階段を上っていった。
「だから、私はちゃんと言われたとおりにやったわ……!」
漏れ聞こえてくる女の声には、わかりやすく焦燥の色が浮かんでいた。
手すりの隙間から目から上だけ出して、私は目を凝らした。
天気がよくないために、明り取り用の天窓から差し込む光はわずかだ。室内は一階よりも物がごちゃごちゃとしているせいで見通しが悪い。
声は積み上げられた箱の後ろからしていた。
声の主のほかにもう一人いるらしく、女はその相手に向かって必死に弁明しているらしかった。
とぎれとぎれに聞こえる内容から推測するに、指示に従ったのだから、約束通り金と逃亡の手伝いをして欲しいと要求しているようだ。しかし相手は納得していないようで、女の声はどんどん大きくなっていく。
「テアがいつも食べるキイチゴのケーキに毒を入れろって言ったのはそっちでしょう!」
毒、ケーキという単語に、ひとりでに体が跳ねる。
やはり侍女がケーキに毒を入れたのだ。
しかしいったい、どういうことだ?
なぜルーシェではなく、テアの名前が出てくるのだろう。これではまるで、あの毒はテアを狙ったものであるかのようではないか。
「あの時、テアが私たちの会話を聞いていたのよ……!だからケーキを」
そこで女の言葉不自然に途切れた。
続いてくぐもった苦しそうな声と、床を激しく蹴る音がする。箱の裏から女の手が現れて、助けを求めるように空を掻きむしった。
まずい、襲われている!
とっさにオールを構えなおして私は彼女を助けようと身を乗り出した。
しかしその試みは上手くいかなかった。
なぜなら、私自身もまた背後から音もなく近づいてきていた何者かに頭を殴られ、気絶してしまったからである。
後頭部の鈍い痛みで、目が覚めた。
殴られた時に筋を痛めたのか、首の裏側まで痛い。
ずきずきと痛む頭を持ち上げ、唸りながら私は何度か瞬きをする。そうするとぼやけていた視界が次第に明瞭になり、自分が椅子に縛り付けられていることに気が付いた。
殴られた後遺症かまだグラグラする頭を必死に動かして確認したところ、足は自由だが、手はひじ掛けに縛り付けらている。深い飴色のひじ掛けには凝った装飾がされており、拘束のための縄と少しちぐはぐな印象を受けた。
足元には赤い絨毯が敷かれており、室内は火が灯され薄暗い。
私が気絶している間に日が沈んでしまったようだ。
貴賓室とまではいかないが調度品も整っており、少なくとも殺すためだけに連れてこられる部屋には見えなかった。
どうやら私は気絶させられて、あの小屋とは違う場所に連れてこられたらしい。
手を拘束している縄はがっしりと結ばれており、解けそうにもない。
ドクドクと痛みが脈打ち、発熱したみたいに体がだるい。それでも自分が危機的状況にいるという緊張感からか、頭は存外スッキリとしていた。
背後から忍び寄ってきていた何者かに殴られ、ここに連れてこられたのは間違いないだろう。
一階に隠れるスペースはなかったから、その何者かは私と同じように窓から入ったか、小屋の鍵を開けて入ったということになる。どのみち外で待っていたクレイグは邪魔だっただろうから、私と同じように気絶させられたはずだ。私が殺されていないので、あいつも殺されてはいないだろう。別の部屋で同じように拘束されているのかもしれない。
あの小屋で私が盗み聞いた内容から推測するに、侍女は金銭をもらう代わりに、テアがいつも食べるラズベリーケーキに毒を入れる手はずだった。
毒はテアを狙ったものだったのだ。
しかしどういうわけか、テアはそのケーキをルーシェのものと入れ替えてしまった。
侍女の言葉が脳裏によみがえる。
「あの時、テアが私たちの会話を聞いていたのよ……!だからケーキを」
だからケーキを入れ替えた。
あの時、というのがいつなのかはわからないが、おそらく立ち聞きされた可能性のある場面があったのだろう。
だとすれば、テアは自身のケーキに毒が仕込まれることを知っていたことになる。
そういえばあの日、私をお茶に誘いに来たレネはやけに熱心ではなかっただろうか。
テアにルーシェも必ず連れて来いと言われていたのだとしたら?私たちが隠していたルーシェと殿下の仲に彼女が気付いていたとしたら?
自分に向けて仕込まれた毒を使って、邪魔者を消そうとしたのではないか。
だからテアはあの時、強引にケーキを入れ替えたのだ。
もしも問い詰められたとして、ケーキに毒を混入したのは少なくとも彼女自身の指示ではないし、ひと時の気まぐれが生んだ悲劇だったのだと言い逃れできると考えて。
ならば毒を混入するように侍女に指示したのは、誰だ?
その疑問に答えるかのように、扉の開く音がした。
予想と反して扉を開けたのは、身なりのいい二人組の男だった。それに続いて鮮やかな青いドレスの裾がのぞく。
入ってきたその姿には見覚えがあった。
「アデリナ……」
「ごきげんよう、エミーリア様」
「ごきげんよう」
優雅にスカートを広げて見せるアデリナに対して、こちらは椅子に縛り付けられた無様な姿だ。
その見下ろしてくる視線を見ていれば、もしかして助けに来てくれたのかしらなどという馬鹿馬鹿しい考えすら起こらない。
「どうしてこんなことを、って聞いた方がいいのかしら?」
アデリナは憂鬱そうに細い首を傾けて、二人組が用意した豪奢な椅子に腰かけた。真っすぐな茶色い髪に縁どられた顔面は白く、翡翠の瞳は不安げに揺れている。気持ちを落ち着かせるためか、握りしめたハンカチはしわくちゃになってしまっている。
「本当はこんなことしたくなかったの」
「あら、そう。なんだかお困りみたいね。話を聞いてさしあげるかわりに、よければ手を自由にしてくださらない?」
返答はあいまいな微笑みだった。ノーってわけね。
これでアデリナが私を襲った人間側だということがはっきりした。
問題はその目的だが、まぁ考えるまでもないだろう。
「あなたがケーキに毒を入れたのね」
アデリナの口元がひくつくのが見えた。
彼女は否定も肯定もせず、深く長く息を吐き出す。
「どうして、人生って上手くいかないのかしらね」
へばりつくような低い声だった。
「私には結婚間近の婚約者がいたわ。好きではなかったけど、悪い人でもなかった。なにより家が決めた相手ですもの。でもある日馬から落ちて、それっきり……。悲しくて、怖くて、毎日泣いたわ」
芝居がかった動きで目尻を拭ったアデリナは、ぱっと表情を切り替える。
翡翠の大きな目は夢見る少女がごとく輝いていた。
「実を言うと、殿下は私の初恋の方なのよ。だから殿下も婚約者が亡くなったって聞いた時、これは運命だって思った。私、たくさん考えましたの。どうすれば私が殿下の妻になれるのか」
「それがあの毒入りケーキだったと?」
「やっぱり聞いてしまったのね。どうしましょうか……。私、どうしても殿下の妻になりたいの」
そんなこと知ったことではない。
何も言わずに睨みつける私に、アデリナは眉尻を下げる。
「ねぇ、エミーリア様。私たち、親戚よね。きっとあなたを悪いようにはしないわ。だから黙っていてくださらない」
「それはつまり、毒を入れるよう指示したのは自分だと認めるということ?」
「……ええ、そう。そうね」
「しかし、テアがケーキを入れ替えてしまったために、かわりにルーシェが毒入りケーキを食べることになってしまった」
「本当に可哀想なことをしたわ。でも、助かったんでしょう?」
「そういう問題ではないわ」
「大切なお友達だったのね。悪いのは大人しくケーキを食べて死ななかったテアよ。あの女、きっと盗み聞きして、可哀想なルシア・ヴェーナーに食べさせたのね。本当に酷い女」
「自分のことを棚に上げてよく言えるわ。この人殺し」
ピタリとアデリナの体が固まった。
ぶるぶると小刻みに肩を震わせて立ち上がった彼女はつかつかとこちらに歩み寄り、さっと右手を振り上げた。
とっさに目を瞑り、歯を食いしばった。
パシンッと派手な音がして、弾けるような痛みが頬に広がる。
平手打ちしやがった、この女。
睨みつけると、アデリナはその美しい顔を醜く歪めた。笑おうとしているのか、口の端がひくひくと痙攣したようになっている。
「エミーリア様って、養女なんですってね」
「だから何?」
「お爺様が言っていたわ。あなたは本当は死んだほうがいい存在なんだって」
「は?」
「無遠慮に嗅ぎまわって、協力もしてくれないあなたを生かしておく必要ってあるのかしら?ねぇ、エミーリア様」




