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じゅうご


ライラが階段から落ちてしばらく、学園はその話題で持ちきりになるかと思われたが一週間ちょっとが経った現在、案外そうでもない。

というのも、感謝祭の準備が始まったからだ。

王立学園は感謝祭が行われる会場で、特に貴族のための会場となることが決まっている。

在学中に五年に一度の感謝祭にあたった学生はこの準備に参加することができる。

前世での文化祭ほど学生中心のイベントにはならないのだが、演劇や演奏会、展示会など特に芸術系のクラブは気合が入っている。まったく参加しないという選択肢もあるのだが、決まりきった日常にやってきた五年に一度の感謝祭の準備という一大イベントを逃す手はないだろう。

かくいう私は裏生徒会の正式なメンバーとして展示会のお手伝いをすることになっている。あの日以来吹っ切れたらしいカテリーナは演劇クラブの助っ人として芝居にでるらしく、イオニアスを引っ張り込んで忙しくしている。楽しそうで何よりである。

というわけで私がライラを突き落としたという噂は感謝祭のあわただしさに立ち消えてしまったのであった。

代わりに別の波紋が広がりつつはあったのだが。


「あれは僕が八歳の冬の日だった。前の晩に降り積もった雪で一面真っ白になった中庭に彼女はいた。僕ら以外はまだ眠っている早朝、夜明けといったほうが正しいか…。屋敷はとても静かでね、まるで雪がすべての音を吸い取ってしまったようだったよ。

身を切るような冷たい朝の空気など関係ないかのように、彼女は白いレースを何枚も重ねた薄いドレスで立っていた。ドレスの銀の刺繍が雪に照り返った朝日でキラキラと輝いて、僕はてっきり雪の精が現れたのだと思ったよ。

彼女と過ごした日々を思い返すと、なぜスケッチをしなかったのかと死ぬほど悔いる瞬間ばかりだ。いまさら言っても仕方のないことだけれどね。彼女が僕に気付いて振り返った瞬間なんて、本当にこの世のものとは思えないほどだった。どんなに美しい朝と夜を百万回繰り返したってかなわないだろう。

彼女は黒曜のような艶やかな黒髪だったんだが、白い世界に唯一、インクをこぼしたみたいにその黒髪が鮮烈で…。僕が雪の精よ、日が昇りきったらあなたは消えてしまうのですか?と問いかけたらそれはもう嫌そうな顔をして、お前は阿呆なのか、雪の精などいるものか、気色の悪いと。ああ、今思い出してもあの美しい人が僕だけを見てくれた瞬間の幸福に震えてしまうよ!」

「この人何言ってるの…」

「見ちゃだめだ、リジィ」

一人感極まって震えるルーカスを見ているとなんだか寒気がする。すごい。変態って見るだけで体感温度を下げるのか。

「ひどいなぁ、君が彼女のことを知りたいって言うから大切な思い出を披露してあげているっていうのに」

「私が知りたいのは彼女さんの素性で、先生の思い出じゃないです。というか!なんで私たちのテーブルに座ってるんですか!」


せっかくベルンと二人席でつかの間の優雅な昼食をとっていたというのに、このマゾ疑惑教師が勝手に椅子を持ってきて三人席にしてしまったのだ。

なんでも感謝祭での学園側の警備担当を押し付けられそうになって、職員用食堂から逃げて来たとのこと。

そこで私がベルンにルーカスの初恋の彼女について尋ねているという最悪のタイミングで現れたために、さっきのちょっとあれな思い出話を聞かされるはめになってしまったのであった。

ベルンなどもはやルーカスをいないものとして扱うつもりらしく、ロールキャベツに似た料理を肉と肉を包んでいた葉野菜とに分けている。一緒に食べるからおいしいのに…。

「まぁまぁ、学生でいられる時間っていうのは僕なんかからすれば本当に矢のように飛び去る短いひと時。どんなに親しくなった生徒もみんな僕を残して去って行ってしまう。僕はここにおきざりさ。そして君たちもすぐにそうするだろう。だから、もう少し僕に構ってくれてもバチは当たらないと思うんだぁ」

「かまってちゃんかよ!?」

敬語もかなぐり捨てて叫ぶ私をルーカスは相変わらずの真意の見えない笑顔で見ている。

なんかいい感じのこと言っとけば許されるだろうみたいな感じが非常に不愉快である。


「何デカい声出してんだ」

いきり立っているとこに投げかけられた聞き覚えしかない呆れたような声に背後を振り返ると、ダリウスがいた。

「うわ、出た」

「人の顔見るなり、失礼な奴だな」

ダリウスに失礼とかマナーの話されたくない。

どう言い返してやろうかと頭を巡らせていると、ダリウスは自分のトレーを狭いテーブルに無理矢理乗せ、近くで余っていた椅子を持ってきた。

もともと二人用に作られた小ぶりなテーブルは四人分のトレーでひしめき合っている。

「ちょうどいいや。俺も座らせてくれ。席が見つからなくて困ってたんだ」

「ちょ、ちょ」

あっという間に四人席になってしまった。

ちょっと待って…。

「人の話聞かない三銃士に囲まれた…。終わった…」

「さんじゅうし…?」

「一人言だから気にしないで…」

そっか、この世界には三銃士ないのか。そりゃないよね。近い物だったらなにがあるだろうか。寝物語の三人の賢者とか?人の話を聞かない三人の賢者…。だめだ。それ賢者ちゃう。

ああでも、ベルンのひらがなっぽい発音かわいいからもういいや。うん。


「で、頼まれていたヨハン・ドレクスラーのことなんだが」

ダリウスがそう口火を切ったとたん、テーブルは真面目な空気に包まれた。

実は学園内に広がりつつある波紋というものにヨハンが関わっている。

「カーネイルが階段から突き落とされたと証言した翌日、ドレクスラーは休学届を出したらしい。理由は家の事情の一点張り。親しい友人も何も聞いていないそうだ。だというのに肝心のドレクスラーは実家に帰っていないらしい」

「へ~。ヴェーナー君は意外と情報通なんだねぇ」

え、ルーカス凄いナチュラルに会話に参加しているけどいいの?なんか感心してるけど、え。

「何かあったと考えていいだろうな」

あ、ベルンが悪役モードになってる。

さっきまでぎゃんぎゃん心の中で騒いでたけど、むしろ場違いなのは自分な気がしてきた。

「それに…」

ベルンがすっと視線を遠くに飛ばしたので、その場にいた全員がそちらを見るとそこには二階へ上がっていく殿下とライラの姿があった。

ライラは捻ったほうの右腕を吊っており、彼女の分のトレーを殿下が持っている。そしてライラは以前は二歩下がってあくまで控えめについていく感じだったのに、いまやぴったりと横に寄り添っていた。まるで婚約者でもあるかのように。

変化はそれだけではない。


「まあ…」

「あんなにくっついて」

「カテリーナ様が婚約破棄を受け入れると仰ったとはいえ、あんなに堂々と。非常識だわ」

「わたくし前々からどうかと思っていたのよ」

「実はわたくしも…」


「どういうことだ?ドレクスラーがいなくなった途端、ライラへの風当たりが強くなった」

困惑した様子でダリウスがつぶやく。

「いやはや、女の子は怖いね」

ルーカスはすでに興味が薄れたのか茶化すように言って、豪快にパンをちぎった。パン屑が散らばらないように皿の上でちぎっているあたり、意外と几帳面なようだ。

ライラに眉をひそめているのは何も彼女たちだけではない。まるで何かに抑圧されていた不満が一気に噴き出したようにライラへの不満がそこかしこでささやかれ始めていた。

いったいライラはどうしてしまったのだろう。

これまでの彼女はもっとうまく立ち回っていたというのに、あの事件以来周囲をコントロールできていない。

ヨハンがいなくなったことと関係があるのだろうか。

二階からわざとらしいくらいに楽しそうなライラの笑い声がかすかに聞こえた。

どことなくそれは心の底からの笑い声ではないような気がした。





今日も一日の授業が終わり、帰り支度をして教室を出ると廊下にベルンが待っていた。

三年生も授業が終わる時間はあまり変わらないはずなのに、どうやったらこんなに早く一年の教室までこれるんだろう。窓でも伝ってきてるのだろうか。んな馬鹿な。

「今日は夕食まで一緒にいよう」

「大丈夫なの?」

最近ライラのことに加えて、公爵の仕事も人に任せてばかりではいられないと、忙しそうにしていたベルンの言葉に目を丸くしてしまう。

「学園外の者からヨハンの行方の報告が届くのは早くても明後日くらいだろうし、そうなればまた忙しくなる。領地のことも一段落ついたし」

「そっか」

また忙しくなっちゃうのか。

私にも手伝えることがあればいいのだけれど、たぶんベルンは嫌がるだろうな。

私は彼が何か悪いこと、例えば誰かを脅したりとか、いわゆる裏稼業の人間と通じ合っていたとしても嫌いになんてならないだろうし、不当に誰かを苦しめたりしないって信じてもいる。だから今さら気にしたりしないのだが、ベルン自身は私をそういうところに近づけたくないと思っているようなのだ。

それが私の身を案じてのことなのか、はたまた嫌われたくないと思っているからなのかはわからないのだが。

ということは今日はつかの間の休息と言ったところか。

「じゃあ、とっておきの場所に連れて行ってあげる!」

張り切る私の手を取って、案内をお願いしようとベルンは久々に楽しそうに笑った。

最近事態が二転三転していて情報が足りていない私は翻弄されるばかりだったが、手を繋ぎたがるというベルンの変わらない癖に少しだけ安心感がわくようだった。


とっておきの場所とはダリウスと一緒に見つけた、第三校舎の裏手にあるちょっとした茂みを越えると現れる草原だった。もう少し西の方へ行くと野イチゴが群集している。

ちょうどいい時期だったので薄桃色や紫の小ぶりな花が一面に咲いていて、ちょっとしたメルヘンだ。

学校の裏手にこんな空間があったなどと予想だにしていなかったのか、ベルンは茂みを抜けた瞬間僅かに目を見開く。

くるぶしより少し高い背丈の草原が風になびいて、海のように波打っていり。胸いっぱいに息を吸い込むと、焼けた土の匂いと草の青臭さが混じった夏の匂いがした。


「よく遠駆けでいった草原にちょっと似てるでしょ?」

ちなみにダリウスと見つけたことは面倒くさそうな予感がするので伏せておくことにした。

遠駆けという言葉に懐かしそうにベルンは目を細めている。

さすがに日向は暑いので、木陰に並んで座ることにした。

木の根にちょうどいいくぼみがあって、あまりに座り心地が良くて感動していると笑われてしまった。いや、このフィット感凄いんだって。

ベルンはリラックスした様子で木の根から生えているキノコを突っついたりしている。凄い色してるけど、突っついて大丈夫なのだろうか。心配だ…。

でも、よかった。

本当に最近のベルンは忙しそうで、あんまりぼんやりもしていなかったからちょっと心配だったのだ。

ひときわ強い風が吹いて、髪の毛が視界を隠す。目にかかって反射的に目をつむって、再び開けるとさっきよりもずっと近くにベルンの顔があった。

相変わらず黙っていると人形みたいに綺麗な顔だ。

彼は自分の髪は整えずに、熱心に私の乱れた髪の毛を直してくれた。されるがままになっていると髪の毛を整えなおして満足したベルンの顔がもっと近づいて、こ、これはまさか…!と身構えたのも虚しく、ベルンの形の良い丸い頭は私の右肩に置かれていた。

一瞬でもキスされるかと思った自分が恥ずかしいよ私は…。

羞恥と虚しさに心中身もだえしている私などお構いなしに、ベルンはぐりぐりと頭を押し付けてくる。

ちょっと痛かったけど、好きにさせてあげることにした。

「…ちょっと疲れた」

「寝てもいいよ。起こしてあげるから」

「絶対リジィも一緒に寝るからやめとく」

「そんなことないもん」

ふふふと笑う吐息がくすぐったい。

なんだか大きな動物になつかれているみたいで、襟足をとかしてみる。馬とかここら辺なでると喜ぶよね。

昼休みに話していたヨハンのこととか、ルーカスは味方なのかとかいろいろ聞きたいことはあったけど、ベルンにとっては久々の休憩だろうから今は忘れてしまおう。

どうしてこんなに私にできることって少ないのだろう。

というか知ろうとしても阻まれているような気がする。たぶんそれは、ベルンなのだろう。

だからと言って、このままではいけない、と思う。

知ることが難しいから知らないでいるのは、怠惰だし逃避だ。

あーでも、今聞くのはちょっとなぁ…。

うん。明日聞こう。そうしよう。これは逃げではない。私は気遣いのできる女なのだ。

「リジィ」

ベルンが顔を横に向けて、見上げてくる。

とんでもなく顔が近いのに、木漏れ日にチラチラと輝く灰色の瞳を見つめていると、不思議と穏やかな気持ちになれた。

ベルンは口を二、三度開け閉めして、何かを言い淀んでいるようだった。

それを静かに待っていると、茂みががさがさと揺れる音がして、そちらを見ると拳を握りしめて私をねめつける彼女がいた。


展開の修正をしていたらえらく更新の間があいてしまいました…。あとどうでもいいんですけど、私のGWはどこにいってしまったのか…。

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