ボルマン子爵領4
「お久しぶりです!ああ、リジーア様もお元気そうでなによりだ」
そう爽やかに挨拶してくれた青年に、どうもと反射的に返事をしてしまい私は大いに戸惑った。
だ、誰だ…。全然わからん。
久しぶりって言うくらいだから、会ったことがあるはずなんだが。いかんせん人の顔を覚えるのは苦手だ。それにこの人自身も、これといって特徴の無い覚えづらい顔をしていた。
反射的にどうもとか言ってしまった手前、あの誰ですかなんて余計聞きづらい。
「まさかあなたが来るとは。助かります」
「ちょうど近くに立ち寄っていたので。またご一緒出来て光栄です」
一人焦る私と裏腹に、ベルンは親しげに謎の青年と握手を交わした。
エルメンヒルデが捕まったと聞いた私がまず最初にしなければならなかったのは、そう風邪を治すことだった。
まぁただでさえ役に立たないのに、風邪なんか引いていたら助ける以前の話である。
とういうわけで一日寝てた。心配で寝てられないなんて言っておきながら、わりかし寝てた。我ながらなんて奴だとは思う。
思うが最低一日はベルンも準備が必要だったし、人を待たなくてはならなかった。
なのでエルメンヒルデは閉じ込められているだけで酷いことは何もされていないというベルンの言葉を信じて、私は風邪を治すことに専念していた。おかげで風邪はかなり良くなったと思う。
そして今朝、待ち合わせ場所に現れた待ち人とやらがこの謎の青年である。
後ろにちょっとゴツイ体系の二人組を寡黙に控えさせたりなんかしちゃって、見るからにただ者ではない。
彼らはルーカスの部下だと名乗った。
流石に私たちだけでは荷が重いと判断したルーカスが急遽よこしてくれたらしい。
一番頼りなさげに見える青年が、この三人組のリーダーだというのだから驚きだ。
近くにあった飯屋に入り、それぞれ適当に飲み物だけ注文した。
まだ昼前で店を開けたばかりなので他に客もおらず、店主も飲み物を出したらすぐに厨房へ引っ込む。
それを見届けてから青年はよく見ると奥二重な目をパチパチと瞬かせ、口を開いた。
「それで状況は?」
「相変わらず彼女は、屋敷の一室に閉じ込められたままです。外に連れ出す気配もない」
青年は唸りながら、顎を撫でる。
「ただ、もてなしの準備を進めているようです」
「もてなし、ですかぁ」
妙に間延びした情けない言葉尻には、なんとなく聞き覚えがあった。そうすると背格好もなんとなく見覚えがある気がしてくる。
それにしてもベルンともとからの知り合いで、敬語を使われても普通にしているなんて本当に不思議な人だ。
「入るのは難しそうですか?」
「いえ、簡単でしょうね。こうして普通に街にいられることから、彼女は僕たちのことを話していないようですし。警備もそこそこいますけど、侵入より脱走を阻むことが目的のようだ」
「問題は彼女を連れて出るほう、ということですか」
どうしましょうかねぇと言うわりには、あまり困った様子ではなかった。
「もう策はあるのでしょう?」
「…少し騒ぎが大きくなるかもしれませんが」
「大丈夫です。局長もあなたに任せるとおっしゃってましたから、最悪何とかしてくれますって」
局長というとレトガー公爵か。
なんだか大事になってるっぽいなぁ。
青年とベルンは数秒沈黙したのち、ふっと互いに笑った。珍しい素の笑いだった。
「相変わらずふざけた人だ。まだ窓から出入りを?」
「窓は良い出入り口ですよ。ルーカス様もよくやってますしね」
ん?窓から出入り?
ルーカスの部下で、私も会ったことがあって、ベルンが敬語を使う窓から出入りする変な人といえば…。
ぼんやりと浮かび上がってくる人物と、目の前の青年のシルエットがついに一致した。
「あ!タイタスさん!?」
思わず指さしそうになって、手を引っ込める。あ、あぶなかった…けど、いや、本当にびっくりだ。
眼鏡を外すと印象が変わるとはよく言うが、眼鏡というアイデンティティがなくなり、ますます顔の印象が薄くなっている。
そう、学園にエドウィン王子の監視役として潜り込んで、アロイスをはめるためにベルンと打ち合わせなんかしていた、あのタイタスだ。
「そうですよぉ!まさか今気が付いたんですか!?」
青年改めタイタスは大げさに体をそらせて、酷いですよぉなんて喚いている。
ベルンなんかたいして驚いた様子もなく、よくわかったねと言った。私が目の前の青年がタイタスだと気が付いていないことなど、お見通しだったみたいな反応だ。
まさかあの窓の下りは、私へのヒントだったとか?それならもっと早くタイタスだって教えてよー!
こういう時は、あれだ。
「あははは…」
とりあえず、笑ってごまかしておこう。
おふざけはこれくらいにしてと言わんばかりに、すぐに彼らは元の話し合いに戻った。
釈然としないが、騒ぎ立てるほどでもないかと、役立たずの私はすぐに黙る。
そういえばベルンがこういう作戦会議みたいな、裏側に連れてきてくれるのって初めてなんじゃないだろうか。そう考えるとなんだか、彼からの信頼度がましたようで嬉しくなる。まぁ、今回は救出作戦だしね。
ざっくり計画を説明すると、こうだ。
まずベルンたちが、余興のために招かれた楽団員に成りすまして屋敷に入る。
本物の楽団員にはボルマン屋敷の人間の振りをして延期になったと伝え、詫び賃も渡すので本物と鉢合わせたりすることはまずないだろう。
もちろん演奏はせず、二手に分かれベルンは、エルメンヒルデが捕らわれている部屋に向かう。そして彼女を指定の場所から馬車に乗せ、逃げる。
もう一方は屋敷の人間がエルメンヒルデを追えないように馬を逃がし、馬車も壊して逃げる。
エルメンヒルデを乗せた馬車はベーレへ直行。待っている海運警備隊に彼女の身柄を渡し、めでたしめでたしである。
しかしその作戦が上手くいくと、私は二度とエルメンヒルデとは会えないままなのではないだろうか。
彼女とは色々あったけれど、そんなに悪い人じゃなかった。少し思い込みが激しいところもあったが、正義感が強くて自分というものに悩んでいるように見えた。
私はたぶん彼女のことが、そんなに嫌いではなかった。
ベーレに先回りしても、すぐに船に乗り込んで出発っぽいし。
馬車に同乗するとか?
「少し人数が心許ないですね」
「エルメンヒルデとともに馬車に乗るというのは?」
おっ。
「いけなくはないですが、その分スピードが落ちてしまう」
そっかぁ。ダメか。
「屋敷にはどれくらいの人数が…」
「制圧する必要もないので……」
悶々とする。
悶々というか、もだもだというか。
何か絶対に言いたいことがあるわけではない。渡したい物があるわけでもない。
けれど最後が、あんな情けない姿でなんて納得いかない。私にとって彼女は一応ライバルで、友人未満の微妙な関係だ。出会いは圧倒されっぱなしで、事情を聞いて同情もした。腹の立つこともいっぱいあったが、ベルンのことを好きな者同士のおしゃべりは悪くなかったと思う。
だからもう二度と会えないというなら、もっとしっかりとした姿を覚えていて欲しい。
ちゃんとお別れを言って、心から彼女を応援して送り出したい。
ただのお節介で、私の勝手な自己満足なのかもしれないけれど。
エルメンヒルデはこれから先、きっと大変な思いをするのだろうから。
ということで彼女に会えるとするならば、だ。
「あの!」
計画の細かいところを話し合っていた男どもは、面食らったように私を見た。
やめておいた方がいいと冷静な自分が警告する。
お荷物はお荷物らしく、大人しくしていた方が迷惑もかけないし、物事もスムーズに進むって。
そんなことは重々分かっている。
正直やっぱりやめとこうかなって、半分くらいは悩んでいる。けれど言わなければ、ずっと微妙な後悔がつきまとう。
それに私だってちょっとは逞しくなったと思うのだ。スコップで人を殴れるくらいには。いや、あれはちょっと反省している。もっと平和的解決があったはずだ。決して胸を張れた行為ではなかっただろう。いや、今はそんなことどうでもよくってだな。
つまるところ、エルメンヒルデとこれでお別れなんて寂しいじゃないか!
ただそれだけなのだ。
こうなったら乗りかけた船!とことん行ってやろうじゃない!
「私も一緒に行っていいですか?」
「…どこに」
ベルンは目をまん丸にして、呟くように聞いた。
どこってそんなもの一つしかないじゃない。
「エルメンヒルデのところに」
「持ち物を確認させていただきます」
人形のように表情がすっぽり抜けた身なりのいい老人は、有無を言わさない威圧をまとわせていた。
手に持っていたヴァイオリンのケースを示されたテーブルの上に置き、中を見せる。もちろんベルベットの台座の上には、ちゃんとヴァイオリンが収まっており、二重底みたいな仕掛けもない。
ボルマン屋敷の裏口から入ってすぐの部屋に一旦通された私たちは、執事だという老人と数人の使用人たちによって持ち物検査をされた後、身体チェックも受けた。
何もやましい物は持っていないが、やましい目的で来ているので無駄にドキドキしてしまう。
というか正直なところかなり緊張している。
根気強い説得と、指示に絶対に従うこと、側を離れないことを条件に、私はなんとか同行許可をもぎ取った。
いや~頑張った。
いくら何でもダメかなぁとちらっと思ったのだが。私の情熱が伝わったようだ。
普通にエルメンヒルデも私がいたほうがパニックにならないだろうし、屋敷にいるほとんどは使用人で武術の心得はない。というか戦闘は極力避けるつもりらしい。
もしかしたらエルメンヒルデだけじゃなくて、仇敵ボルマンの顔も拝めるかも。
それにしても凄い状況だ。
楽団員に成りすますとか、これはあれだ…。ミッションがインポッシブルなやつとか、7の前に00つけちゃう、スパイな映画だ!
ぐっ……ダメだ。はしゃいでる場合じゃない。
いや、でもこれはちょっと興奮しても仕方ないのではないだろうか…?
そんなことをつらつら考えているうちに、私たちは肖像画がやたらめったら飾られた廊下を抜け、一度食堂に通された。
長机の上にはカトラリーやまだ何も乗っていない皿が整然と並べられ、部屋のゴテゴテとした装飾はシャンデリアの光を受けて輝いている。いかにも豪華なのに悪趣味で嫌な感じがするが、今の私はボルマン憎ければ、装飾まで憎し状態なので本当のところはわからない。
執事から段取りの説明を受けたのち、控えの間に案内された。
「それでは時間までこちらで、待機なさってください。宴が始まるまでしばしありますので、楽器の調整などもご自由に。扉の前に二人控えておりますので、御用があればお申し付けください。それでは、失礼いたします」
執事がするりと扉の向こうに消えるのを見届け、少しの沈黙。
「さて」
タイタスが上着を脱いだ。
「いきますか」
それを合図にそれぞれ準備を始める。
ベルンもタイタス同様、上着を脱いで黒いズボンにシャツという気楽ないで立ちになった。
私は別に着替えたりしないので、深呼吸でもすることにした。
うわー、緊張する。
夜会でファーストダンスをしなきゃいけなかった時よりも緊張してるかも。
目でお互いに準備オッケーなことを確認し合う。
突然バッターン!と派手な音を立てて、タイタスが倒れもがき苦しみ始めた。
「きゃー!」
予定通り私は悲鳴を上げる。
緊張しずぎて声がちょっと裏返ったけれど、むしろそれっぽい悲鳴が出せた気がする。
すると執事の言った通り扉の向こうに控えていた下男らしき使用人が二人、慌てた様子で入ってきた。
「どうしました!?」
「突然、倒れてしまって…!」
二人が完全に部屋に入り、廊下に他に人影がないことを確認してから扉を閉める。
後は危ないので、部屋の角っこに避難だ。
迫真の演技で床をのたうつタイタスの様子を見るためしゃがみ込んだ一人の後ろに、ベルンが音もなく回り込んだかと思うと、腕を首に回しグッと絞めあげた。
首を絞められ男は手足をバタバタと振り回すが、ベルンの腕はびくともしない。
もう一人が後ろでもがく相方の音に気づき、振り返ろうとして、その鼻っ面にタイタスが拳を叩き込んだ。
へぶっと変な声を出し、男はぐにゃんと倒れ込む。
ベルンの方もすぐに気を失いぐったりと肢体を投げだす。
お、お見事です……。
「ねぇ、いつもこんなことしてるの?」
「たまにね。いつもじゃないよ」
たまにかぁ…。たまにするのかぁ…。
いや、今は余計なことは考えまい。
気を失っている二人から上着をはぎとり、手足を縛って部屋の隅に転がす。
はぎとった上着を着れば、あっという間にぱっと見下男の出来上がりである。
慎重にあたりを警戒しながら廊下に出て、タイタスは馬小屋へ、ベルンと私は二階を目指して別れた。
ちなみに護身用としてむき身のヴァイオリンを持っているのだが、これもしかしなくともけっこう間抜けなのではないと思いながらベルンに続く。
スコップで殴れるなら、ヴァイオリンでもいけるだろ的なあれらしい。
なんかこう、弦が張ってある細長いところを握って、こう…。このヴァイオリンを作った人のためにもそんな事態にはならないことを祈ろう。
途中他の使用人とすれ違ったが、下男の格好をしたベルンが軽く頭を下げれば特に不信に思うことなく通り過ぎていく。たまに後ろにいる私を見る人もいるが、手に持っているヴァイオリンを見て、ああなんか余興で来てる人ねみたいな顔をして勝手に納得して行く。
というか今日は警備に人手を割いていて、宴の準備はかなり慌ただしいようだ。余計なことに構っている暇はないと、みんな前だけ見て足早に廊下を歩いている。
私たちは使用人たちが慌ただしい食堂まわりを抜け、二階へ続く階段へ向かった。
エントランスからも二階へいけるが目立つので、屋敷の奥まったところにある使用人用の階段を上る。
人のいない廊下を駆け足で進み、エルメンヒルデが捕らえられている部屋へ。
緊張は相変わらずで、走っていると膝から時々力が抜けそうになる。
こけちゃったらどうしよう……。
ひぇ~、絶対嫌だ!
いくつかの角を曲がり、もうすぐ目的の部屋が見え始めるといった頃だった。
ピタリとベルンが足を止め、手で私を制した。突っかかりそうになりながらも何とか踏みとどまって、彼にならって壁にぴったりと背中をつける。
「どうしたの?」
「…見張りがいる」
おおう。
こんな状況で言うのはなんだけど、めちゃくちゃ映画的展開だなぁ!
「リジィ、あいつをここまで引き寄せられる?」
よっしゃ任せて!
と意気込んで私は角から飛び出した。
あ、いや、飛び出したんだけど膝が笑っちゃって、どちらかと言えばよろよろさまよい出たって感じだったんだけどね。
胸の前でヴァイオリンを握りしめながらキョロキョロしていると、突き当りの部屋の入り口をふさぐようにしていた男が訝しげに近づいてきた。
「ここで何をしている?」
うわ、なんか首太いし、腕も、え、こ、こわ!
「あ、あの…」
男はズンズンこちらへ歩み寄ってくる。
「…迷ってしまって」
こういう時はあれだ!とりあえず笑っとこう!なんか今日二度目な気もするけど!
ぎこちなく笑いながら、じりじりと後じさりする。
廊下はTの字になっていて、私たちのやってきた道がちょうど縦棒にあたるので後ろにさがるしかないのだ。
ベルンの方を見たいけれどばれたらまずいので、視線は目の前の威圧感が凄まじい男に固定したままだ。
男がベルンの隠れている角へ、大股に踏み出した。
その瞬間、ベルンは黒い影となって飛び出し、男の胸元をグッと掴んだ。
「な…!?」
男が拳を上げるよりも早く、足払いをかけながら首の付け根、鎖骨の上あたりにトンと軽く手刀を打ち込んだ。ように見えた。
それだけなのに、頭がガクンと後ろに落ちて、男はすとんと気を失った。
「よし」
ベルンは男の体を優しく横たえ、ずるずると近くの部屋に引きずって行った。
「………」
絶句である。
なに今の?
え、な、なに今の!?え!!?
「行こう」
「あ、はい」




