前日談1
ベルンの葬式も一段落付き、領地でようやくのんびり暮らし始めて早数日。
突然、エルメンヒルデ・ハウスクネヒト伯爵令嬢から私宛に手紙が届いた。
「エルメンヒルデ・ハウスクネヒト…?」
めちゃくちゃ言い難い名前をつぶやき、私は首をひねる。全く覚えのない相手からだったが、手紙がくる心当たりはあった。おそらくお弔いの手紙ってやつだろう。この度はご愁傷さまですとか、婚約者が亡くなってお辛いでしょうとか。ベルンの葬式以来、私のもとには裏生徒会のメンバーを中心にそういう手紙がよく届いていた。
しかしその内容は私の予想のはるか斜め上を行くものであった。
慇懃無礼なまでに丁寧で遠回しな表現を省いて、どういう内容だったか簡潔にいうと、十三日の昼会いに行くから歓迎よろしくねということだった。
一瞬、おもてなしするの面倒臭いなぁなんて呑気に思って、正気に戻る。
ちょっと、待って。いつ来るって?
なんか十三日とか書いてあった気がするけど、というか今日が十三日なんだけど。まさか、そんな馬鹿なことがあるものか。
いやいやいやと意味もなく否定の言葉を繰り返すも、ぶわっと変な汗が吹き出してくる。
おそるおそるもう一度手紙を確認すると、なぜかやっぱり十三日と書いてあった。
いやいや、そんなまさか。十三日って、十三日ってあなた、そんなあほな。三十日の間違いじゃあ…ないですね!思いっきり十三って書いてありますね!ていうかめっちゃ字、綺麗だな。いやそんなことはどうでもよくってだな。
見事な三度見を披露した私はようやく現実を飲み込んだ。どういった事情でか、訪問の手紙が訪問予定日時の寸前に届いてしまったらしい。
なんてこったと慌てて歓迎の準備を指示しようとした矢先、屋敷の前から馬の嘶く声が聞こえた。ま、まさか…。
おぼつかない足取りで玄関に行くと、そこには二頭立てのそれはもう立派な馬車が止まっていた。
あまりの急展開に理解が追い付かずただ立ち尽くす私をあざ笑うかのように、馬車の扉がゆっくりと開き、客人が姿を現す。
急な来訪のために普段着のままの私と違って、優雅に馬車から降り立った彼女はドレスも髪も化粧も一部の隙も無く決まっていて、非の打ち所がなかった。
こんなのレベル1の紙装備で完全武装した敵の前に放り出されたようなもんじゃないかと内心悲鳴を上げる。悲鳴を上げたところで、私の紙装備が変わるわけでもない。
「御機嫌よう、リジーア・リートベルフ様」
「ご、御機嫌よう」
淑女の礼に合わせて、彼女の見事な金髪の巻き髪が揺れる。
エルメンヒルデは柔らかそうな物腰に反して、彼女の明るい水色の瞳は私をきっと見据えていた。まるで親の仇でも見るような視線が物理的にささるような気がして、私は思わず半歩下がった。なんでそんなに最初から喧嘩腰なんだ。
私たち初対面じゃないですかー!
私は握りしめていた手紙に目くばせしながら、できる限りの笑顔で彼女に話しかけた。
「なんの手違いか、ついさっき訪問の手紙が届いてしまったようで、なんの準備もできていないのですが…」
「気にしませんわ。リートベルフ家は侯爵といえど、貴族としてのご自覚に欠けると聞いておりますから」
うふふと笑ったエルメンヒルデに合わせて、私もあはははとわら、わら…わ、笑えるかー!こ、この野郎ー!
こんなこと言いたかないけど、腐っても侯爵の娘に伯爵の娘がそんな舐めたこと言っていいのだろうか。よくないよね?誰でもいいから、よくないって言ってくれ。じゃないと怒りのあまり人体自然発火してしまいそうだ。
全く身に覚えはないが私に対して敵対心バシバシな彼女の様子をみるに、手紙はわざと遅らせた可能性が高い。遅らせたというか、わざと訪問の日時の寸前に届くようにしていたのだろう。喧嘩をしに来ましたと言っているようなものだ。
私につま先から頭のてっぺんまで粗探しをするような視線を向けてくるエルメンヒルデの見た目は、これぞ貴族の娘!という感じだった。
凛とした佇まいに、綺麗に磨かれた指先、一度も日焼けしたことのないであろう真っ白な肌、人形のように整った顔立ち。
そして、顔の横に控える二本の縦ロール。
本家悪役令嬢のカテリーナすらしのぐ、悪役令嬢感。
さっきは巻き髪という聞こえの良い言葉でごまかしたが、こんな相手を気づかうほど私もいい人間ではないので、この際はっきり言わせてもらおう。
貴様のその顔の横にあるのは、どこからどう見てもドリルだ!!
「さ、案内してくださいませ。わたくし今日、リジーア様とお話しできるのをとても楽しみにしておりましたの」
「…どーぞ、こちらに」
早くもぐったりしてきた体に鞭打って、応接間にエルメンヒルデを案内する。その間にも彼女は不躾な視線で屋敷の装飾や、使用人の顔までつぶさに観察しているようだった。はっきり言って、感じが悪すぎる。なんなんだ一体…。
あ~、やだなぁ。今からこの人と応接間で二人っきりになると思うと、今から胃がキリキリと痛んでくる。でも中庭には絶対に連れていけないし。
「あ、ティア。応接間にお茶を持ってきてちょうだい」
「…かしこまりました、お嬢様」
途中、廊下の先を横切っていこうとしたティアを呼び止めてなんとか巻き込むことに成功した。とっくの昔に敬意とか主人への優しさとかいうものを喪失している彼女は、ほんの一瞬やばい捕まったみたいな顔をした。ふふふ、お前も道連れだ。
応接間は変な緊張感に満たされていた。
私も彼女もお互いの一挙手一投足に神経を張りつめさせ、それはティアが紅茶を運んでくるまで気まずい沈黙を生んだ。
紅茶のカップの淵を白魚のような指先でなぞって、エルメンヒルデはようやく来訪の理由を話し始める。
「ベルンハルト様のこと、本当に残念でしたわ…」
「はぁ」
鮮烈な先制攻撃をしかけてきたわりには、彼女の訪問の理由はいたって予測の範囲内のものであった。
なんだか肩透かしをくらったようで、ちょっと拍子抜けしてしまう。
「私はベルンハルト様の一つ上の学年だったの」
とりあえず、へぇそうなんですかと当たり障りのない相槌を打っておく。ということはエルメンヒルデは私の三つ上ってことなのか。道理で顔に見覚えがないわけである。
いまさらだけど、エルメンヒルデって名前長いな。愛称はエルとかだろうか。今のところ呼ぶ予定どころか、兆しすらまったくないのだが。
「三年の時に裏生徒会に誘われて、彼にはとてもお世話になったわ。私の方が一歳上なのに恥ずかしい話ね」
エルメンヒルデは意外なことに優秀な人らしい。いや、意外とか言ったら失礼か。
裏生徒会でもベルンが生きていることを知っているのは、実は一部だけだったりする。だから、最初に言ったように婚約者だった私へ弔いの意を伝える人が結構いる。ベルンは本当にいろんな人に慕われている。とはいえ直接出向いてくる人は彼女が初ではあるが。
なんというかとてもありがたい話ではある。ありがたい話ではあるのだが、あからさまに向けられた悪意と当時を思い出して笑う彼女の様子に嫌な予感がしてまったくありがたい気持ちになれない。
「だから彼が亡くなったって聞いて、あなたに会わなくちゃって思った」
「…そうなんですか」
しんみりした空気が流れて、凄く居心地が悪い。
騙しているようで申し訳ないが、ベルンは実は生きてるんですよ〜なんて言えるわけもないので、大人しく落ち込んだ振りをする。
俯いた私の顔を覗き込んで、エルメンヒルデは心配するような表情を浮かべた。
「顔色が悪いわ。やっぱり彼のことがこたえてるのね」
私、いま顔色悪いのか。まぁ実際胃が痛いわけだし、あり得るのかもしれない。
「ええ、まぁ…」
「髪も色が悪いようだし…」
髪?さりげなく胸元に垂らした毛先を見る。いつもと変わらない栗色の癖っ毛があるだけだ。というか色が悪いってなんだ。痛んでるってことだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず同意しておいた。
「ん?ええ、まぁ」
「鼻も低いようだし」
「それは生まれつきです」
「あら、失礼」
こ、この野郎ー!
この人、私に喧嘩を売るがためだけに来てる!絶対そうだ!
どうして彼女はこんなにも私に悪意を向けてくるのだろう。学園にいたころはライラ絡みで疎まれたりもしたし、ベルンやカテリーナと仲が良いからって嫌がらせや陰口を叩かれたこともあったけど…。
もしかして、エルメンヒルデはベルンが好きだったのかな。漠然とそんな考えが浮かぶ。
でも、どうして今頃?ベルンは表向きは死んだことになっているわけだし、傷心中の私に塩でも塗りに来たとか?それとも、ベルンが本当に死んだのか確認しにきたとか?そういえば、さっき彼女は使用人の顔を不自然なほどに確認してはいなかっただろうか。
とにもかくにも、ベルンと彼女が鉢合わせるのだけは避けたほうがいいだろう。
「あ、あの少し気分が悪いので席を外してもよろしいですか?」
「まぁ本当。酷い顔だわ」
酷い顔が、酷い顔面という意味に聞こえて仕方ないが、曖昧に笑っておいた。ふふふ。私はこれくらいじゃ怒らないぞ。私の心の広さに感謝するがいいと心の中だけは威勢よく言って、私は立ち上がった。
「ティア、お客様のお相手を少し頼めるかしら」
「はい」
ティアに目くばせで接待ならぬ監視を頼み、具合の悪い振りをしながら、そっと応接間を出て中庭に一目散にダッシュした。
いつもはこんなことはしないのだが、今日ばかりは非常事態だし実家だからこれくらいの無作法は許されるだろう。すれ違う使用人たちの驚いた顔を無視して、私は廊下を走り抜けていった。
中庭に面した回廊に弾丸のように飛び出た私は、目的の人物を探してキョロキョロと視線を巡らせる。たぶん、まだここで作業しているはずなのだがと奥の植え込み付近を覗き込むとはたして彼はそこにいた。
駆け寄って隣にしゃがみ込み、丸めた背中を叩くとどうしたのかと柔らかく微笑まれる。
あ~、安心する。なんというかグングン癒される。しかし、今は呑気に癒されている場合ではない。
「どうしよう、ベルン。なんか変な人が来ちゃった…」
「変な人?」
刈り込む手を止めて、ベルンは怪訝そうに聞き返した。
「エルメンヒルデ・ハウなんとかって人で、裏生徒会にも入ってたって言ってるんだけど」
名前なんだったっけ。ハウ…ハウ…。
駄目だ。ハウルの動く城しか思いつかない。というか、ジブリ映画とか懐かしいな。
「エルメンヒルデ・ハウスクネヒト?」
「そう、それ!」
エルメンヒルデ・ハウスクネヒト、エルメンヒルデ・ハウスクネヒト…。覚えられる気がしない。なんでこんなに言いづらい名前なんだ。名前ですら彼女は私を苦しめるつもりらしい。
ベルンはベルンで何か思うところがあるようで、エルメンヒルデかと呟いて少し眉を寄せた。
「彼女は応接間にいるから、いちおう隠れたほうがいいって言いに来たの」
中庭は屋敷の奥のほうにあるのでエルメンヒルデが勝手に歩き回らない限り大丈夫だとは思うが、ベルンを目撃されるといろいろと厄介だ。
「わかった」
さっと立ち上がったベルンが差し伸べてくれた手を握った瞬間だった。
「あーっ!!」
つんざくような大声が中庭を駆け抜けた。
声のあがったほうを見ると、肩をいからせたエルメンヒルデと少し見ない間にヘロヘロになったティアがいた。
なんでエルメンヒルデがここにいるのだとティアを見たが、彼女はいまも健気にエルメンヒルデの腰にしがみついて時間を稼ごうとしてくれていた。しかしエルメンヒルデの馬力が凄すぎて、まったく意味をなしていない。
「おどきなさい!」
「ああ…!」
エルメンヒルデに振り払われ、ついに力尽きたようにティアは崩れ落ちた。テ、ティア―!
私がティアの身を心配する間にも、ずんずんとエルメンヒルデは近づいてくる。
正直言ってかなり怖い。だって、顔の横にドリルを二本装備した美人がめっちゃこっちを睨みながら歩いてくるんだよ。これが恐怖以外の何だと言うのか。
ど、どうしよう!?
この人は見習の庭師で、ベルンにちょっと似てるけど別人なんですよとか、実はベルンには生き別れの双子の弟がいてとか、しょうもない言い訳が一瞬にして頭を駆け巡っては消えていく。
「あ、あの、エルメンヒルデ様…!」
これ以上ベルンに近寄らせてはなるまいと声をかけると、彼女はピタリと足を止めた。
「…っぱり」
何事かを呟いて、エルメンヒルデは顔を上げた。じわぁっと彼女の薄青い瞳に涙の膜が張って、ゆらゆらと光る。
「やっぱり生きてらっしゃったのね…!」
次の瞬間、一つ瞬きをする間に、彼女は瞬間移動でもしたかのような敏捷さでベルンの首にひっしと抱き着いていた。




