じゅうなな
「うへぇ…」
もやもやする気持ちを吐き出そうとしたら、変な声が出た。
「おい、気持ち悪い声出すなよ」
「ダリウスなんて禿げればいいんだ」
無視された。
いつもなら頭を叩くくらいするのに、そうしないのは彼なりに元気のない私を気遣ってのことなのかもしれない。
美術鑑賞クラブの感謝祭での仕事として割り振られている展示物リスト作成の仕事はなかなか進んでいなかった。何も悩みなどなければ、出品される作品の厨二心をくすぐるようなタイトルを見つけてはダリウスと馬鹿みたいにうひゃうひゃ言っていただろうに。
幻想のカルマってなんだ。どんな絵なんだ。気になるけど、たぶん当日わざわざ探してみたりしないんだろうな。
今日も裏生徒会の会室ではチェスやら、ベルンに頼まれた仕事や、生徒の勢力図とかあやふやな噂の真偽の議論をするメンバーたちによって、程よい緊張感と賑やかさに包まれている。
ダリウスもすっかり裏生徒会に馴染んで、時々上級生をチェスで負かしている。でもヘレナには勝てないらしく、彼女から坊や呼ばわりされている。いい気味だ。
イオニアスは相変わらずベルンからの重要な仕事をこなしながらも、カテリーナの演劇に付き合っている。
カテリーナのわがままにつき合わされてかわいそうだとか、一部の女子からは言われているらしい。イオニアスは顔もまぁまぁ整っているし、ガタイもいいし、何より面倒見がいいのでけっこう人気があるのだ。
とはいえ彼はカテリーナに振り回されるのが好きなので、余計なお世話ってやつなのだろう。
演目はなんだったっけな…。夜と朝の女王だっけ。
ざっくり説明すると、夜と朝の女王が異国の王子を巡ってどうのこうのして、王子は結局どっちも選ばないっていう話だ。どっちも選ばないんかーいって思うかもしれないけど、王子は祖国に恋人を残してきているので、誘惑に打ち勝ち愛を貫くという役どころなのだ。
演劇っていうよりは歌劇に近いのかもしれない。オペラほど歌による感情表現が多くはなく、ミュージカルほどダンスが中心ではない。
カテリーナは激情を秘めた夜の女王で、イオニアスはその従者の獅子の役をするそうだ。
はまり役過ぎて笑ってしまったのはいい思い出である。
机に頬をひっつけて、窓の外をぼけっと眺める。
二階の隅っこにある会室の窓からは校舎前に植えられた木の頭がちょっと覗いていて、真っ青な空を背景にわさわさと揺れていた。
アフロみたいだなぁと思って、アフロを理解して笑ってくれる友人は私にはいないのだと寂しい気持ちになった。
なんだろう、ライラと喧嘩っていうか言い争いがあってからよく前世のことを考えてしまう。
まぁ、いうて昨日のことなんだけれど。
ホームシックみたいなものだろうか。
この世界に生まれて自覚した時に一回なったから、いうなれば第二次ホームシックか。
別に帰りたいなどとは思わない。
むこうもこちらも人間関係は煩わしくて楽しくて、勉強は相変わらずちょっと面倒くさい。
貴族のしきたりを息苦しいと思わないでもないけど、むこうでは誰もちゃんと教えてくれないけど知ってないと恥ずかしい一般常識、教養ってやつがちゃんと明文化されていて、小さいころにしっかり教えてもらえるのだと考えればそう悪いことじゃない気もする。
あ~でも結婚とか政治体制についてはどうかなぁって思うことはある。
この国は女性にも爵位の継承を認めているし、官僚として働く女性も少なくはないから、強い男尊女卑を感じたことはないけれども、それでも結婚は自由なものではないし女性はやっぱりそういう場面においては家の財産だ。
私は前世でも恋をしたことがなかったから結婚に関してはよっぽど酷い相手じゃなきゃいいくらいの気持ちだったけど、好きな人と結婚できないのは酷いとまで言うつもりもないがつらい話だと思う。私だって、いまさらベルン以外と結婚しろって言われたら困る。
王政も王様がまともな人だったら平和だけど、次期王のエドウィン殿下を見ていると不安にならないでもない。悪い人ではないんだけどなぁ…。
とか真面目なことを言ってみたけど、正直なところはただアイスが食べたいって言って、わかる~って言ってほしいだけなのだ。
やまもおちもない中身のない会話でいい。エアコンほしい。わかる。目の色ピンクってほんと謎。それな。こんな感じ。
贅沢な悩みなのだと思う。
けれど、昨日のライラとの噛み合わない会話を思い出すたびに、もっと上手な言い方とか伝え方があったのではないかと思ってしまう。
昨日の私は感情的になりすぎていたし、あんなふうに泣いて被害者ぶってたわけじゃないけれど、自分がちょっと嫌になった。
というかライラには確実に何かが起こっている気がする。
言ってることだいたい頭おかしかったけど、よくよく思い出してみればいくつか気になるところがあったし。うん、まぁ、九割方頭おかしかったけど。
彼女は確かにアロイス、ヨハン、殿下と三人の男性ときゃっきゃっしていたわけだけど、一応本命は殿下に絞っていたようだったし、ベルンとは一時期一緒に昼食をとっていた以外執着していた様子もなかった。
だいたいこのゲームには逆ハーエンドなるものは存在しない。
目指そうとしても分岐の複雑なシナリオを考えれば、どうしたって破綻してしまうのだ。
私はライラが馬鹿だとは思わない。
それはお前の願望ではないかと言われたら、否定できないけれど。
もっと彼女のことを知らなければならない。
いや、私にはそれ以外にも知らなければならないことがたくさんある気がする。
けれど知りたくもないと思う。
私は誰かを嫌うのも、誰かに嫌われるのも嫌だ。余計なことを知って誰かを憎く思ったり、誰かを傷つけたくはない。ライラのことも、アロイスのことも。
「ダリウス」
「あ?」
「私って優柔不断なのかな」
「なんだ今更気が付いたのか」
やっぱりそうなんだ。自分で聞いておいてあれだけど、ちょっと落ち込む。
なんだよ~今日は私に優しくするんじゃなかったのかよ~。
いや、別にダリウスが今日は元気ないな、よし優しくしてやろうなんて言ったわけじゃないんだけれど。
「リジーア、お前は選べないんじゃない、選ばないんだ。人によってはお前を優しいとか公平だとか言うんだろう。俺からすれば卑怯にも思えるけどな」
選べないのではなくて、選ばない。
ダリウスにベルンを第二王子派になびかせろと迫られた時、私はベルンがすでに第二王子派につくことを決めていることを知っていた。だからあの場でそれを伝えて、こんなことをする必要はないのだと言うこともできたのだ。
それをしなかったのは、私がダリウスと対等な立場でありたかったからなのかもしれない。とにかくあの時はイエスもノーも選ばないことが正しいことだと思った。だから私はベルンにダリウスを友達として紹介して、あとは彼自身に委ねた。あくまで、自分で勝ち取って見せろと。
そうだ。そうなのだ。私は、卑怯なのだ。
ダリウスに言われて、なんだかしっくりと来た。
私が黙り込んでいるとダリウスは突然自分の頭をガシガシかいて、あーだがうーだかよくわからない呻き声を上げた。
青みがかった銀髪は少しクセが入っているらしく、めちゃくちゃにかいたせいでフワフワと揺れている。
「自分で聞いてきて落ち込むなよ」
どうも彼は私が落ち込んで黙りこくっていると考えたらしい。間違ってはいないけれど。
「いや、なんかすっきりした。ありがとう」
素直に感謝を述べたのに、ダリウスはとんでもなくまずい物を食べたみたいな顔をした。なんなのだその変な顔は。
「…まぁ、お前に変わらないでいてほしいと願っている奴もいる。あまり気にするな。俺だって散々卑怯なことをしてきたしな」
ばつが悪そうに言ってダリウスはリスト作りを再開した。
ベルンを勧誘するために私と仲良くなったことをいまだに気にしているのだろうか。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが。
なんだか少しだけ愉快な気分だった。
「あー、アイス食べたい!」
「またそれかよ。だいたい、あいすってなんだ?」
「……冷たくて甘くて、滑らかなかき氷?いや、違うな。…うまく説明できないけど、でもきっと美味しいよ」
「ふーん。じゃあ、見つけたら俺にも食わせろよ」
ダリウスはいいやつだ。
もしベルンと出会っていなかったら、案外彼のことを好きになっていたのかもしれない。
あ、でも、ダリウスと仲良くなったきっかけはベルンだから、なんというか私の世界はベルン中心で回っているみたい。
彼のおかげで私の世界はこんなにも楽しくて煩わしくて、そして平穏から程遠い。
「あなたの同室のオームさん、風邪をひいてしまったみたいでね、うつしちゃいけないから二、三日保健室に泊まるそうよ」
「そうなんですか」
寮に帰ると寮母のおばあちゃんに呼び止められた。
そうかクラリッサ風邪ひいちゃったのか。そう言われてみれば今朝、えらく顔色が悪くて元気もなかった。私も元気なかったとはいえ、もっと気にかけるべきだったな。
「お見舞いに行きたいのですけれど…」
「今日はもう遅いから明日お見舞いにいくといいわ」
「そうですね。ありがとうございます」
お嬢様が集まる女子寮を取り仕切る彼女は、皇太后様の従妹で王宮の元女官長をしていた女性だ。それくらいの身分と実力がなければ、いうことを聞かない生徒が出て女子寮は無法地帯になっていたことだろう。
しかし、そうかぁ、クラリッサ今日いないのか。
お風呂を済ませてベッドに潜り込むと、嫌に部屋が広く感じた。
ダリウスと話して感じたちょっとだけ愉快な気分もすっかり萎んでしまって、もそもそと毛布にくるまる。
クラリッサはおしゃべりな方じゃないけど、夜寝る前はお互い今日あったことや明日の夜ご飯なんだろうねって話したりしていたから、少し寂しい。
風邪は大丈夫なのかな。高校のとき近くの席の子たちがインフルエンザで倒れていったなか、一人だけピンピンしていた私としては別にうつすとか気にしないでもらっていいのに。まぁ、そういうわけにはいかないか。
うーん。どうにも寝付きが悪い。
お風呂を上がったときは眠かったのに、今は妙に目がさえてしまって一向に眠れる気配がない。
もぞもぞしていると、すぅっと冷えた空気が頬を撫でた。
あれ、窓あけてたっけ?いや、しっかり閉めたはず…。
まさか心霊現象的な…。…ははは!まさかぁ!
やだなぁやだなぁと思いながら薄目を開けて窓の方を見ると、窓が開いていた。夜風にカーテンがはたはたと翻っている。
と、視界の端に黒い影が見えた。
影はクラリッサのベッドをのぞき込んでいるように見える。
う、嘘でしょ…。まさか本当に幽霊?
ど、ど、どうしたらいい!?塩!?はっ!九字切り!?ついに小学生の時、幽霊が怖すぎて習得した私の九字切りが火をふいてしまうのか…!
恐怖で身動きが取れない私が判断に迷っているうちに、影は振り返りこちらに近づいてきた。
でも幽霊にしてはなんだか息が荒いような…。
わずかな月明かりに影の顔が照らされる。男だ。それも若い。たぶん私と同年代。
ギョロリと目玉が動いて、
目が合った。
反射的に喉がきゅっと締まって、悲鳴が背筋を駆け抜けて口から飛び出でることはなかった。
男が俊敏な動きで私の口を手で塞いでしまったからだ。
男の手はガタガタと震えていて、力加減が上手くできていないのか唇が歯に押し当てられて痛い。
ぬるい息がかかって、ざあっと鳥肌が立つのがわかった。
「お前が悪いんだぞ」
強張って体が上手く動かない。
抵抗しなきゃ。とにかくこの男を蹴とばすか何かして、逃げないと。
そう思うのに、どうして動けないの!
痩せぎすで目玉ばかりギョロギョロと光らせ、男は自分に納得させるように早口にまくしたてる。
「お前が彼女の邪魔をするから、彼女を悲しませるから、だからいけないんだ。へ、へへ…俺は彼女の騎士なんだ。お前が悪いんだ、お前が、お前が」
いや、彼女って誰だよ!というかお前が誰だよ!
なんて疑問はもごもごという不明瞭な音にしかならない。
ごそごそと布らしきものを取り出して、男が私に猿ぐつわをかませようとしていることに気が付いて、ようやく凍り付いたみたいだった体が本能的に抵抗をしめした。
「暴れるんじゃねぇ!」
男は跨って、抑え込もうとしてくる。
このっ!
渾身の膝による急所攻撃をお見舞いしてやろうと、妙に感覚の鈍い体に力を込めたその時だった。
「離れなさい!この下衆がっ!!」
ここにいるはずのない彼女がいつの間にか男の背後に立っていて、何か大きな四角いものを振り上げている。
いつも穏やかで声を荒げたところなんて一度も見たことがなかったのに。
突然の声に驚いた男の手に隙間が生まれて、私は叫ぶ。
「クラリッサ!」
クラリッサが振り上げていたもの、それは部屋に備え付けられている椅子だった。彼女はそれをためらいなく男の背中に打ち付けた。
椅子の折れる鈍い音ともに男の口から苦痛の声が漏れ、力が緩んだすきに私は準備していた渾身の一撃を叩きこんだ。
「ぐあっあああ…!」
相当痛いのだろう。悶絶する男の跨っていた体を蹴とばして、反動で起き上がった私の手を彼女が掴んで走り出す。
「クラリッサ…!」
呼びかけても振り返らないクラリッサに導かれるままに走る。走る。
保健室にいるはずのクラリッサがここにいること、私が襲われている時にタイミングよく現れたこと。聞きたいことはいくつもあったが、走りながら聞けるほど悠長な状況ではなかった。
どこへ向かっているのかわからず、寮の廊下は暗く静まり返って不気味だ。
けれど私は、助けてくれた彼女を信じて必死に震える足でついていくことを選んだのだった。




