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じゅうはち


クラリッサが私を連れて逃げ込んだのは、寮母さんの部屋だった。

真っ暗な廊下に部屋の明かりが漏れ出して、寮母さんが女神さまに見えてくる。

「まぁまぁ、いったいどうしたの?とりあえず、中にお入りなさい」

夜中に突然押しかけてきた私たちのただならぬ様子に、寮母のおばあちゃんは快く中に迎え入れてくれた。

クラリッサがベルンハルト・ブルンスマイヤーを呼んできてほしいというと、彼女は何かを察したようにすぐに隣の部屋で寝ていた同僚を起こして男子寮にベルンを呼びに行くよう言ってくれた。

彼女もここ最近の学園での騒動を知っていて、それとなく警戒していたのかもしれない。

「それで、何があったの?」

走ってきたせいでなかなか息が整わない。運動不足なんだろうか。

クラリッサとともに壁に寄りかかりながら、私はもつれそうになる舌でなんとか説明を試みる。

「部屋に、部屋に男の人が入ってきて、襲われそうになって、クラリッサが助けてくれたんです。その、男はまだ部屋にいるかわからない、です」

明らかに説明不足というか支離滅裂な説明だったが、寮母さんはちゃんとくみ取ってくれたらしい。彼女はさあっと顔を青くして、他の寮で働いている人たちを大声で起こした。

ちょっと寝ぼけていたのが嘘のように、てきぱきと男を捕まえるよう指示をだしている寮母さんの姿を見ているうちに、安堵感からか力が抜けて、私たちは二人してへなへなと床にへたり込んだ。

なんだか脚が震えているのに、不思議と恐怖は感じていなくて、どこかまだ夢を見ているみたいな心地だった。

私たちはしばらくといっても、大した時間ではなかったが壁に背を預けて、黙りこくっていた。

するとだんだん酸素がちゃんと回りだしたのか頭がすっきりしてきて、私はようやくさっきまで自分が相当危険な状態にあったということを理解した。

「あ、ありがとう、クラリッサ」

もし、クラリッサが助けてくれなかったら、私あの男に何をされてたのだろう。…ち、ちょっとまだ、考えたくない、かな。

そうするとクラリッサへの感謝が湧き上がって、少しでも疑ったことが申し訳なくなった。

しかし、彼女は私のお礼にとても悲痛そうな顔をして、視線をゆらゆらと漂わせる。

どうしてそんな後ろめたそうな顔をするのだろうか。

ぼんやりと待っていると、彼女は絞り出すようにごめんなさい、と言った。

「どうして謝るの?」

クラリッサの薄い肩がカタカタと小さく震えていた。

彼女は唇をかみしめ、消え入りそうな声で告白する。

「ごめんなさい、リジーア。私……風邪なんかじゃなかったの。アロイス様に、命令されていたのよ」


クラリッサの語った内容は、かなり衝撃的なものであった。

結論から言うと、彼女は襲撃者の仲間であった。

だから私が襲われることを知っていたし、逆に助けることもできた。


彼女はもともとアロイスの婚約者だったのだそうだ。

仲はそこそこに良好というか、お互い割り切った関係だったそうで、アロイスもクラリッサとの結婚に納得していたという。

しかしある日突然、アロイスの実家から婚約破棄を言い渡されてしまった。

ちょうど、アロイスが学園に入るころくらいのことだったそうだ。

格下のクラリッサの家は文句を言うこともできず、結局二人の婚約はあっけなく破棄されてしまった。

「理由すら教えてもらえなかったわ」

「そんな…」

婚約とは家と家の約束だ。それを理由もなしに破棄するなんて。しかもアロイスとクラリッサの婚約は公にすらされていなかった。デーニッツ家は相当横暴だと言える。

「でも、たぶん、あの占い師のせいだわ」

「占い師?」

「ええ。なんでも未来が見えるそうで…。アロイス様はずいぶんとその占い師を頼りにしてらしたの」

占いに頼るとか、女子か。女子なのか、アロイス。

というわけで理不尽に婚約を破棄されてしまったクラリッサであったが、むしろ彼女はこのことを喜んだくらいだった。

なんと言ったってアロイスは噂ほどまではなくても女遊びが派手な方だったし、なによりその占い師とやらに聞かなければ何も決められないようになっていたらしい。

結婚した後を憂う必要もなくなって、これ幸いと彼女は新しい婚約者を探し始めた。

クラリッサはこれっぽちも深刻に考えていなかったのだ。

けれど、話はそう簡単ではなかった。


クラリッサが学園に入学するとアロイスからの接触があった。

デーニッツ家が婚約を条件に行っていた支援の見返りに、手伝ってほしいことがある。もし断るならば見返りではなく金を返してもらうことになる、と。

その場はそんな出まかせで脅すなど侮辱もいいところだと言い返したらしいが、急いで両親に確認すると、その通りだという返答が返ってきた。知らないのは彼女だけだったのだ。


結局クラリッサはアロイスの要求を呑むほかなくなってしまった。

最初に下されたのは、私と同室になり親しくなることだったそうだ。

私が相部屋を希望したのはせっかくの寮生活だからというぼんやりした理由だったのだが、裏でそんなやり取りをされていたとは…。

というか、アロイスはライラが学園に入ってくる前からベルンに狙いを定めていたとでも言うのか。

どういうことだろう。

ゲームのシナリオではアロイスとベルンの間には特別な確執もなかったはずだ。

休みにベルンから聞く話でも彼らが仲たがいしたという話は聞かなかったし、そもそもベルンはゲームと違って殿下とそこそこな付き合いしかしていない。つまり殿下と親しくしていたアロイスとも、確執が生まれるほどの交流はなかった。

しかしクラリッサの話からすると、アロイスはもうずっと前、ライラが殿下と恋仲になりカテリーナが邪魔になる前からベルンを警戒していたことになる。

いったいどういうことなのだろうか。

まるで、ベルンがエドウィンルートで悪役として立ちふさがることを知っていたかのようだ。

まさか、その占い師とやらが関係しているのか…?


それはひとまず置いておいて。

どういう手を使ったのか、たぶん教師を買収でもしたのだろう。クラリッサはアロイスの命令通り、無事私と同室になり親しくなった。

まぁ私を騙すのなんて簡単だったろう。なんと言ったって、ダリウスに騙されていた経歴を私は持っている。

次にクラリッサは私から裏生徒会の動向を探るよう命令された。

しかし彼らにとっては残念なこと、私にとっては幸運なことにだが、私は裏生徒会に出入りはしていてもほとんどと言っていいほど情報を持っていなかった。

クラリッサも私が何か情報を持っていても、すべてアロイスに流すつもりはなかったそうなのだが。

彼女はおとなしいけれど、誇り高い女性でもあったので、家のことで脅してくるアロイスに不快感を抱いていたのだろう。


そしてクラリッサにしばらく平和な学園生活が訪れるかと思われた。

依然として私から情報を引き出すよう言われてはいたが、私はたいしたことは知らなかったし、アロイスも強くは言ってこなかったからだ。

そこに裏生徒会からの接触があった。

それは純粋に裏生徒会への勧誘だった。私の同室で、自身も優秀なクラリッサにベルンが目をつけたのだそうだ。

クラリッサは迷った。

自分がアロイスを裏切れば、実家を困らせてしまう。けれど、裏生徒会に入って事情を説明すればブルンスマイヤーが助けてくれるかもしれない。

もちろんアロイスに裏生徒会からの勧誘を知られてしまえば、これ幸いと密偵の任務を追加されてしまうだろうから、決して知られないようひそかに彼女は悩み続けた。

「アロイス様の命令さえなければ、あなたと後ろめたいことなく友達として過ごせるのにって何度も思ったわ。でも、私の家にはデーニッツ家に受けた支援を返せるだけの余力はなくて、ブルンスマイヤー家が私の家を助けてくれるかどうかも確証がもてなくて…」

「クラリッサ…」

自分の腕に爪を立てて話すその姿が、とてもつらそうに見えて私は彼女の背をさすってあげた。

「だめね。本当は私なんて気遣ってもらう資格なんてないのに。リジーアは私のことを許してくれなくていいの。私は、あなたを…騙していたんだから…」

やんわりとさする手を退けて、クラリッサは大きく深呼吸して話を再開した。


どうやってアロイスから逃れるか苦悩していた彼女に、ついに運命の夜が訪れる。

昨夜、アロイスに呼び出された彼女はある命令を受けた。

今夜は絶対に寮の部屋に帰るな、と。

「どうしてって聞いてもあの人は教えてくれなかったわ。しかも、保健室に押し込まれて見張りまでたてられて、すごく嫌な予感がしたの。…ごめんなさい。私は、迷ってしまった。…あなたを見捨てようかって。きっと殺されはしないから大丈夫だって。でも、でも…!きっと、リジーアが酷い目に合わされるって、そうしたら一生私は自分を恥じるわ。そして、二度とあなたに友達だと呼ばれないと思ったら…!

あいつは…!私が、あの場にいたらあなたを見捨てられないとわかっていて、何も教えないで保健室に押し込めたのよ!そうすればたとえ私が勘付いても見て見ないふりをして保健室に隠れて、びくびくと朝が来るのを静かに待つんだろうって!…最低よ。あいつも、私も」

耐え切れずわっと彼女は床にひれ伏して泣き始めた。長い髪が床に散らばる。

私はその髪をまとめて背中に流しながら、いつも深窓の令嬢らしく静かに微笑んでいた裏で彼女がどれほど悩み苦しんでいたのかを思った。

「ありがとう、クラリッサ」

クラリッサは私にお礼をする必要なんかないと言うように激しく首を横に振る。

「いつかあなたは私に本当に気を付けるべきはアロイスだって、警告してくれたでしょう?今夜だってあなたが助けてくれなかったら、私はどうなっていたことかわからなかった。だから、そんなに自分を責めないで。それくらいのことであなたの誇り高さは何も貶されてなんかいないわ」

ごめんなさいと堰を切ったように謝り続けるクラリッサは、ずっと子供ぽくってなんだか私は微笑ましい気持ちになったのだった。

しかし、私の友達ってみんな何かしら下心をもって近づいてきたっていう。いうて、二人だけど。

なんだかなぁ。





その後、ベルンがイオニアスを伴ってやってきてめちゃくちゃ抱きしめられた。痛い。

クラリッサにはイオニアスが付き添ってくれていた。

私の肩を抱くベルンの手は、小刻みに震えていて、なんとなく五年前の感謝祭の時、彼の血で汚れた手を握りしめたことを思い出した。

「無事でよかった」

熱い息と一緒に呟かれた言葉がじんわり染みて、カチコチに固まっていた体がほぐれていくようだ。

一つ深く息をつくと、自分でもびっくりするくらい急激に生々しい恐怖と、もう本当に大丈夫なのだという安堵が急に涙腺から涙になってあふれ出して、どうしようもなくなって、私は子供みたいにわんわん泣いてしまった。

正直自分の身の上に起こったことだったけれど、どこか現実味がなくて、まるで映画の中に紛れ込んでしまったような感覚だった。けれど、ベルンに抱きしめられて、彼がすごく心配してくれたという事実が私を現実に引き戻してくれたのだ。

ベルンに抱きしめられると、少し前までドキドキしていたものだけど、今はこの腕の中にいれば怖いものは何もないのだと心底安心できる。

きっと眠っていたところを着の身着のまま来てくれたのだろう、寝癖ではねた髪が頬に刺さって少しくすぐったかった。

それが嬉しいような恥ずかしいような感じで、ふふふと泣きながら思わず笑うとベルンに変な顔をされてしまう。

うん、私も変な奴だなとは思う。

周りに人がいるとか、今はそんなことちっとも気にならなくて、私は縋りつくように抱きしめてくるベルンの大きな体を強く抱きしめ返したのだった。


部屋の外ではバタバタと複数の足音がせわしなくしていて、捕まえた男をどうするとか話し合っているのが聞こえる。

あと数十分もすれば顔が腫れて、土偶みたいになっちゃうんだろうなぁとのんきなことを考えられるのも、今少しなのだろう。


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