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婚約者が悪役で困ってます  作者: 散茶
婚前旅行記
37/78

ボルマン子爵領3


私は石造りの小さな部屋の中にいた。

質素なベッドと机しかなく、頭上よりはるか高いところに申し訳程度の明り取りの窓があるくらいで、部屋の中は暗く寒々としている。

彼は冷たい石の上で丸まっていた。


足首には枷が嵌められていて部屋の隅の留め具と鎖で繋がれており、今度は手も腹側で拘束されている。


彼は囚人であった。


ああ、またこの夢なのか。

夢を見ていることを自覚している夢ってなんていうんだっけ。明晰夢だっけ。


私は彼の向かいにぼんやりと立っていたが、やっぱり彼からは見えていないらしい。


彼は、ベルンは酷い有様だった。

髪はぼさぼさで好き勝手伸びてるし、また少し痩せたようだった。そして何より、囚人服からのぞく手足にはまだ新しい打撲痕がある。

昨夜見た夢で、彼は脱走の準備をしていたから、きっと失敗してしまったのだろう。

ベルンにもできないことはあるらしい。もちろん私は、彼が脱走できることを祈っていたのだが。

私は何が出来るわけでも、ましてや自分が彼に認識してもらいすらしていないというのに、ベルンのすぐ側に腰を下ろした。


艶を失った長い前髪の隙間から見えるベルンの顔もまた酷かった。鼻血を放って寝っ転がったせいだろう。下に向けた顔の右半分、特に口周りに茶色く変色した血がべったり張り付いていた。

どうして誰も手当してくれないのだろう。いくら囚人だからって酷すぎる…。こんなの……。

彼は痛みをやり過ごそうとしているのか、丸まったままピクリとも動かない。ただちゃんと肩が上下しているので、生きていることだけは確かだった。


どのくらいそうしていたのだろう。

一晩だったかもしれないし、五分にも満たなかったかもしれない。

なんだか時間の感覚があやふやだ。というか私の存在があやふやなのか。


「……クソ」

ベルンの食いしばった歯の隙間から、ほとんど息のようなか細い声が漏れた。

体を震わせ、彼は額と膝をくっつけるくらいに丸まる。茹でたエビみたいに。あるいはお母さんのお腹の中の胎児のように。

体中の骨が軋む音が聞こえてきそうだ。

「クソ!!!」

血を吐くような叫びだった。

ビリビリと空気が震えて、反響して、跳ね返って、けれどその声に対する答えはないまま、次第に冷たい空気に吸い込まれていく。


どうしてだかはよくわからないのだが、私は彼が泣いてしまうと思った。

無意識に彼の丸い頭へ手を伸ばすが、磁石の同じ極を無理矢理くっつけようとした時みたいに、なぜか触ることができない。

ふとベルンが頭を動かした。

彼の表情を隠していたうっとおしい前髪が滑り落ちて、目元があらわになる。

そうして、覗き込むようにしていた私と、見上げる彼の視線が一瞬かみ合って、私はとっさに口を開いて、





「なんなんだ、いったい…」

目覚めると見知らぬ天井だった。なんていうテンプレだ。

酷く痛む頭を抱えて起き上がると、寒さが一気に襲ってきて、慌てて毛布を首元まで引き上げる。

唸りながら首を回すとポキポキと骨の鳴る小気味い音がした。

首筋がガチガチだし、なんだか鼻も詰まっている気がする。


またあの夢を見ていた。

最近眠るたびに、同じ夢を見ている気がする。同じというか、続きものだ。連続ドラマかよ。

しかも、夢の中でのベルンの待遇はどんどん悪くなっているし、私も何もできないし、後味が悪いことこの上ない。

昨日なんか具合が悪くて起きたり、眠ったりを繰り返していたけど、その度にちゃんとあの夢を見た。もうほとんど悪夢といっても差し支えないだろう。

本当になんなんだ…。なんなんだ!

誰にともなく怒っていると、無視できない喉の渇きが襲ってくる。

とりあえず水はないかとベッドの周りを見回すと、枕元で何か黒いものが小さな山を作っていた。

よく見ると上下に規則正しく動いている。動いているっていうか呼吸しているし、よく見なくともベルンだった。

彼は椅子に座ったまま、私のベッドに上半身を突っ伏して寝ているようだった。

つい彼の手首に目をやって手枷も傷もないことを確認してから、いやだからあれは夢だからと突っ込む。

それにしてもあまりにリアルなので、夢だからと一言に割り切れる気もしなかった。


夢の余韻を引きずりながら、黒くて丸い後頭部を惜しげもなくさらすベルンを眺めているうちに、徐々に眠る前のことが思い出されてきた。

思い出してすぐにうへぇっとなった。

まさか体調を崩して、ボルマンの領に泊まるなんて一生の不覚だ。

もうね、覚えている人なんかほとんどいないだろうけど、私だけはしっかり覚えてますよ。

ボルマン子爵。

王妃に気に入られたくて、何度も幼かったベルンの命を狙ってきたあの憎きボルマンだ。

私は初めてボルマンのことを聞いた時、いつか絶対に一発入れるという誓いをたてたがそれは今でも胸の中にある。

あとなんだかエルメンヒルデに向かって、色々と情けないことを言ってしまった気もする。何をしゃべったかちゃんと覚えてないが、泣いてしまったような…。うおぉおおお……いたたまれない…!

彼女にはちゃんと謝っておかなければならないだろう。

窓の外は曇ってはいるが、明るかった。

確かこの宿についた時はギリギリ日没前くらいで、今太陽はそう高くないようなので、一晩ぐっすり眠っていたというところか。


伸びをしたついでといってはなんだが、そっとベルンの頭に手を撫でてみる。当たり前だが、ちゃんと触れた。

わぁ~さらさら~!まる~い!と馬鹿みたいに感動したのもつかの間、ベルンがバネ仕掛けの玩具みたいに勢い凄まじく上体を起こした。

「うわ、びっくりした」

それはこっちのセリフだよ!野生動物みたいな反応しやがって!

「おはよう」

髪の毛が跳ねたまま、何食わぬ顔で私の額に掌を当てるベルンに、なんだか釈然としないながらもされるがままになる。ひんやりして気持ちよかったからというのもある。

「吐き気は、まだある?」

胃のあたりに手を当ててみる。まだざわざわとした嫌な感じがしないでもなかったが、食欲の方が勝っているのでたぶん大丈夫だろう。

首を横に振るとベルンはほっと表情を和らげた。

「熱はまだあるみたいだけど、どこか他につらいところは?」

「…たぶん大丈夫」

鼻をすすりながら言うと、呆れたように苦笑された。この顔はたぶん信じてない顔だな。

それにしても昨日は本当にきつかった。なんか調子悪いかも〜くらいだったのに、いきなり寒いし、頭痛いし、気持ち悪いしで、何が何だかわからなかった。体が頑丈なのだけが取り柄ということはあまり病気の経験もないということで、いや、もう久々につらかった。

ベルンにもエルメンヒルデにも迷惑をかけてしまった。

私が体調を崩さなければ、今頃この忌々しいボルマン領ともおさらば出来ていたことだろう。そうこの、忌々しい、ボルマン領とね!


「エルメンヒルデさんは?」

まだ朝早いし、寝てるのだろうか。

「……」

沈黙が長いのでベルンを見ると、彼は明らかにやばいみたいな顔をして目をそらした。

…何だろう。凄く嫌な予感がする。

黙ってベルンが話し始めるのを待っていると、彼にしては珍しく渋い表情で口を開く。

「昨日リジィが眠った後、彼女と街に買い出しに行ったんだ」

なるほど。まぁ私寝てたし、せっかく立ち寄った街だもんね。

そうは思うのだが、抜け駆けかー!エルメンヒルデー!と思わないでもなかった。いや、まぁそんなことはいいんだ。私はベルンを信じてますからね。

「そこでボルマン子爵の乗った馬車が老婆を一人轢きかけて、それを止めに彼女が飛び出していってしまった」

「ん?」

ちょっと待って、一文に対して情報量が多すぎる。


「えっと、エルメンヒルデさんと買い出しに行って」

「うん」

「たまたまボルマン子爵の馬車が来て」

「うん」

「その馬車がお婆さんを轢き殺しかけたから、馬車を止めにエルメンヒルデさんが飛び出した」

「そう」

「……で、エルメンヒルデさんは?」

「捕まった」

「えええええ!?」

エルメンヒルデー!!

いやでも彼女はお婆さんを助けようとしたわけで、その行動自体はもちろん素晴らしいし、私だって助けたかもしれない。だが彼女の現在の立場でそういう目立つことをするのはある意味自殺行為とも、軽率な行動ともいえる。

というか一緒にベルンがいたのに、彼女は捕まってしまったの?

ベルンはさすがに悪いと思っているのか、首の後ろをさすりながら言い訳じみた調子で続けた。

「僕はボルマンに面が割れている。下手に助けるのは賢い選択じゃなかった」

つまりは見捨ててきたということで…。

う、うーん。これは叱ってしまっていいものか。


「それにボルマンは彼女のことを知っているようだった。今も屋敷の一室に閉じ込めたままだし、夜半には王都へ使いも出していた。アイマー子爵と彼は同じ派閥にいたから、連絡をとった可能性が高い。もしかしたらエルメンヒルデの身柄を使って、アイマーと何か取引をするつもりなのかもしれない」

だから情報量が!情報量が多いんだって!

アイマー子爵って誰だ!

「ハウスクネヒトの分家当主」

エルメンヒルデの身の上話では一回名前が出た切り、分家当主またはあの男もしくは豚としか言われてなかったからすっかり忘れていた。忘れていたというよりも、ようやく認識できたって感じだ。

というかやけに状況に詳しいような。

「もしかして見張ってたの?」

ベルンは肩を竦めて、肯定の意を示した。

びっくりだ。どうやってエルメンヒルデを助けるよう説得しようかと悩んでいたのだ。ついにベルンも損得なく人を助けようという善なる心に、

「叔父上からの命令だよ。必ず彼女をベーレまで送り届けろって」

目覚めたわけではないらしい。

なんだろう、この謎の敗北感は…。

そのうえルーカスの名前まで出て来てしまって、ますます訳が分からない。


眉をひそめる私にベルンは小さな紙片を差し出した。

一辺が五センチもなく、ずっと丸められていたのか手でしっかり抑えておかないと端から勝手にクルクルと丸まってしまう。

なんとなく、見覚えがあった。

「リートベルフ領を出る時に、いちおう叔父上に報告しておいたんだ。中央にも少しは関わりがあることだろうし。それは、その返事だよ」

そういえば昨日の早朝、ベルンのもとに鳩が飛んできていた。あの時は誰からとは教えてくれなかったが、あれはルーカスからの伝書鳩だったのか。


読んでみてと視線で促され、開いてみる。

手紙には丁寧な文字で、確かにエルメンヒルデを送り届けるようにと書かれてあった。

そしてその下には、ルーカスがなぜエルメンヒルデを送り届けるよう手紙をよこしてきたのか、その理由が端的につづられていた。



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