よん
いわく。
ただでさえ地味なのだから、ドレスも淡いと存在感がないらしい。
身ぐるみを剥がされパニックになりながらも着つけられたモスグリーンで襟のつまったクラシカルなドレスは、我ながら前のドレスより似合っている気がする。いつの間にか同じく襟のつまった形の紺色のドレスに着替えたカテリーナが自分の仕事に満足げに頷いていた。
これはあれですね。お揃いってやつですね。
おほほほと笑ってテンションマックスのカテリーナと手を取り合ってクルクル回る。回る。回る。
なんだかんだ言ってティア以外には友達がいない私もちょっと舞い上がっていたのかもしれない。
年頃の女の子らしくはしゃいで、私たちはノックの音にも気づかなかった。
突然開いたドアからようやく顔を見せた婚約者殿は、無表情のまま驚いたとつぶやいた。あんまり驚いているようには見えないのだが、彼なりに驚いているらしい。ちなみにクルクル回っていた私たちも相当驚いた。驚いたついでにちょっと飛び上がったくらいだ。
「リジーア嬢を迎えに来たんだが…随分と仲良くなったみたいだ」
「お、おほほほ。わたくしとリジーアは将来家族になるんですのよ。仲良くするのは当たり前ですわ」
「そうか。リジーア嬢、父上と母上が会いたがっている」
よく考えたらカテリーナに引っ張り込まれて、公爵夫妻への挨拶がまだだった。
どどどうしよう。失礼な子だとおもわれてしまう。せっかくカテリーナと仲良くなったのに…。いや待てよ、非常識だとかで婚約破棄されたらそれはそれで…。いやいやいや。
慌てふためきだした私を見て、ベルンハルトが小さな笑みを漏らした。垂れ気味の目元が柔らかくなって、人形みたいな無機質さが薄れる。なんとなく、ベルンハルトも笑うのだなと妙に感心してしまった。
しかしすぐにもとの無表情に戻ってしまったので、見間違いだったのではという気がしてくる。
してくるのだが横目で見たカテリーナも目を瞬かせているので、やっぱりあの笑みは現実のものであったらしい。というかちょっと笑っただけで妹に驚愕される兄とはこれ一体…。
「カテリーナの相手をしていると伝えたので心配しなくてもいい」
「あ、ありがとうございます!私こそ一番に挨拶に伺わなくてはいけなかったのに」
なんかすごい見られてる。な、なに?どこか変なところでもあるのか。
「ドレス」
「え?これはカテリーナ様が貸してくださって」
「そう。…似合ってる」
お世辞とはわかっていても予想外の攻撃に不覚にも照れてしまった私の横で、カテリーナが自慢げにツンと首を反らしてあごを突き出していた。
公爵夫妻にそれぞれ挨拶を無事に済ませ、ほっと肩の力が抜ける。
いの一番にしなければいけないことだったのだが、私がカテリーナの相手をしていたとベルンハルトが言ってくれたおかげで幸いにして不興を買うことはなかった。
初日から嫌われて嫁いびりとか本当洒落にならない。
公爵夫妻はカテリーナにはかなり甘いようである。ならばベルンハルトにもそうかというと、彼に対する夫妻の態度はどこかよそよそしく、その婚約者である私にもあまり興味がないといった印象を受けた。嫌われるよりはマシだが興味を持たれていないというのも、あまり気分のよいものではない。
もちろん気になりはするが、どこの家にもそれぞれ事情というものがある。ほとんど部外者の私が口出しできるはずもない。
ベルンハルトは私を連れて行きたいところがあると、手をつないでどこかへ案内し出した。
なんだか既視感のある光景だ。
あまりに自然に手を繋いでくるものだから、私のことを子供か何かと勘違いしているのではという気分になってくる。貴族の十歳は言うほど子供という扱いは受けないものなのだが。それとも意外と寂しがりやだったりするのだろうか。
「今日は温かいんだね」
天気のことだろうか。
「そうですね。風もあまり強くないですし」
「天気じゃないよ」
ベルンハルトは垂れ気味の目元を和らげて、キュッと握った手に力を入れた。
結局何が暖かいのかは教えてもらえなかった。
相変わらず何を考えているのかさっぱりである。
お茶会の時もそうだったが、彼はあまりおしゃべりではない。私も私で何をしゃべればいいのかわからず、余計繋いだ手に神経が集中してドギマギしっぱなしだ。
だけど、居心地の悪い静かさではなく、むしろご機嫌とりの退屈なおしゃべりをしないでいいぶん気が楽だった。
前世で自転車とかバイクに二人乗りするカップルが羨ましいと思ったことがあった。
こう、彼氏に落ちるなよとか肩越しに言われて、その背中にぎゅっと引っ付いて、彼氏の背中が大きいとか彼氏の匂いがするとかでドキドキなんかしちゃってさ〜!なんて思ってた。思ってたけど、いまもっとすごいことしてる気がする。
二人乗りには違いない。
けれど乗っているのは馬だ。しかも、横座りで抱きかかえられるようにして。
ベルンハルトは先日のお茶会で私が馬に乗ってみたいと言ったことを覚えてくれていたらしい。馬屋に案内され、彼の愛馬に二人乗りさせてもらえることになったのだ。
もうとにかくすごい。
まず密着度がすごい。顔とか三十センチくらいの距離にあるし、服の上からでも意外と筋肉があるのが、こう触ってわかってしまう。ほっそりして見えるがけっこう鍛えているらしかった。
あと何がすごいって、片手で私の身体を支えながら、もう片方でたくみに馬を操るベルンハルトの腕前だろうか。
慣れない高さと馬の乗り心地に身体ががちがちになってしまっている私が転げ落ちないようにしっかり抱えてくれている。ちょっといろいろ緊張しすぎて心臓発作を起こすかもしれない。
「乗っている人間が緊張すると馬も緊張する」
「う、うーん」
これでリラックスできたら誰だって苦労しない。
それによく考えたら私は運動があまり得意ではない。乗りたい乗りたいと思っていたが、向いていないという可能性もあるということを私はすっかり失念していた。
「ダンスと一緒だよ。視点は遠くに、馬の歩くリズムに体を合わせて」
視点は遠くに、馬の歩くリズムに体を合わせる…。言われた通りに遠くの丘のラインを見ながら、意識して馬のリズムに合わせて体を揺らしてみる。
しばらくすると体の余計な力も抜けて、高くなった視点から見える景色を楽しめるようになっていた。ベルンハルトに体を支えてもらっているという安心感も手伝ってのことだった。
傾き始めた日に影が長く伸びる。遠くにそびえるなだらかな山の稜線が薄明るく光って、ぬるい風は冷たく湿った土の匂いがした。
馬のつやつやとした青毛のうなじをおそるおそる撫でてみる。喜んでくれたのかひと際大きく鼻を鳴らす音が聞こえた。
「楽しい?」
ベルンハルトの声には少しからかうような響きがあったが、本当に楽しいので素直に頷いておく。馬を撫でて喜ぶなんてお子ちゃまだと思われようが、私は素直に楽しいと認めよう!
いつか私も自分の馬をもって草原を人馬一体となって駆けてみたいものだ。
いつの間にか密着していることへの羞恥も消えて、私はそっとベルンハルトの顔をうかがい見た。
灰色の虹彩が陽の光にきらめいて、繊細な銀細工のようだ。
「ベルンハルト様はどうして私を婚約者に選んだんですか?」
婚約の話が持ち上がってからずっと抱いていた質問は思ったよりすんなりと口から出た。
私は彼の顔を見てしまうのがなんだか怖くなって、背けるように前を見つめた。
返事はなかなか返ってこなかった。そんなに話すことがためらわれるような内容なのか。私は好奇心半分怖さ半分で催促することもなく静かに待った。
「リジィと呼んでも?」
「ど、どうぞ」
「僕のことはベルンと。敬語も使わなくていいから」
「それは…」
有無を言わさないというような沈黙がおりて、善処しますと返した。もしかしたらベルンはいつも通り彼独特のペースで黙っているだけだったのかもしれないけれど。
「リジィがエドウィン殿下に興味がなかったから、かな」
てっきり私の質問に答えるつもりがないのだろうと思われたベルンだったが、慎重に言葉を選ぶようにそう答えた。
「面倒な話だけれど、カテリーナは殿下を本気で慕っていて、身分の近い同世代の令嬢はほとんどが殿下の婚約者を夢見ている。あれは甘やかされて過激なところがあるから、恋敵には容赦しないんだ」
なるほど。カテリーナが最初に殿下云々と言っていたのは、そういうことだったのか。
「それにリジィはちょっと変わってるし」
「…ベルン、様に言われたくない、です」
さすがに急に呼び捨ては出来なかった。変な間をあけて様をつけたことにベルンは片眉を器用に上げてみせたが何も言わなかった。
「そうかもね。でも僕が最初に挨拶したとき君は怒らなかった」
最初の挨拶?何か失礼なことを言われただろうか。首をひねって考えるがいまいちぴんと来ない。
「僕は正式な挨拶をした君に、よろしくって返しただろ」
「なるほど!」
ようやく何が失礼だったか私は理解した。
あの時私は彼に貴族としての挨拶をしたが、彼が返したのはいたって気軽なものであった。普通だったら公爵家の一人息子だからと自分を侮っているのかと感じてもおかしくはないところである。けれど私には前世の感覚があるから別に馬鹿にされたなどと思うこともなく、しかもあの時はカテリーナやベルンへの記憶の違和感に気を取られていたというのもあった。
あれ、でもこれ褒められているわけではないのでは?侯爵令嬢としてはちょっとは怒ったほうがよかったのでは…?まぁ、いいか。いいってことにしよう。うん。
「失礼と思われるとわかってて、どうしてよろしくなんて言ったの?」
「だってまともにしていたらせっかく殿下に集中しているうっとうしいのが寄ってくるだろ?」
ナルシスト一歩手前の発言だけど、発言者がベルンほどの美形だとそうですね!の一言しか出てこない。
「じゃあベルン様がぼんやりしてるのも演技?」
「ぼんやり?」
あ、演技ではないらしいです。
ああでもやっぱりお母さまやカテリーナが期待したみたいな理由ではなかったな、と私は心のどこかで落胆している自分に気が付いた。いくらそんなことないとわかってはいても、私もいちおうは女の子なのだ。まったくもって一ミリも期待していなかったなんて言うと嘘になってしまう。
恥ずかしくなって自分にビンタしたくなったが、我慢して視線を手元に落とす。
うーむ。なんだかさっきから調子が変だ。
頭を振って気持ちを切り替えた私は自分に喝を入れる。
今はそんな乙女思考に浸っているだんではないのよリジーア。この天然なのか、じゃないのかすら不明な少年が悪の道にいかないよう私はしっかり見張っていなければいけないのだ。恋だ何だと言ってる場合じゃないのよ!
はぁ~。せめてベルンが攻略キャラだったら、トラウマとかがわかって楽だったのになぁ。
そんな不真面目なことを考えてしまったせいだろうか。数か月後、私はとんでもない目に遭ってしまうのであった。