仮面舞踏会の幽霊1
「本当に行くの?」
恨めしそうに見上げてくる目に負けずに、行くよと確固たる決意をもって返事をする。
私たちは片方が立って、片方がソファーに腰かけた状態で向き合っていた。ちなみに立っている方が私で、座っている方がベルンだ。
私はもうすっかり外行の準備を整え、あとは馬車に乗って屋敷からさらばするだけなのだが、この困った男はギリギリまで私を引き留めたいらしい。
「もう行くって返事しちゃったもの。イオニアスだって私がいなかったら困るだろうし」
「具合が悪くなったことにすればいい」
しれっとそんなことを言って、彼はコルセットでガッチガチに締め上げられ、もはやコルセットを巻いているのではなく、コルセットという鋳型に体を合わせていると形容する方が正しい私の腰をスルスルと撫でた。
そんなに私が一人で外出するのが嫌なのか。
とりあえず腰を撫でる手つきがなんかやらしかったので、叩き落とす。
ベルンはあいたと小さく抗議の声をあげた。
去年の春から夏にかけて起こった、短くも慌ただしく、時々物騒なこともあったエドウィン王子の婚約者騒動。
ベルンの葬式後の冬に押し掛けてきたエルメンヒルデから端を発した婚前旅行。
そして早春に私とベルンは無事に結婚して、何事もない平和な夏が過ぎ去り、季節は巡りに巡って、グルグル回り、秋に入ろうとしていた。
つまり私が学園を去ってから一年。新妻歴六か月目に突入して、現在に至るわけなのである。
結婚して半年とか、ほんと新婚ホヤホヤなのだが、いかんせん私たちは婚約者期間が長かったので、イチャイチャしまくってんのかと言うと微妙なところだ。
いや、そりゃまぁ、することはしているんですけども……恥ずかしいので、この話は割愛!
というわけで季節は夏の終わり。
そして貴族社会における夏と言えば、そう、社交シーズンだ。
昨年、エドウィン王子の婚約者騒動のせいで、昨シーズンはそれどころでなく、不完全燃焼に終わった。そのため、今年のそれはとても活発的なものであった。
私たちは表向き死んだことになっているベルンの事情もあるので、本当に出なくてはいけないものにしか参加できなかったし、よしんば参加できたとしてもベルンは顔を仮面で隠していて、注目の的になってしまい、挨拶だけしてそそくさと帰るのが常であった。
しかし今夜は、その常ではない。
今夜、ブルンスマイヤー公爵主催の夜会が開かれる。
いまだ新王太子派と元王妃派の勢力争いは水面下で激しく行われているそうだが、シーズンの締めくくりはこのブルンスマイヤー主催の夜会ということになったらしく、それはもう大変な注目を集めた。
しかも、しかもだ。
なんとこの夜会、ただの舞踏会ではない。
参加者全員が仮面の着用を義務付けられた仮面舞踏会なのだ。
元ブルンスマイヤー公爵、ベルンとカテリーナのお父さんがホストとなっているが、実質的な夜会の主人はカテリーナなので、もちろん私とベルンもこの仮面舞踏会に招待された。
ベルンはまだしばらく、表舞台には出られないから、パーティなんて夢のまた夢と思っていた私はこの招待に舞い上がって、安直にこう思ったのだ。
仮面で顔を隠せば、いけるっしょ!と。
仮面舞踏会には基本的なルールとして、本人が望むならその正体を無理に聞き出したり、会がはけた後も調べたりしてはならないというルールがある。
相手がわからないからこその楽しみ方、というものがあるわけなのだ。
だからベルンと一緒に参加しても大丈夫かなぁと、期待したわけなんですよ。なんならいまのドレスの流行ってどんなのだろうとかくらいには、浮かれていた。
しかし残念なことに…そう、本当に残念なことに…。
ベルンはどうしても外せない仕事があって、なんと今回は不参加!
私の気持ちをもてあそんだ罪は重い。
許すまじ。
ベルンは我がリートベルフ侯爵家に婿として入ったわけなのだが、レトガー公爵との付き合いも続けており、諜報部にも籍を置いている。
本人は態のいい雑用だとか言っているけど、わりと忙しくて月に二、三回は出張に行ったりもする。最近は同じくレトガー公爵の雑用係のダリウスと組むことが多くて、その時はダリウスの指導係も兼ねているらしい。
一回諜報部の組織形態について詳しく教えてもらったけれど、なんかややこしくて全然覚えられなかった。なので私はいまだによくベルンが諜報部でどういう立ち位置なのかわかっていない。
妻としての自覚が欠けているなどの非難は甘んじて受け入れる所存である。
話を仮面舞踏会に戻そう。
どこまで話したっけ。
そうそう、みんな仮面なら私たちも参加できると浮かれた私の気持ちは、ベルンにもてあそばれ、地に落とされたというところまで話したんだった。
自分ではそんなにパーティ好きだとは思っていなかったが、やっぱりなんだかんだ言って毎年参加していたし、みんなが楽しんでいるのを遠くから眺めるというのもなかなかに寂しいものがあった。
それに学園を卒業した身となっては、パーティは友達に会える数少ない機会の一つであった。
特にカテリーナなんかは、公爵としての実務をこなすための勉強とか交流に忙しくて、こういう時くらいじゃないと顔を合わせることすらできそうになかったのだ。最後に会ったのが結婚式だったから、新妻歴イコール、カテリーナと会ってない歴でということになる。
それなのにベルンときたら、仕事ときた。仕事!仕事ですって!聞きました奥さん!?
不貞腐れた私がぶうたれながら、ベルンの長い前髪をかわいい編み込みにしていた時だった。
ふとひらめいたのだ。
何もベルンがいなきゃ夜会に参加できないわけじゃないじゃないか、と。
とりあえずエスコートがいればいいんじゃないか、と。
なら新妻のお願いよりも仕事を取る薄情な夫ではなく、その夫の友人にエスコートして貰えばいいのだ。
そこで私が白羽の矢を突き立てたのが、夫の友人こと、イオニアスであった。
彼ならカテリーナと良い仲だと社交界では有名だし、カテリーナと親しかった私がエスコート役で連れて行っても、二人の逢引きの手伝いをしたのだということになってたいして大事にはならない。これで正体がばれた時の保険もばっちりだ。
新婚早々、浮気してるとか言われるのはいくらなんでも御免だしね。
まぁリートベルフの婿、私の夫に関しては、謎の仮面の男として、新婚早々色々な憶測が飛び交っているらしいから今更な感じもいなめないのだが。
というわけで、私は実質一人で、仮面舞踏会に行くことになったわけである。
そしてそのことにベルンはいまだに納得いっていないらしく、冒頭の行く行かない論争へ戻るというわけなのである。
「あのねぇ、ベルンだって仕事で家を空けるんでしょう?それこそ具合が悪いわけでもないのに、一人で家にじっとしていたって仕方ないじゃない。まったく……なんでそんなに嫌がるわけ?」
いつもは私がすることに二つ返事とまではいかなくとも基本的には賛成してくれる彼が、珍しくごねるので怪訝に思いそう問いかけると、ベルンはうっと口ごもる。
それからほんの少し目を伏せて、気まずそうにこう答えた。
「…僕以外の男と踊るんだろ?」
踊るくらいよくない?
それともここは、夫が嫉妬してくれたと喜ぶべきところなのだろうか。どこなりとも好きに行けばいいと放任されるよか、よっぽどマシだと。
でもなぁんかそれだけじゃない気がするんだよなぁ。
特に根拠はないのだが、強いていうなら女の勘だろうか。
自分で言うのもなんだが、いかにも胡散臭く、当たらなそうな勘だ。
だいたいこっちだって全く知らない相手と踊るつもりは毛頭ない。そんなことはきっと彼だってわかっているはずなのだ。
いや待てよ、エスコートの相手とはさすがに踊ることになるだろうから、
「ということはイオニアスもダメなの?」
「あいつはまぁ、いいけど…」
いいんだ。
ふーん。
「じゃあ知り合いとだったらいいってことね」
ちょっと意地悪な気持ちでそう言うと、しばしの沈黙ののち、とベルンははぁと重たいため息をついた。
それはいかにも仕方ないとでも言うようであり、見方を変えれば自らの負けを認めるもののようにも思えた。
「知り合いじゃない男に変なことされそうになったらすぐに逃げるんだよ。ただでさえ仮面舞踏会なんて馬鹿な連中が湧きそうなパーティなんだから…。声をかけられてもそいつはきっと下心があるから、相手をしないで……ああ、いや、やっぱり心配だからイオニアスから離れないように…」
「はいはい」
子供じゃないんだから。
そんな私の呆れを見抜いたように、ベルンはちょっと真剣な顔をしてみせ、私の両手をぎゅっと握りしめた。
「僕は心配なんだよ」
「じゃあベルンも一緒に来ればいいじゃない」
「それができたらそうしてるよ…」
仕事さえなければとしょんぼりした様子でベルンは肩を落とす。
なんだかこれ以上いじめるのも可哀想な気がしてきた。
そうだよね。ベルンだって仕事さえなかったら、一緒に行きたかったよね。
しゃがみ込んで、ソファーに座っているベルンと目線を合わせる。
「安心して。いくら仮面をつけていても、私みたいな地味な女をわざわざ誘う男なんていないよ」
「それはいつも側に僕がいたからだ。もしかしたらパーティで酔って具合の悪くなった男がたまたま居合わせた親切な君に介抱されて、既婚者とは知らず、うっかり惚れてしまうかもしれないじゃないか!」
「なんでそんなに具体的なの…」
しかもロマンス小説のテンプレみたいな始まり方だし。
がちがちの合理主義者のくせに、ベルンは変なところでロマンチストだ。
「もう、私行きますからね」
「…わかったよ」
本当かなぁ。
苦虫をかみつぶしたような顔のベルンに、ご機嫌取りじゃないけど、触れるだけのキスをする。
ちょっと面食らっているその顔がおかしくって、笑いをかみ殺しながら私は立ち上がった。
久々の夜会だからと張り切って引っ張り出してきた、深い青のドレスの裾がふわふわと揺れ、刺繍に使われた金糸がきらめく。
本当は少し不安だけど、まぁそうそう恐ろしい目に合ったりもしないでしょう。
「ね、仮面つけてくれる?」
「仰せのままに」
軽く肩を竦めて、彼は大人しく私から仮面を受け取った。
仮面をとめるためのリボンを結びやすいようにと後ろを向く。しゅるしゅるとサテンの擦れる音がして、きゅっと仮面が顔に押し付けられるどこか心地良い、けれど窮屈な感覚。
「いってらっしゃい」
その言葉と同時に、うなじに柔らかいものが触れる。
温かく湿った感触。
それはちゅうと吸いついてきて。
「ぎゃっ!?」
吸いつかれたところを押さえて、ちょっとー!と怒る私に、ベルンはしてやったりと子供みたいに笑ってみせたのだった。
皆様、お久しぶりです。
おまけの「仮面舞踏会の幽霊」が始まりましたが、なんとこのたび、「婚約者が悪役で困ってます2 婚前旅行記」が12月4日に刊行されることとなりました!
内容は婚前旅行記と、書き下ろし番外編「結婚式の夕べ」となっております。
これもひとえにいつも読んでくださる皆様のおかげです!ありがとうございます!
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