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婚約者が悪役で困ってます  作者: 散茶
婚前旅行記
32/78

前日談3


「リジィ、入っても?」

「どうぞ」

もう後は寝るだけという段になって、なかなか寝付けず化粧台の前で悶々としていたらベルンが訪ねてきた。

彼はそっと、私の前に椅子を持ってきて腰かける。

「どうしたの?」

「何か悩んでいるみたいだったから」

「…そんなことないよ」

嘘だ。めちゃくちゃ悩んでいる。

いやーでもみんな何かしら悩み事ってあるんじゃないかなぁ。なんて意味のない誤魔化しは心のなかだけにしといて、もちろん私の嘘をお見通しらしいベルンは、困ったように目じりを下げた。


リートベルフ領で一緒に暮らすようになってから私には悩み事というか、ちょっともやもやしていることがあった。

すっかり言う機会を逃してしまってきたのだが、よく考えなくとも私はベルンに大きな隠し事をしたままだ。

それは私には前世の記憶があって、この世界はゲームによく似ていること。私は出会ったばかりのころ、彼のことを恐れていたのだということ。

けれど、どう伝えればいいのだろう。

そのまま言っても、子供のころみたいに不思議ちゃん扱いされるか、頭のネジを心配されてしまうのが落ちだし。

ベルンも、うすうす気づいているのではないかという疑惑もある。

あれだけライラとゲームとか主人公とか話してたわけだし。それをいまだに聞いてこないということは、彼の中で何か結論が出ているからではないだろうか。だからと言って、秘密にしたままで良いとも思えなかった。元来隠し事には向いていない性格なのだ。


もちろん、私は前世の記憶を頼ったことを後悔はしていなかった。少なくとも、していないと思っていた。

それでもいつからか、私はヴィオラやライラと何も変わらないのではないかと、そんな考えが浮かぶようになって、気が付いたらそのことで憂鬱な気持ちになってしまう。特に庭仕事をしているベルンの背中を見ていると、本当にこれが彼のためになっているのかと漠然とした不安に襲われてしまうのだ。

しかもそれを相談する相手もいないから、悪循環にはまってしまっているような気がする。


何か一つでも違っていたら、今はなかった。

そもそも、私が前世の記憶を持っていなければベルンはエドウィン王子を暗殺していたかもしれないし、カテリーナも断罪されていたかもしれない。私は彼らに幸せになってほしかった。私自身、幸せになりたかった。だからたいして役に立っていなかったけれど、一生懸命考えて、動いて…。

でも今になって、もしかしたらそれはヴィオラも一緒だったのかもしれないと思うようになっていた。

彼女もただアロイスを、その家族を、自分を幸せにしたかっただけなのかもしれない。少し方法を間違えてしまっただけで、本当は私と何も変わらなかったのかもしれない。

彼女とはついぞ直接会って話すことはできなかったけれども。

だから、後悔なんてしていない。

そう思うなら、どうして誰にも言わなかったの?秘密にしてきたの?と自問自答する声がする。


ずるいわ!


もはや誰の声ともわからない非難が、耳のずっと奥深いところで反響していた。

ずるい、か。ずるいかぁ…。


「ごめんね」

「え、何が?」

ちょっと一人の世界に没頭してしまっていたから、唐突な謝罪にきょどきょどと視線が泳ぐ。

「ハウスクネヒトさんのこと」

ああ、なんだ。エルメンヒルデのことか。

別にベルンが謝る必要なんてないのに。

「ベルンこそ怒ってないの?」


エルメンヒルデを引き留めた私は、結局彼女を一晩泊めることにした。追われているらしい人間を放り出せるほど私は薄情ではないし、ここから出て行ったあとどうにかなったと聞いたらきっと一生嫌な気持ちになってしまう。

固辞しようとする彼女に、いくら伯爵家に力があっても、その分家ごときが侯爵に手をだせないだろう。疲れてるだろうし、少し休んだ方がいい。そう説得すると、エルメンヒルデは物凄く不味いものを食べたみたいな変な顔をしながら、お願いしますとだどだどしく言った。

それまで消極的だった私が、急にたくさんしゃべりだしたので驚かせてしまったのかもしれない。

明日、亡命についてや彼女自身について、もう少し詳しいことを聞くつもりだ。

ベルンは本気で放り出しそうな勢いだったし、エルメンヒルデは私に感謝すべきだ。


「リジィならそうするんじゃないかとは思っていたよ」

「その割には追い出す気満々だったじゃない」

「だからこそだよ」

それはそれで問題な気もする。

「それに彼女がまた君に悪意を向けるなら、その時は問答無用で放り出すつもりだよ」

悪意って…大げさな…。

「別にちょっと嫌味を言われたくらいで、いじめられたわけじゃないんだから。そりゃあ、ベルンに抱きついた時は何してんだ!って思ったけど」

ふふっとベルンが淡い笑みをこぼす。何を喜んでいるんだか。

それから話すこともなくて、私は何気なく視線を手元に落とした。

あ、親指にささくれできてる。


「リジィ」

名前を呼ばれたので顔を上げると、彼は打って変わって真剣な表情で私の瞳を覗き込んでいた。

灰色の瞳は薄闇の中で見ると、暗い淵みたいに見える。

「悩みがあるのなら僕に相談してほしい。でも、僕に言うことがつらいのなら言わなくてもいい。君が何かを僕に隠しているからって、それくらいで僕は傷つかないから」

おもむろに立ち上がったベルンは、椅子に座ったままの私を覆いかぶさるようにして抱きしめた。

一瞬吐息が首筋を掠めて、ゾワッとした。

「君の側に居させてくれれば、それでいい」


私を抱きしめるために丸められた広い背中を見ながら、なんだか私は悲しくなった。

側に居てくれって言ってくれればいいのに。

いつだってベルンは私に対して下手というか、遠慮しすぎな気がする。彼のこういう姿勢は好きじゃないなと、私はこの時初めて自覚した。

さらさらな彼の髪の毛が頰に当たって、少しくすぐったい。肩口に鼻を当てると、ベルンの匂いがした。

それなのに抱きしめられている恥ずかしさとか心地よさよりも、彼が危ういような痛々しいような気がしてきて、不安になった私はいつもより強くその体に腕を回した。

そうじゃないと、私を抱きしめているのが本当にベルンなのかわからなくなってしまいそうだったから。


ライラたちのことが解決してゲームの舞台から降りれば、幸せになれると漠然と根拠もなしに信じていた。

だけど、このままじゃいけない。

たぶん私もベルンも、このままじゃいけないんだ。





その晩、夢を見た。


全く見覚えのない、石造りの小さな部屋には質素なベッドと机しかない。頭上よりはるかに高いところに申し訳程度の明り取りの窓があるくらいで、部屋の中は暗く寒々としていた。


彼は冷たい石の壁に座り込んで、がっくりと頭を俯かせていた。

手は自由だったが、足首には枷が嵌められていて部屋の隅の留め具と鎖で繋がれており、行動を制限されているようだった。


彼は囚人であった。


私は彼の向かいにぼんやりと立っていたが、彼からは見えていないらしい。何度か声をかけたが、反応がなかったのだ。時々肩が上下するから、死んではいないようなので一安心する。いや、全然安心じゃないのか?よくわからない。

真っ黒な頭がベルンみたいだと思っていたら、彼がのっそりと上げた面はまさにベルンだった。

痩せて、険のある顔つきはベルンのはずなのに、全くの別人みたいで私は何度も瞬きをしてしまう。別に何度瞬きしたって、彼の顔がベルン以外の誰かになるわけでもないのに。

私の大好きな彼の垂れた眦は、今はきっと吊り上がっていて、それどころか目全体が落ちくぼんでいかにも恐ろしい形相であった。

純粋に怖いと思った。


私が信じられない気持ちで見つめていると、ベルンらしきその人物は、酷く億劫そうな動きで首を動かし、憎々し気に細めた目で窓の外を睨み付けた。

窓から差し込んだ頼りない光が彼の目元を照らしていて、もとの整った顔立ちに相まって、まるで一枚の絵のようだった。

そして、彼は間違いなくベルンなんだと、どういう原理かはわからないけれど私は確信した。

そうすると恐怖とかはどこかに吹き飛んで、彼のことが心配でたまらなくなってしまう。

どうして、そんなこの世のすべてが憎いみたいな顔をしているの。よく見たら足枷の周りが擦れて酷いことになっている。きっと痛いだろうに。それに凄く痩せてしまっているようだし…。

思わず一歩踏み出した私と、小さな空を見上げていたはずのベルンの目が合った。

とっさに口を開いて、息を吸って、声帯がキュッとしまって、私は


目が覚めた。


ぼんやりとした悲しさに包まれながら、寝ぼけた目を何度か開けたり閉じたりする。ああ、私夢を見ていたのか。

普段は夢の内容なんて起きて数秒で忘れてしまうのに、何故だか今日ははっきりと思い出せる。

夢の中のベルンがしていたように、ゆっくりと窓の方へ首を回すと、骨がコキコキと小さく鳴った。

大きな窓の外、目に痛いほどの青空を小鳥たちが囀りながら飛んで行く。その行方をなんとはなしに目で追っていた私は、突如としてひらめいた。たぶん、よく考えたらそれほど素晴らしい考えでもなかったのだろうが、この時はこれ以上ないくらいの名案に思えたのだ。

「そうだ!旅に出よう!」


次からようやく旅行です!

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