なな
ついにやってきましたよ!!
全然待ってもないし、楽しみでもなかった入学式!
あぁ、来ちゃったんだなぁ…。嫌だなぁ…。
嬉しいことなんて、またベルンやカテリーナと毎日過ごせるということくらいしかない。
ベルンは二つ上でカテリーナも一つ年上だから、特にこの一年は本当に寂しかった。
学園が休みの夏と冬しか会えないもんだから、ベルンなんて毎回休みになるやいなや早馬で帰ってきて、ぎりぎりまで粘っていた。おかげで馬術の成績は学年で一番になったそうだ。おめでとう。
両親や使用人たちに涙ながらに見送られ、学園を目指す道のりはさながら処刑場への道にすら思えた。
くそう、みんな人の気も知らないで…。ティアなんか仕事減って嬉しいとかほざくし、お母様に至っては、
「うらやましいわ~!婚約者と過ごす学園生活!私もあなたのお父様と学園で恋を育んだのよ」
と大盛り上がりを見せた。お父様はほんのり耳を赤くして照れていた。なんか嫌だ。
そんなことはおいといて。
学園に入るまでのこの五年で、いくつか変わったことを述べておきたい。
まず、第二王子セリムが無事産まれた。
おかげで王妃の関心はそちらに移り、ベルンへの襲撃はぱったりなくなった。おかげでベルンからこっぱずかしい呼び方をされるようになってしまったのだが。
次に、ライラがゲームよりも派手な動きを見せているらしい。
カテリーナ経由で聞いた噂なのだが、ライラは感謝祭で出会った攻略対象のアロイスとヨハンの二人とかなり懇意にしているのだそうだ。
アロイスはデーニッツ伯爵家の次男坊で、いわゆる遊び人で有名だ。まだ成人してもないくせに、数々の令嬢と浮名を流している。ここまでくるとちょっと嘘くさい気もするけれど。
もう一人のヨハンは騎士団長ドレクスラー伯爵の武に優れた跡継ぎとしてこちらも有名だ。
まぁ、二人とも実家がそれなりの爵位でゲームの攻略対象なだけあってイケメンだから、有名なのは当たり前だろう。しかも婚約者がまだ決まっていないということもあって、婚約者のいないご令嬢方にマークされていた。
そんな二人とライラはゲーム通りなら感謝祭で出会ったあとは、学園で再会するまで接触はないはずである。しかし、現実はかなり違って、ライラはアロイスのことをお兄様と呼び、ヨハンとは昔からの幼馴染のように親しくしてよく互いの家を行き来しているという。
それだけ派手に動けばライラの悪評が立ちそうなものなのだが、彼女を悪く言う人間はほとんどいない。
いわく、素直で無垢。天真爛漫。誰にでも優しく、悪意の存在すら知らないような女の子。
おそらくライラ、もしくはライラの近くに私と同じ転生者がいるのだろう。
私としては、できれば後者であってほしいと思う。
なぜなら、彼女は将来有望なイケメンを二人も捕まえておきながら同性からの妬みを買わないことに成功している。ゲームのヒロインでさえ妬まれたり、陰口を叩かれたりしたのに、だ。
それとも、これがゲーム補正というやつなのか。そんな、バカな。
もしもライラが転生者なら、中身が天使に聖女を足したみたいな子なのか、逆に相当に強かな子のどちらかということになる。まず、勘違い系電波ヒロインなんていうある意味チョロイ相手ではないだろう。
ああ、なんだか胃が痛くなってきた…。
とはいえ入学しないわけにはいかない。
ゲームのスチルでよく見た白亜の校舎や噴水を横目に、私はダラダラと入学式が行われる第一講堂とやらを目指す。
正直言ってどこなのか全くわからないけど、新入生っぽい軍団の流れに身を任せていれば大丈夫だろう。前世の勘がそう言っている。
と、突然、新入生を見に来た在校生の人垣がサッと割れた。おっとー、これは殿下のおなりかな?
とのんきに考えていたら何か黒くて素早いものが現れ、どんどん大きくなって、
「リジィ!」
「ぎぇえええ!?」
それがベルンだと気付いた次の瞬間、私はタックルされ、そのまま抱き上げられていた。
視点がグンと高くなって、思わず悲鳴をあげてしまう。
あ、今の悲鳴、我ながら昔見たファンタジー映画のゴブリンが倒されるときの断末魔にわりとそっくりだった気がする。
公衆の面前で抱き上げられるだけでも羞恥なのに、私を抱きかかえたままベルンはクルクルと回りはじめた。
お前、ハリウッドのラブコメ映画じゃないんだぞ!やめろー!
再び可愛げのないガチめな悲鳴をあげる私に、ちょっと反省したのかベルンは回るのはやめてくれた。
ちなみにスカートは手で抑えてくれていたので、私のパンツの色がばれることはなかった。
「寂しかった」
いつもは見上げるばかりのベルンの伏せられた睫毛を見下ろす。いいなぁ、睫毛が長くてうらやましいかぎりだ。
「嘘つけ!冬休みに会ったばかりでしょ。もう、いいから降ろして!」
「リジィが冷たい」
悲しそうな顔すればなんでも許してもらえると思うなよ!許すけど!あと、私も寂しかったよ!
この数年でぐんぐん背が伸びたベルンは同世代に比べても背が高くて、声だってすっかり低くなってしまった。というのに反比例するように私に対する態度が、年々子供じみてきているのはどうかと思う。
とはいえ私の言うことは基本聞いてくれるので、しぶしぶと言ったように彼は私を地面におろした。
まだ入学式も始まってないのに、ベルンのせいで悪目立ちしてしまった。明らかに周りからの目が無関心なものから、珍獣に向ける目に変わっている。
「ベルンのせいで友達できなかったらどうするのよ」
「え、友達欲しいの?」
「逆に聞くけど、どうしていらないと思ったの?」
「冗談だよ。ちゃんとできるさ」
他人事だと思って。
「ようやく、ベルンハルト先輩の幸運の女神に会えたな」
ベルンの後ろから赤銅色の髪の青年がひょっこり現れ、にっこりと笑いかけてきた。ベルンもすぐ横に立たれて嫌そうにしていないし、悪い人ではなさそうだ。
というか、なんでその呼び方知ってるの!?
第二王子が産まれてから、私はベルンに幸運の女神認定されていた。二人っきりの時ならいいけど、絶対人の前では言わないでね!って言ったのに…。
じっとりとベルンを見つめて無言の抗議を送るが、当の本人はぼんやりと遠くを見ている。こんな時ばっかりこれ見よがしにぼんやりしおって!
「俺は二年のイオニアス・ミュラーだ。以後お見知りおきを」
青年は私たちの様子を愉快そうに見ていたが、ベルンが彼を紹介する気配がないので自ら名乗り出てくれた。
なるほど、この人がイオニアスか。実は彼のことは主にカテリーナから、去年の夏あたりからよく聞いていたのだ。
「リートベルフ侯爵の娘、リジーアです」
挨拶を交わしていると、こちらに優雅に歩み寄ってくる美しい銀髪の女生徒の姿が視界に入った。噂をすればという奴だろうか。
「カテリーナ様!」
「リジーア!」
お互い駆け寄ってひしと抱きしめ合う。やっぱり女の子は柔らかくて、素晴らしいね。ベルンはだめだ。この人ところかまわずだし、あとめちゃくちゃ硬い。
カテリーナは私に入学おめでとうとたおやかに伝えたかと思うと、打って変わってくわっと目を見開いて男二人に扇子を突き付けた。ああ、変わってないなぁ、と妙に安心してしまう。
「もう!二人とも私を置いていくなんてひどいですわ!」
「あなたが殿下以外にエスコートされては困ると言ったからでしょう」
「ぐうう!あなたって本当に嫌な男ね」
「はいはい」
カテリーナは昔からの癖で、イオニアスの二の腕を叩こうとしたが見事かわされ、扇子が虚しく空を切る。
それが悔しくて躍起になるカテリーナと、扇子攻撃を全てかわして見せるイオニアス。この動きは扇子で叩かれ慣れている者の動きだと、長年カテリーナの扇子を受け続けてきた私にはわかる。
まぁ、私くらいになるとね、わざと避けないっていうか、むしろ当たりにいっちゃうみたいな?別に避けられないわけではない。決してない。
このイオニアスという男は実家が子爵位だがベルンの友人の一人で、カテリーナのお目付け役を買って出てくれた奇特なお方なのだそうだ。というかお目付け役をつけられるってカテリーナよ…。
まぁ上手くいっているようで何よりだ。
「リジィ」
見上げると柔らかく微笑むベルンの顔があった。風が吹いてさらさらと黒い髪が揺れる。
「入学おめでとう」
「…ありがとう。私、がんばるね」
うん。がんばろう。
とりあえず今日は入学式と入寮式だけだった。
あ、でも友達できたよ!寮の同室の子だ。
名前はクラリッサ・オームさん。王蟲ではない。
物静かな、まさに深窓のご令嬢って感じの子だった。上手くやっていけるといいなぁ。
本当は個室に入る予定だったけど、個室って寂しいし、せっかくの寮生活なので二人部屋にしたのだ。いや、本当に優しそうな子でよかった。
もしかしてライラと同室になったり…と思ったけど、彼女は個室らしい。ゲームでは二人部屋だったはずなのだが。
少ない荷物をちゃっちゃと片づけて、私はベルンと約束していた第五校舎の前までやってきた。
比較的古い第五校舎には美術室や音楽室などの実習系の教室があり、授業が無い時は好きに使っていいことになっているそうだ。今もピアノやヴァイオリンの音が風に乗ってかすかに聞こえている。貴族の子供となると楽器をたしなむ人も多いのだろう。
校舎前に並べられたベンチの一つに座ってベルンを待つ。
傍らの楓がさわさわと揺れ、幾何学模様みたいに繊細な木漏れ日の影が水面のようにゆらゆらと揺れていた。良い天気だなぁ。
ふと視線を感じて顔をあげると、遠くにいた彼女と目が合った。
水色の髪に華奢な体躯。ライラだ。
予想もしなかった邂逅に固まってしまった私が馬鹿みたいに見つめていると、ライラが花が綻ぶように笑いかけてくれた。慌てて笑い返そうとするが、うまくいかなくて変な引き笑いみたいになってしまったかもしれない。
話しかけに行くべきかと迷っているうちに、ライラは誰かに呼ばれて駆けて行ってしまった。あの赤い髪は見覚えがある。たぶん、アロイスだ。
ライラの笑顔には悪意など全く見えず、本当に可愛らしい無垢な少女に見えた。まさにこの世界の主役にふさわしい、可憐な笑みだった。
やっぱり私の思い過ごしだったのかもしれない。
「リジィ」
「あ、ベルン」
「どうしたの?ナマズみたいな顔して」
「ナマズ…」
口が半開きだったからかな?ん?
うーん。せめて髭の生えてない魚がよかった。
手を繋いで案内されたのは、美術準備室だった。なんでも紹介したい人たちがいるそうだ。そういえば、ベルンが一年生の時にクラブを作ったとか言ってた気がする。
この学園にも五人以上のメンバーと顧問となる先生がいれば、クラブをつくることができる制度がある。よくある吹奏楽とかお茶会をするだけのクラブとか、はてはエドウィン殿下ファンクラブとかもあったりする。
ドアを開けるとそこには十数人の生徒がいた。
部屋の奥でチェスをしていたイオニアスが親しげに手を振って、いたずらっぽくこう言った。
「ようこそ、裏生徒会へ!」
「あ、どうも」
条件反射で頭を下げて気付く。裏生徒会?
裏!?裏って何!?
あのねベルン。リジィが学園で楽しく過ごせるように下地を作ろうとしたんだけど、なんかこうなったじゃないのよ。この、のほほんとしやがってー!
とりあえずへ、へぇ~と相槌を打っておいた。私いま意味がわからな過ぎて、ナマズみたいな顔してる自信がある。